子供の頃、テレビでこの映画の宣伝CFをみるたびに、恐かったことをおぼえている。
人類が滅んでしまうと言う話。
これからこの世界で人生を生きようとしている自分には、それがなくなってしまうことがとても怖く感じられた。
そうした記憶があったせいもあるのか、その後も映画そのものを見ることはなかった。
しかし最近、Amazon Videoで『復活の日』を目にした。同名の別作品かな?とおもったが、まさに1980年のSF邦画、あの作品だった。
邦画のSFは大概出来が悪く、見ない方がいいのかなと思いつつ、しかしここで子供時代からの心のわだかまりを取り除いておきたい、そう思ってみてみた。
ウイルスがあたかも細胞に寄生もせず独自に分裂して増えるような説明とか、ワクチンと言いながら、ウイルスに放射線を当てたら抗体ができるとか、まあ気になると言えば気になるが、そう言うことは無視して人のこころの動きに寄り添って見ていると、細部もよくできているなあと感心した。恐らく、こういう部分はこちらが大人になり、人生体験が豊かになったが故に感じられる部分なのだろう。子供時代に見ていたら、後半かなり退屈な映画であろうと思われる。
子供時代にも、作中の草刈正雄とオリビア・ハッセーのカップリングは知っていたと思う。『日本人が白人女性に相手にされるかよ』と違和感を持っていたのだが、ストーリーを追っていくと、オリビア・ハッセーの置かれた状況からはないとは言えない展開だと今は思える。
こうしたSFには、とち狂った人が異常な行動を取ったあげくにトンデモない事態に進展する展開がつきもので(それがまた安っぽく感じられる)、本作もまさにそう言う展開があるが、現実では権力者が時代錯誤な理念を持ち、利己的な行動をとり続けている以上、何があっても不思議ではない気がする。自分の人生も小説を遙かに超えて奇なことばかりだし、そんなものなのかもしれない。
SFではあるが、CGがまともに使えない時代で、変な特撮もあまりない分、余計に人を中心に映画を撮っている印象で、純粋に人間ドラマとしてとらえやすくなっているように感じた。
日本のSFとしては60年代の古典で、80年代の映画化なので、内容に古さは感じてしまうが、舞台も80年代なので、そう言う意味では違和感はない。
人類の生き残りたる南極の人々が苦境を乗りきっていく話かと見る直前には考えたが、そう言う部分にはほとんど焦点が当たらず、草刈正雄の人類の生き残りのために命を賭した英雄的行動と、仲間の元への帰還を地味に追うばかりで、あれ?と思う部分はなくもない。
ハリウッド映画のような派手さや痛快さは影も形もないということは、最初から覚悟してみる必要がある。
Posted at 2019/12/11 21:30:21 | |
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