しばらく前だが、職場から自宅に戻る途中、普段なら幕張インターで降りるところ、ふと気付いたら通り過ぎていて、武石で降りたと言うことがあった。
その間、全く記憶がない。
こう言う状態を心理学/精神医学では「解離」と呼ぶ。
意識や記憶が体から離れてしまう状態。乖離の方が日本語として正しいように思うが、何故か解離の語が使われている。
解離は普通の人にも起き、繰り返し行っているようなことではそれを明確に意識する必要にないとそれを記憶しなくなったりする。長い会議でぼーっとしていて中身をおぼえていないとか、新しい職場の通勤も、最初はすごく距離感を感じ時間がかかることを意識するが、やがてそれが日常のものとなるとあまり距離や時間を意識しなくなる。これも解離故と言えるだろう。
病的な解離と言えば、解離性健忘…以前の記憶の一部や多くが失われてしまうこと。解離性遁走とは「私は誰? ここはどこ?」だ。強いストレス、ショックが関わり、ある場面に関する記憶、自分史に関する記憶が失われるなどだ。しかし、無意識に記憶が抑圧されているのであって本当に記憶がなくなるわけではないようだ。記憶が失われている状態でも、その記憶が行動に影響を及ぼしたりする。
人格が解離するのが解離性同一性障害だ。強い精神的ストレスが元となって、別の人格がつくられてしまう状態で、記憶を共有しない多くの人格を持つことが多いようだ。解離性同一性障害まで行かず、記憶が共有されていて明確な人格交代でなくても、人格交代に近い豹変が起こる場合もあるようだ。
で、幕張インターで降りられなかった自分は、病的とは言えない解離、日常の繰り返し行為で意識の介在が弱くなり、運転にのみ集中してしまったのかもしれない。
実は自分は小学生の頃から会議で記憶が飛ぶことがあった。授業はほぼ完璧に記憶しているのに、何故か会議は記憶がない事があり、あとでこんなことが決まっていたのかと驚くことが何度かあった。生真面目な自分が寝ていたわけでも余計なことを考えていたわけでもなく。なにか強いストレスを感じていたのかもしれないのだが。対人が苦手な自分にとって、会議自体が強いストレスだったのかもしれない。
***
つい数日前、仕事上の疲労と寝不足が重なっていたある日の帰り、このところ節約のために首都高には乗らずにいたのだが、疲労に重ねて雨が降っていたこともあり、短時間で帰り着きたいと首都高に乗った。
で、そのインターから少し行ったところにオービスがあるのだが、いつも強く意識しているオービスがこの日は全く意識になく、首都高の60km/hという実際の流れと全く合っていない制限速度を超えていたかもしれないまま、オービス前を走ってしまった。
暫く走った後、
「あれ? オービスがあったはずだが、いつの間にか通り過ぎてたぞ!?」
と気付き、外食するために寄った駐車場でドライブレコーダーの映像を見直してみた。
すると、オービスが点灯している様子はなく、ホッとした。強い赤のフラッシュなので、必ずドラレコには記録されるはずだ。
しかも、自分と同速の先行車にも光らず、左脇についているカメラと自分の間にもう一台オービスに気付いて急減速する車がいたので、例え点灯していたとしてもどちらの車が速度超過しているのか分からないので取り締まりの対象にならないはずだ(少なくとも以前の運用はそうだったと聞いている)。
オービス点灯動画
なお、オービスの基準は、一般道30km/h以上、高速道路40km/h以上らしい。
運転しているときは解離状態であっても情報を意識が遮断しているだけなので見ているし反応はできるので運転ができてしまうのであるが、さすがにオービスへは反応できない。
気を付けなければ。
参考:
MSDマニュアル(家庭版) 解離症の概要
Posted at 2021/07/03 06:45:51 | |
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