2021年10月29日
父は人前ではなにか自分を『格好いいな』『ちょっと違うな』と思わせたいところがある人だった。
父の最後の車として私はベンツを薦めたが、母がベンツはヤクザの乗る車だとか訳の分からない事を言って反対したためにBMWを買うことになった。
ほとんどのタマはホワイトかシルバーだったのだが、近所に1台だけルマンブルーの個体があった。これが上手に撮られた写真で、非常に目を引くものだった。
父はこれに目を奪われ、ほかの個体に見向きもしなかった。母は『そんな派手なの…』と嫌がっていたが、結局この個体をほとんど即決で買うことになった。
プリンターを買うときも黒ばかりの中でキヤノンのTS-8130は赤も選べることを知り、赤を買うと言った。母はそんなものは黒でいい、赤なんて派手なのはいらない、とのたまったのだが、私が赤でいいじゃないかと言って結局赤に収まった。
お棺に入れた、父が大切にしていたポケットチーフはなんとゴールドだ。
SVXのグリーンメタリックマイカを気に入っていたし、以前兄が乗っていたマツダMS-6のワインレッドもいい色だと気に入っていたようだ。どちらも日本車ではレアなカラーだ。
父が若い頃最初に買った車は黄緑色のギャランFTO。お金がなくてGTOは買えなかったが、レアさでちょっと目立つ色を選んでいた。私は同じ色のFTOを見たことがない。
自分の名前をサインするにもどう書けば格好いいか、などと研究していたらしい。
特段何か好みの色があるわけではなく、派手派手を好むわけでもないが、人前では何かちょっとかっこつけたい、ちょっと派手なことをしてみたい、そんな人なのだ。
葬儀に当たって、生前に葬儀にはこれを使ってくれと言っていた写真は、随分にこやかな顔をしているものだった。
ただ、それを葬儀屋さんが薦めてきた、よくある運転免許写真のような青背景の写真にして、黒やグレーのフレームに入れてもあまりに普通すぎて、本人はつまらないと思うだろう。
私はそう思って、あまり選べない中でパープルのフレーム、バックはそれに合わせてベージュを選んでみた。
パープルは女性が選ぶケースも多いが男性が選ぶケースもよくあるとのことだった。
母も同意し、それで一旦決まったのだが、あとになって兄が
「葬儀屋さんが進めてきたものが無難でいいに決まっている」
と言い始め、ベージュは顔と同じ色だとか、明るい色のフレームは色あせするとか埃が目立つとか言い、結局リセットされて青背景にグレーフレームになってしまった。
***
納棺の時、従兄弟がお酒を持ってきてくれた。
なんでもその従兄弟の父の葬式の時に、父が突然、故人に酒を飲ませたいと、棺の中の故人の体にドボドボと瓶一本の酒をかけたのだそうだ。だから「お酒が大好きだった伯父さん(私の父)にも浴びるほどお酒を飲ませてあげたい」と用意してくれたのだとか。
普通はそんな振る舞いはなかなかしない。許可を得てやるだろうし、やってもせいぜいちょっと口につける程度かもしれない。供えてあげれば充分だと考える人が多いだろう。
それを許可も得ずよくやったものだと思うが、そういう事を人前でやってしまうのが父らしいところと言える。あえて人と違うことをやって見せたいのだろう。そもそもがええかっこしいなのだ。
結局葬儀社の人からコップ一杯程度にしてくれと言われて、浴びるほどはかけてやれなかったのだが、大好きな酒で送られたのだから満足だろう。
その従兄弟の父の葬儀で、父は焼香の時にも随分派手に腕を動かして踊るような動作で目立っていたらしい。別の従兄弟の女性からその様子を見て「素敵な伯父様」と思ったのだと聞かされた。
やはり、ここ一番と言うときにそういう目立つことをしたい人なのだろう。
その話を聞き、やはり最後の舞台で遺影を無難な青背景でグレーフレームに収めてしまったのは、やっぱり本人としては不満だったのではないか。もう少し奇抜さのあるものを好んだのではないかと思わずにいられなかった。
父の葬儀についてはそれが心残りでならない。
追記:
父は最後の車BMW320iを気に入っていた。
父が他人にちょっとした見栄を張りたがる傾向をよく理解していたので、最後の車としては外車がいいだろうと思っていた。しかも赤とか青の目立つヤツを。
父はまさか自分があこがれの外車に乗ることができるとは思っておらず、ちょっと古い中古なら手頃であることを知らされることがなければ考えもしなかったらしい。なのでそのことを感謝もしてくれていた。
当初は機能満載の高級車であるプログレと比べてシンプルであることに不満をおぼえてもいたようだが、気に入って乗っていた。施設では【俺のBMWに乗って来てくれ】と言い、その姿を見て喜んでいたし、職員に【あれ、俺の車】と自慢すらしていた。
ルマンブルーのBMWを勧めたことは、とてもよかったと思っている。
ただ、元々年齢的にも長く乗ることは難しかったが、病気の悪化で思ったより早く乗ることができなくなってしまったのは心残りであったことであろう。
Posted at 2021/10/29 20:35:29 | |
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