2022年03月06日
先日派遣会社の人とのリモート面談の中で、
「大学の時の研究のテーマっておぼえていらっしゃいますか?」
と訊ねられたのだけれど、答えられない人っているのかな。
まあ、学部で研究していない人も居るだろうけれど。
研究をしていても、先生に与えられたテーマでほとんど先生がやってしまってお手伝い程度だったとか、研究室単位でのテーマで研究をしていたとかでおぼえていないとかの人もいるのかも知れない。
私の場合は、研究室選びがそもそも希望通りではなかった。
動物行動学をやりたいと思っていたが、大学にやりたいと思える研究をやっている研究室がなかった。
昆虫を使った神経生理学も興味はあったが、教授が自分にとってはだめなタイプで遠慮した。
結局、当時珍しい経時的・立体的観察によって細胞の立体的形態形成を明らかにしようという研究をしていた藻類の研究室に落ち着いた。
当初教授は他の学生にビデオを使って経時的観察を行うテーマを与えようとしていたが、私が自分のスキルで研究を進められるとテーマをもらって研究を始めた。
そこでは細胞の樹脂包埋薄膜連続切片を単純に並べて観察するだけだったが、私はこれを自分のパソコンを使い、葉書スキャナーを買ってデータを取り込み、パソコン上でプログラムを書いて画像処理し、重ね合わせた3Dステレオグラムをつくって物質の輸送経路を明らかにするなど、研究室にはないスキルで研究を進めた。
研究発表ではPC98系マシンに秋葉原で買ってきたコプロをつけ、研究材料の3Dモデリングをして3D画像を計算させ、これをフロッピーでMSX2に転送してビデオ出力。これをビデオデッキでコマ撮りすることを繰り返して3Dアニメーションをつくり発表に使った。ステレオグラム、ビデオ映像、立体アニメーションと当時としてはかなり画期的なことをやってのけたわけだ。
こういう研究手法は今ではごく当たり前で、ライブイメージングなどごく普通に行われているし、構造をスパコンで3D化して観察するとか、3Dモデルを動かしてみせるとかは当たり前になっているが、当時の教授連にはまったく分からない事だったらしい。うちの教授がいずれこういうことが当たり前になりますと言って納得させたらしいのだが。
そんなことなので、教授にテーマをもらいこそしたが、自分が主体的にテーマを選び、主体的に研究をしたので、こんなことを忘れるはずがない。
世間では学部の研究などどうせ、とタカをくくられてしまうが、うちの大学は当時マスターまでしかなかったために学部生であっても教授らの期待が高く、それに応えられる学生にはどんどん研究をさせていたわけだ。
教員経験というのは世間では社会経験のうちに入れてもらえなかったりするし、実際社会で通用する能力を業務を通じて形成してきているような教員は滅多にいない。
そもそも専門領域の知識すらあやしい教員が多く、職務内容も教科専門性などまるで評価されない。中学レベル、高校レベルのことが教えられればいい程度だしか期待されていない。
学校はあくまで生徒の管理が仕事であり、評価の対象だ。だから教科指導のみの講師など単なる人足としてしか認知されていないこともよくある。非常勤講師は授業がやりにくい学年やクラスのサンドバックとして扱われることも多い。
そんなことなので、私がもっている知識、技能、経験等はほとんどが自分独自に業務外の地域での活動や副業、独学等で積み上げたもので、職業としては対人恐怖の克服とプレゼンテーション能力を高めてきたぐらいしか思い当たらない。
あまりにも規格外れな自分は、その中身のどれかに見合った仕事を得ようとすると本当に苦労する。
教員などになってしまったのが根本的間違いだったのだろう。
ただ、それ故に余暇を様々なことにつぎ込めたし、自分で自分を育てることができた。
企業ではつぶされていた可能性が高いので、それを考えると、どう進めば自分が正当に評価される道になったのかは簡単には答えが出せない。
Posted at 2022/03/06 16:59:54 | |
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