2022年05月01日
FBってネガティブに感じる投稿を嫌がる人が多いよね。だからええカッコ投稿か花か食事か旅行が多くなる。
記名のFBは個人的な人間関係そのものだから投稿を取り繕いたくなるし変に思われたくない。おかげで息苦しくなる。職場で強制的にFB参加させられている人たちなんか懸命に上司の顔色伺い。
外面を極端に繕ったのがインスタ。
逆に匿名で取り繕いを廃しているのがツイッター。ここでは非論理性攻撃性が表れやすい。
SNSって匿名か記名かで極端に利用の仕方が異なる。トータルに見てそれこそが人間の醜さという気がする。
以前、FBでいろいろな有益な情報や論評みたいな作文を投稿していたが、反応もほとんどないのでやめた。そもそも有益な情報を無償で書く行為にも疑問を感じるようになったし、有益を有益と判断できない人の方が遙かに多いようなので、バカバカしいと言うこともある。
沖縄にいる元教え子の看護師が、沖縄に関する投稿をよくしていたが、繕った投稿と感じていた。今日は珍しくコロナがらみの問題(介護職は陽性者に接した場合に一般の人(や医療従事者)より遙かに厳しい基準で濃厚接触者認定になるため、陽性者が出ると介護施設の機能が停止してしまう等)を投稿していたが、そちらの方が遙かに面白く有益だ。だがそうした「グチ」投稿は今回だけで次回からは取り繕った投稿にするそうだ。
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FBは強制的にタイムラインを見せられるから誰かが連続的に投稿していると他が見られなくなる。なのでフォローの解除や友人解消されやすい。
詰まるところFBでは差し障りのない短い投稿しかできない。
若い人ほど繕った投稿しかしないしそうでない投稿を嫌う傾向が強い。中高齢の文章主体投稿が嫌われ、写真投稿のインスタへ移行していった。若い人の投稿などほとんど見なくなった。投稿がほとんどないのでシステムによって関係性が低いと見なされ、ますます投稿が表示されにくくなっている。
いまやFBは中高年ばかりだが、中身は差し障りのないつまらない投稿ばかりで面白くない。
ツイッターはありとあらゆる情報が流れてくるので面白いが、攻撃性にもあふれている。また、Twitter.jpの極右加担的な性質(アカウント凍結の判断に恣意性を指摘する声が多い)と自民党下の組織による一般ユーザーを装った無数の投稿、自民党との契約と考えられる企業による個人を装った野党批判、事実捏造アカウントの活動もあって政治の道具にもなっている。
イーロン・マスク氏のツイッター買収が話題であるが、果たしてどうなるか。
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昔のパソコン通信時代は、Niftyだとフォーラムというテーマ毎の会議室があって、そこにいろいろなテーマで話をしていた。時々荒れるようなこともあったけれど、シスオペという会議室の運営者がいるので大きな問題に発展しにくかった。利用者は一部の人に限られ、文筆家の積極的な参加とかもあったけれど、比較的穏健な世界であったように記憶している。
Nifty ServeとPC-VANが最大手で多様性があり、Asashi-netとかASCII-netとか日経MIXとかの会員数の少ないところにはそれぞれユーザー層の違いがあった。その他草の根BBSが存在した。
電話代と通信費の請求におびえながらの利用なので、利用スタイルも参加会議室を自動巡回して後からゆっくり読み、書き込みをし、次回の接続時に実際の書き込みが実行されるといったゆったりしたものが多く、今どきとは随分違っている。
インターネット時代には掲示板があちこちに作られ、管理者が管理しないかむしろ問題に加担するやりたい放題の世界があちこちに。このあたりから「一般の人」の恐ろしさを感じるようになった。
それが更に極端になったのが「2ちゃんねる」だろう。
インターネットはプバイダーが料金を取るものの、基本無償の世界であった。
そのうち、インターネットの商業的利用が進み、隙あらば金を奪い取ろうとする世界へと変貌をとげてしまった。
個人がコミュニケーションのために利用するコンピューター通信の世界は
・インターネットの普及
・一般人のカジュアルな参加(スマホの普及とも連動)
・企業の利益主義の台頭
で大きく様変わりしてしまった。
端的に言えば、
・一部の人たちによる、ルールに基づいた紳士的な世界
から
・参加の垣根がないことで、非合理性非論理性利益主義非人道性などあらゆることを内包した人間社会そのものが可視化された世界
になったということだろう。
簡単に誰でもアクセスできるというところが最大の利点であると同時に最大の問題がある。発信力が必ずしも資力と一致しない為に、人間の欲望や不安などの本能的感覚に一致するデマや差別が拡大しやすい世界ともなっている。
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最後に無理矢理自動車ネタにこじつけると、少し前まで@niftyが入居していた大森ベルポートは元いすゞ自動車の本社等の敷地で、バブル崩壊後の1996年にいすゞ自動車と第一生命の事業としてお伏すコンプレックスとして再開発され、いすゞの本社もここにあった。そのいすゞも本日で大森を去る。明日から横浜に移るそうだ。
Posted at 2022/05/01 08:10:56 | |
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