昨日で一年間のお仕事に目処がついた。
体調の問題で1年前の会議に出席しなかったら、
過去最高の負担度の仕事
を割り振られていた。しかも、例年「他の仕事の都合でなるべく授業を入れないで欲しい」としている時間帯にもきっちり授業を入れられていた(お願いをしているときでも実際に実現されているのは週5日のうち1日か2日だけ)。
負担度の軽重と給与は無関係。
元々人の1.5倍程度の仕事をしているのに、これでは体が持たない。他校から来た人が『異常な過密スケジュール』と指摘する学期末処理。しかも交通事故の後遺症で耳鳴りで集中しにくく、むち打ちで体がしんどい
(だがそれも詐病扱いされている)。
そこからはさまざま高負担を何とかしのいできたが、さすがに過重すぎた。
昨日は自宅に戻りすぐにベッドに。1度目が覚めたがもう一度寝て、10時間以上睡眠を取った。この2週間は長くて3時間の日々だった。
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人生でもっとも能力・体調・気力が充実してバランスしているの30代の頃だろう。経験を積み、仕事にもやりがいを感じる頃かも知れない。仕事にやりがいを感じられない/問題を感じる場合には転職や独立開業を考える頃でもある。私の知りあいでもそうした人が多くいた。
私の場合は早期に職場に限界を感じ、他の道を探っていた頃だが、転居をきっかけに地元での市民活動に参加し、のめり込んでいった。
幕張ベイタウンという、日本の建築史上に残る実験的なまちづくりを行っている街で、地元コミュニティ施設のコンセプト作りに参加した。設計段階でも県や建築家となんども会議をし、煮詰め、日本では希な、市民参加によるコミュニティ施設が成った。私は特に音楽ホールと、コンサートピアノの選定・導入に関わった。
関連:元毎日新聞論説委員 下川正晴氏による『幕張ベイタウン・コア物語』
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施設の目玉は音楽ホールであり、その後もコンサート企画/運営などで関わり続けているし、多くの子供たちの参加による
キッズプロジェクト(3回まで)では監督兼技術スタッフとしてかなりのエネルギーを傾けた。それまでに自分が身につけ磨き上げても実戦投入する機会が皆無だった技術・能力を一気に花開かすことが出来た。
しかしながら、基本はボランティアの仕事であり、実利には結びつかない。転職もなかなか難しい年齢になってしまっている。結果として一番いい時期を自分の将来のために使わなかったことになる。
専門は生物学・科学教育ではあるが、専門性もなかなか生かせないし、私学進学校の理科は科学教育ではない(少なくとも現職において)。しかしながら、磨いてきた科学的能力はそれなりに使い物になることはこの震災を通じて認識できた。
自分がこども時代から磨いてきたものはどれも十分使い物になることがわかったが、少なくとも現職においては生かす場がない。
大きな夢はあるが、たとえ宝くじに当たったとしても実現はかなり困難。
だが、道は拓かねばならない。
くだらないことにお付き合いして時間を浪費してはいられない。
Posted at 2012/03/11 07:30:54 | |
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