• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

Yuh_Fazioliのブログ一覧

2013年07月21日 イイね!

せんきょ

 午後に地元関連の会議があり、その後投票に行ってきた。

 当然、ネオ右翼ではない党に。

 どこの党、何という候補者と考え方が近いかを診断してくれるサイトがあった。

政党・候補者との相性診断
http://senkyo.yahoo.co.jp/vmatch/


 おおむね投票したものと同じ結果になったので、よくできている感じだ。


 **

 地元の小学校が投票所になっているが、私が行った16:00すぎには次々と人が来ていた。私が住む美浜区は千葉市の中でも投票率が高く、地元はその中でも高いらしい。

 **

 関係ないが、「忸怩(じくじ)たる」思いと言う言葉がある。

 よく政治家なんかが公式な答弁などで使うのだが、それが最近では明らかに誤用されていると思えることが多い。

 本来は「(自分の行いについて)恥ずかしい、赤面するような」という意味だが、どうも「腹立たしい、悔しい」という意味合いで使われることが多くなっている。

 おそらくは、もともとはなんらかの問題を起こした際に建前として「恥じ入っている」と答えていながら、本心は全くそうは思っていないのがありありとしていることがたびたびあったのだろう。
 その姿から「悔しい」と思っているとしか見えず、そもそも一般的に使われる語ではなかったので悔しさを表す語として印象づけられてしまったのだろう。

 建前と本音が誤用を生んだのだろうと、私は考えている。

 **

 ある党が大勝したとして、その党が選挙前と政策をひっくり返した場合、それに投票した人はどう思うのだろうか。

 忸怩たる思い(自分がそんな党に投票したことを恥じ入る)になるのだろうか。
 それとも忸怩たる思い(自分がダマされた、悔しい)になるのだろうか。


Posted at 2013/07/21 17:18:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治・行政・マスコミ | 日記
2013年07月20日 イイね!

ひとりごと

 もう夏。早いもんだ。この分だと次に気付いたときには棺桶に片方足を突っ込んでいそうだ。

 さて。

 毎年8月の末に検診を入れている。その心は、7月までにストレスによる過食でため込んだ脂肪を少しずつ落としていく期間が8月であるからだ。毎年3~4kgは落とす。

 これまでの検診結果を見ていると、体重というか体脂肪率の増減と、血液検査の数値や血圧の数値に相関性があるように見える。体脂肪率が18%を超えると他の数値が悪化するのだ。

 みているのはタニタ製体重計(電気インピーダンス法)で測定される数値だが、本来18%は決して悪い数字ではない。しかし他の数値の悪化と相関性がある以上、ここを下げていくことが望ましいと思われる。

 家の体重計と検診先の体重計で、同じタニタ製でありながら体重も体脂肪率も差があるのだが(検診先の方が常にいい)、同じ機械で継続的に計る分には比較ができる。
 しかし、今年は検診する病院が変わるので、検診結果を直接比較ができなくなる可能性が高い。取りあえず家での測定を参考にすることになりそうだ。

 **

 自分の学生時代の体重は57kg。最近のピークでは何と76kg。そこからは落としているが、自分がベストと感じる60kg代前半~中ばには遠い。なんとかこのあたりまで落としたいものだ。

 食生活が結構変わって外食はほぼゼロになっている。面倒なときや忙しいときには牛丼店や天丼店で食って帰ることが多かったが、これがないことはかなり貢献しているはずだ(健康と財布に)。

 野菜と魚がかなり増え肉が減り、ご飯やパンも減っている。しかしながら体重は多少落ちてもそこからはそう簡単には落ちない。

 地道の食事のコントロールを続けながら運動量を増やしていかないとならないだろう。

 65kgが当面の目標。しかし、いつ達成できるだろう。

 **

 日経平均で12000円台からは持ち直し、15000円手前まで来ている。ドル円は101円で阻まれている。
 円安株高は政治的な理由で何とか維持されてきた面が色濃いし、それも参院選が目標だったはず。
 そんな事情もあって、自民党大勝の参院選後には一旦上げても事実売りになると言われている。その後は9月まで夏枯れ相場になるか。

 とは言いながら、時間帯は全く違うが、金曜日の引けにかけて日本株もドル円も下げから持ち直して終わっている。まあどうなるやら。長期的には円安株高でも、短期の動きはいつもそうなるわけではない。特にバーナンキ発言以来為替はとても難しい局面になっている。

 為替をいじくっている自分は7月初旬は不調で、ようやく巻き戻したところ。
 調子が崩れた原因は明らかで、メンタルな問題だ。毎日相場に向き合っていると、面白いぐらい損益の動きはトレンドを作りやすい。いいときは一直線に上がっていくし、悪いときも一直線。相場にトレンドがあってもなくてもだ。

 メンタル面をコントロールするのは難しいので、調子が悪いと感じたときはやらないことが結果として利益につながる。『休むも相場』というヤツだ。

 大きく負けるとトコトン取り戻そうとしたり、トレンドが逆方向なのに反転を期待して耐え続けるとかの罠にはまりやすいものだが、それをいかに早く脱することが大切だ。

 それが難しいのが人の心理ではあるのだが。

 **

 最近、GMOクリック証券のFX neoで、妙に反応の悪さを感じる。特に23時台は鈍い感じだ。NY時間は激しく動きやすいのにスリッページが大きくなってスキャルだとうまく取れない場面がある。

 このところ気に入っていたSBI FXtradeは、不正対策で業界最狭だったスプレッドを広げてしまったし(5万通貨を超えるともはや、他社の方が有利になる)、指標時などにスプレッドが広がるようになったので今ひとつ有利さがなくなった気がする。ツールも一回クリックすると次にクリックできるまでに間が空いたり、全決済をするのにいちいちウインドウを一つ開き直さねばならなかったり。ツールはイマイチだ。

 何のかんのといいながら、スプレッドは最狭水準でツールの使いやすいFX neoが自分には最強なので、今しばらくはここがメインになりそうだ。
 
Posted at 2013/07/20 22:45:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2013年07月14日 イイね!

アシダカグモ

 画像を貼り付けるのは遠慮しておくが、たまに人家内に巨大なクモが出現することがある。脚を広げるとCD盤サイズほど。

 自分の場合は今の住まいでは見たことはないが、実家では1度お目にかかった。実家ではゲジゲジが登場したことがあるし(ゲジゲジが走ると、長い脚同士があたってシャカシャカ音がするんだよね……)、時々ヤモリが家の中にいることもあった。ヘビがバルコニーにあるスズメの巣を狙ったり、バルコニーで交尾をしていたこともあるから、周辺に生物が結構多いのだろう。

 で、そうした郊外の人家だけでなく、都会の人家や、建物内で見かけやすい。自分も時々見かけている。先日はFacebookで生徒が学校の教室に出たと写真を上げているのを見た。巨大なクモなので、見ると結構ぞっとする。何しろ日本最大サイズ。それ故駆除されてしまうことも多いが実はこのクモは益虫なのだ。

 というのも餌はゴッキー。ゴッキーが走るよりも速く飛びついて捕らえてしまう。小さなネズミすらも餌にする。ゴッキーもネズミも衛生害虫であるので、それを駆除するタカアシグモは益虫になる。


 このアシダカグモ、駆除しても餌がいる限り外部から次々に侵入してくるそうだ。それ故、アシダカグモを見たくなかったら、ゴッキーを駆除するしかないし、アシダカグモがいればゴッキーが駆除されるので、それまでは我慢して共存した方がいい。

 なお、生み出された卵嚢から出てきた子グモは、ちょっとショックを与えるとわーっと四方八方に逃げていく。これが『クモの子を散らす』の語源なのだそうだ。

 子グモは糸を使って風を受けて空に舞い上がり、遠くまで移動していく。これが餌を求めて人家に侵入してくる。

(参照 wikipedia)



 自分の場合、今のマンション住まいになってからすぐ近所の荷物に付いてきた子ゴッキーがうちにも侵入してきて増えたことがあるが、この時は巣になっていた場所を発見して糞を取り除き(糞には集合フェロモンが含まれるので、ゴッキーが集まりやすい)、粘着系トラップで制圧した。
 その後マンションの大規模修繕時にバルコニーに敷いていたウッドデッキを部屋内に収納したらゴッキーが付いてきて(バルコニーの鉢やウッドデッキ下はゴキブリの好生息場所)再度闘争勃発。この時は霧系殺虫剤で制圧に成功した。
 と言うことで、今のところアシダカグモのお世話にはなっていないようだ。

 できればアシダカグモも部屋の中では見たくはないので、ゴッキーがいない環境を守っていくしかない。

 アシダカグモは見かけないけれど、小型のハエトリグモが侵入していることがある。これもハエなどの小型昆虫を補食するので、いつの間にか生ゴミからショウジョウバエなどが増えてしまったときなどありがたいと言えばありがたい存在。

 ただ、マンションは高気密環境なので、換気扇等から侵入しても(トイレや風呂場では外部から侵入した小型昆虫を見かけることがある)出ていくことはかなり困難。時々餌不足で死んだっぽいものを見ると気の毒になる。

 高気密高断熱住宅では一昔前の家のように、人家内で当たり前の様に生き物を見かけることはなくなったが、その分ゴッキーなど特定の生物が増えやすくなっているような気もする。以前は寒さで進出できなかった地方へもどんどん勢力範囲を拡大させている。
 人が生活する高気密高断熱住宅は特定生物にとってのゆりかごかも知れない。




 
Posted at 2013/07/14 21:59:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2013年07月14日 イイね!

2013/7/13までの地震



 3ヶ月ぶり。
(USGSの暫定版のデータ。北緯35~45度、東経135~145度の範囲を使用。)

 全体的な傾向として、地震の回数や規模は落ち着きつつ推移。

 直近ではまた活動が目立って減少しているので、次の強めの活動が近いうちにあるのかも知れない。

 ここ数ヶ月の傾向として、ごく短い間にごく近い地点で同規模の地震の記録がされることが複数回あり、3つめのグラフに高い位置のプロットが三つ(実際には四つあるが、同一時間に起きているため計算上0で割れないエラーが出ている)これが同じ地震を記録したものなのか、それとも近傍で別の地震がほぼ同時に起きているのか分からない(おそらく同一の地震)。

 おおざっぱには3ヶ月周期で余震活動が強くなる傾向があったが、イレギュラーもある。その中で目立つ昨年12月7日M7.3は余震と言っても海溝外側の地震でしくみが異なる(当初アウターライズと伝えられたが、その後の解析で否定されている)。

 大きな津波を起こすアウターライズ地震は、海溝型地震の数ヶ月から数十年後に発生する例があり、東日本太平洋沖地震でも規模の大きなものがいつ起きても不思議ではない。

 **

 いつものことだが、大規模な首都圏直下地震、東海・南海・東南海地震はいつあってもおかしくなく、その他の地域も日本列島が活動期に入っていると考えられるため、備えをするしかない。のど元過ぎて熱さを忘れることがないようにしたい。


 
Posted at 2013/07/14 17:11:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 地震関連 | 日記
2013年07月07日 イイね!

アニメを見る自分 追記あり

 アニメ……アニメーション、古くはテレビまんがやまんが映画とも呼ばれていた映像手法で、多くは二次元の絵をコマ撮り撮影することで動画として見せるものである、ということは言うまでもない。

 自分は子供の頃、親の圧力とまじめな性格であまりマンガやアニメを見ていない。小遣いの使途について強い制限を受けていたため、マンガなど買うことはなかった。友達のうちにいくと山ほどマンガが合ってうらやましく思ったものだった。近所の図書館や住区センター(規模の小さい公民館のようなもので、目黒区に存在した。他区については知らない)に置いてあるまんがを読むことがあり、白土三平や手塚治虫の作品に接したのはそこである。また、ピアノの先生のうちにはダンナさんが好きだという手塚治虫のブッダや火の鳥が置いてあり、レッスンを待つ間によく読んだ。

 **

 アニメに話を戻そう。

 親がテレビアニメを見せたがらない(特に『ダメおやじ』などに強い抵抗をされたのは馬鹿にされるのを恐れる父親の圧力だからとかと母親は曰ったが理由付けの一つに過ぎなかっただろう)。親の目を盗んでみてはいたものの、それほどではなかった。

 母親はひどく観念的に世間の価値観をとり込みやすい人で、『アニメやマンガばかり見ていたら頭が悪くなる』と強い禁止を課すタイプの人だった。それだけならまだしも極端に走る人であるから『お菓子を与えすぎるのはいけない』を『お菓子を与えてはいけない』、『楽しいことばかりをさせてはいけない』を『決して楽しいことをさせてはいけない』、『子供の自由にばかりさせてはいけないを『子供に自由をあたえてはいけない』と、曲解して過剰に実行していた。子供の精神をがんじがらめにしようとする人で、それを『よかれと思って』と自分で考えることなく実行する人だった。このような人と『親の言うことは絶対』と思い込んでいるまじめな子供の組み合わせは結構悲惨である。未だに自分が幸せになることについて罪悪を感じる。こんな人間は恋愛すらまともにできない。
 兄はずるがしこく、嘘や誤魔化しを当然とする人なので、自分のようなことはなかったらしい。

 生徒など見ていても、強い圧力を課す親の元でそれに従い自主性を持てず人生に苦労するタイプと、圧力をすり抜けながら、ずるいことをずるいと感じなくなったタイプがいる。
 子供の性格をよく見て育てないといけないが、いずれにしろ度を超した理不尽な圧力をかける親の元では子供はうまく育ちにくい。

 また話がずれた。

 アニメを見ていないといいながら、日本アニメーションのアニメ(『アルプスの少女ハイジ』などの低年齢対象のアニメ)やNHKのアニメ(未来少年コナンなど)は比較的許された。あまりアニメの害のようなことが言われていない時代であったこともあっただろう。小学生ぐらいになると制限ははっきりした。漫画・アニメに限らず、お菓子もあまり食べた記憶がない。
 中学生ぐらいになると比較的幅が広がり、『うる星やつら』『めぞん一刻』あたりは見ていた。親の目が届かない夕方のアニメなども多少見ていた。何しろテレビ放送はマンガと違い無料で供給されるので、観やすかった。往年のアッコちゃんなどのアニメも多少年齢が上がってから見ていた。ブームとなった『機動戦士ガンダム』などの日本サンライズ作品もそれなりに見ていた。『クリーミーマミ』などのいわゆる魔女っ子ものもちょうどこの頃で、希に見ていた。しかし、他の子供に比べて視聴量も幅も遙かに少で、アニメ好きな子供とはとても言えない。親の一方的な価値観の元、アニメやマンガを強く好むことを軽蔑していた部分がある。


 そんな状態のまま大学生に。ちょうどこの頃宮崎勤による幼女連続誘拐殺人事件があり、その前の時代に一つの盛り上がりを見せたアニメや、そのアニメオタクの志向の一つだったロリコン趣味に対するバッシングが激しくなったため、ますますそうしたものに接する機会は少なくなった。
 ただ、作品にではなく表現手法としてのアニメーションには魅力を感じていた。

 アニメやマンガに染まらなかった中学生から大学生までの時代、自分に大きな影響を与えていたのは新井素子の一連の作品群だった。ライトなSFで、文体が当時としては圧倒的に口語調で、今で言うライトノベルの元祖とも言うべき作品を描いていた。日本文学の豊富な読書量と国内外SF作品の影響を受けていて、ベースはとてもしっかりしていたらしい。SFといいながらSF要素はひかえめだったり、独特な語り口調やどうかすると無理な展開で大団円に持っていこうとする傾向は作品によっては物足りなさを感じることもあったが、女性が書く女性の心理などが自分にとって新鮮であったことを覚えている。

 星新一、筒井康隆、小松左京といったSF界の重鎮に可愛がられていたようだが(中でも星新一と新井素子の父親が同級生であったこともあって親交が深かったらしい)、遅筆で作品が少ない。当時彼女の影響を受けた人はかなり多く、ライトノベルの始祖としての評価はあるが、今となっては本人と作品群の存在感は薄くなってしまっている。
 ちなみに、ライトノベルのメガヒット作『涼宮ハルヒの憂鬱』の設定や展開は、かなり新井素子の『…絶句』の影響をかなり強く受けているように見える(ほとんどコピーと言っていいぐらい似通っている)。ハルヒの作者の年齢的に新井素子は必ず読んだはずだし、すくなくとも両者が影響を受けた作品は共通するだろう。

 そんな状態で、マンガやアニメからは距離を置いている状態が続いた。高校や大学の友人にはいわゆる薄い本(同人誌)を作っている人もいたが、そのあたりの人々が理解できずにいた。ただ、全くアニメから縁遠い人々に比べれば遠目でなんとなく気にしていた状態ではあった。

 **

 90年代や2000年代のアニメのことはよく知らない。この間のエポックメイキングな作品と言えば『新世紀エヴァンゲリオン』だが、80年代にアニメがブームとなった頃に感じたオタクへの嫌悪感と、その頃の『不思議の海のナディア』のガイナックス作品の強いパクリ臭が気になったこともあって、話題になってもほとんどまともに観ることはなかった(まずはタイプグラフィー調のサブタイトルに嫌悪。当時、ナディアと同じく過去作品の要素の寄せ集め感を感じた。年齢が上がったせいもあるがナディアもNHKアニメでありながらほとんど観ていない)。続いていたガンダムシリーズはガンダムといいながら『宇宙世紀』ではなく、ただガンダムというロボットが出てくるスターシステムになっていて、アムロとシャーの戦いと無関係なもので興味を持てなかったので全く観ることはなかった。以前は夕方からゴールデンタイムにかけて占めていたアニメがテレビ欄から少なくなり、ターゲットをより高年齢層に移した深夜アニメが主体になっていたことも知らなかった。アニメからは縁遠い状態だった。

 ただ、一大ブランドになった宮崎駿の一連の作品群は、『天空の城ラピュタ』から『千と千尋の神隠し』までは劇場で観ている。

 それがひっくり返ったきっかけは、『けいおん!』だったりする。これも本来成人男子を狙った深夜アニメだが、女子中高生の支持を受けて一大ブームに。当然生徒の間でもよく知られていた。そんな中で生徒からオススメされてみてみたのだった。京都アニメーションの手によるものだが、女子高生の日常が文句なく面白くできている。原作は未読だがおそらく原作を遙かに超える作品になっているはずだ。それぐらいアニメーションならではの表現手法が光っている。

 この頃いくつか深夜アニメを見てみて衝撃を受けた。手書きのセルアニメ時代で止まっていた自分には、現代のコンピュータ処理での表現、かつてに比べて遙かに書き込まれた映像の情報量、音楽等のレベルの高さに驚いた。アニメはこんなに進化していたのだと。

 そして、『涼宮ハルヒの憂鬱』を観る。SF設定を背景に萌えやミステリー要素を組み込み圧倒的な面白さに仕上がっていて、メガヒットも納得であった。これはすごいと。

 **

 このあたりでアニメに対して貪欲になった。これぐらいのよくできた作品が他にもあるのではないかと。

 ところがそんな期待は甘かった。そんな作品には滅多に出会えない。

 時間のあるときにアニメ作品をチェックするようになったが、アニメーションとしての表現力は絶対的に進化していても、ほとんどの作品が原作付きで、原作自体が粗製濫造のライトノベルであるために「まあまあ面白い』程度のものが大半で、観るに値しないようなものも多かった。同じような設定、同じようなキャラクターが出るものが多く、なんだこりゃ、と思い始めた。

 そんな中では、原作なしのオリジナル作品で、相当な意気込みで制作され、視聴者をいい意味で裏切ることに徹した『魔法少女まどか☆マギカ』がピカイチであった。原作なしは視聴者が先を読めない。オマージュ的設定を示してそれを見事に裏切るという手法は見事にあたった。単なる生徒と教師のほのぼのとした恋愛ものと見せて思わぬ展開で話題となったドラマ『高校教師』なんかを思い出したりもする。単純にそれだけではないが、アニメがすっかり定型化しているのでこうした手法がみごとにはまったようだ。同作品監督の定石にしたがった魔法少女もの作品『魔法少女リリカルなのは』のセルフパロディであり、同じような作品を作るとは思えないのでどこでどうひっくり返すのだろうと期待したが、それでいても全く意表を突く展開に度肝を抜かれた。

 それと比較するのは無理があるが、最近観た原作あり作品では、百人一首カルタを題材にした青春作品『ちはやふる』が光る。少女マンガ系に独特な心理描写や目配りが効いていて、おそらく原作の巧みさがうまくアニメにいかされているのだろう。

 『這い寄れ!ニャル子さん』も原作あり作品。特撮/アニメ/SFファンにはたまらないパロディ満載のアニメで、中毒性のあるオープニングアニメが印象的だった。とはいえ、自分にはパロディの大半が分からないのでwikiでたしかめつつと言う状態。ただ、根幹をなす部分が80年代のパソコン・SFファンの多くが共有しているであろうクトゥルー神話のパロディなので、この部分で何となく知っていることがちりばめられていて楽しめた。ある意味、パロディをこれでもかと徹底的に表に出した快作だろう。

 **

 ストーリーというか設定の面白さでは、『まどか☆マギカ』の脚本を担当した虚淵玄による『PSYCHO-PASS』『翠星のガルガンティア』が群を抜いていた。どちらも1クールでは勿体ないが、1クールで全てが完結してしまっている。キャラクター商品や挿入歌等の著作権ビジネスで稼げるタイプの作品でもないが。その点ではよくやったと言える。
 『まどマギ』の成功が原作なしアニメを増やすきっかけになっているようだ。しかし成功した虚淵玄を起用するだけでなく、他のライターを起用したもっと野心的な作品作りがあっていいはずだが、なかなかそういうことは許されないようだ。

 だからといって、実績のある監督が過去の宮崎駿作品のオマージュと宣言して作品作りをし、何も面白くないただの劣化コピーとなったようなものもある。無難な路線は必ずしもそこそこの成功になるわけでもない。

 過去の作品のオマージュ(あるいはパクリ)ばかりが目立つようでは、よい作品は生まれない(その点でガイナックス庵野秀明は極めてうまかった)。もちろんアニメに限ったことではないが。現代のアニメは主人公が何故か異性に囲まれるハーレムアニメや魔法や剣を題材にした日本RPG的ファンタジー系作品、美少女を前面に出し萌えとエロばかりを強調したものが目立つ。学ぶことはよくてもただ成功要素をまねて満足していては少しも前に進めない。新しさを付け加えていかないと。そう言う意味では『まどマギ』は極めて野心的な試みだった。

 表現手法や生産性は飛躍的に向上したが、肝心の中身はコピーのコピーという状況は宮崎駿はじめ多くの人が指摘しているようだ。

 アニメ制作現場は極めて厳しい働き方ながら年収300万円に満たない状態で制作にあたっているとか。業界に入っても離れる人が多いらしい。
 商業的な理由で自由度の低い作品作りが求められ、制作者を圧迫している。
 そんな中で高い意識と創作意欲を持続させながら人材を育てていくことは難しそうだ。

 一方でアニメで育った世代がアニメを志向して現場に入ってくるので、これまでを超える発展性を期待しにくい面もあるようだ。

 これからもよい作品が生まれることは期待するが、それはアニメ業界だけではうまく行かないのかも知れないと思ったりもする。

 **

 オススメの過去の作品を一つあげろというなら、『魔法のスター マジカルエミ 蝉時雨』を挙げておきたい。
 当時の少女たちに圧倒的な支持を受けた『魔法の天使 クリーミーマミ』に連なる、スタジオぴえろによるいわゆる「魔法少女もの」だが、制作者たちの挑戦的意欲が感じられる作品になっている。

 一連のシリーズで定番となっていた、ある日突然に主人公の少女が魔法を扱う力を得るという設定を受け継いではいるが、この作品の中では主人公が理想の将来像であるマジシャンに変身するというだけで、何かの大きな役割を与えられることもなく、ただ日常とマジシャンとしての二重生活が綴られていく。やがて主人公は理想の姿に変身することに疑問を抱くようになり、自ら魔法を放棄する。

 淡々と日常を描く手法は、後に発表されたOVA『蝉時雨』でさらに強められる。魔法少女ものでありながら、魔法を使っての活躍ではなく、ひたすらある夏の人々の日常の風景を淡々と追っていく。空、光、水の流れ、蝉の声……叙情的な風景表現へのこだわりがすばらしい。
 高校生か大学生の頃だったか、夏休みに地元UHF局でたまたま流れていたこの作品の、なんとも言えない空気感に強く惹かれたのを覚えている。

 マジカルエミ全編は、魔法を手に入れたからこそ、自分自身の手でつかんでいくことの大切さを感じた主人公の成長物語。その過程のほんの一部の夏の日々を、大人になった主人公の追憶として描いている。
 作品自体は『マミ』『ペルシャ』の魔法少女もの2作と比較してとても地味で、おそらく当時の少女たちにはうけなかっただろう。魔法の小道具がほとんど登場せず、スポンサーうけも悪かっただろうと思われる。魔法少女もののヒット作を手掛けてきたスタッフが、なぜまるで魔法ものを否定するかのような作品を制作したのだろうと考えずにはいられない。その方向性を更に強めたのがOVAの『蝉時雨』だ。OVAが多分に実験的になりやすいのではあるが、そもそものテレビシリーズ自体の方向性がメインターゲットである少女とスポンサーに媚びた作品作りをしているようには見えない。

 80年代は今と違ってたとえ原作付きでもアニメ版では独自の設定を加えたり独自の展開をするものが多かった。そのことの是非はあるものの、制作側がフルに創作意欲を爆発させられた時代だったとが言えるのかも知れない。今は原作に忠実であることがほとんどだ。制作者のエネルギーが向かうところは映像表現ばかりになってしまう。制作者の意欲を発揮することが多少なりとも許された時代だからできた作品だったのだろう。

 
 今の目で見れば技術的には稚拙だが、ひたすら情緒を感じる作品。登場人物たちの感情の機微含め、大人になったからこそ分かると言っていいだろう。ググってみると、この作品を評価するファンは多いようだ。

 
追記
トークイベント「ペルシャ&エミ…思い出語り」
http://www.sam.or.jp/staff_diary.php?year=2010&month=01#19

 監督の安濃高志氏への質問から。

質問:「魔法少女ものは普通、小さな女の子を対象に作ると思いますが、(大人向けの演出をしているエミは)当時、対象年齢をどの位だと意識されていましたか?」

安濃:「対象年齢について(プロデュサーなどから)説明はされましたが、夢中になってしまって、作る自分が面白いと感じる作品でないと見ている人も面白くないだろうと思って作ってました。もちろん子どもにわかりやすい話にしてほしいという要望はありましたが、エミに関しては周囲からの文句などはありませんでした。ペルシャを作っていたころはまだ信用がなかったので色々と制限がありましたけど、エミでは任せてもらえました」
 

プロフィール

「梅雨、日本周辺にしかない独特の気候なのだ。おかげで日本人は紫外線の影響を受けにくくなっているし。悪いことばかりではない。」
何シテル?   06/15 10:04
愛車 黄色いピアッツァのHP http://piazza.ciao.jp/piazza_web/index.html ↑プロバイダーを変更して再開! ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2013/7 >>

 1 2345 6
78910111213
141516171819 20
21 22 2324 2526 27
2829 30 31   

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

YUHの気ままなままに 
カテゴリ:ブログ
2018/01/31 06:12:14
 
常識はずれのPIAZZA達の隠れ家 
カテゴリ:Piazza
2012/11/17 07:31:43
 
須関裕子のブログ 
カテゴリ:Music
2011/02/26 18:38:37
 

愛車一覧

スバル アルシオーネSVX スバル アルシオーネSVX
 はじめてのSVXは追突事故によって、わずか1年半で乗り換えることになってしまいました。 ...
いすゞ ピアッツァ いすゞ ピアッツァ
 社会人になりはじめて手に入れた車です。 PIAZZA XE Handling by L ...
BMW 3シリーズ セダン BMW 3シリーズ セダン
実家最後(予定)の車。 私がメンテナンスしてます。 →私が相続し維持することにしました ...
その他 その他 その他 その他
写真の置き場です。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation