子供の頃、たびたび空を飛ぶ夢を見ていた。
ごく普通の人間のはずが、ふっと飛び上がってしまう。そして自由に飛び回ることができる。とても爽快だった。
そんな夢をよく見ていた。
まあ、解釈としてはいろいろあるだろう。
たとえば
☆(空を)飛ぶ夢
○自分が思い通りに飛んでいる夢
自由に気持ちよく、まるで鳥のように飛んでいる夢というのは吉夢です。運気も上昇して計画もあなたの思いどうりになります。新しいことにチャレンジしてみるのもよいでしょう。
(
夢占い診断所)
とあったりする。
前向きな解釈もあるようだが、自分の場合、当時は辛いこと、苦しいことばかりでどこにも逃げ場のない子供時代であったので、そうした現実からの逃避願望の表れだったような気がする。
ただ、とても気持ちの良い夢であったのは事実。
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そういえば、小学校1,2年の頃、飛ぶ夢を見ていた頃だと思うが、たった一度だけ、見知らぬ少女と出会う夢を見たことがある。友達になり、至福の時を過ごした。ただ一緒に出かけて一緒にに過ごしただけなのだが、本当に幸せな夢だった。夢から覚めて大いにショックを受け、大急ぎで夢の内容を書き留めた。
あれ以来、見知らぬ女性と過ごす夢は見たことがない。
現実の想い人と想いを確認し合う夢なら見たことがある。背中から相手が押し当てる額の体温すら感じ、余りに全てがリアルで驚いた。現実には思いを確認し合う訳にはいかない相手なのだったので、夢の中でかなった訳なのだが。
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あの見知らぬ少女のイメージは、未だに残っている。あの幸せ感は忘れることができない。あんな幸せな夢をもう一度見てみたい。
今は子供の頃に見たような幸せを感じる夢をほとんど見ていない。少なくとも覚えていない。何となくいい夢を見たような感触が残っていることは希にあるが、夢そのものの記憶がない。
せめて夢の中だけでも、心地の良い思いをしたいと思うのだが、そういう、フロイトの言うところの願望充足な夢は見ない(見ても覚えていない)ようだ。
たまに記憶に残っている夢は、現実とちょっと違う、現実にさまざまな足し算や引き算をした世界に自分が生活している夢だ。現在の住まいや実家、かつてすんでいた家をデフォルメした空間が舞台であることが多い。登場人物は現実の人ではない。
願望充足かも知れないものを見ても、実は自分がいすゞ117クーペの不動車を持っていたとか、ピアッツァの部品取り車を見つけたとか、そんな程度。なんてスケールの小さい。117クーペの完動車でもなく、ピアッツァの部品取り車を手に入れたのでもないのだ。だいたい、同じ車でもフェラーリを所有している夢とか見ても良さそうなものだが、そんな夢は見たことがない。自分はフェラーリに似つかわしくないと最初から自分を規定してしまっているから夢にも見ない。
自分の発想があくまで現実の問題を解決する部分にあって実際に多岐にわたる問題を解決してきたけれど、突飛な発想とか夢を持てるタイプの夢想家ではないのだ。実につまらないと思う。夢にもそれが反映されているのであろう。
せめて夢の中だけでも夢を見たいものだ。
せめてあの自由に空を舞う夢をまた見たいものだ。
Posted at 2013/10/12 23:34:15 | |
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