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Yuh_Fazioliのブログ一覧

2014年05月31日 イイね!

教員の疲労度は一般の2倍だそうだ

教員はとても疲れている……というのは最近では周知されてきている。
 
 朝は一般企業よりもはやくはじまり、昼休みも生徒への対応や様々な雑務で昼食を取る暇もなく、夜は居残って仕事をするが残業手当もない。持ち帰って仕事をし、夜中までかかる。問題を起こす生徒やモンスターペアレントへの対応、同僚や上司などとの人間関係……様々な精神的ストレスを抱え、土日は部活動で休めない……そんな教員はありふれている。
 業務にこれといって達成感もなく、昇進するポストもほとんどない。自己実現は極めて限られている。昇進を希望するものも少ない。

 鬱病になる教員は増え続けている……。

 

(出典 http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/data/dt110131.html


  
 その教員の疲労度を計測して調査したという記事があった。
 関西福祉科学大学と宮城大学による研究チームによるもので、問診票だけでなく自律神経機能の測定(注1)や、手首型の加速度データロガーを使った活動度など、客観的なデータによる調査をしている点が目を引く。

 調査に依れば、教職員の疲労度は一般の2倍、被災地の東北と大阪でほぼ同値であったという。

 鬱病や脳卒中、心筋梗塞などのリスクが極めて高い状態であるらしい。

 給与条件は専任職員の場合でも、自治体や私立学校のそれぞれで違うが、一流大学卒にしては一般に低く、勤務状況はブラック企業のそれと似たようなもの。社会的地位も低くなる一方だ。

 もともと教員志望者には意識が低いまま学校という枠にとどまり社会参加を忌避しているもの、既習事項のみで対応できると考え初等・中等教育に飛び込むものが見られるのに、このような条件下で優秀な人材が業界に集まりとどまるとは考えにくい。その一方で、大阪市のように教育政策の立案に異常をきたしているような自治体すらある(注2)。優秀な人材を拒んでいるようにしか見えない。

 
 

教職員の疲労度、一般の2倍 計測技術使い立証
中村通子 朝日新聞 2014年5月30日05時53分
 

 
 学校の先生はやっぱりひどく疲れていた――。関西と東北の大学による研究チームが最新の疲労計測技術を使い立証した。研究チームは「教職員はあと一押しでうつ病や脳卒中、心筋梗塞(こうそく)などに陥りかねない『がけっぷち』の状況にある。支援が必要」と訴える。

 客観的なデータで教職員の疲労度を確かめたのは初めて。国内の疲労研究拠点の一つである関西福祉科学大(大阪府柏原市)と宮城大(宮城県大和町)などが共同で、柏原市の教職員252人と、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県沿岸部の市の教職員142人を2013年に調べた。

 調査項目は①問診票②自律神経機能③手首型自動測定器を使った3日間の活動解析の三つ。

 その結果、両市とも「総合的疲労スコア」の平均値は一般成人の2倍で、「要注意」判定に相当する高値だった。自律神経のバランスも大きく乱れ、活動量は一般人より1割少なく、居眠り回数は1・5~2・2倍だった。研究チームによると、これらの数値は体がストレスに必死で対応している状態を示す。この状態が続くと、うつ病や過労死などに陥るリスクが高い。

 関西福祉科学大の大川尚子教授は「大震災という極めて大きなストレスを受けた教職員と、そうでない大阪の教職員が同程度の強い疲労に襲われているのに驚いた。教職員への疲労対策が急務だ」と話す。現在、うつ病などで休職している教職員の割合が全国で最も低い兵庫県で同様の調査をし、どのような状況が疲労の要因になっているのか探る研究を進めているという。

 30日から大阪市で始まる日本疲労学会で発表する。(中村通子)


注1
 心電図のR-R間隔の心拍変動解析を行ってLF(低周波成分:0.04-.15Hz)/HF(高周波成分0.15-0.40Hz)の比を算出すると、交感神経系の
活動/副交感神経系の活動の比率を把握することができ、自律神経機能解の1つの指標として汎用されている。
(出典 「精神作業負荷に伴う疲労の評価法の検証」代表研究者  倉恒 弘彦 (関西福祉科学大学健康福祉学部教授))

 更に詳しくは
 「心拍変動による精神負荷ストレスの解析」 
 山口勝機 志學館大学人間関係学部研究紀要 2010 Vol.31

など参照。 

注2
大阪教育基本条例はアメリカで破たんした落ちこぼれゼロ法とそっくりと指摘した報道番組『VOICE』に逆上する橋下氏 ガジェット通信 2012年03月05日
も興味深い。
Posted at 2014/05/31 08:38:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2014年05月25日 イイね!

お疲れ様という挨拶

最近ずいぶん広まっていると感じるのが「お疲れ様」という挨拶だ。

 以前の日本では、挨拶は時間や状況に合わせて使い分け、さらに立場(上下関係)に合わせて使い分けていた。「おはようございます」「今日は(寒いですねなどが省略されている)」「さようなら」等々。
 これはかならずしも言語化されたものとは限らず、特に目上に対しては会釈をすると言った非言語的挨拶が主流(古い時代には、目上から目下に声をかけるまでは目下から声を発してはならないというルールがあったらしい)であったようだ。

 ところが最近では挨拶は多くの場面で「お疲れ様」系のいくつかのバリエーションへと単純化されて来ている。朝最初の挨拶が「お疲れ様」であったり、メールの冒頭の決まり文句として「お疲れ様です」と来たりするのが普通になってきている。

 某証券会社の投資戦略部部長は、ほとんどの書き物で時間に関係なく「お疲れ様です」を使っている。完全に定型化された挨拶である。

 「おつかれさま」という言葉自体は「いたわり」の意味を持っている。本来は休憩など一仕事終わった状況とか、仕事が終わっての別れの挨拶で使われてきた言葉だ。ところが最近では一切の状況と関係なく使われるようになってきている。ただ、これは会社組織で広まり、アルバイトなどから一部低年齢層にも広がりを見せている過程にあって、必ずしも一般化されているとは言いがたい。

 そのため、ネット上の質問サイトなどにも

「お疲れ」「お疲れ様です」という挨拶

学生です。よく知り合いの社会人の方や友達、後輩に対して、会った時や帰る時に「お疲れ」とか「お疲れ様です」と言うのですが、一部の人にはおかしいと言われて困っています。

もちろん、何かやったあとに帰り際に「お疲れ様でした」というのはよくありますよね?でも、「お疲れ様です」とあいさつすると、今はそうでもないのですが「いや別に疲れてないよ」と返され、じゃあなんて言えばいいんだ?と混乱しました。後輩にも、一部ですが「いやあ、別に疲れてないですけど」と癪に障る言い方をされ、「こっちは挨拶してんだよ!」と思いました。今でも友達がある人に「お疲れ様です」と電話越しに挨拶すると「お疲れー、疲れてないけど」と言います。悪気はないと思うんですが、じゃあそういう人たちには「こんにちは」とか言えばいいのでしょうか?それともそもそも会った時に「お疲れ様」という用法は日本語としておかしいのでしょうか?
Yahoo!知恵袋

という具合に、意味通り取るものと、意味が希薄化された便利な挨拶言葉として使用する者がいることでのトラブルが生じている様子が見える(日本語として正しくない使い方であるから、嫌味で「疲れてない」と返しているものもいるし、「お疲れさま」を「ろくに働いてない」という嫌味と受け取るものもいる)。

 ネット上でも時間や状況を問わずに使われるようになってきたこの挨拶に対する違和感を表明するものはいくつも目にするし、むしろ以前調べたときよりも多くなってきている。

google 朝 お疲れ様

 **

 しかし、いつから便利な挨拶言葉へと変化したのだろうか。
 一部には、深夜も働く三交代制などの職場で、朝の退勤者に対する挨拶として使われたからだというものもいるし、ホテルや民宿などではお客を迎え入れる挨拶として時間を問わず妥当な場合もある。

 しかし、どうも私が知る限り、ビジネスマナー教育が大元である様だ。

 以前からビジネスの場面で上司に対する言葉遣いとしての「ご苦労様」「お疲れ様」問題があった。
 「ご苦労様」は労をねぎらうものであり上から下へしか使えない。そのため上司へ「ご苦労様」は使うべきではなく、いたわりの言葉としては「お疲れ様」をつかうのが失礼のない無難なものであると教育していた。この時点では「目上にご苦労様は失礼だ」という話でしかなかった。
 しかし、「お疲れ様が無難な挨拶」と言うことが強く印象づけられ続けたために、やがてビジネスの場面では上下の区別なく適用範囲が広い「お疲れ様」が正しい挨拶とされ、それが拡大解釈されて時間や状況を構わず使える「正しい挨拶」として広まった様だ。

 実際、この問題への反論として「ご苦労様が不適当なのだからお疲れ様を使って何がいけないのか」というのが必ず出てくる。本来二者択一ではないのに、そこにばかり注意が向けられた結果と思われる。
 また、今では新人教育で全ての場で「お疲れ様」を使うよう指導しているという話を聞くし(しかも外部からの講師へわざわざ職場からそう指導するよう要請があってやむをえずやっているというケースもあるとか)、職場ではメールの冒頭の常套句として「お疲れ様です」を入れるよう指導しているという話も聞いている。

 これが正しければ、本来日本語として正しい言葉遣いを教えていたはずが、大きく変質してしまった例と言えるだろう。(注)

 日本語は多様な挨拶言葉を持ち、それを使い分ける文化を持つ言語である。効率化が優先される会社組織が、非効率に見えるその文化を揺るがせていると言うことなのかも知れない。

 ただ、この挨拶を、正しい当たり前のものとして教育され受け入れてきた人たちは、猛烈に反発するようだ。冒頭の質問サイトは学生のものだが、会社組織の若い人が強い反発をして「お疲れ様は正しい挨拶だ」としてはばかることがない例を見てきた。「お疲れ様」は人をいたわる気持ちがあるからこれを使う事が無条件に正しいと考えている人はかなり多いようだ。
 今回のエントリーを読んで違和感を持った人も多いかも知れない。


 だが、今でも国立国語研究所では次のように言っている。

最近では,派遣会社の社員研修などで職場の常套(じょうとう)的なあいさつ言葉として,「お疲れさまです」を教えていると聞きます。朝会ったばかりの人やメールの書き出しに必ず使う,ということのないよう,状況を考えて場面により使い分けることが必要です。出先から戻った同僚に気持を込めて「お疲れさまでした」と言えば,疲れも癒(いや)されるということではないでしょうか。
独立行政法人 国立国語研究所 ことばQ&A


 会社組織にいない自分には、時間や状況を無視して「お疲れ様」を多用する様子は「会社組織独特の方言」に見える。しかも会社毎に使う使わないはかなり違う。それは一部の業界で時間と関係なく「おはようございます」というのと変わらない。
 これは自分に限らず、会社組織にいない多くの人に共通している印象ではないかと思っている。何しろ、元来の日本語の使い方ではないのだから。



 **

 以前、この件に絡んで調べていると、いろいろと面白い話が出てきた。機会があったら紹介したい。
 
(注)
 ビジネスメールの常套句として定型化された奇妙なものに、「お世話になっております」がある。初めてやほとんど関係のなかった相手にも当たり前の様に使われている。商習慣のようなものだから気にするべきではないという話もあるが、TPOをわきまえられないマニュアル人間だと思われても仕方がない。
 地元の活動で、某外資系IT企業勤めの、ずっと年上でこちらがお世話になる相手から「お世話になります」と冒頭に書かれたメールがきたことがあった。もしかしたら「お世話になっております」をTPOに合わせたと言うことなのかも知れないが、これも面食らった。


追記:
 「お疲れ様」はかなり広範囲の会社組織で使われているのは間違いない。しかし、全く使わない会社もあれば、同じ会社でも支店、フロア、部署で使う使わないが異なっていることもあるとも聞く。
 質問サイトなどで意味と関係なく使われている事への違和感を表明があると、それに対して「ご苦労様は不適当だからお疲れ様を使う」とともに「じゃあ挨拶しないのか?」というこれまた二者択一の反論が出てくる。意味に言及する場合も独自解釈で「今日もお仕事お疲れ様です」という意味だと言うものも出てくる。この挨拶言葉は相当に浸透していて、会社組織においてはごく当たり前のマナーであると信じられているようだ。
 日中顔を合わせる仲間に対しての「今日は」はあまりによそよそしく、「お疲れ様」が仲間同士でいたわり合うのに適当で便利な言葉であることも人気の理由であることだろう。
 ともかくも、朝一番の挨拶としては日本語の使い方としては不自然で、業界外からは奇異に見える。今のところTPOに関係ない使い方は業界用語的であることは間違いない。
 


 
Posted at 2014/05/25 12:27:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2014年05月25日 イイね!

敬語の問題を取り上げたいが挫折気味

人と接して暮らしていると、日本語で特に発達している敬語の使い方が気になることがある。

 敬語は基本的に、相手を持ち上げるもの、自分を落とすもの、丁寧な言葉に置き換えるもの、だと思っている。実際にはもっと細かく、動作主だの聞き手だの、持ち上げたり落としたりする相手は複雑だけれど。

 自分が中高生の頃には敬語は

尊敬語
謙譲語
丁寧語


の3つだった。今は細分化され5分類になっている。
 文化審議会の国語分科会が、2007年2月2日に新しい「敬語の指針」を出して以下のようになったそうだ。

3分類5分類特徴
尊敬語尊敬語素材敬語話題中の動作の主体が話し手よりも上位であることを表す語
謙譲語謙譲語話題中の動作の客体が話題中の動作の主体よりも上位であることを表す語
丁重語対者敬語聞き手が話し手よりも上位であることを表す語
丁寧語丁寧語聞き手が話し手よりも上位であることを表す語尾の「です」「ます」「ございます」など
美化語-上品とされる言い回し・言葉遣い
wikipedia 敬語 より引用


 聞いていてとても気になるのは、 

・目上の人やお客さんを落として、自分や自分の関係者を持ち上げている、 尊敬語と謙譲語を取り違えているケース

だ。若い人、学生アルバイト店員等にかなり多いが、年齢が高くてもあやしい人もいる。

「お客様、どうぞ昼食を頂いて下さい」
 
みたいな言葉遣いは、よくある。
 アルバイト店員に
「もう一度申して下さい」
などと言われたら殴りたくなる。

 
  学校現場で気になるのは

・生徒に対して尊敬語を使う教員が散見される。

ことだ。

 尊敬語はその名の通り、相手を敬う、目上の人に使う敬語である。教員は基本的に生徒という目下を対象にしている以上、敬語で話をする必要はないかも知れないが、言葉遣いを丁寧にする見本として、丁寧語を使うことはあるだろう。特に女子校では丁寧語がデフォルトであるかも知れない。
 ところが、誰の誰への敬意なのか意識せずにあらゆる言葉遣いを敬語にしてしまう人もいるようだ。その結果なのか、生徒を持ち上げて自分を落とす尊敬語や謙譲語を頻繁に使う教員が少数ながらいる。

 考え方によっては、「生徒=お客様」「教えさせていただく」というのもあるかも知れないが、生徒にしてみればそれが尊敬語として意識されていれば自意識過剰になりかねないし、意識されなければ敬語の使い方を誤って学習させかねない。

 **
 
 敬語は、誰の誰への敬意なのかが一番重要で、それに合わせた言葉がある。選択を誤れば相手を不快にさせる大変に失礼な言葉遣いになる。

 敬語のルールをもっとも明確に学ぶ機会があるとすれば、それは古典の学習であろう。平安時代の文章を学ぶときには現代より複雑でルールの明確な敬語を知ることが必須になる。特に身分の違いが敬語の使い分けで重要であるそうだ。
 現代は形の上で身分差がなくなり、敬意の方向性だけで使い分けるので、区別が曖昧になりやすいのかもしれない。

(おそらく、天皇や皇族に対する最高敬語だけが現代でも使われる例外)

 **
 
 誤った敬語の使い方の例をあげるとこの手の話は少し分かりやすくなるはずなのだが、困ったことにある程度敬語の使い方が内面化されていると誤った使い方が想像できない。
 聞けばすぐおかしいことは分かるし、「自分を持ち上げて相手を落としてどうする!」とか心の中で突っ込んでいるのだが、いざそれを再現しようと思っても、自分の中ではあり得ないことなので再現できず、想像すらできないのだ。
 敬語の話をしようとするとここでいつも困ってしまう。

 そんなことなので、敬語の話は挫折してしまいがちだ。


 
 
Posted at 2014/05/25 11:05:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2014年05月24日 イイね!

四倍体の馬

昔々大学生の頃、教育用ソフト製作のお手伝いをするアルバイトをやっていたことがある。当時の文部省の予算で製作されていた『ハイパー・サイエンスキューブ』と言うもので、アップル・マッキントッシュのハイパーカード上で動くアプリケーションソフトであった。その後、それが市販された様子はなく、あくまでも実験的な試みであったようだ。それはサイエンスに関わる様々な情報を引き出せる百科事典のようなソフトで、資料同士が相互にハイパーリンクでつながり、レーザーディスクの動画資料を再生するなど、当時としては最先端のマルチメディアを生かしたものであった。

 自分は、たまたま取っていた講義の助教授がそのソフト製作の監修をしており(ググったら、当人が概要を解説している物が見つかった)、アイディア出しをしたり、紹介で制作をしている某レコードレーベルにてそのソフト製作に関わるちょっとしたアルバイトをしていたのだった。

 その時、プログラマー氏から、『四倍体の馬の話を入れたいが、どう思うか』と訊かれた。
 なにかの本の引用で、『四倍体の馬を作ったのだが、目論見通り体が通常の2倍となったものの、体重は8倍で重くなりすぎた自重を支えられなくなり立っていることができず、さらに自分の体内で発生する熱を皮膚から放熱することができず、常にホースで水をかけ続けなくてはならなくなっていたそうだ。バランスの例、体積と表面積の増え方の違いの例としていいと思うのだがどうか』と言う。
 長さLに対して面積はLの2乗、体積はLの3乗になるから、体長が2倍になれば表面積は4倍、体積は8倍になるが、体積の大きな増加に対して面積の増加は小さいので体積の増加に追いつかないという話だ。
 自分は、馬はもちろんホ乳類で四倍体を作ったという話自体が聞いたことがなく、本当に行われた実験なのかどうか極めてあやしく思い、また恒温動物は熱が発生してしまうのではなくあえて熱を生産しているのだから、体積の増加に面積が追いつかないからと言って皮膚から放熱できずに死んでしまうというのがあまりに不自然に思われたので、ほとんど直感的に否定したのだった。
 自分としては「恒温動物においては、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体重が大きく、近縁な種間では大型の種ほど寒冷な地域に生息する」という適応に関するベルクマンの法則や、それに近いアレンの法則を載せるだけにした。

 **

 助教授にはアイディアを出すことを求められていたのだが、実際の現場では雑用だけを求められていて、そのあたりを了解していなかった自分は、雑用係のくせにヘンに口を出すヤツとして嫌われてしまった部分がある。自分がアイディア出し後に誘った、ただ言われたことだけをやって、後はマックで遊んでいるだけの友人はえらく可愛がられていた。

 それはともかく、この件はその後もずっと気になっていた。4倍体の馬というのは一体何だったのか。

 当時でも植物では四倍体、六倍体と言った染色体のセット(ゲノム)が通常の2セット(二倍体)の整数倍になっている植物がいることは知っていたし、ミツバチの雄が半数体とか、人工的に三倍体の生物を作り種なしスイカを作るとか、体の大きなニジマスを産みだしていることも知っていた。
 ただ、ホ乳類の四倍体というのは聞いたことがない。ヒトでは性染色体の異数性(ターナー症、クラインフェルター症など)はあるが、常染色体の異数性をもつと重度の奇形を起こすことも知っていた。4倍体のホ乳類が作れるとは思いにくかった。
 植物では倍数体において植物体そのものが大きくなることが多いが、魚の三倍体は性成熟が起こらず、性成熟のエネルギーが成長に振り向けられたり1年で寿命を迎えないため大きく育つとも聞いていた。染色体数が2倍なら体が2倍というのもあまりにもできすぎた話に思えた。
 更に、生物は機械と違って熱が発生してしまうのではなく必要なだけ熱を作り出しているのだから、体長が2倍になると体積が8倍になっても表面積は4倍にしかならないからと言って、自分が発する熱で死んでしまうというのも不自然に思われた。体のしくみの適応もあるだろうが、東京の動物園のホッキョクグマは、自分の体温で熱死してはいない。

 科学的根拠があやふやなものを載せるわけにはいかないので、その判断は正しかったと思っていた。

 しかし、そもそも一体この話の出典はなんだったのだろうかと気になっていた。弱冠二十歳の自分の判断は正しかったのかどうかも含め。

 **

 随分前にふと思い出して「四倍体の馬」で検索してみた。
 すると、なんと出典は文化人類学者グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然 -生きた世界の認識論Chap.2 学校の生徒でもみんな知ってること』であるらしいことが分かった。この本の中に、ノーベル賞を取った博士が4倍体の馬を作った話が出てくるのだ(末尾にネットにあったものを引用)。
 ここに出てくる博士がいるエレホン国は架空の国で、遺伝学者P・U・ポシフ博士も架空の人物。イギリスの作家であるサミュエル・バトラーの『エレホン』という小説と関係があるかも知れない。ここでのエレホンというのは小説に出てくる理想郷のことで、英単語「Nowhere(どこでもない)」のアナグラムであるという。


 プログラマー氏が提案してきたのは、詰まるところ科学的根拠のある話ではなく、長さ2倍の時、面積は4倍、体積は8倍になるということを単純に空想上の「四倍体の馬」に当てはめた寓話に過ぎなかったようなのだ。話の中では全てが単純にサイズアップされているが、生物の体は個体サイズが大きくなったからと言って細胞のサイズもそのまま大きいわけではない。四倍体で細胞自体の大きさが2倍になったら細胞自体の活動に支障が生じるだろう。血管も要求シグナルに従って伸びたり増えたりする。単純に長さ2倍、面積4倍、体積8倍を当てはめることはできないだろう。

 サイエンスを標榜するからには、実例であるかのように空想話を入れるわけにはいかない。モデルを紹介するのとは違う。
 当時の自分の判断はやはり正しかったのだと思う。

 まあ、おそらく単なる教育用マルチメディアのデモソフトでしかなかったので、多少おかしなことがあっても問題化することもなかったのかも知れないが。

 **

 後に、サイエンスとして成り立っていない、陰謀論に組みしがちな某作家氏が紹介している、内容も根拠も意味不明で、ただ放射性物質への恐怖を煽るだけのでたらめな記事を、生物濃縮の例として中学生に配ろうとした理科教員がおり、全力で反対した。ところがこの教員は職員室で『そんな細かいことは大学でやれ。中学生はこれでいいんだ。俺は雑誌を信じる。』とこちらを非難し大騒ぎしたあげく強引に配布されてしまった。その他にも間違いや独自の造語だらけの原発や放射線についての解説がなされていた。
 自分もその教材を配らされたが、やむを得ず、いかにサイエンスとして成立していないかを説明し、雑誌のあおり記事を鵜呑みにすることの弊害を説く材料にした。

 現場の理科教員は、正しいサイエンスの知識と考え方を伝え、自分で取捨選択できる人間を育てなければならない。

 

**以下引用**

「4倍体の馬のはなし」

 「一九八〇年代後半、荷物運搬用の馬のDNAを遺伝子操作したエレホン国の偉大な遺伝学者P・U・ポシフ博士にノーベル賞が授与された。受賞の理由は、当時「新しい科学」として脚光を浴びていた「移送学」に多大な貢献をしたというものだった。なにはともあれ彼は、普通のクライデスデール種の馬の2倍のサイズの馬を「創造」(神の領域にふみこんでいったこの応用科学を語るのにこれほどふさわしい言葉はないだろう)することに成功したのである。
 体長も、背丈も、横幅も、すぺて2倍というこの馬は「4倍体」、つまり染色体の数が通常の4倍ある馬(ブログ主注 通常は2倍体なので、4倍体は通常の2倍の染色体数を持つ)だった。ポシフ博士はいつもこう弁明していた。「仔馬のときはちゃんと4本の脚で立っていたのですが」。それはさぞかし見事な姿だったことだろうが、少なくとも近代文明の粋を集めた情報伝達装置に記録され、一般公開されたときには、あの馬は立てなくなっていた。体があまり重すぎたのである。なにしろふつうのクライデスデール種の8倍の体重があった。
 見物客や報道陣に見せるときには「ホースの水を止めてください」というのがポシフ博士の指令だった。哺乳動物としての正常な体温に保っておくために、普段は四六時中、体中に冷却水を流していたのだが、いまにも体の中心からステーキになっていくのではないかと、見ている方は気が気ではなかった。この哀れな馬は、皮膚と皮下脂肪との厚さが通常の二倍あった。これでは表面積が四倍あるといっても、まともには冷えてくれない。毎朝、この馬は、小さなクレーンの助けを借りて立ち上がり、車のついた箱の中に吊るされたバネにかけられる。バネは足にかかる体重が半分になるように調整されている。
 体を冷やすためにも、八倍もの体に酸素を補給するためにも、いつもハァハァ喘いでいなけれぱならなかった。気管の断面積はふつうの四倍しかなかったからである。それから食生活が間題だった。毎日、ふつうの馬の八倍の量のエサを、四倍の広さの食道に押し込まなくてはならたい(ブログ主注 原文ママ)。血管も相対的に細くなっているから、血液循環の抵抗も増す。心臓も大きな負荷に耐えねばならない。聞くも哀れな馬の物語……
 この寓話が示しているのは、二つ以上の変数がちぐはぐに増減したらどんな結末が待っているかということである。四倍体の馬の不幸は、体長と表面積と体積とのバランスが崩れてしまったことにある。
 この種のケースで今日、最も有名なのは、原子爆弾中の核分裂物質のふるまいだろう。ウラニウムは天然に産出され、自然状態でも常に核分裂を続けているが、反応の連鎖が確立されないために爆発とはならない。各原子の崩壊時に放出される中性子が別の原子に当たって二次分裂を起こしても、ウラニウムの塊が臨界値より小さいときは、一回の分裂で出る中性子のうち、二次分裂を起こすものの数が平均一個以下であるために、連鎖はいずれ尻切れとなる。塊を大きくすれぼ、二次分裂を起こす中性子の割合も増加し、臨界点から先では、分裂プロセスが末広がりの累乗的増大を示し、爆発となる。」(グレゴリー・ベイトソン「学校の生徒でもみんな知ってること」より)


イノレコモンズのふた。
▼文化人類学解放講座 グレゴリー・ベイトソンの「4倍体の馬のはなし」
http://illcomm.exblog.jp/16306259/

より引用

Posted at 2014/05/24 14:40:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | サイエンス | 日記
2014年05月23日 イイね!

新卒就活に失敗してきた人と話をしていたが……

 先日、大学院卒で、100社以上をうけたが全て落ちたという人と話をした。就職浪人し、とりあえず非正規職に就いているという。

 自分のことばかりを話し、人の言うことは否定することがまず第一で、相手を尊重したり、共感性が感じられない。
 かなり自分しか見えていない、他人の立場や考え方を理解しようとしないタイプの人物。どこか斜に構えた様子があり、おまけに態度が尊大。話をしていると不愉快にすら感じる。

 大学もまあそこそこのところであって、誇れるほどのところではないのに、このえらそうな態度は何を根拠にしたものだろうか。

 ご両親にはかなり甘やかされてきた様子で、自分で生きていこうという覚悟もなく、適当にゲームなどで遊んで暮らしていきたいと言うだけにしか感じられない。
 特に就きたい仕事もなく、楽な仕事を選びたいらしい。

 結局のところ、甘やかされ、甘い道だけを選び、自尊心ばかりを膨らませてきてしまったかのように思える。

 これまで自分のやってきたことのアピールはないのかと聞くと、「学生のアピールなんて2つのタイプに大別されて意味がない」などという始末。アピールするようなことがこれまでの人生になかったらしく、全ての学生は口から出任せのアピールをしていると思っている様子。

 正直なところ、こういう人と一緒にはたらきたくはないと思った。やはり協調性、共感性がない人と一緒にはたらくのはしんどい。
 そう言う部分が面接で見えてしまうので、就活もうまくいかなかったのではないかと思う。

 人間性の問題が根本にあるのでアドバイスをしがたかったが、そもそも聴く気もないようす。
  
 こういう人は、どういう職業が向くのだろうか。技能があれば技能職がよいのかも知れないが。


 一方で、自分自身も人からどう思われてきたのだろうと思ったりもする。自分も右も左も分からない若いとき、他人に尊大な態度をとったり、他人が見えていなかったと言うことがあったかも知れない。

 そんな自分は、とても大切にされたり嫌われたり、いろいろな場でいろいろな扱いを受けてきた。

 その人の問題もあれば、周りの人間の問題もある。
 人間関係は難しい。
 
 
Posted at 2014/05/23 17:15:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記

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「@こるり 日本の薬品供給体制、結構ヤバイです。薬価引き下げすぎ、ジェネリック推奨しすぎで、ちょっと需要が増えるとまともに供給できなくなってきています。」
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