しばらく前に、リフレ派をリードしたのだと豪語する某地方大万年助手氏が、リフレ派を押し立てた安倍政権と一体とも言える読売が単なる統計上のブレでしかないデータを針小棒大に取り上げ政権ヨイショしている記事を鬼の首を取ったように取り上げて、正しい政策をやった結果だと褒めていた。
自然科学の研究者なら、たった一度のデータのブレを評価することなんてあり得ない。極めてあきれ果てたのだが、困ったことにその助手氏のtweetを真に受けてリツイートして拡散したサイエンスライター氏がいた。「仲間」のtweetであるから反射的にリツイートしたとしか思われない。サイエンスの手法で検証などやっていないのは間違いないが、それ以前に、記事をパッと読んだだけで論外のデータの扱いをしているのが明確なので、記事すら読んでいない可能性が高い。似非科学批判の視点では、当然批判すべき対象でしかない。
このサイエンスライター氏は似非科学批判でよく名の出る人で、同時に自身が攻撃を受けているためか他人に攻撃的になることが多いように見えたり、妙なトラブルを起こすことが何度も見られた。
この人が、別のところで、社会学の若手のホープと持ち上げられている人物の書いたものの紹介を、これまた中身も見ずに「仲間だから」とリツイートして拡散していた。
これがまたひどく、ミスリード、データの恣意的解釈のオンパレードで、自然科学の人間なら一瞥しただけで話にならないと見る気にもならないし、おそらく本人を前にしてデータの扱いだけで充分論破できるどうしようもないシロモノだった。そんなものを中身を見もしないでリツイートするサイエンスライター氏の「自らが似非科学に容易にだまされる似非科学批判者の視野の狭さ」に呆れかえるほかなかった。
全く同じく仲間意識だけで同様なことを行っている理科実験の御大で同じく似非科学批判でも名の知られる人物もいた。
こういうものを見た時点で、彼らの科学的センス自体が単に限られた範囲でのロジックベースに過ぎず、個別の研究なり似非科学の評価はできても、その背景を考えるセンスがないらしいと感じた。
社会をとりまく状況により、そもそも何が研究され、研究されないのか、研究自体への淘汰圧が働いているといったことへの理解も全くと言っていいほどないらしい。そのためか、社会そのものを対象にしたものについて、「仲間意識」を優先させ、彼らお得意のはずのロジックを働かすことすらできないらしいのだ。
二人とも、同じ同業者への人格攻撃を行い、それを批判されると一人はそれを認めず、そのうち一連のtweetをすべて削除し、もう一人はアカウントにカギをかけてしまった。人格的な稚拙さを感じずにはおれない。
似非科学は容易に批判が可能なもので、それを続けることでおかしな万能感に包まれていたのかも知れないが、本人がそこで何か科学的業績を打ち立てているわけでも何でも無い。
彼らが全く科学的思考を放棄し鵜呑みにしたのが、社会学の研究者の書いたものであるのだが、この業界は、どうも単にエンターテインメインにすぎないもので、話題になりさえすれば評価されるという、学問以前としか言いようのないものであるとしか思われないのだ。若手社会学者が、話題になる本を書き、コメンテーター等でメディアでちやほやされる。あるいは、何らかの勢力の都合に合わせた言論を行う。こんなモノは学問ではなく、本人の処世術のための一種のエンターテインメントであろう。
話題性を学問性より重視しているとしか思えない、日本の社会学とは一体何なのだろう。
そもそも、社会学者が何をやっているのかについて、面白いことを書いているものにであったので、ここに紹介しておく。
社会学界隈について自分が感じていたことに近いことが書かれていて、なかなか面白かった。
Posted at 2016/10/24 02:48:46 | |
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サイエンス | 日記