記憶というのはどの程度信じられるか。
昔のことを知りあいと話していると、微妙な差異に気付くことはないだろうか。
自分の場合はこんな経験がある。
かなり幼い頃、確か箱根と思うが親等に連れて行かれていて、お土産屋の前で何かに惹かれ、それをほしいと駄々をこねたらしい。
それを見た両親はなんと、私をおいて立ち去ったのだ。
親に全てを依存しているごく幼い子供にとっては、これは最悪の恐怖である。
私には親に見捨てられる恐怖の記憶として残り、強力なトラウマになっている。
以降、親に何かをねだれば捨てられるという思いが強すぎて、何かをねだったことはないし、親が何か自分のために特別なサービスをしようとすると恐ろしさを感じるのだ。
それぐらいの強力なトラウマなのだが、何をねだったか、自分の子供時代の記憶では、自分が持っていたビニール製の緑色で鳩の形をした笛なのだ。
つまり、自分が欲しいものを買ってもらえず置き去りにされたという事実から自分の心を守るために、ちゃんと買ってもらえたことに記憶を書き換えていたのである。
人は非常につよいストレス下におかれると、記憶を操作してしまうらしい。
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自分が知る限りでも、ほかに子供時代に強いストレスを受けた結果、記憶が書き換わっている人を知っている。
一般的な話だと、辛い記憶を消したり、自分の心を守るために記憶を都合よく書き換えたり、言いつけを守っているとするために実際にやっていたことをやっていないと書き換えてしまったりするようだ。
どうも記憶操作をしてしまう人は、ストレスがかかるたびに記憶を書き換えてしまうらしい。
そして、記憶を再構成するので、矛盾が生じたり、思い出せない記憶があちこちにあるようだ。
実際にそういうことをやっている人がいて、周囲の人がもっている人の記憶と食い違う。
当時、ある人たちが大好きだったのに、その記憶を書き換えて「誰も好きじゃなかった」と言うのを聞いて驚いたことがある。
その人には、心理的に様々な抑制がかかっている。
そこまでしないとならないほど傷ついているのだと思うと、本当に悲しくて仕方が無い。たまたま自分には近い人だったこともあってあまりにかなしくて、本気で泣いてしまった。
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さて、ここでは昔読んだ、エイリアンアブダクションが心理カウンセリングによって生じたものとする本を紹介しておこう。
なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか (ハヤカワ文庫NF) 文庫
– 2006/8/1
スーザン・A. クランシー (著), Susan A. Clancy (原著), 林 雅代 (翻訳)
この概要については、amazonの書評を一つ引用しておこうと思う。
社会学や心理学としても面白い
投稿者marie☆2006年11月10日
形式: 文庫|Amazonで購入
著者は心理学者で、人は偽の記憶を作ってそれを真実だと信じることがあるか、という研究をしてきた。学生の頃はレイプを題材にし、批判をあびた。その後、レイプほど話を聞くのが辛くなく、真実ではないと確信できることを題材にしたいと考え、アブダクションを信じる人を研究対象にした。つまり、彼女は始めから宇宙人が人間を誘拐などしたことはないという前提で、「なぜ人はあり得そうにないことを信じるのか」という研究について主張を展開する。
彼女によれば、アブダクションを信じているほとんどの人は、体にとても異常な面があったり、寝ている時に物凄い恐怖体験をしたり、(記憶のない空白の時間など)理解できないことがあり、相当な精神的負担を抱えているということが共通しているそうだ。彼らは「痛みや悩みの根源を理解したい」と願い、催眠術にたどり着き、催眠によって「失われた記憶」を思い出し、誘拐されたと信じている。
しかし著者は、人間の記憶の脆さを指摘する。過去について細かに思い出そうとすると、人は記憶を「取り出す」のではなく、「再構築する」力しかないと主張している。だから想像したこともまるでそれが真実に思えてくるのだそうだ。催眠術を使わなくても、宇宙人映画を見たり、アブダクション体験記などを読むと、自分の経験した不可思議なことの原因は、「きっと誘拐されたに違いない。そしてその時の記憶を消されたに違いない」と思えてくるそうだ。
こんな彼女の巧みな論調に、思わず納得させられてしまった。彼女は、アブダクションを信じることと、信仰を持つことに共通点があると言う。宇宙人も神も、目に見えない存在であり、私達よりも優れた力を持ち、私達を見てくれているという考えは、「人間の願いの表れであり、そう思うことでとても支えられている人々がいる」と論じている。
とても面白い研究題材であり、分かりやすく書かれていたので星5つ。 |
トラウマを起源とする心の問題として心理カウンセリングで扱ううちに、催眠術で記憶を取り出す際に、記憶を再構築してしまい、エイリアンに誘拐されたなどの記憶を作ってしまうのだという。
心理カウンセリングが極めてよく行われるアメリカで、何故かエイリアンアブダクション(宇宙人による誘拐)が多い理由が見えてくる。
日本では心理カウンセリングをうけにくい環境であるために状況は大きく違うようだ。
アメリカでは心理士が医者の指示を受けない独立した存在として養成されていて、待遇も日本の臨床心理士とは全く違う。また、カウンセリングを受けるのはありふれたことであるという違いがある。それは非常にすばらしく、日本はマシになったとは言えこの点で大きく遅れている。
一方で、臨床心理の危うさと言うことも教えてくれる。
所詮、リアルタイムで時を共にしていないものには、見えるものは大変少ない。本人が覚えていなかったり、改竄してしまっている記憶を基本に話を進めては、何も解決しない。
親しい人が、記憶の改竄を知っていながら改竄された方に話を合わせてしまっていると、問題がこじれるばかりだ。
本人が、他人を頼りながら記憶を再構成すると、記憶がその他人に縛られてしまう。これは記憶操作にかかわらず、我々の日常でもごく起こりやすいことでもある。
周囲の意図によってとんでもなくこじれてしまっていると、解決はとても難しい。事実に基づいて何が起きているかを把握できないと、よほど突飛なことでない限り、記憶が操作されていることが確認できないのだから。
記憶に曖昧なところがあるという、本人の気持ち悪さが残る。しかし、何故記憶が操作されなければならなかったのかに向いていかない。
本人は、どれほどの苦しみを記憶の操作によって抑え込んできたのだろう。
それを思うと、辛くて仕方が無い。
Posted at 2018/03/02 13:48:11 | |
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心理 | 日記