GWまでの緊急事態宣言だが、自粛を要請することが基本であり、十分な補償の下で行われているわけではないので、日本人が幾ら上意下達・忖度によって自己犠牲をいとわない傾向とは言え自粛では長続きはしにくい。
実際、先週末の人出の多さは自粛疲れをかなり感じさせるものがあった。
一方、日本全体の新規陽性患者数は先週はその前の週に比べて少なく、あたかも自粛の効果があったかの様に見える。
しかし、なぜか検査数が減っている影響が強くあり、そのまま受け取ることはとてもできない。
慶応病院の検査の結果によれば東京特別区住民の6%程度が不顕性感染状態の可能性があり、社会的距離を充分に保たねば、感染の拡大によって医療機関の限界を大きく上回る可能性が充分あることが示唆されている。
この状況で経済優先で緊急宣言を解除すれば、あっという間に感染が広がり目も当てられない状況になることは充分に考えられる。
東京都ではGWの間にある平日は連休とする様要請が出ている。他の自治体でも同様にするところがあるだろう。その先はどうなるか。
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今のところの限られたデータでは宣言解除はとんでもないという状勢だ。
しかし、人命より経済を優先し、
【公共のための奉仕】を美徳とし、弱者の犠牲をいとわない現政府は補償に及び腰。休業補償を感染拡大阻止のためであると理解できず経済効果のためと勘違いし、今検討しても無意味なCOVID-19禍後の経済的てこ入れのことばかり考えている。
このように呆れかえるしかない政府であるから、これまでの数々の改竄・隠蔽を考えると、ことによるこの所の検査減もGW後の宣言解除の布石として患者数の増加が抑えてられているというデータ作りのためではないかとすら疑ってしまう。
それが事実かどうかと言うより、国の政策の基本であり絶対の信頼性が必要なためアンタチャブルな統計データの改竄に手を染めた政府というのは、もう何をやっても信頼されない。
今のままでは宣言解除を行うかもしれないところが恐ろしい。
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懸命にCOVID-19と闘っている諸外国が限定的なロックダウンの解除を行えたとしても、日本は(国内に限れば何らかのラッキーな要素で症状が出にくい可能性はあるが)ピークを付けた諸外国に足並みを揃えられる状況では決してない。
現実に東京、愛知、大阪は医療崩壊に近い様だ。
今の政府の様なゆるい対応では、接触を断つべき期間がずるずる長くなる。その被害も甚大・深刻だ。
それを考えれば、真っ当な判断がなされれば宣言解除はないだろう。
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中・高等学校は、5月には中間テストを行い、1学期の評価の材料を作っておきたいという事情がある。少なくとも日本の学校というのは【評価を付ける】ということを重視するシステムになっていて、それが進学にも大きく影響する。例年通りに行うことを優先したいらしい。
考査を6月に延期することで対応したい考えもあるだろうが、今の状況では期末テストの実施も難しく、夏休みに授業を振り替えることも難しい。小学校も同様だ。
日本で対面の授業にこだわっているのは、一面には日本の教育システムが持つ評価材料を揃えることへのこだわり故でもある。
身につけたか否かは自己責任、身につけなければ進級も卒業もできないというシステムではなく、評価をするための材料を積み上げてきているから進級も卒業もさせるというシステムであり、形式さえ整えれば中身が伴っていなくても構わないというシステム故だ。(態度が悪いと成績を悪くする様な、生徒の授業態度を教科の成績に反映させるという謎基準もそこで理解できるだろう。)
その中では、政府の方針が決まらないと動きようがないというのが公立のみならず私立を含めた状況だろう。
半年で状況が改善する話ではない。文科省が半年以上の休校延長を覚悟し、何らかの代替措置を早めに打ち出して行くべきだろう。
そのためにも、政府が早めの判断とアナウンスをし、それに耐える整備をして行かなくてはならない。
今の政権ではそれはとても期待できず、すべてが後手後手に回ったまま右往左往し、医療崩壊で死体の山が積み上がり、自己責任と突き放して責任逃れをし続けてもおかしくないが。
追記:
政府がCOVID-19をなめてきた理由の一つは、MERS,SARSで痛い目を見なかったゆえであろう。過去の経験から対策もできていたのに、それすらも発動せず、後手後手に回った。
また、インフルエンザが毎シーズン数千人の死者を出している事実を考えれば、COVID-19もほとんどはただの風邪だとタカをくくったのだろう。
しかし、アウトブレイクの怖さは一時に重症者が増大することで医療が止まってしまうことにある。重症処置と感染拡大予防処置によって通常の医療が行えず、通常なら救えた命も失われる。
それを最小限に抑えるための様々な手段があるがそのほとんどが日本では採られていないのは、そういう事態は発生しえないという希望を前提条件にしているためだとも考えられる。
これは記録上の大津波に備えた対策を求められ、【全電源喪失は起こらない】といい、千年に一度の地震への備えはしない態度とよく似ていると言える。目先の利益を優先し、希望的観測によって緊急事態への判断を拒否しているのだ。これも正常性バイアスなのかもしれない。私には、緊急事態でどうしていいか分からないのではなさそうに見える。
Posted at 2020/04/23 22:13:39 | |
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