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Yuh_Fazioliのブログ一覧

2021年07月05日 イイね!

教員が部活の先輩だと…

 長く勤めた女子校でも、程度は違うがやはり部活動は全体主義的色彩に包まれていた。
 すなわち、先輩後輩の関係は絶対。

 ただ、部活自体がそれほど盛んではないので、部活顧問やコーチが自己実現のためのコマに利用する様なこともなく、苦行のようなトレーニングや暴力、罵倒で精神を支配されるようなことは行われることがない。
 単純に生徒間の上下関係のみが強調される。女子校故に「お姉様へのあこがれ」みたいなものもあって、ある種微笑ましさもある。

 ***

 このような部活の先輩後輩関係が学校における人間関係の軸になると、尊敬すべきは先輩であり、教員は埒外と扱われやすい。多くの場合、教員の地位は先輩らより低く扱われる。教員を馬鹿にしたりもする。

 ある若い女性教員から部活の顧問として何か注意を受けたか何からしいのだが。

A「あいつむかつく!」
B「ねー。ふざけんなよー」
C「でも、ああの人、○○部の先輩なんでしょ?」
D「ええ?!先輩なのぉ?」
E「え、どうしたらいいの??」


 教員を見下げ、部活の先輩は絶対。
 じゃあ、教員が部活の先輩だったら…

 卒業生が教員として勤務している学校は結構あるのだ。
 そうなると、こう言う混乱が起きてしまう。

 そもそも先輩が絶対であるのならば、人生の先輩である教員など反抗の余地はなく、高齢者には絶対遵守の対象でなければならない。

 それを切り分けていくのが支配的関係だ。利害が直接関わる相手のみに絶対とする対象を絞る。だから、自分がうける抑圧や差別をそれ以外に向け、軽視したり見下げたりする。
 支配のために自尊心を潰し、外部に差別意識を煽る。

 戦前の教育は、兵士養成のための教育であり、それを戦後教育も色濃く影響を受けている。特にそれが強いのが単なる課外活動でしかないはずの部活動で、学校としてそれにのめり込んでいるのが海外にはあり得ない特徴である。しかも教員を動員し、無給でだ。

 大学時代の研究室のボスが言っていた。

「アメリカでは、日本みたいに先輩がえらいとかないのよ。1年2年なんてあんまり変わらないんだから」

 もっともである。ボスからしてみれば学部生や院生はみなひよっこ学生でしかない。ひよっこの1年の経験が絶対的なものだなんてあり得ない。
 女性で学生結婚し、アメリカで学生生活をしてアメ車を乗り回していた小柄な豪傑であるボスは、日本に戻って学生の指導をするようになったが、異常な先輩後輩の絶対的関係に戸惑い続けているらしい。
Posted at 2021/07/05 06:23:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2021年07月04日 イイね!

日本の運動観は狂っている

 職場に、日系アメリカ人で日本在住の英語講師の方がいらして時折話をする。

 先日は日本の高校生の先輩後輩など上下意識の話になった。

 アメリカではこのような上下関係は存在しないという。
 同じチームで年齢差があっても、あくまでチームメイト。年齢差は関係ないという。

 日本では上下関係は絶対であり、下のものはどんな理不尽にも忍従しなければならないのが普通だ。
 海外ではスポーツは科学に基づいたトレーニングが基本だが、日本では未だ精神論を主体とした苦行のようなトレーニングと罵倒、暴力で自尊心を失わせ、隷従を強いることが基本になっている。ブラック企業と同じだ(と言うかブラック企業が同じやり方をしているわけだ)。
 結局はコーチ/監督の自己実現、学校宣伝の道具として使い潰されることが多いのが実態だ。そこで怪我をしても何の保証もない。部活以外のことをまともにやってきていないので、そこで学校もやめて落ちるところまで落ちていくケースも珍しくない。まさに人権蹂躙である。人権が確立している近代民主主義国家ではあり得ないことである。

 そこまでのことがなくても、暴力的な強制による関係は様々ひずみをもたらし、部活で直接の上位関係にないものに対する無礼な振る舞いをする、他人との関係を上下関係だけで考える、根拠なく自らを上位と考える、などのことが多い。
 3年生が部活動を引退すると、途端に悪口を言いまくるなどもありがちだ。

 単に力で無理矢理抑え付けているだけなので、ひずみをもたらすのは当然だ。

 卒業後、有利な進路があるのは、ごく一部の有力選手に限られる。背後には無数の行き場の限られた者たちがいる。その一部の有力選手とて将来が安泰であるものはほとんどいない。セカンドライフに備えることが許されないまま使い潰されていくものも多い。

 そういう世界出身の教員が部活顧問をして、再生産している。部活指導を期待されて採用された理科教員が、能力や知識の問題で本来の理科の教科指導ができないなどというケースすらある。部活重視校では、社会常識がが通用しない異世界が広がっている事もよくある。教員による日常的体罰、先輩による後輩への暴力に対する訴訟、部活顧問の学外での犯罪行為など、報道レベルでも目に触れる。

 スポーツに関わってきた者たちが関わる東京オリパラで、その者たちの権力に隷従し、国民をないがしろにし続ける言動を見ていて、如何に日本のスポーツ界が狂っているかがよくわかる。

 日本の運動観は個人の充実にはない。
 戦前教育からつながる精神性と集団性の強いものである。

 学校体育や部活動、スポーツにおいて人権など無視されるのは、そうした日本人が持つ運動観が全体主義と一体であるためだ。
 オリパラという興行が全体主義に組み込まれているのが日本大会の特徴であると言えるし、IOC利益至上主義の商業主義としっかり結びついているのが近年のオリパラだ。商業オリンピック開催都市には大きな負債が残り反動不況に結びついても来た。
 コロナ禍に置いてその歪みが噴き出している状況にあるのは、まさに全体主義の強い日本での大会が強行されているためであると言えるのだろう。
 取りあえず日本は狂っている。

参考:
わが国におけるスポーツ観に関する研究―スポーツの教育的価値との関係を中心に一
立木 宏樹 九州保健福祉大学研究紀要 10:1~6,2009
https://core.ac.uk/download/pdf/52204186.pdf
Posted at 2021/07/04 19:59:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2021年07月03日 イイね!

解離とオービス

 しばらく前だが、職場から自宅に戻る途中、普段なら幕張インターで降りるところ、ふと気付いたら通り過ぎていて、武石で降りたと言うことがあった。
 その間、全く記憶がない。

 こう言う状態を心理学/精神医学では「解離」と呼ぶ。
 意識や記憶が体から離れてしまう状態。乖離の方が日本語として正しいように思うが、何故か解離の語が使われている。
 解離は普通の人にも起き、繰り返し行っているようなことではそれを明確に意識する必要にないとそれを記憶しなくなったりする。長い会議でぼーっとしていて中身をおぼえていないとか、新しい職場の通勤も、最初はすごく距離感を感じ時間がかかることを意識するが、やがてそれが日常のものとなるとあまり距離や時間を意識しなくなる。これも解離故と言えるだろう。
 病的な解離と言えば、解離性健忘…以前の記憶の一部や多くが失われてしまうこと。解離性遁走とは「私は誰? ここはどこ?」だ。強いストレス、ショックが関わり、ある場面に関する記憶、自分史に関する記憶が失われるなどだ。しかし、無意識に記憶が抑圧されているのであって本当に記憶がなくなるわけではないようだ。記憶が失われている状態でも、その記憶が行動に影響を及ぼしたりする。
 人格が解離するのが解離性同一性障害だ。強い精神的ストレスが元となって、別の人格がつくられてしまう状態で、記憶を共有しない多くの人格を持つことが多いようだ。解離性同一性障害まで行かず、記憶が共有されていて明確な人格交代でなくても、人格交代に近い豹変が起こる場合もあるようだ。

 で、幕張インターで降りられなかった自分は、病的とは言えない解離、日常の繰り返し行為で意識の介在が弱くなり、運転にのみ集中してしまったのかもしれない。

 実は自分は小学生の頃から会議で記憶が飛ぶことがあった。授業はほぼ完璧に記憶しているのに、何故か会議は記憶がない事があり、あとでこんなことが決まっていたのかと驚くことが何度かあった。生真面目な自分が寝ていたわけでも余計なことを考えていたわけでもなく。なにか強いストレスを感じていたのかもしれないのだが。対人が苦手な自分にとって、会議自体が強いストレスだったのかもしれない。

***

 つい数日前、仕事上の疲労と寝不足が重なっていたある日の帰り、このところ節約のために首都高には乗らずにいたのだが、疲労に重ねて雨が降っていたこともあり、短時間で帰り着きたいと首都高に乗った。
 で、そのインターから少し行ったところにオービスがあるのだが、いつも強く意識しているオービスがこの日は全く意識になく、首都高の60km/hという実際の流れと全く合っていない制限速度を超えていたかもしれないまま、オービス前を走ってしまった。
 暫く走った後、
「あれ? オービスがあったはずだが、いつの間にか通り過ぎてたぞ!?」
と気付き、外食するために寄った駐車場でドライブレコーダーの映像を見直してみた。

 すると、オービスが点灯している様子はなく、ホッとした。強い赤のフラッシュなので、必ずドラレコには記録されるはずだ。
 しかも、自分と同速の先行車にも光らず、左脇についているカメラと自分の間にもう一台オービスに気付いて急減速する車がいたので、例え点灯していたとしてもどちらの車が速度超過しているのか分からないので取り締まりの対象にならないはずだ(少なくとも以前の運用はそうだったと聞いている)。

 オービス点灯動画






 なお、オービスの基準は、一般道30km/h以上、高速道路40km/h以上らしい。

 運転しているときは解離状態であっても情報を意識が遮断しているだけなので見ているし反応はできるので運転ができてしまうのであるが、さすがにオービスへは反応できない。
 気を付けなければ。


参考:
MSDマニュアル(家庭版) 解離症の概要
 
Posted at 2021/07/03 06:45:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記

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