じゃんだらりんさんが
をブログ投稿で取りあげていた。
まあ、何と懐かしい。
洋楽で日本が取りあげられていて「ドモアリガトウ Made inJapanのMr.Roboto」とは、日本も随分認められる国になったのだと誇らしい気にもなったものだ。
曲のストーリーとしては監獄を日本製のロボットが管理していて、囚人が看守ロボットを乗っ取りその外殻の中に入って脱獄するもので、決して日本製のロボットが褒められているわけではない。
1983年当時の世界では、安価で高性能な日本製品がどんどん輸出され、席巻していく状況にあった。この曲の大ヒットには極東アジアの驚異的な成長を続ける奇妙な小国・日本に対する脅威感もあったのだろう。
80年代SF映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で日本製品は高信頼であるという旨の台詞が出てきたりする一方で、貿易摩擦も激しくなった。米国労働者によるデモンストレーションで日本車が破壊されたり、若者達が慣れ親しんだバイクが日本製バイクに席巻されることを怖れて「俺たちのカワサキを守ろう」などと間抜けなことを言ったりしていたことだ(それほどまでに日本製バイクが米国に浸透していた)。
今日では欧米で日本製品を見かけることは希になり、家電はアジア製というとほぼ中国・韓国製品ばかりらしい。
日本車は未だ大きなシェアを持っているとは言え、
韓国車に脅かされている。一昔前の低品質・低信頼性の韓国車イメージは何処にもなくなっている。日本人は韓国車を買わないと見られていて、ほとんど日本には入ってこないが。
日本が大きく成長し、最も勢いに乗っていた時代が80年代だった。あの時代も歪みだらけだったが、成長し続けるイメージしかなかった。
バブル崩壊以降、戦後内包されていた問題が顕在化し、戦後右翼の世襲政治家と高度経済成長で最も甘い汁を吸った世代にあたる経営者らの自己保身による経営が相まって、日本は大きく転落してしまった。
日本バッシングから日本パッシングへ。
日本の存在感はすっかり消え失せ、多くの分野で日本がかつてのように注目される機会はなくなっているようだ。
海外要因と内外金利差によりコストプッシュインフレで輸入物価をはじめあらゆる物価が上昇しているが、通貨で景気をコントロールする役割を果たすはずの日銀は「円安はメリット」と言うばかりで緩和をやめようとしない。2年で2%インフレを実現すると言いながらいくらリフレ政策で緩和をしてもまったく効果が上がらなかった黒田日銀にとって、もはやインフレ自体が目的化している。経済や国民生活は二の次のようだ。
そもそも金利を上げれば国は国債利払いが困難となり、日銀も緩和で抱えた莫大な国債の市場価格が下落して超過債務に陥る。債務超過となれば税金の投入が必要になる。莫大な国民負担が増え、さらにこれらが日本売りに拍車をかける。
国内金利を上げれば日銀と日本が事実上の破綻状態になりかねない。
かと言って円安を容認していれば国業材料の買い付けで買い負けている日本はもう工業製品の製造自体が困難になる。食品も買えなくなる。スタグフレーションから更に日本売りが進む。
緩和のために続けている莫大なETF買いは外国人投資家による日本株への興味を失わせているだけでなく、株価下落時の債務超過が起き、そもそも莫大すぎる保有を市場で処分することが難しくなっている。出口戦略を口にしただけで公金による買い支えをしてきた株価の大暴落が起こる。われわれの年金運用にも影響が大きい。安倍政権以降年金資金のリスク資産配分を多くして株価の買い支えをさせていたため、年金資金の一部を失ってしまうリスクがある。ただでさえ制度維持だけで機能が失われようとしている年金が更に厳しくなる。
対外債務がない国の莫大の借金は国民の資産に依っており、返せなくなれば国民がその痛手を受けることになる。その資産はかつて高度成長期に海外から稼いだものである。それが失われるのだ。国が通貨を発行するから国民は資産を増やすことができたわけではない。かつて加工貿易で付加価値から利益を上げて資産を築いたのだ。その海外から得た資産を円として使うために日銀は通貨を発行したに過ぎない。
現代の通貨はほとんどが紙であるので、物質としての価値はほぼゼロである。これが通貨として通用するのは発行者への信認が全てであるので、日銀が信用を失えば日本円そのものが価値を失う。
出口戦略を採りようがなく、低金利を維持するために通貨を大量に発行し続けるしかない日銀。この状況で経済再生は困難。よしんば需要が生じて通貨が本当の意味で市場に流れるようになれば明確な円安要因になる。今は需要がないために供給した通貨がほとんど市場に流れていないから莫大な緩和がそれほど意味を持たないのである。日銀が債務超過となれば相応に信認が低下し、円安要因になるだろう。
金利差から売られている円はなんとルーブルにすら負けているが、日銀への信頼低下の先走りを示している。
もはや日本は戦後と同じく国民に押しつけて国の借金を棒引きにし、ガラガラポンするしかなくなっている。
多くの現象は動きがあればそれはふりこの如く逆へも向かい、やがて落ち着いていく。日本の場合は不相応で急激な高度経済成長の山から深い深い谷底へと向かっている。まだ底は見えない。
バブル崩壊以降軟着陸から次の成長へ向かった世界に対して日本が一人負けを続けたのは、企業のお上頼み体質、責任者の保身体質でコストをカットすることでの利益確保が最優先した結果だ。「次」を考えずに「今だけ」の安易な道をとり続けた。かつて太平洋戦争で長期の戦線維持が困難な戦争を行い、兵站を考えずに戦線を拡大し続け、戦線が維持出来なくなると全てを現場に押しつけ大量の餓死者・病死者を出した。あげくに本土決戦を訴え、沖縄を犠牲にし、二発の原爆を落とされようやく敗戦を認めた。莫大な国の借金は国民の資産と引き替えにされた。
敗戦を終戦と言い換え、国民に負担を押しつけ続けた多くの責任者は、戦後のうのうと生き続けた。バブル崩壊後の処理もほぼ同じ構図だと言える。
なお、米国が緩和をすることで立ち直ったのは旺盛な需要があったためである。日本がゼロ金利・マイナス金利・ETF買いなどで大量に通貨を供給しても全く効かないのは、需要がないからだ。繰り返すが日本では国民に犠牲を強い、コストカットだけで企業収支の帳尻を合わせたため、稼ぐ力が失われてしまった。後は競争力が失われた幽霊のような企業が残るばかりになっている。コストカットは直接間接に国民への圧迫となり、経済が回らない状態に陥っている。
海外の人から見て、日本では高い能力を持つ人材を低コストで使ったあげく平気で切り捨て、よりコストは安いが何の能力もない若い人材にすげ替えるのが不思議でならないという。そうした人材には成長過程にある国ではいくらでもお金を出す。中国・韓国などではそうして海を渡った日本人がその成長に大きく貢献してきた。それが日本の失われた30年の大きな原因と言えるだろう。
最近では理化学研究所の研究者600人切りが話題になっているが、研究職の多くを占める年限付き採用が10年目で契約更新されなくなるためである。研究室がなくなれば、そこで雇用されている人たちも職を失うことになる。
切られた研究者は国内にポストがほとんどない状況で研究職で再就職出来るかどうか分からない。非研究職で食いつなぐか海外に職を求めるかという状況になりやすく、このことでこれまで育ててきたはずの日本の基礎研究力が大きく失われることになる。
日本は既存組織維持のために、構造的に衰退するしかない国になっている。
「ドモアリガトウ」と日本への脅威が裏返った形で取りあげられることはもはや考えられない。そんな日本と対照的に、工業製品でもエンタメの世界でも韓国は日本を遙かに超えた位置に居る。
Posted at 2022/04/09 08:41:02 | |
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