
6月17日夜に母が階段を踏み外して右手首を骨折した。夜中に実家へ行き、夜間整形外科の受け入れがある行きやすい病院を探し、連れて行った。ここでは検査と仮の処置。
翌日再び外来で診察を受け、その翌日に入院し、更にその翌日、プレートを入れる手術を受けた。
抜糸まで入院し、私が動きやすい7月3日に退院となった。
午前中仕事に行き、午後3時に迎えに病院へお迎え。実家まで連れてきた。
病院にいる間、やや認知能力が落ちている印象があったが、私と話をしたり、家のことをしたりしているうちに以前の状態に戻ってきた。
高齢者の入院は恐いのである。
同僚の祖母は、同様に手首の骨折で入院し、そこで一気に認知症が進んだそうだ。
今回は骨折が手首だが、これが足や腰だと寝たきりになりかねない。同時に認知能力も低下しやすい。
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病院では主体性を奪われる。そして、自分で生活上の何かをする必要もない。上げ膳据え膳である。
この環境は明らかに脳の使い方を限定させる。言われるがままの受動的な生活の中で主体的に脳を使わなくなり、依頼心の強い母のような人間はそのまま楽な方に流れて行きかねない。
今回、本来はもっと早く退院ができたのであるが、私が抜糸のために外来につれていくことが難しいので抜糸まで入院させてもらった。
ただ、その間に認知能力の低下が起きることが心配だった。
本人は手が使えず生活ができないと言って、退院後何処かの施設に入るようなつもりになっていたようだが、冗談ではないのである。
骨折と手術のせいで傷があり腫れているから、多少の痛みはある。骨を折らなかった方の手首も打ち身があり痛むそうだ。しかし、指は正常に動き、生活はできる。要はその方が楽だからそう言っていたに過ぎない。
以前、退院間際にいろいろ不調を訴え、検査等でずるずる退院を遅らせた前科が複数回ある。それを踏まえて、退院後のことを看護師さんと話し合った。
高齢者の退院後のケアを担当する看護師さんは、彼女の仕事がそうである故に介護施設やデイサービス利用を前提にしたことを考えていたが、主治医は早期に退院が出来、生活にも問題はないと言っていたので、元の生活に戻らせることを最優先に考えた。
彼女のような性質だと、施設に入ったり他人に世話をしてもらうことが当たりまえになると、認知能力が大きく低下しかねないのだ。
普通の生活が困難なほど心肺を病んでいても、一刻も早く復帰しようと努力し、認知能力に大きな問題がなかった父親とこのあたりは大違いだ。
母は記憶力の低下があるが、まだ生活に支障があるほどのことはない。体も年齢の割にはしっかりしている。
可能な限り自立した生活を続けることで心身の健康を保つ方向を考えている。
Posted at 2024/07/04 04:38:02 | |
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