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Yuh_Fazioliのブログ一覧

2025年09月08日 イイね!

世代的な問題? 個人的な問題?

 母の面倒を見ていると、いろいろ気になることがある。

 例えば、食事。

 量を減らしても残すことが多い。
 特に1月に退院してからは全く動こうとしないので食事の量が減るのも当然だろう。

 ところが、残したものを後で食べることは絶対にしないのだ。

 食器を台所に下げてもそのままキッチンの上に放置してしまう。

 やがて腐ったりかびが生えたりすると、それを理由に捨てる。

 ラップをして冷蔵庫に入れるように言ってもなかなかやらないし、入れたらそれは彼女にとってなくなったと同義らしい。
 しょっちゅう食べ物を探して冷蔵庫を開けているが、食べ残したものには決して手をつけない。そのまま痛んで食べられなくなる。結果捨てるだけだ。

 この状況に気付いて、極力早期に冷蔵庫にしまい、できるだけ料理の中で使用して消費するか、私が食べて始末している。

***

 そもそも、母の食事あとはとても汚い。
 ご飯粒だらけ、食べ物の残りだらけ。皿や椀だけでなく、箸やスプーン、フォークも汚い。綺麗に食べるという意識がまるでない。

 母の母、私の祖母は食べ物をとても大切に扱った。明治生まれで厳しい時代を生きてきた人だから、無駄なことを嫌う。「食べ物を残すと目が潰れるでえ」というのが口癖のようだった。
 母も戦前生まれだが、1940年なので、戦中の記憶はあまりないらしい。空襲の中、祖母に手を引かれて逃げ回ったのは鮮明に覚えているそうだが。
 高度成長の中でどんどん豊かになってそれを謳歌し、無駄を当たり前に捉えてしまっているのかもしれない。
 そもそもが年の離れた末子で、父母兄2人に溺愛されて育ち、わがままな性分に育っているので、今もそれが明確に現れている。その一つとして食べ物を大切にしない。


 ところが、デイサービスなどではいつも完食しているらしいのだ。

 外面の良さは健在で、家ではわがまま放題にしているわけだ。

 わがまま放題で何もしないでいるから、どんどん体が弱り、認知症が進行しているし、その因果関係については何年も前から口が酸っぱくなるほど言ってきているが全く気にせず、どんどん衰え続けている。自分で自分を積極的に衰えさせているのだ。
 正直バカなんじゃないかと思う。

 複数の所から処方される毎食ごとの薬は、私がケースに集めて入れて飲みやすくしてある。
 その薬入れが視野にあっても目に入れないので自分からは飲まない。そのケースの上にものを積み重ねたりを平気でする。
 ビタミン剤は馬鹿にして飲まない。何故処方されているのか分からなかったが葛根湯が処方され続けていたものの、全く飲んでいなかった。
 以前から薬の選り好みは激しかったようで、母の部屋には大量の薬が残されていた。机の上にのみ残された錠剤が大量に転がっていた。その母が父の薬の選り好み(友人の入れ知恵で飲まない方がいいなどと言われてより分けていた)を非難していたのだからどうなっているのやら。

 母はいつも都合の悪いことからはひたすら逃げ続けている。わがままを言うのは自分の特権とでも思っているようだ。
 実際、自分が退院後何もしようとしていないことの自覚がある。
 (高齢者アパシーで)やる気がしないといっているが、一方でやりたくない意識が大変に強いことが見て取れる。かなり前から入院する度に詐病で引き伸ばしたりすることが多く、昨年の2回の入院でも退院後は何もしないで済むように施設に入るつもりになっていた。
 ずっと自分のことを自分でやることから逃げ回り続けてきたのである。

***

 父は、食べ物はあまり残さなかった。母より少し上で疎開経験があり、貧しい家庭かつ戦中戦後のの苦しい時代に大変な思いをしたのをよく覚えているからなのか、あまり食べ物を無駄にはしなかった。
 育った時代や環境の違いの影響は大きそうだ。

***

 私は母に、出されたものは残してはいけない言われ続けて育った。
 キャベツの千切りと称する極めて食べにくいキャベツの細切れを、ドレッシングも何もなく出されて食べさせられ、何か付けるものといってもマヨネーズぐらいしかなく、マヨネーズをかけるとマヨネーズに細切れがくっついてマヨネーズのキャベツの細切れまぶしになるので、とてもおいしくなく食べにくい。それを無理矢理口に放り込んでいつまでも口に残って飲み込めない。
 そんな地獄のような食事をさせられ続けた。野菜を食べるのが苦痛でしかなかった。

 大学生・社会人になり、外で食事をするようになると、野菜は食べやすくおいしいものだと認識した。家で食べていたものは何だったのだろう。

 ほんの一時期母がイタリア風味のサラダドレッシングを自作していたことがあるが、それをかけた野菜さらだはおいしかった。しかし母はすぐ自作に飽きて、自分は和風ドレッシングや青じそドレッシングばかり買ってきて食べていた。私はそれらが苦手だったので、あいかわらず細切れのキャベツがまとわりついたマヨネーズと格闘するしかなかった。


 また、母はおでんというものを知らなかったのか、おでんを作るというと、コンブでだしを取り、大根、こんにゃく、ちくわを入れて醤油で煮たものを出してきた(テーブルにコンロを出して土鍋で作る)。
 大根が苦くて、ほかは醤油の味しかせず、とてもまずかった。だから、私は【おでん】というものが大嫌いだった。

 大学を卒業してから研究室の人に誘われて、彼が祖父母が住んでいた家の維持のために住んでいる館山の古民家に行った。そこでおでんを皆で作って食べたのだが、恐る恐る口にしたおでんは驚くほどおいしかった。おでんというのはこんなにおいしいものだったのだと初めて知った。具も餅やはんぺんやちくわぶなど、母が作るものでは見たことがないものが入っていて、大いに驚いた。ちくわぶが大きくなっていく過程を始めて見た。


 母の作るものと態度が、私を野菜から遠ざけていたし、おでんを嫌いなものにカテゴライズさせていたわけだ。

 食べ物は残してはならないという強いしつけのせいで、親戚の家に泊まったときには出されたものをすべて残らず平らげて腹痛で苦しみ、親戚を困惑させたりしていた。

 今も食べ物をほとんど残すことはなく、皿もなめたように綺麗にしている(自宅では実際になめるので残飯はほとんど出ないし、皿洗いも手間がかからない)。

***

 そこまでさせた本人である母が、食事あとが汚く、平気で食べ物を残すのがちょっと許せない。時間と手間をかけて作ったものも平気で残し、腐るまで放置するのだからやってられない。

 最近は認知症で、空腹でなくても空腹と感じ、食べ物を探して歩く。
 カップラーメンなど買ってあると、すぐお湯を入れて暫くつつくとテーブルやキッチンに放置。実際は腹が減っていないので、食べられない。
 暫くするとまた腹が減ったと言ってカップラーメンにお湯を注ぎ、暫くつつくとまた放置する。気付くといくつものカップラーメンがキッチンに並んでいる状態になってたりする。

 のびたラーメンなど食べたくないのはわからないでもないが、残したものを食べることは一切考えず捨てることしか考えないので、ひたすら無駄にカップラーメンが消費されていく。
 もったいないので残された伸びたカップラーメンを私が食べているのだが。

 ケアマネさんから、食事を宅配でとることを提案されたが、つついては捨てるを繰り返しているとつたえると、宅配はやめた方がいいということになった。

***

 母は庭に出ると、庭の大葉、山椒の葉や実を摘んでくる。
 時期になると柚子がなるがそれもよく採ってきていた。

 しかし、それらのものはほとんど無駄にされる。
 大葉はそのまま放置されてしなびてゴミ箱行き。
 今も山椒の実がキッチンの上に放置されている。


 昔から、山椒の実や柚子を採ってきてはチャック付きのビニールバッグに入れ冷凍庫に放り込まれてそのままにされてきた。冷凍庫にはそうしたビニールバッグが大量にあって冷気が動く隙がなくなっていた。
 母は冷蔵庫や冷凍庫の管理をしないので、何が入っているかなど全く念頭になく、新たな物を次々と詰め込んできた。常に冷蔵庫はどこもギチギチに詰め込まれていた。

 山椒の葉は冷や奴に使ったりしていたことがあったし、柚子は皮を雑煮に入れたりはしていたが、他では使っていた記憶がない。
 無計画に目についたものをとってきてはゴミ箱か冷凍庫行きになって無駄にされるのだ。
 先日も大量の冷凍柚子を捨てた。冷蔵庫でグズグズになった柚子も捨てた。
 今もいつ入れたか分からない冷凍バナナが冷凍庫にいくつか転がっている。

 昔からこの調子で、それが今も繰り返されている。

 先日は私が育てているミニトマトをとってきて、あげくに生ゴミとして捨てていた。

***

 元々食べ物を粗末にする母が、認知症でますますひどくなっている。

 その母に絶対に食べ物を残さないようにしつけられた自分は、ひたすらイライラするのだ。

Posted at 2025/09/08 08:16:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2025年09月07日 イイね!

ソーラー発電に寄生するかな?

 自宅にいないこともあるが、多くのLiFePO4バッテリーとインバーターを導入したおかげで、ポータブル電源が余っている。

 実家は電気自体がソーラーによるものなので、効率は悪いがポタ電をコンセントから充電してもソーラー由来の電気ということになる。

 今余らしているLiFePO4バッテリーも同様だ。

 充電さえしておけば、緊急時の電源確保に貢献することになる。

 充電電源はソーラーパネルから取らないといけない気になっていたが、何が何でもというわけではないと思うと、少し気が楽になり、応用範囲を広げられる気になる。

 特にポタ電は持ち運べる電源として有用なので、本来の使い方ができるというものだ。

Posted at 2025/09/07 13:46:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ソーラー発電 | 日記
2025年09月07日 イイね!

はじめて蓄電池を使い切らなかった

altalt

 昨日は晴れていながら気温がさほど上がらず、午前中に充電が100%に達し、以降、売電に回る。

 その後も気温が上がらなかったために放電量も抑えられ、最低でも35%程度だった。

 気温がエアコン使用に大きく影響するため、気温さえ適当であれば、蓄電池の電気量はそれなりを確保できそうだ。

 災害時にどれだけ確保できているかが重要なので、なるべく使い切らない状態を維持したいところだ。

 結局、より多くのパネルと蓄電池が必要になるという話になる。




追記:
 自宅のソーラー発電は発電量が少ないので夜間の電力のごく一部をまかなう程度にしか使えない。
 LiFePO4バッテリー12Vを2直列×4並列で24Vシステムにしている。
 メーカーはこれ以上のバッテリーを並列接続することを推奨していないが、現在は6並列にしているし、4つ未接続のままになっている。

 同じバッテリーが終売になるため在庫を安く売っているので2つ購入した。
 これらを並列接続すれば8並列になって容量は概ね倍増する。
 現状は不在の自宅でファイルサーバーを動かすのに使っているが、日照が不十分な日が続いて容量を使い切り、商用電源に切り替わる際の瞬電でダメージが及ぶのは困るので、可能な限り容量を確保しておきたい。
 メーカー推奨ではないが、8並列で運用しようと思う。

Posted at 2025/09/07 07:47:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2025年09月07日 イイね!

校内の雰囲気比較 その2 部活強豪校編

 所謂スポーツ強豪校、部活強豪校にも勤務経験がある。しかも2校。

 この2校には似たところと違う所がある。

・部活強豪校は大概ブラック

 部活が強ければ、その部活の顧問が幅を利かす。
 その結果、体育教員が大手を振っていて、実権を握ってしまうことがありがちだ。

 あるマンモス校は管理職が体育教員で、自分のために法律を無視したことを次々とやってしまうようなことも珍しくなかった。人事権を濫用・違法な首切りなどしていた。

 別の学校は音楽教員が管理職に就いていたが、パワハラの見本のようなことを次々とやっていた。それでいて、「俺がパワハラ? こんなのパワハラじゃねえ」と。その下に体育教員が秘密警察のようについていて、気にくわない教員やお掃除の人などに嫌がらせをしたり、密告したりしていた。

 どちらも一族経営で、理事長の横暴が見られたが、一つは強力な労働組合があり、また実際の運営にはあまり口を出さないお飾り的な分まだマシだった。
 もう一方は創立者から3代目という衰退を招く最悪なパターンで、何の苦労もなく理事長のポジションに収まり、何もかも自分の管理下に置かないと気が済まず、何にでも気まぐれで口を出し、駐車場の割り当てすら事務ではなく校長(理事長)の管理だった。
 甘やかされて育った分やたらに自信家で横暴であり、何にでも口を挟みたがり、しかも気分屋なのでその時その時で言うことも判断も違い、学校全体が振り回されていた。
 しかも、生徒からみえる会議室でふんぞり返って(比喩ではなく物理的に)えらそうに教員を振り回しているので、生徒からその態度の悪さを指摘される始末。
 毎日職員会議の時間に遅刻するかしないかで飛び込んでくるのが日常で、一般の学校のように管理職が校門に立って生徒に挨拶するなど皆無だった。

 一時は早慶にも生徒が進学する学校だったそうだが、今では大変落ちぶれて、4年生大学に進学するものが珍しいほど。当然優秀な学生が取れず、多くの生徒がこの学校に来たことを後悔していた。
 学校内は荒れ果てていて、あちこちに穴が開き、フェンスは朽ち、汚れ放題。
 綺麗なのはしばらく前に開校した中学校舎のみ。戦後移転して建てられた鉄筋の校舎は、理科では物化生地4つの実験室にそれぞれ講義室が付属するという、標準を大きく超える充実ぶりだったが、現在では物理室は軽音の部室と物置に、地学室は天文部の部室で雨漏りをしたまま。生物室はエアコンがないので梅雨以降暑くて使用不可。冬はガス暖房が壊れていて使えないという状態。床が浮き、水道はさびていた。唯一化学室のみがリフォームされてエアコンとプロジェクターを装備していてつかえる状態だった。しかし、この部屋を予約するシステムがなく、いちいち他の教員に使用の可否を確認せねばならない運用のいい加減さ。予約表を提案したら他の理科教員に無視された。

 理事長と教頭相当職のパワハラがひどく、教員は萎縮し、毎年2割の教員が辞めるか、管理職が気にくわないという理由で「自己都合」としてクビにしていた。

 どちらも部活強豪校で予算の多くを部活動に割いていた。どちらも全国区の部活を持っていたが、スポーツ推薦で生徒を集めていて、部活動で名を売り、一般の生徒を多少集め、活躍した生徒はスポーツ推薦で有名大学に推薦で進学するという形ができていた。もっとも、推薦進学ができる部活はごく一部なので、ほとんどの生徒は学校に対する愛着もほとんどないようだった。

・特待生の扱い

 どちらも特待生制度で進学強化を狙っていた。部活強豪校では学力が落ちがちで生徒を集められない。生き残りには生徒の学力確保が重要で、進学実績は優秀な生徒の確保に欠かせないからだ。
 一つの学校は、立て替えてまだそうな額はない後者の見晴らしのよい1フロアを他の生徒と隔絶した特待クラス専用にし、専用カリキュラムを用意し、有名予備校の講師を迎えての放課後の特別授業もあった。
 同じ偏差値の生徒をあつめてもこうはならないぐらい生徒はまじめで意識が高く、特別なクラスを演出することに成功していた。普通科やスポーツクラスとは全く違う雰囲気作りができていた。
 普通科は作文と面接だけで入ってくるのが多く、ここはどうにもなっていなかったが、教員に多少なりとも学校をよくしていこうという雰囲気があったことが、レベルダウンを抑え、特待クラスの運営に関しては功を奏していた。

 もう一方は汚い校舎の職員室からもっとも離れた一角に特待クラスを集めていたが、生徒は悪い意味で隔離されていると感じていた。
 特別なカリキュラムを用意するでもなく漫然と運営されていて、生徒の元々のレベルの低さもあって、特待であることが何の結果にもつながっていなかった。これも理事長の思いつきレベルで学校が運営され、教員にその時々で一貫しない要求ばかりを行って翻弄させるだけである結果であるとみて間違いない。何しろ、教員がこの学校のために頑張ろうというモチベーションを持てないのだから、ボトムアップでよくなる要素がなく、そこにトップダウンで破壊して行くのだ。最悪のループが回っている。

・部活で起こるイジメ

 一方はかつて甲子園に出場した経歴があり、理事長が推している野球部にはかなり予算を割いている。ここでは広陵野球部で起こったのとよく似たイジメが寮で起きて裁判沙汰になっているが、学校側は高野連が問題にしていないと軽視していた。この辺りもよく似ていて、所謂野球強豪校ではこうしたことが日常になっているのではないかと思われる。

 日本の、学校が経営のために偏重する部活運営では、よく運動系部活にある問題が噴出していて、コーチ・顧問による暴力・暴言、上級生による下級生への集団暴力などは日常である。大概下級生は上級生を憎んでいる。
 日本の体育観は欧米のスポーツ観と違い、戦前の軍隊の教練の流れを汲んでいる。そのため、日本特有の行事として運動会が行われ、やたらに団体行動が行われている。個人が楽しむためのスポーツという考え方は極めて薄い。
 そのため、部活動も軍隊によく似てしまう。何しろ学校が宣伝のために運営し、顧問やコーチが自己実現のために指導している。一人一人の生徒のことなど考えるはずがなく、使い捨てにされる。
 その源流たる日本軍と言えば理不尽な暴力が日常化しており、そのために火薬庫に火をつけるなどの自爆テロが行われ、多くの軍艦が戦闘以外で沈んでいるほどである。1年生が練習の機会もなくただ上級生に従わされるという理不尽が行われるのも日本特有らしい。
 極めて歪んだ状態が強豪校に散見される。

 この理不尽と暴力が正当化されるのが部活動強豪校の傾向で、やたらに体育教員が力を持ち、理不尽が学校全体を支配してしまいがちなのである。

・教員の犯罪
 2つの学校とも、強豪部活動の顧問が外部で犯罪を引き起こしている。
 学校という教員であるだけで新卒でも大きな権力を与えられる世界では自分を勘違いしやすい。更に部活で生徒に暴力をふるいながら駒として扱い、勝てば外部の評価を得られる異常な環境の中で、うぬぼれ、おごり、慢心が起こりやすく、あり得ない行動を起こしやすいのかもしれない。

 なお、一方の学校では現理事長がかつて学校の中で盗撮を行い警察から事情を聞かれている。告発した教員はクビを切られたそうだ。

・まとめ

 部活強豪校は大きな歪みを伴っている傾向が大きい。体育教員が大手を振る結果、パワハラや理不尽が極めて強くなりがちである。
 一方の学校には強力な労働組合があったために曲がりなりにもある程度のバランスが取れていたが、もう一方は労働組合が廃止されており、教員の側はただ理不尽に耐えるか辞めるかという選択しかなかった。

 こうした歪みは生徒の意識にも大きく影響していた。


おまけ:

 なお、私が面接時に理事長に気に入られたという話を面接の場にいた管理職がペラペラ教員に喋ったらしく、その管理職から気に入らないと嫌がらせをされ続けただけでなく、長年理不尽に耐えて、いずれ管理職の地位を狙っている年配教員から、ポッと出に地位をとられてたまるかと敵視され、徹底的に無視され続けた。
 ここは人間関係が歪みきっていた。
Posted at 2025/09/07 09:49:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 教育・子育て | 日記
2025年09月06日 イイね!

大腸内視鏡検査顛末

 先日母が大腸の内視鏡検査を受けたが、これが大変だった。
 前回の検査で痛くされたらしく、当人はすごく嫌がっていたのだが、問題はそこではなかった。

 前日は検査食、当日は朝食抜き。
 前日から検査のための薬や下剤を飲み当日病院に。

 前回と同じく、病院で下剤を飲み、水様便になるまで観察し、その後検査となる。

 グズグズして動こうとしない母を朝九時に何とか病院に連れて行った。
 母は、トイレから遠い、病院スタッフや救急隊員が休憩所として使っている1畳ほどのスタッフ用の冷蔵庫があるスペースに連れて行かれた。
 そこで下剤と水を10分ごとに飲むのだ。水は自販機で買ってこいと言う。

 ところが認知症でグビグビと飲んでしまってインターバル無視。

 下剤1本飲み終えたのだが、飲み始めて3時間経っても母曰わく大便が出ないという。

 そして「オシッコが出る」とトイレに行っては下着やズボンを水分で汚してくる。

 看護師はほったらかしで見に来ない。

<普通、汚れることが前提の検査着に着替え、トイレに近いところで看護師が管理しながら下剤を飲み、トイレに行くたびに便を確認するんじゃないのか? ましてや認知症の高齢者。家族がいるとはいえ家族にはろくに説明もしていない。それで放置はないだろうに>

 大便は出ないというので看護師に便を確認させることもなく、ズボンが濡れているが、本人はなんでぬれているのかわからないという。
 病院は放置だし、売店もないので着替えも買えない。仕方なく自宅に戻りズボンと下着をとってきた。
 戻ってみると既に12時を過ぎている。

 戻ってみると看護師が来ていて、おむつを出せるし失禁をしたなら言ってくれと怒られた。認知症高齢者をほったらかしておいた何を言うか。
 そもそもトイレからずっと遠く、看護師の目が全くないところに高齢者を放置するなんて頭おかしい。

 大便は出ないというので下剤追加。

 ここで母の様子を見ながら本人に確認していて気付いた。
 母は既に水様便しか出ていなくて、水だから大便だと思っていなかったらしいのだ。固形物=大便と。茶色い水だったこともあるようなことを言っていた。小便だと思っているから流してしまって便の確認もできない。

 とっくに検査を始めていいのにかかわらず、無駄に下剤を飲み続けているらしい。
 このことを看護師に伝えると、
「こちらで確認できないと。次に出たら見せてください」
「次はトイレに一緒に入って流さないようにして呼びに来てください」

 さらに下剤で負担をかける。

 次またトイレに行ったのでついて入り、水様便が出ているので看護師を呼んでくる。
 看護師は見てから【確認してくる】と言って場を離れ、【固形物が少し出ているので次を見ます。下剤を飲んでください】と。
 固形物が出ているといってもごくわずかで他は完全に水分のみだ。下剤の飲み方の案内によれば既にOKの状態。固形物と言っていたのは大便をするときの腸管から分泌される粘液だろう。

 また下剤を飲む。

 既に午後3時。最初から水様便しか出ていないのに朝9時から6時間も下剤を飲まされている。

 私も何も食べていないが、この病院には売店もない。仕方なく車でコンビニへ行きサンドウィッチを飲み込んですぐに戻ってみると、母の姿がなかった。
 すぐに看護師に会ったが
「離れないでください!」
と怒られた。
<無理を言うな。そもそも病院で下剤を飲めば病院が管理してくれるから安心だと思っていたからで、普段着のままトイレから離れたところに放り込まれて放置されると分かっていれば、自宅で下剤を飲んで綺麗にしてから来た。>

 この間に検査をすることになったらしい。

 そもそも最初からずっと水様便しか出ていないのだから、とっくに検査に入ってよかったはずだ。だから不在の間に判断を変えたのかもしれない。
 母は検査室に入った途端に便意を催し水様便を立ったまま放出してしまう。

***

 なんとか検査を終えて、特に痛みについて言っていなかったのでそこは問題なかったのかもしれない。
 ただ、腸の中の状況について何も言ってくれなかったとのことだ。

 時間が比較的短かったところを見ると、大きなポリープをとることもなかったのかも知れない。

 すべて終わったのは午後5時過ぎで、本当に疲れ果ててしまった。

***

 この病院は父についても母についても対応の悪さを何度も経験している。特に高齢者に対応が悪い。

 手首骨折時の病院も古い病院だが、建て増しとリフォームでスペースと綺麗さを確保し、余裕がある。スタッフも丁寧で親切だった。

 また、今日私がいった病院(要紹介状)も、新しくはない病院であるが、スペースに余裕がありスタッフも親切で丁寧だった。

 比較すると地元の病院のレベルの低さが非常に気になる。

 股関節骨折の時にあの病院には入れたくなかったのに、母が勝手に病院を指定してしまっていて、結局不便や不快な思いをたくさんすることになった。

 最近経営不振から大きな医療法人に買われていて、患者対応に多少の改善はあるようだし、来年には移転してスペースに余裕ができるだろう。それを機会に少し病院としてのレベルが改善するかもしれないと期待しているが。

 私の自宅がある湾岸地域なら、よい病院がいくつもあるのに、内陸は内容が悪く数も少ないので、選べない。

 内陸部はすでに高齢化と人口減少で寂れていて、改善の余地が低いのだ。

 どこに住むかは命に関わる問題だ。


 


追記:
 同じ敷地内で建物も共有している人間ドックは、まるで対応も違うし設備も違う。
 人間ドックは健康保険外なので病院にとって大きな収入になる。その分競争も激しいので投資が大きくなるわけだが。


オマケ:
 同じタイミングで大腸内視鏡検査に来ていた中年ぐらいの男性がいたが、何回便をしても固い便のままならしい。
 事前に検査食を食べていなかったのか、或いは強い便秘が続いていたのか。
 結局仕切り直しになったようだ。
 気の毒に。


追記:
 次回の内視鏡は、紹介状を書いてもらって父・母共に入院歴のある、自宅からも実家からも近い大病院でやってもらおうと思う。病床数400床以上の地域医療支援病院なので、紹介状を必要とする。

追記:
 上の追記の病院では、大腸内視鏡検査は1泊2日で行っている。普通これだから、地元の病院は日帰り検査で驚いた。下剤使用で体を汚してもシャワーを使える。地元病院では何もない。
 なお、地元病院では、股関節骨折のリハビリ期間中に内視鏡検査をやると言っていたのに、何の説明もなくなしにされた。


 
Posted at 2025/09/06 04:25:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 母の介護 | 日記

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何シテル?   06/15 10:04
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