不定期シリーズの『お客様の質問に答えて』も気が付いたら4月10日から更新しておらず、かなり間が空いて第4話の書き込みです。
5月の上旬にはユーザーの方とのミーティングがあって、その時に調整の合間に少しお客様とお話する事が出来ました。
その時に最も多かったご質問が、「ナカミチはなぜ音が良いのに日本法人が無くなったのですか?」という事でした。
短い時間の中で少しづつお答えさせて頂いていましたが、改めてなぜそうなったかを詳しく書き込みたいと思います。
まずナカミチという会社は自分の中では4つの時代があると思っていて、まず創立者の中道悦郎さんの『ナカミチは凄い商品を作る!』とオーディオファンから言われていた時代があって、その創立者が50代でガンで亡くなられて、弟の仁朗さんが社長の時代になりました。
その時にタイヤショップやエンジンチューニングの店に大量にナカミチの商品を卸して、それでそれらのショップが単価の高いナカミチの商品を販売した割にはアンプやチャンネルディバイダーの調整をきちんと行わず、店によってはゲインを工場出荷のままお客に渡すなどの良くない店が販売の主軸になって、結果的に『ナカミチは高いばかりで音が良くない!』という評判が立ってしまい、段々販売が低迷して来ました。
当時のナカミチの営業部の施策はでたらめで、自分の様に1年に1千万円仕入れる店が翌年に1千2百万円仕入れたら前年比20%アップで、前年の仕入れが100万円の店が翌年に200万円仕入れたら前年比の倍になったからハワイ旅行に招待で、その店が数年後には潰れているからその旅行費用は全く無駄となるという、訳の分からない事をしていました。
更に当時ナカミチのスペシャルショップという店会があって、日本で40店舗から60店舗ぐらいの一様選ばれたショップという位置付けで、限定モデルなどの販売が出来るというメリットがありました。
ところがそのスペシャルショップが当初は山口県に1店だったのが営業部がどんどん店を増やして、人口が150万人いない所に4店あるという異常な状態でした。
自分はナカミチの営業部に対して、「スペシャルショップを辞めさせて下さい。同じレベルの扱いにされると音が同じ様に思われるのでこちらが損なので。」と言っていて、他の店の中にはアンプのゲインを工場出荷のままで納車する店もあって、「これのどこがスペシャルショップなんですか!」とかなり自分は怒っていました。
そんな営業部の楽して設ける的な姿勢とは反対に技術部はきちんとしていたのですが、やはり段々ナカミチの商品は売れなくなって、営業部は90年代後半に遂に『オートバックス専用モデル』という同じ見た目でシルバーフェイスの安い製品を販売する事にしました。
これが大外れで、ナカミチブランドが地に落ちて、業績不振で海外の投資会社に買われて、社長は交代して中道の苗字ではなくて他人が社長を勤める第3の時代がやって来ました。
この頃は既にうちの会社が常に成績がトップになって、オートバックスモデルの失敗から他のカーオーディオ専門店は手を引いていたので、プライベートブランドに近い状態になって来ていました。
ただ日本国内ではブランド力の失墜から立ち直れず、株価が暴落してどうにもならない状態になっていましたので、『このままではナカミチは持たない。」と思って、自社ブランドのスピーカーの発売を計画しました。
当時の店名の『オーディオボックス』を特許庁に商標登録の申請を行ったら、アメリカに『オーディオヴォックス』という会社があって、日本で商標権を取っていたのでオーディオボックスブランドのスピーカーは作れず、何個か商標を申請したうちの最初に受理された『サウンドピュアディオ』を商品名と店名とする事になりました。
そして2001年6月にZSPーMIDが発売されて、翌7月には札幌店をオープンする運びとなりました。
この頃は社長は創業者の中道悦郎さんの長男の武さんに代わっていて、本来の中道家の人間が社長に戻っていました。
もうその頃はナカミチの製品を取り扱う店も減っていて、CD-700系のデッキはほぼサウンドピュアディオのグループが販売していて、CD-700とCD-700Ⅱの間の通称CD-700‐1・5というサウンドピュアディオの専用モデルが存在していました。
またCD-700KKは当初ピュアディオグループの専売で100台生して欲しいという用望を出していましたが、ナカミチ側から「今までお世話になったお店もあるので100台中60台までにして欲しい。」という返事が返って来ました。
実際には40台という数字が他では直ぐに売れず、資金力に物を言わせてピュアディオが80台を一気に買い込むという荒業に出て、更にアンプとスピーカーとセットで販売していたCD-700KKも全て買い取って、最終的に120台のCD-700KKをピュアディオグループが仕入れたという状態でした。
ただナカミチもサウンドピュアディオ1社では会社を維持出来ず、2008年5月末を持って日本国内での営業を終了して、海外ではまだナカミチの製品が販売されていて、海外モデルを仕入れてFMラジオの周波数を変更して販売するというのを数年続けていましたが、効率が悪いためにそれも終了して、現在では旧商品をリファインして販売している状態です。
自分はたまにお客様の見える所でアンプのチューニングを行っていますが、ナカミチ以外のアンプを分解して組み立て直してナカミチ的な音を出していて、比較試聴にナカミチのアンプを使っているのを見られたお客様から、「その基準になっている方のアンプを売ってもらえますか?」と聞かれる事があって、いまだにナカミチアンプは人気があります。
技術的は優れたメーカーなのに創業者の中道悦郎さんが亡くなった後に変な拡大路線に走ってブランドイメージが極端に悪くなり、もし悦郎さんが長生きしていたらこんな事にはならなかったのでは?と今でも思っています。
先月のJR博多シティ前のデモカーの展示試聴では、サウンドピュアディオの事は知らなくても昔のナカミチの製品を使っておられた方が試聴をされて、「何だか懐かしい音がする。」と言われた後に「でも新しい音がする。」とも言われました。
その懐かしい音というのは『本来ナカミチが目指していた音』で、新しい部分は『車種別に細かくチューニングしてコイルを書き換えている』部分で、昔はナカミチの本社に行くと悦郎さんがスティービー・ワンダーやジャズの大御所などと一緒に写っている写真が飾ってあって、音楽を作っている人との付き合いの中での音造りというのは、スケールは違うもののサウンドピュアディオと同じで、ただ1台1台細かくチューニングというのは会社が小さいからこそ出来る技で、そのナカミチの商品を使われておられた方には、「サウンドピュアディオは日本で唯一中道悦郎さんの精神を受け継いだ会社です。」と答えました。
ピュアディオブランドのATX-25ツイーターは見る人が見れば分かる、完全に以前のナカミチのSP-5・SP-10などの流れを汲んだ材質で、しかも現在の音源にも合う高音域が以前のモデルよりも伸びているので、「懐かしいのに新しい音。」というのは正しい表現ですね。
またJR博多シティ前では多くの関東や関西から出張で来られている方が聴かれて、「近くに店があったら絶対買うのに。」という言葉も頂きました。
ナカミチの無理な拡大路線の失敗をみているから自分はあまり会社を大きくする事に興味は無いのですが、「関東や関西でもこんなに欲しい人がいるんだ!」と、マーケットがあるにも関わらず、アーティストに合って生の音に近い音をという文化が途切れている事を残念に思いました。
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