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2022年11月21日

今のサウンドピュアディオが出来るまでの40年史+12 第4話 1977年から79年


1982年に山口県宇部市にカーオーディオ専門店を誕生させてから、今年の10月で40周年を迎えて、そのサウンドピュアディオの今の技術というか音造りの根源になっているストーリーをお届けしているこのシリーズも、小学校・中学校・高校と進んで、高校は2回に分けてお届けするので、今回は4回目の書き込みとなります。

前回は山を2つ越えた向こうの楠木町に住む同級生K君と運命的な出会いをしたお話でしたが、今回は高校生の後半ごろの恋の話です。

以前に同じ内容をブログで書き込んでいますが、このシリーズは電子工作を始めてからの52年の集大成となりますので、前に通常のブログで一度読まれた方はご容赦下さい。


高校1年2年と後に京都大学の教授になったK君と無線の実験と上級の無線技士の試験に合格するための勉強に励んでいた自分が、あるひ県外から10代のYL局と呼ばれている(ヤング・レディーの略)アマチュア無線家が家族と山口県を訪れるという事で、20代前半から高校生ぐらいの無線家が集まって歓迎しようという話があって、自分も自転車に乗って1時間ぐらいかけて市外に出かけて、そこで社会人の人の車に乗せてもらってもう1市向こうまで出かけました。

県外のYL局以外に山口県内のYL局も来ていて、その中の一人がやたらと可愛くて、他の人に「あの人誰?コールサインは何?」と質問したら、自分と年が同じで一度も聞いた事が無いコールサインの人でした。

その日からそのYL局の事が気になって、その市の方に指向性のあるアンテナを振って受信してもそれらしき声は全く聞こえず、その子の電波が聞こえる人に「もし無線に出ていたら教えて欲しい。」とお願いしていて、ある日「145・〇△MHzに出ている。」と教えてもらって、その周波数にダイヤルを合わせても話している相手の声は聞こえてもYL局の声は聞こえずで、指向性のあるアンテナを右に振っても左に振っても聞こえません。


そこで7エレメントの2列スタックのエレメントを計算して前2本継ぎ足して9エレメントスタックに改造して、それでゲインを1デジベル程度上げましたが、それは雀の涙で全く聞こえず、そこで土木作業員のアルバイトをしてお金を貯めて、10エレメントのクロスの並列スタックの合計40エレメントの物を購入して、それで指向性の向きを合わせても全く聞こえません。

そこで今度は無指向性のアンテナであちこちから電波を集めていたら何とか受信出来るのではないかと、当時は8分の5波長が優れたアンテナと言われていて、それを2段縦に積み重ねて位相反転コイルを2個使った物を使って、これでどうかと試してみてもそれもダメで、土木作業員のバイトとアンテナの組み付けなどで疲労困憊していました。

そこでこれは自分の家がその方向に対して電波の陰になっていて、どんなにアンテナを工夫しても無理だという事が分かって、今度は自分の方が自転車で移動して、そのYL局の声が聞こえる所まで移動してみる事にしました。

ただ移動するにしても山道を高い方向に上がって電波的に良い場所を探して行くので、アンテナが長いと木の枝にひかかるので、長さが短い割に良く飛ぶアンテナを考えて、8分の5波長では自転車の荷台から1・3メートルあるのでこれは使えず、当時はまだ8分の3波長は確立されておらず、4分の1波長を2本組み合わせた物が木の枝にひかからずに飛距離が伸びるであろうという事で、自転車をこいで近くの小高い山に上がりました。

ただ先方に飛ぼそうだからと移動しても相手が出ているという確証はなくて、でも運の良い事に3回に2回は交信出来るという、かなりの高確率で話をする事が出来ました。


そんな事が何か月か続いて、どこでどうなったのかそのYL局と2人で会える話になって、土曜日の午後の何時ぐらいだったら習い事に行くのに家からバス停まで歩いて行っていて、その間だと会って話が出来るという事で、自転車で1時間半かけて会いに行く事になりました。

約束の時間よりもかなり早く着いていて、近くで時間をつぶして、お父さんもアマチュア無線をしておられたので家には大きなアンテナが立っていて、直ぐにこの家だと分かりました。

自分は自転車を押してバス停までの10分ぐらいをたわいもない話をして、バス停に着いても少し時間があったので、そこで自販機でジュースを買って飲んで、その後でバスに乗ってその人は出かけました。

その話を最近あるお客様にして、「○○さんの家の近くで高校生の時にこんな事があったんですよ。」と言ったら、「その店は自分の家で、その人の妹が自分と同級生でした。」と言われて、世の中は狭いものだと思いました。


それまでは技術的な興味だけでアマチュア無線の実験をしていたのが、好意を持った女の子の局が絶対に届かない電波の陰にあるという事が分かって、色々な技術的な努力を行って、よく専務が「社長は女の子と話したかったがための技術が今の音造りに役立っているから。」とよく店頭で言っています。


ここまでは自分の高校生活は順風満帆の様に思えますが、高校3年生の秋に悲劇的な事が起こって、自分は工業高校の電気科ですから成績はそれなりに良くて、ある電機メーカーの工場の就職試験を学校推薦で受ける様に決まっていました。

それはある日先生に呼ばれて、「井川君、〇〇電器の内定が無くなったから。」と言われました。

理由はその工場の役員に親戚がいる機械科の生徒を逆指名してして来たので、今年の電気科の推薦枠が無くなったという事で、当時自分はそれがとんでもなく自分に不利な事とは気が付きませんでした。

先生に「それなら〇〇電気を自分より成績の悪い△◇君が受けるので、それを自分に変えて下さい。」と言ったら、それは出来ないと言われて、自分だけはじかれて電気メーカーを受ける事が出来ない事に気が付きました。

その時の自分は総合電機メーカーの工場に勤めて、当時はそのメーカーはアマチュア無線機も作っていたので、仕事以外の時間は無線部に入って余暇を過ごすという人生の目標が一気に崩れました。

その頃に自分は完全に卑屈な人間になっていて、せっかく仲良くなったYL局にも些細な事で嫌われて、2回ほど会った後に連絡を取らなくなりました。


何だか人生の目標が無くなって、それ以外の工場を探しても電気系は無くて、市内の石灰石加工工場がまだ推薦枠があるという事で、そこの推薦をもらって受験しました。

ただしそこの会社は機械化と工業化学科が強くて、電気科だと試験が1番でないと受からないと言われて、これまで出た様な内容を必死に勉強して、見事に合格出来ました。


会社に入ってからは石灰石の事を3カ月程度勉強して、それから現場に出されて、毎日重油炉で石灰石を焼いて砕いて製品化する仕事をしていました。

当時は工場の中で出る石灰石の粉にまみれて、「あー、自分の人生は灰色だ。」と思っていましたが、これが10年以上経って、セメントコーティングの基礎になって、灰色どころかヒット商品になって、どちらかというとバラ色と言ってもいい方向に向かいました。


何も問題を起こさなければ定年まで安定した生活が出来たのですが、自分の班の先輩が大きな炉の周りを回って油圧や温度を測っているのを、毎日ほぼ同じだからと見回らずに適当な数字を入れて、ある日以上があったのにいつもの数値を入れて、それで装置が壊れるという事故が起こってしまいました。

自分達の班は物凄く叱られて、自分はきちんと記入していたのに何でこんなに叱られないといけないとかという気持ちと、元々やりたい仕事ではないのにという気持ちから会社を辞める事にしました。


最近お客様を乗せてその工場の前を通った事があって、「ここが自分が勤めていた工場です。」と言ったら、「ここは宇部興産系の工場じゃないですか!」と言われました。

宇部興産系の会社を半年で辞めると言ったら学校の先生は物凄く反対して、「井川君が辞めたら後の後輩が不利になる!」と言われましたが、最初から電気メーカーに勤められたらこんな事になっておらず、そんな事があったので高校の同窓会には一度も顔を出していません。


ただ自分がその工場を辞めた後にもう一度その先輩がやらかしたそうで、他の先輩から「井川は良い時に辞めたな。」と言われました。


工場を辞めて次の会社に入る前に萩市に行って、小学6年生の時に電波学校の講師をされていた方が今は自宅でカーオーディオの修理をされているという話を無線仲間から聞いたので、何となくふらりと訪ねて行きました。

その方はアマチュア無線連盟の役員もされていて、アマチュア無線のコンテストで自分が好成績を上げていたので、その報告書を見て自分の事をご存じで、「小学6年生の時に教え方が良かったので、自分の頭にスイスイと技術が入りました。」とお礼を言いました。

ちなみにアマチュア無線のコンテストはカーオーディオのコンテストと違って、制限時間の中で決められた条件の中で、何人の人と交信して、どれだけの数の市町村と交信出来るかを競うコンテストで、電波を出す場所とどれだけ効率を上げてバッテリーを長持ちさせるかなどの技術的な要素が必要とされています。

その時に仕事で預かっているカーオーディオのアンプの修理品の中身を見せて、「井川さん、カーオーディオを扱うのには資格がいらないので、インピーダンスを合わせるとか効率を上げるという考えが無いから、こんなに無理が来て黒くなって。」と指をさされて、「きちんと技術のある人がカーオーディオを扱ったらこんな事にならずに、効率が良くていい音が出せるのに。」と残念そうに言われていました。


この時に何となく小学生の時にお世話になった恩師の方を訪問したのがカーオーディオを生涯の仕事にする第一歩で、アマチュア無線で培った高度な技術をカーオーディオに活かすスタートラインで、「そんな人がいないのなら、自分がそれをやりたい!」と思いました。


12歳の時と19歳の時にこの電波学校での講師の方に出会って、自分の人生は良い方向に向かって行ったので、その講師の方は自分の人生において絶対に忘れてはいけない恩人となりました。

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Posted at 2022/11/21 11:36:15

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サウンドピュアディオの井川です。 福岡県・山口県でカーオーディオ専門店を営んでいます。 アーティストとのコラボレーションにより、より生演奏や生の声に...

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