最近ラジオを聞いているとラッツ&スターの『め組のひと』や幸田來未さんのカバーバージョンなどを耳にする事があります。
この『め組のひと』は1983年の4月1日にシャネルズからラッツ&スターに改名した時の最初のシングル曲で、シャネルズから通算すると10枚目のシングルとなります。
自分は1982年の10月に『カーオーディオ専門店オーディオボックス』を宇部市に開店しているので、め組のひとはオープンから1年以内というか、最初の夏が来た時のヒット曲だから特に頭の中に残っているのでしょう。
最初は4月なのに『いなせだね♪ 夏を連れてきた人♪』と季節を先取りし過ぎていてピンと来なかったのが、そこから3か月が経つと季節にピッタリ合って来て、その年にカーオーディオを購入する様な若者に好んで聴かれました。
ただよくその当時を思い出してみたら、自分は日本の曲よりも洋楽が好きで、当時から火曜日が休みだったので、月曜日の夜か火曜日の夜にディスコに行って踊っていました。
当時のディスコは洋楽以外に日本の踊れる曲も少し流れていて、『め組のひと』は女の子が好んで踊っていて、『渚まで♪ 噂走るよ♪ め♪』と指でピースマークを90度傾けたポーズを決めるというのが定番でした。
自分は何だか邦楽で踊るというのは邪道だと思っていて、ましてや『め!』のポーズなど一度もした事はありませんでした。
夏は終わって秋から冬になったぐらいに、鹿児島市の天文館に新しいディスコが出来たというので、アホな自分は山口県から車に乗って鹿児島県まで行って、月曜日に店を早じまいして夜の12時ぐらいに鹿児島のディスコに着くという弾丸ツアーをやってのけていて、若さゆえというか、本当に元気があったと思います。
そんな鹿児島市の天文館のディスコに着いたら、何と隣のソファーに鈴木雅之さんと他のメンバーが数人座っていて、最初は顔を黒く塗っていなくて白かったので分からず、声と話の内容でラッツ&スターの鈴木雅之さんと分かりました。
そしてしばらくすると店の人がお願いして、ラッツ&スターやシャネルズの曲をカラオケで少し歌ってもらえる事になって、近かったのでマイク通しのPAの声よりも本人の生声が聴こえて、もちろん追加チャージ無しで歌を聴く事が出来て、とてもラッキーでした。
確か1曲目が『ランナウェイ』で、2曲目が『ハリケーン』で、3曲目が『め組のひと』で終わりました。
ただ自分もまだ世間知らずの若造で、この生声が聴こえるという事がとんでもなく貴重という事が分かっておらず、確かに意識して鈴木さんの声を聴いていても、今の様に音造りの基準として気合を入れて聴き込むというまでは行きませんでした。
そこから次にボーカリストさんの生声を聴くには20年も先になってしまい、その時は放送局のスポンサーになった特典として生の声が聞ける位置に座れる様になったのですが、今考えたら山口県から鹿児島県まで運転してディスコに行くという、アホな事をした事によって、今毎日の様に聴いている『め組のひと』の生声バージョンを聴いたんだな、と日々のラジオを聴いてしみじみ思い出して、当時のアホさ以上に運が良かったという、青春の1ページの楽曲です。
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Posted at
2024/08/02 16:25:41