不定期シリーズの第三段の続・お客様の質問は17話となり、第一シリーズの時と比べると車の装備もオーディオも変わって来ています。
その中でCD・DVDが付いていないディスプレイオーディオ化や、本体の交換が出来ない車種が増えた事で、作業の内容も変わって来ています。
一番多いパターンは先代のお車がオーディオレスで、社外で自分の好きなナビオーディオを取り付けていたのが、新しい車に買い替えたらディスプレイオーディオになって、音調整が低・中・髙の3トーンしか付いておらず、本体のパワーアンプの押し出しが減っているという事で、前と同じシステムを移設したのに前ほどの音質にならないという不満を持たれる方が増えています。
業界的にはイコライザー内蔵のパワーアンプを取り付ける事で、パワーを倍増させてイコライザーのバンド数も31バンドになるという、一気に性能アップさせる物が多く販売されています。
ただこの手の商品はパワーが上がって細かな音調整が出来る反面、ディスプレイオーディオのスピーカー出力を中のハイローコンバーター部でレベルダウンした後に音処理を行ってパワーアップするために、レベルダウンの部分が多くの抵抗を組み合わせて落とすだけのコストが低く、コンパクトな物では音の新鮮さがかなり落ちてしまい、イコライザーは効いてパワーが上がっても元の音楽とはかけ離れてしまうので、何度も実験して内部のハンダ付けをし直してを繰り返しても理想的は状態とはとても言えないので、開発を中断しました。
それでもお客様から「前の車の方が音が良かった様な?」と言われればそこは改善しないといけなくて、以前に書き込んだ事と少し重複しますが、2カ所の改善を行う事で純正のディスプレイオーディオを使って良い音を再生する様になりました。
まず改善その1は、これまでのピュアコンは全ての回路を繋いだ時に合成インピーダンスが4Ωよりやや下回り、ヌケの良い音に仕上げていたのが、現在のディスプレイオーディオはインピーダンスが理想値からズレるとパワーが下がってスピーカーを押し切らなくなって、全ての周波数で理想力極力インピーダンスがズレない様にする努力をしないといけません。
またディスプレイオーディオやナビオーディオのクセに対応するために、細かく細分された多くの値のピュアコンを用意して、それで理想のインピーダンス値になる様に努力してディスプレイオーディオで音が良くなる様に改善しています。
ただそれでもお客様からは、「最初よりは良くなりましたが、それでも前の車に比べると・・」と、100%満足しては頂けなかったので、そこでこれは一番やりたくなかった手法ですが、ピュアコンの後付けのコイルは井川が一から手巻きで音質を上げていたのにプラスして、とうとうブラックボックス内のコイルまで一から手巻きする様になりました。
これは後付けのコイルはドアスピーカーの音域の改善になり、ブラックボッツクス内のコイルはツイーターの音域に対して改善になり、高音のヌケが良くなる事で合成インピーダンスを上げても良くなり、ディスプレイオーディオの内蔵アンプで最も効率の良い信号の送りと受けが出来て、音の新鮮さとパワフルさの両方を得る事が出来る様になりました。
文字で書くと簡単なのですが、お客様の「もう少しどうにかなりませんか?」を自分の手作業で改善して、価格はほぼそのままで音質アップを図る事が出来ました。
あえてほぼそのままと書いたのは、以前ピュアコンはノーマルタイプとRRの4000円プラスの物があって、ノーマルを廃番にして4000円プラスの物に改善を加えて音質アップを図ったので、ノーマルコンのベース価格が無くなったのでそう感じる方もある様です。
ただコストを抑えたノーマルコンは今のディスプレイオーディオの時代に合わなくなったので、廃番とさせて頂きました。
価格はそのままで自分の手作業を増やして音質を上げているのですが、店頭ではその手作業で何故音が良くなるのかという質問をお客様からよく頂きます。
ここから話が長くなるので、興味のある方のみお読み下さい。
自分が初めてコイルという物に出会ったのは小学生の時で、ラジオがどうして音が出るのか不思議に思って、親にマイキットというボードに電子パーツが沢山並んでいて、それをリード線で繋いで行ってラジオなどを組み立てるキットでした。
その時はまだコイルを巻く事はなかったのですが、いつもマイキットに付いている綺麗に巻かれたフェライトバーアンテナのコイルを見ていました。
その影響で学校の事業で電磁石の実験の時に、アルコールランプで熱して磁化しない様にした釘に、エナメルで絶縁された銅線をグルグル巻いて、その両端に電気を通して電磁石として、熱していない釘を近づけると引き寄せるというもので、他の同級生は適当にエネメル線を巻いているのに、自分はフェライトバーアンテナのコイルの様に綺麗に巻いたら、「井川君のは釘を強く引き付けるね。」と先生に褒められました。
これが自分のコイルとの出会いで、きちんと綺麗に巻いたら磁力が強くなり、先生に褒められたのが自分の電気とか電子に深く関わる様になった第一歩でした。
その後5年生まで通った山の中の小学校は廃校となって、同級生5人と一緒に町の大きな小学校に転校して、その学校の理科の先生が乗っていた日産のバイオレットに144MHzの4分の1波長のアンテナが付いていて、車内に福山電機のマルチ7という無線機が付いていて、それをしょっちゅうまじまじと見ていたら、先生から「井川君は無線に興味があるのかね?」と聞かれた事から自分の運命は変わりました。
たまたま夏休みの時期に萩市の遠洋漁業に出かける船の無線技士を養成する学校があって、そこが夏休みの間に日本アマチュア無線連盟の山口支部が借りて、無線技士の講習会をするというので行かなかと誘われました。
当時美祢市に住んでいて、萩に行くには美祢線で長門に行き、そこから山陰本線で萩まで行かないといけなくて、とても通えない距離だったので、10日ほど母方の祖父の従弟の家に泊めてもらって講習会に参加しました。
講習会の最後に試験があって、それが当時は四者択一式ではなくて、長四角の解答欄に答えを書き込まないといけなくて、後に美祢市でも講習会が行われる様になって、解答欄も四者択一になって合格率も上がった時に、中学になって免許を取った友達からは「井川君は損したね。遠くまで行かないといけなかったし、試験も簡単になったし。」と言われましたが、後で考えたら損どころか、小学6年生の頭の柔らかいうちに必死で勉強した事が、長い人生でお金に換算したらいくらになるか分からない価値になっていました。
中学1年の終わりには親からアメガヘマチュア無線の10Wの機械を買ってもらって、正月のお年玉で0・5Wの免許の要らないトランシーバーをかって資格のない友達と交信していて、そうこうしていたら隣の町の中学生とも仲良くなったりしていました。
アマチュア無線では社会人の人で車に乗っている人が多くて、自分は佐賀電子の2500円のアンテナを自転車に付けていて、ほとんど社会人は第一電波の5000円ぐらいするアンテナを付けていて、値段が高い分ほど第一電波のアンテナのコイルはしっかりとしていました。
ただ一人だけ輸入物の13000円するアンテナを付けている社会人の人がいて、その人の横に自転車を止めると、自分の2500円のアンテナではジリジリノイズが入るのが、輸入物のコイルが図太いコイルのアンテナはスパッとノイズレスで相手の声が聞こえていました。
「このコイルは凄い!」と思ったものの、中学生のお小遣いではその様な物は高根の花で、「あんな性能の良いコイルを自分で巻いてみたい!」と、それから自分の趣味のコイル巻きが始まりました。
ただいくら頑張っても輸入物のアンテナのコイルには近づかず、輸入物のアンテナは144MHzの8分の5波長で、自分が持っていたのはそれに加えて50MHzの4分の1波長も同調出来て、「じゃあ2波に同調させながら高性能のコイルを巻こう!」となりました。
そこから1メートルのエレネントで28MHzの4分の1波長に同調させるとか、21MHzの4分の1波長に同調させるとか、色々なコイルを手作業で巻く様になって、高校生になるまではコイルを巻いてはほどいて繰り返して、良いコイルとは何か?と追及していました。
高校生になってからはコイル巻きよりはインピーダンスの変換の方に興味が出て来て、50Ωと50Ωのアンテナを並列に接続して、その間に75Ωのケーブルをある波長に合う長さに切って接続して、合成インピーダンスが50Ωになる様にするとか、それを更に2つ組み合わせても直流抵抗だと常に2分の1になるのが、インピーダンスになるとそれが直流抵抗の合成した値とは周波数によって別な値にあるという実験をしていました。
高校生になった時に美祢市から山を二つ越えた所の楠木町舟木の進学校に通う同級生と電波を通じて知り合って、一緒に実験したり上の級の資格を勉強して取りに行ったりして、3級は四者択一の試験だったのですんなり通って、その上の2級は記述式になって科目も4項目あって、友達は1回で4項目全て合格点が得られて、自分は2項目だけ科目合格となり、1年以内に残りの2科目をもう一度広島まで受けに行って合格しました。
友達は理系の進学校だったので計算問題は得意で、自分は工業高校の電気科だったので苦手な部分があって、無線工学のインピーダンスなどの計算問題は2回受けので、かなり頭の中に残っていて、それでインピーダンスに関しては人並み外れて得意になったと思います。
友達は1回で2級に合格して、自分は2科目合格で2回目で4科目合格となり、少しコンプレックスがあったのですが、後にその友達が京都大学に進学して、30代で助教授になって、40代で教授になったと聞いた時は「やっぱり彼は頭が良かったから、自分は付いて行くのが必死だった。」と高校時代に一緒に勉強した時の事を思い出しました。
話は現在に戻って、手巻きのコイルを使えば音が良くなるという事で、何人かに同じ材料を使って巻き方を教えて巻いてもらったのですが、何故か機械巻したコイルよりも性能の低い物しか出来ません。
性能の良いコイルとは、長さの割に得られるインダクタンス値が高くて、中で起きる微弱振動が理想的に均等に逃げて行くという2つの事で、機械巻で出来ないのはムラが少しでもあると思えば10周20週とほどいて行って原因を見つけて、そこからまたきつく巻き直すという技で、自分の仕事を疑いながら進んでは戻ってを何度も繰り返す事で機械巻には出来ない理想的なコイルを巻くからこそ、自然な良い音を表現出来る訳です。
それと常に同じ力で引っ張るという事がなかなか出来ないらしく、全く気を抜かずにじわーっと最大の力を変えないというのが、普通の人には出来ない様です。
自分のどこが悪いか見つけて修正しないと、自分の評価が甘い人がコイルを巻くと、誰も欲しくないコイルが出来てしまい、自分がよく言う『一度食らい付いたら一定の成果が出るまで絶対に諦めない!』という気持ちが無いと素晴らしい物は出来ません。
最近ブラックボックスの中のコイルまで手巻きする様になって、お客様から褒められる事が多くなって、そのコイルを巻いて褒められたのは小学生の時の電磁石の実験の時に、自分が巻いたコイルがフェライトバーアンテナのコイルを参考にして、一番磁力が強くて、それで先生に褒められたのが、良いコイルを巻きたいと思い始めた原点だと気が付きました。