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小林あにのブログ一覧

2025年11月24日 イイね!

【鳥取県】旧倉吉線廃線跡と倉吉白壁土蔵群を訪れました

2025年10月17日(金)、鳥取県倉吉市関金町の旧倉吉線廃線跡と倉吉市打吹玉川地区にある倉吉白壁土蔵群を訪れました。

さて、2025年10月15日(水)夜に山口県へと長距離ドライブに出発。翌16日(木)は、山口県萩市の市街地にある旧所・名跡、鹿背隧道、旧桂ヶ谷貯水池堰堤を訪れました。

その後は帰路の途中、広島県の真っ暗闇な山の中で駅を3か所巡った後、日付が変わった17日(金)深夜、眠気がひどくなり中国道大佐SAで休憩・仮眠となりました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

17日(金)早朝夜明け前、目が覚めると大佐PAはもやに包まれていました。


帰宅するつもりで中国道に乗ったわけですが、「もう夜が明けるなら、ここから旧倉吉線の廃線跡へ行ってみるか。」と予定変更。朝6時、大佐SA併設のスマートICから高速を下りて、約70km先の旧倉吉線廃線跡へと向かいます。


旧倉吉線廃線跡へと向かい出発したわけですが、もうしばらく道すがらにある駅へと立ち寄ってみることにします(笑)。

こちらは丹治部(たじべ)駅。JR姫新線の駅です。






続いて訪れたのは刑部(おさかべ)駅。同じく姫新線の駅です。


切符販売の窓口があるので、かつては有人駅だったようですね。


ホームへ出てきました。先ほどの丹治部駅と違い、2面2線のホームがある列車交換駅ですね。


ホームの駅名板。


反対側のホームには、きちんと待合室が設置されていますね。


ホームの端まで来ました。本線から分岐して保線車両用の側線があります。元は貨物用の側線だったかもしれませんね。


反対側のホームへも行ってみます。


「141.1km」のキロポストがありますね。姫新線の起点は山陽本線の姫路駅。ちなみに、「新」は伯備線の新見駅のことです。


反対側のホームの端まで来ました。この駅は線路有効長(列車が安全に停車できる距離。)が長いですね。かつては、それなりの長さの列車(特に貨物列車)が運行されていたことが窺えます。


この後は、岡山県道32号で真庭市勝山へ出て、ここからは旭川(岡山市街地へと流れていく岡山県下の大河の一つ。)に沿って国道313号を走行。岡山・鳥取県境を延長2626mの犬挟トンネルで越えると、麓の倉吉市関金へと向かって一直線に下っていきます。

8時10分、「旧国鉄倉吉線廃線跡 せきがね廃線跡観光案内所」に到着しました。営業開始は10時からなので、駐車場には誰もいませんでした(平日ということもあるかも。)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは、旧倉吉線の終着駅だった山守駅の駅名板と関金駅にあった腕木式信号機。


それでは廃線跡を歩いて行きます。


廃線跡を歩き始めてほどなく、線路と築堤が無くなっていました。




しばらく「廃線跡」の跡に沿って進んでいきます。


レールがありました。でも、舗装されてしまっていますね。


さらに進んでいくと、廃線跡が復活。この辺りは線路敷に入るのはよろしくなさそうだったので、並行する道路を歩いて行きます。




「大九寺まえ」の看板。かつてこの場所に駅があったわけではなく、廃線跡を訪れる観光客に対して、「ここにある駐車場はお寺の駐車場だから、指定の駐車場を利用してね。」という注意喚起の看板です。


開渠が残っていますね。


跨道橋の跡。廃線跡はこの先で薮になっています。


跨道橋跡を通り過ぎてすぐの所に泰久寺駅跡への入口がありました。


泰久寺駅跡のホームと説明板。




レールの間に木板が敷かれていますね。


泰久寺駅の駅名板。だいぶかすれているので、廃止当時から放置されたままなのかな。


反対側からホームを眺めます。


「溝あり注意」の標識。板が敷かれているので、問題は無さそうです。


「マムシ注意」の看板。


板敷きが終わってしまいました。まあ、私は板敷きが無い方が雰囲気が出て良いですが(笑)。


1985年(昭和60年)4月1日に廃止されて、早40年と6か月。線路敷の中だろうと、こんな太い木が生えますよね。


機器用ボックスが残されています。中の機器は撤去されているでしょうが、南京錠で施錠はされていました(笑)。


線路脇に標識が残っていました。黄色地に斜線で表されるこの標識は、惰行運転を指示する「惰行標」のようです。


近頃は「日本一美しい廃線」と称される旧倉吉線廃線跡。そのように呼ばれるきっかけとなった竹林に到着しました。


案内板も設置されています。


ネットを検索すれば綺麗な写真がたくさん閲覧できますが、私が撮れるのは単なる記録写真です(笑)。








竹林を通過すると、小さな沢を渡る橋梁があります。名称は「馬糞谷橋梁」だそうです。


横から覗いてみたらコンクリート造の桁橋ですね。関金~山守間は、1958年(昭和33年)に開通しているので、当然ですかね。


橋梁を渡ると左へカーブしていきます。


そしてカーブの先にトンネルがありました。


「山守トンネル」です。延長は107m。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

このトンネルは、ツアーイベントに参加すると通り抜けできるようですね。


さて、観光案内所へと戻ることにします。








観光案内所を通過して、反対側の末端へと来ました。その先は道路になっています。もしかしたら、現在廃線跡で残っている部分も道路になっていたかもしれませんね。実際、築堤が削られていた箇所もあるわけですしね。


ここにも説明板が立っていました。


旧倉吉線は山守駅で終点でしたが、正面に見えるあの山並みを越えて、真庭市勝山で姫新線へとつながる「南勝線」が計画されていました。しかし、旧倉吉線が廃止されることが決定したことに伴い、その計画は中止されてしまったそうです。


観光案内所へと戻ってきました。


旧倉吉線廃線跡を訪れた後の予定を決めていなかったので、「近くに名所・旧跡のようなものがないかな。」と検索したところ、倉吉市打吹に白壁土蔵群があるとわかり、立ち寄ってみることにします。

倉吉市役所にある観光駐車場に駐車して、徒歩で白壁土蔵群へと向かいます。


「玉川と土蔵群」とある説明板。


街中をぐるぐると歩き回りながら、いろいろな建物を見て回りました。














Posted at 2025/11/24 21:37:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2025年11月21日 イイね!

【山口県】鹿背隧道と旧桂ヶ谷貯水池堰堤

2025年10月16日木曜日、山口県萩市にある「鹿背(かせ)隧道」と山口市にある「旧桂ヶ谷貯水池堰堤」を訪れました。

さて、萩市街地の名所・旧跡を巡った後、山口県道32号を南下。悴坂(かせがさか)峠にある「萩往還トンネル」の旧道へと入ってきました。


車を停めて、徒歩で鹿背隧道へと向かいます。途中、山の上へと登っていく階段が分岐しています。


悴坂峠へと登っていく旧街道「萩往還」です。萩往還は、毛利氏の居城がある萩と瀬戸内海の港町である三田尻(現:防府市)を結ぶために慶長9年(1604年)に整備された街道です。同じく萩と防府を結ぶ国道262号が現代の萩往還とも言えます。


萩往還を分岐してすぐにトンネルが現れました。鹿背隧道です。こちらは南側の坑口となります。


鹿背隧道は、萩往還の後継となる仮定県道の改修工事の一環として明治16年(1883年)7月4日に着工。明治17年(1884年)5月25日に竣工したそうで、延長は182mです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは戦前の旧版地形図です。

※ひなたGISより引用。

扁額です。「鹿背隧衜」と彫られています。「道」ではなく「衜」という文字が使われていますが、「道」の異体字のようです。


トンネル坑内へと入っていきます。トンネルの内部は総石積み。総石積みトンネルで今までに訪れたことがあるのは、伊豆半島の天城山隧道(現役)、愛知県の伊世賀美隧道(現役)、三重県の長野隧道(廃止・閉塞)といったところですね。


一応、一般車両通行可の現役トンネルですが、内部照明は無し。車に常備しているLEDライトを点けて進んでいきます。


古い煉瓦トンネルでよく見かける「白華現象」により、壁面が真っ白になっています。


アーチ部分。記録によると、トンネル内部の石の巻立ては、明治17年(1884年)2月25日から5月26日にかけて施工したとあります。


しかし、トンネルの竣工日は5月25日なので、1日分食い違ってます。巻立ての工事日数は90日間と記載されているので(5月25日までなら90日。)、25日を26日と誤植したのかもしれません。

壁面にフックが取り付けられています。電線か電話線でも通していたのでしょうか。


反対側の坑口へと来ました。




北側(萩側)の坑門です。両坑門は、明治17年(1884年)4月14日から5月25日にかけて施工されています。


こちらの扁額は、苔に覆われてしまって全く見ることができません。


もうしばらく萩側へと進んでいくことにします。


斜面に設けられた石造りの排水溝。こういう造形も好みですね(笑)。


切り通しにある石積みの土留め擁壁。先ほどの排水溝は整形された石を用いていましたが、こちらの土留め擁壁は不整形な石をうまく組み合わせて積まれています。


悴坂峠を越える萩往還の萩側の分岐です。ここで引き返すことにします。


トンネル前まで戻ってきました。手前の切り通しは、少しでもトンネル延長を短くするために掘削されたのでしょうね。


トンネル内の排水溝。建設当時から設けられていたのかはわかりませんが、その可能性は高いかと思います。


壁面に何か所もチョーク書きがあります。トンネルの安全性を検査した際の痕跡でしょう。




アーチ部分の石の大きさが不揃いで、列が歪んでいますね。それでも隙間なくきちんと組まれているので、しっかりとすり合わせて積んだのでしょう。一定の規格で石を整形してから積んだ方が良いと思うのですが、明治時代のトンネルでは時折こんな状況を見かけますね。


壁面に段差がありますね。土圧でアーチに歪みが出てきているのでしょうか。




これも近づいて見てみると、きちんと石を削って滑らかに整えてありました。この箇所の前後でアーチの大きさが微妙にずれてしまって、調整したのですかね。


南側の坑口へ戻ってきました。


このまま駐車した車の前を通過して、もうしばらく先へと進んでみます。




萩往還が分岐していきます。ここから萩往還は谷筋を直線的に通って、麓の明木集落へと向かっていきます。




小さな沢を渡る場所まで来ました。


ここにも石積みが残っています。


逆方向から眺めています。写真ではわかりにくいですが、道幅が狭くて軽四でないと通行しづらいです。


前述のとおり、この道は明治17年までに開削されたわけですが、その後は平成4年(1992年)に現在の「萩往還トンネル」を含むバイパスが有料道路として開通するまで、特に改修されることがないままでした。

これは、大正9年(1920年)に悴坂峠を迂回して、阿武川沿いに萩へと向かう現在の国道262号ルートの新道が開通したためで、鹿背隧道ルートはその後放置されてしまったようです。

※ひなたGISより引用。

それでは、次の目的地へと移動します。


次の目的地である山口市の「旧桂ヶ谷貯水池堰堤」の駐車場へとやって来ました。


駐車場からは徒歩道を歩いて行きます。雨上がりで多少ぬかるんでいましたが、その辺りは気にしないでおきます(笑)。


草地の向こう側に建造物が見えてきました。あれが旧桂ヶ谷貯水池堰堤のようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

堰堤部分がコンクリート造、建物と高欄は煉瓦造ですね。




「堰堤を渡って建物に行ってみるか。」と向かったら、堰堤内は立入禁止となっていました…。


堰堤の下側へと道が続いていたので、降りていって下側からも眺めてみることにします。


堰堤の下(と言ってもやや離れた場所ですが。)に設置されていた説明板。設置場所からして、この堰堤は元々は下流側から見学するようになっていたのかもしれません。ちなみに堰堤から下流側は草ぼうぼうになっていましたが。


見上げた堰堤。


さて、これにて見物終了。車へと戻ることにします。


この草地の谷が、かつては水道用の貯水池だったわけですね。


これで今回予定していた訪問先をすべて巡ったので、帰路につくことにします。時刻は15時50分。最寄りの山陽道 小郡ICから高速道路へ。防府市内の佐波川SAで晩御飯を食べて、そのまま19時20分まで仮眠。

その後は広島まで山陽道を走行していきましたが、「このまま行きと同じ山陽道を通るのもつまらないから、広島から中国道を通っていくか。」と、中国道へと進入。

さらに、「JR芸備線の備後落合駅でも見に行ってみるか。こんな機会でもないと来られないし。」と、JR西日本でトップクラスの赤字路線である芸備線と木次線の分岐駅である備後落合駅へ立ち寄ることを決定。山奥にあって夜の暗闇でまともに見物できるのかもわからないのに(笑)。

中国道 庄原ICで高速道路を下りて、そこから国道183号を走ること約25km。

22時45分、備後落合駅に到着しました。駅舎・駅構内とも真っ暗ですね…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「そういえば、途中に明かりが点いていた駅があったなぁ。」ということで、引き返すことにします。

備後落合駅から三次方面への隣駅となる比婆山駅へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅舎内の様子。この雰囲気、事務室側は目張りされてしまっているようですね。




時刻表。さすが路線維持が危ぶまれるほどの赤字でよく知られたローカル線。やはり本数は少ないですね。


ホームへと出てみます。線路は1本しかありませんが、反対側にもホームがあるので、かつては列車交換駅だったようです。駅舎内の古写真に拠れば、貨物用ホームもあったみたいです。




ホーム側から駅舎を眺めます。


あらためてこの駅名板を見てみると、古い時刻表を再利用したものでした。読み取れる列車名と時刻をもとにネットで検索してみたところ、どうやら昭和33年(1958年)11月以降に設置された岡山駅の時刻表のようです。ある意味、貴重な資料だと思うので、駅名板を更改する時には破棄せず保存してほしいものです。


※38列車 急行霧島 4時48分着、32列車 急行阿蘇 6時42分着、302列車 急行宮島 12時44分着の3列車の運行ダイヤで突合しました。ちなみに昭和33年(1958年)11月ダイヤ改正では東京〜博多間の特急「あさかぜ」が20系客車での運用を開始し、寝台特急のブルートレイン時代が幕を開けました。

※現在の時刻表は発車時刻・行き先表記が普通ですが、この時刻表は到着時刻・始発駅が記載されていました。最初はその事に気付かず、調べるのにだいぶ手こずってしまいました(笑)。

ふたたび高速道路に乗り直そうと国道314号を走行していたら、またしても明かりが点いた駅舎を発見。道後山駅です。今の時刻は23時45分(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらの駅舎も地元の方がいろいろな物を飾っています。


この駅もかつては列車交換駅だったようですね。列車本数が減って、線路を撤去したのでしょうね。




道後山駅の駅舎。やや離れた場所に小さな集落はありましたが、駅周辺は本当に真っ暗でした。


引き続き国道314号を走行し、中国道 東城ICからふたたび高速道路へ。しかし、いよいよ眠気が辛くなってきて、10月17日(金)午前1時、ついに力尽きて大佐SAで仮眠することに。結局、そのまま朝まで寝てました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※おまけ
鹿背隧道の開通について、山口県が行った報告が明治17年(1884年)9月8日付け官報第360号に掲載されていたので、興味がある方はどうぞ。旧字体の漢字や古めかしい言い回し・用語が多いので読むのは少々大変ですが、内容を汲み取ることは十分できますね。

〇隧道開鑿(山口縣報告)
山口縣阿武郡萩ヨリ美禰郡大田ヲ經テ吉敷郡上郷ニ達スル路線中 明木村字鹿背ヶ阪ノ隧道 本年五月竣工セルヲ以テ 去ル七月十七日開通式ヲ行ヘリ 抑く鹿背ヶ阪ハ萩舊城市ノ南里ニ在リ縣下北部ヨリ南部ニ達スルノ咽喉ニシテ崎嶇險嶢物貨運輸ノ便ヲ遮斷ス 既ニ前後ノ道路改修ヲ竣ルモ此ノ險阪ヲ平夷ナラシメサレハ九仭一簀ノ歎ヲ免レス 茲ニ於テ隧道開鑿ヲ企圖シ昨年七月業ヲ創メ本年五月功ヲ竣ヘタリ 隧道ハ長六百尺高拾三尺幅拾四尺其ノ工事ノ景況ヲ略述センニ岩質ノ軟硬一ナラス掘鑿一晝夜多キハ七尺少キハ六寸ニ過キス然リト雖全体ノ巖質堅硬ナルヲ以テ兩口合セテ拾六間五分ヲ除クノ外更ニ巻石等ノ工事ヲ用ヒス坑中多少ノ出水アルモ巖石ヲ破碎スル「ダイナマイト」「ゼラチン」ヲ併用シ發火ハ電氣器械ヲ以テシタレハ工事上敢テ支障ナシ 右「ダイナマイト」「ゼラチン」兩火藥ノ効力ヲ實驗シ優劣ヲ比較スルニ「ゼラチン」ノ「ダイナマイト」ニ優ル凡五割ノ利アルヲ知ル 坑路ノ方向ハ東南ノ間ヨリ西北ノ間ニ出テ眞直ニシテ地盤無勾配ナルカ故ニ日光能ク徹射シ洞内明ニシテ更ニ點燈ヲ要セス 洞門ノ兩口ハ斫石ヲ以テ甃ミ南門ノ頂上大理石ノ額ヲ嵌レ鹿背隧道ノ四大字ヲ彫ル 工業日ヲ閲スルニ三百廿七日工ヲ役スル壹萬八千百貮拾貮人六分金ヲ費ス 壹萬三千四百七拾壹圓七拾貮餞ニシテ其ノ金圓タル地方費及地民協議費有志醵金國庫補助金等ヲ以テスト雖全路線ノ改修費ト合算スルカ故ニ獨此ノ隧道ノ工費ノ細目ヲ分チ難シ 舊藩主毛利元徳モ亦壹千金ヲ寄送シケレハ之ヲ洞門甃石ノ工費ニ充テタリ
※「大蔵省印刷局 [編]『官報』1884年09月08日,日本マイクロ写真 ,明治17年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2943565 (参照 2025-11-21)」より。
Posted at 2025/11/21 00:16:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2025年11月16日 イイね!

【山口県】萩市街地の観光地を巡ってきました

2025年10月16日(木)、山口県萩市の市街地にある観光地を巡ってきました。

唐突ですが、実は職場の同僚の都合により、この週の出勤日と翌週の休暇日との入れ替えがあって、私は急きょ木曜日から月曜日まで5連休となりました。「5連休なんてめったにない事だから、長距離ドライブに出かけよう!」と思い立ち、5月の連休の時は山形県へ行ったので、今度は西の方へと向かうことにしました。

「山形県までの距離と同じくらいだと山口県か。それならだいぶ昔に行ったけど、また萩市へ行ってみるかな。全然忘れてしまっているし。」というわけで、萩市を目的地としました。

自宅を15日(水)22時30分頃に出発。伊勢湾岸道~新名神~名神~新名神~山陽道と経由し、山口県へと向かいました。途中、山陽道 淡河PA、吉備SA、宮島SAで1時間づつ仮眠。

吉備SA(岡山県岡山市北区)。


宮島SA(広島県廿日市市)。


自宅を出発してから約12時間半後、最初の目的地である萩城跡に到着しました。萩城跡は、長門・周防2か国を治めた毛利氏の居城の跡です。到着時の天気は小雨。天気ばかりは仕方ありません…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

城主だった毛利氏は、豊臣政権の頃には中国地方8か国112万石を領有する大大名でしたが、関ケ原の戦いで西軍の総大将を務めたことが徳川方から咎められ、周防・長門36万9千石へと大幅な減封処分を受けます。

そのため、安芸国広島(現:広島市)にあった居城 広島城も追われることとなり、当時日本海沿いの一寒村であった萩に新たな居城を築城することとなりました。

城跡の背後に聳えている山は指月(しづき)山。標高は145mで、山頂には萩城の詰城の役割を担った城郭跡が存在しているそうです。


こちらは萩城の説明板。明治時代に解体されてしまった天守の古写真が掲載されています。


かつては塀が存在した石垣の上に登って、天守台を眺めます。


天守台まで来ました。


天守台の上には天守の礎石が並んでいます。


天守台から城内へと入ってきた御本丸御門跡前の橋を眺めます。


城内にある志都岐山(しづきやま)神社へとやって来ました。この神社は、長州藩主であった毛利氏歴代を祀るために明治12年(1879年)に創建されたそうです。




万歳(ばんせい)橋。


この橋の下にヌートリアがいました(笑)。望遠で撮るしかなかったので、ピンボケしています。


志都岐山神社の社殿。




東園(とうえん)。城内にあった庭園の跡です。


城跡から菊ヶ浜を眺めます。


こちらは、旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋です。ここは厚狭毛利家の萩城下の屋敷跡で、安政3年(1856年)に建てられたこの長屋が、屋敷跡で唯一現存している建物だそうです。




さて、続いては市街地の東部にある松陰神社へとやって来ました。吉田松陰を主祭神とする神社です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは境内に保存されている「松下村塾」。




松下村塾の説明板。


この小さな建物で、幕末から明治維新への時代の変革を担っていった多くの人々が、切磋琢磨しながら学んでいったわけですね。






こちらは、アメリカ船への乗船に失敗した吉田松陰が、江戸から萩へと送られてから幽囚されていた部屋だそうです。




松陰神社から歩くこと5分程、今度は初代内閣総理大臣である伊藤博文の旧宅へと来ました。


外観から想像したよりも部屋数が多いですね。


伊藤博文旧宅の説明板。


萩市街地で最後に訪れたのは、萩反射炉。西洋式の金属溶解炉で、鉄製大砲製造のために導入されたものです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

萩反射炉の説明板。


国道191号沿いの駐車場から階段を登っていくと反射炉があります。




ちなみに、静岡県伊豆の国市の韮山反射炉を見物したことがありますが、韮山反射炉の外観は総煉瓦積みでした。


一方、萩反射炉は上部の一部だけが煉瓦積みで、外観のほとんどは石積みとなっています。その見た目のためか、風化が進んでいるように見えてしまいます。


萩市街地での観光地巡りはこれにて終了。次は、萩市街地の南側にある峠に残る古いトンネルを見物しに向かいます。
Posted at 2025/11/16 22:14:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年11月11日 イイね!

【富山県】黒部ダムへ出かけてきました

2025年10月12日(日)、家族4人で富山県立山町の黒部ダムへと出かけてきました。

当日は午前2時に自宅を出発。何度かの休息を挟みつつ、7時半頃に黒部ダムへの最寄りとなる長野県大町市の扇沢駅へと到着しました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

扇沢駅からは、電気バスに乗って関電トンネル(延長:5,430.6m)を通り抜け黒部ダムへと向かいます。電気バスは黒部ダムへと向かう唯一の交通手段のためにやはり混雑していて、結局、9時発の便まで順番待ちすることになりました。

9時にようやく扇沢駅を出発。長大トンネルの中を走るバスに揺られること約15分、黒部ダム駅に到着です。




駅からダムまでは、トンネル内を徒歩で進みます。




自宅を出発してから約7時間半、やっと黒部ダムに到着しました。このダムを訪れるのは、母・姉・私は2度目ですが、弟は初めてになります。




黒部ダム周辺の地形図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

背後の山の斜面には、巨大なコンクリート構造物が聳え立っています。ダム建設時の遺構でしょうか。


ダム周辺の山の斜面は、補強のためか相当な高さまでコンクリートで固められています。


ダム湖を眺めています。穏やかな天気だったので、湖面も凪いでいます。


ダム堰堤から放水を眺めます。この放水は、黒部渓谷の景観維持のために実施されている「観光放水」だそうで、毎秒10トン以上を放水しているそうです。


ふたたび黒部ダム駅側を振り返っています。扇沢駅からのトンネルが貫通する山は巨大な岩山ですね。


反対側からも放水を覗き込んでみます。


ダム堰堤を反対側まで歩き通して、富山側にあるケーブルカーの駅「黒部湖駅」前へとやって来ました。団体客が多くて、なかなか混雑しています。


黒部湖駅前からは、黒部川上流方向へと延びるトンネルを進んでいきます。


トンネルの湖畔側の坑口は、車両が曲がりやすいようにカーブが付けられています。珍しい構造ですね。


吊り橋が見えてきました。


橋の名称は「かんぱ谷橋」とあります。すでに母が渡っていってしまっているので、私も橋を渡って追いかけます。


対岸側からの眺め。


湖畔の山の上に巨大な箱型のコンクリート建造物が残っています。


黒部ダムのダム堰堤まで戻ってきました。


富山側の山を眺めています。たぶん「立山」だと思うのですが、よくわかりません。


何気にあちらこちらとダムを訪れていますが、黒部ダムは周囲のスケールが違いますね。


コンクリートで固められた斜面に付けられた階段を、大勢の観光客が行き来しています。元々は巡視路なんでしょうが、あんまり行く気にはなりませんね(笑)。


母・姉・弟がレストハウス前で休憩したいる間に、一人、ダムの下方にある展望台へ行ってダムを眺めます。




殉職者慰霊碑。黒部ダムの建設中に171名が亡くなられたそうです。


帰りのバスの待ち時間にまだ余裕があったので、今度はダムを見下ろせる展望台まで登ってきました。


真ん中に見える建物は、立山ロープウェイの大観峰駅でしょうか。


扇沢駅まで戻ってきました。駅前の駐車場には、私たちが朝到着した時と相変わらずにたくさんの車が駐車しています。


駅併設のレストランでダムカレーをいただきました。


ここで、「どこか他に寄り道していくかどうしようか。」という話になり、姉が「展望の良い山があるそうだから行ってみよう。」と言うので、行ってみることにしました。

やって来たのは、大町市街地の東側にある鷹狩山。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車場の近くに長い石段がありました。山の上にある金毘羅神社の参道のようです。


石段を登るのは大変そうなので、道路を歩いて行きます。


山頂の展望台に到着しました。




展望台からの眺め。眼下に大町市街地が広がります。西日で、雲も出てきていたので、北アルプスがかすんでしまっていたのは残念でした。


この後は道の駅へと立ち寄って小休止してから、長野道 安曇野ICから高速へ。進んでいくと、岡谷IC~岡谷JCTの車線規制工事による渋滞が酷いことになっていたので、結局、塩尻北ICで高速を下りて、国道153号善知鳥峠を越えて、伊北ICからふたたび高速へと乗り直し。

小黒川PAで晩御飯を食べてから、中央道を名古屋方面へと進んでいましたが、今度は恵那山トンネル内で重大事故が発生していて、飯田山本IC~中津川ICが通行止め。早めに飯田ICで国道153号へと下りましたが、迂回路が国道153号しかないので結局国道も渋滞に。

ジリジリとしか動かない状況となったため、ナビを頼りに国道151号まで移動。新野の道の駅まで進んでから国道418号へ入り、平谷村でふたたび国道153号へと合流。稲武・足助と経由して、日付が変わる頃にやっと帰宅しました。
Posted at 2025/11/11 01:11:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年11月02日 イイね!

新車「エブリィワゴン」でドライブしてきました(2)

2025年10月4日土曜日、今度は母と姉を誘って、2回目となる新車「エブリィワゴン」のドライブへと出かけてきました。行き先は、先週に弟とドライブした時と同じ目的地である浜松市天竜区の山住神社です(笑)。

山住峠にある駐車場からの眺め。どんよりとした曇り空で、あまり良い眺めとは言えませんね。


山住峠にある鹿の案内板。


「山住峠」の標柱。標高1107mとあります。けっこう高い場所だったんですね。


今回も山住神社へお参り。ちなみに門前の飲食店はお休みでした。日曜日しかお店を開けていないのかもしれません。


神門をくぐって境内へ。先に入っていった二人は、巨大なご神木を眺めています。






神社の拝殿。


境内を散策していたら雨がパラついてきたので、車へと戻りました。水窪から続いている谷間は、雲で覆われてしまっていました。


今回も山住峠から東側にある門桁集落へと峠を下り、門桁集落からは気田川に沿って走っていきます。

先週は素通りした気田川の明神峡へちょっと寄り道。一番見応えのある場所は道幅が狭くて路駐できる場所がなく、やや通り過ぎた場所で停車。


この場所に「明神峡」の標柱が立っていました。


気田川の中には巨岩がゴロゴロと転がっております。




この場所は、紅葉の時期に来るととても綺麗そうですね。


この後は国道362号へと合流。浜松市天竜区二俣を経由して、新東名 浜松浜北ICから高速道路に乗って帰宅しました。
Posted at 2025/11/02 20:24:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「旧倉吉線廃線跡と倉吉白壁土蔵群を訪れました http://cvw.jp/b/1796277/48784301/
何シテル?   11/24 21:37
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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