9月25日水曜日、本日は仕事がお休み。午前中は用事を済ませ、午後から岡崎市内の神社・旧跡を巡ってきました。
最初に訪れたのは、名鉄東岡崎駅近くにある六所神社。
徳川家康の産土神として徳川幕府から崇敬されたそうです。
楼門。貞享5年(1688年)の建立で、国の重要文化財に指定されています。
楼門をくぐると拝殿があります。
拝殿・幣殿・本殿及び神供所は、三代将軍徳川家光の命により改築されたもので、寛永11年から13年(1634年から1636年)に造営されたもの(いずれも国の重要文化財。)。
要所に彫金や彫刻、極彩色をあしらっているところに東照宮など家光が関わった寺社建築と同様な美意識を感じます。
周囲を透塀に囲まれているので、本殿は屋根しか見えません。
こちらも屋根の妻面が豪華に装飾されています。
一方、いたって地味な神供所。神饌を用意する場所だそうです。
地味な建物ではありますが、鮮やかに塗られた彫刻が軒下を取り巻くように飾られ、アクセントになっております。
楼門にも、建築時代は違いますが、同じ雰囲気の彫刻が飾られています。
建物群は立派ですが、小さな境内なので見物するのはあっという間。楼門下の急な石段を下り、次の目的地へと向かうことにします。
さて、次にやって来たのは、岡崎市伊賀町にある伊賀八幡宮。
こちらは徳川家の先祖である松平家の氏神で、徳川家康、徳川家光が社殿の改築にあたっています。
随神門。国の重要文化財に指定されています。
神橋。石橋でこちらも国の重要文化財。渡ることはできません。
神橋が架かる池は蓮の葉で埋め尽くされています。池の形は長方形で、寺社の庭園の池を思うと珍しい形状だと思います。
六所神社同様にこちらも大きな楼門です。
「八幡宮」の扁額。
門内へと入ると正面に拝殿が見えてきます。
実際には、拝殿の遥か手前に柵が張られているため、近づくことはできません(多分、一般的な参拝の場合は。)。
神供所。拝殿・幣殿・本殿とともに国の重要文化財に指定されています。六所神社の神供所と同様にほんのわずかな装飾だけが施された地味な建物です。
神社の周囲を木々が覆っているので気になることはありませんが、実は市街地の真っただ中にあります。
さて、何とか本殿を眺めることができないかと神社の周囲を歩いてみましたが、1か所だけ、木々の隙間から望遠で撮ることができました。
六所神社よりは修理から時間が経って色褪せしているようですが、こちらも極彩色の文様が施されていました。
伊賀八幡宮と六所神社は、どちらも徳川家光の命により改築され、改築時期や担当した責任者も同じだそうで、大まかな点で似た雰囲気になっているそうです。
最後に正面の石鳥居(これも国の重要文化財。)から撮りました。
最後に向かったのは岡崎城。徳川家康の生誕地ですね。
こちらは駐車場の脇にある東南櫓(木造再建。)。
大手門(木造再建。)から城内へと入っていきます。
ちなみに、大手門の前を国道1号が通っています。
場内に入るとすぐに再建天守がチラリと見えてきます。
天守へ向かって歩いていくわけですが、ここで見えてくるのは街中にあるお城とは思えない堀の深さですね。
途中、天守の全景が見える場所があります。というか、多分、ここだけしか見えないと思います。
また深い堀の横を歩いていきます。
本丸にある龍城神社に出てきました。初詣で毎年来ています。
天守の出入り口にやって来ました。前にそびえ立つ松の木が微妙に邪魔をしてくれています(笑)。
元々の天守は、明治6年(1873年)の廃城令により取り壊され、現在の鉄筋コンクリート造の天守が昭和34年(1959年)に再建されました。中はちょっとした博物館になっています。
最上階からの眺め。
しつこく天守を撮ってみます(笑)。
帰りは、乙川沿いの水堀を辿っていきます。
水堀の端を回ってくると東南櫓が見えてきます。
結局、ここでしか全景は撮れなさそうです。
最後に公衆電話ボックス。
3か所回って2時間ちょっと。徳川家絡みだと岡崎市内では大樹寺(徳川家の菩提寺。)もありますが、そちらは最近訪れたことがあるのでパス。日光、久能山と行って、地元でも徳川家康・家光関係をこれで回れたので、一旦、締めになるかなというところですね。
Posted at 2019/09/26 00:19:12 | |
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