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小林あにのブログ一覧

2020年07月26日 イイね!

浜松市天竜区佐久間町浦川吉沢の里道を探索する

2020年7月26日日曜日、浜松市天竜区佐久間町浦川吉沢にある里道を探索してきました。

探索した里道は、浜松市道路台帳図に法定外公共物「浦川25号線」として掲載されているもので、相川沿いを通る静岡・愛知県道9号に並行するルートとなっています。

県道9号に並行する里道ということは、県道9号の前身となる徒歩道ではないかと思い、あいにくの天候ではありましたが行ってみた次第です。

今回歩いたルートは、地図中の赤色の破線になります。



スタート地点は、県道9号と県道390号の交差点。



交差点から北へ100m程進み、右側の斜面へと取り付いてよじ登ります。



県道9号からはこれくらいの位置。



道跡らしきものが続いています。斜面の傾斜がきついので、上からの土砂で道が埋没してしまった感じです。



一応、跡を辿っていけそうだなと進んでいったところ、



早くも崩落していました…。



ここを直進するのは無理なので、上部へと迂回。

続きの部分へと出てきました。はっきりはしてきましたが、やはり道跡は傾いていますね…。



また道跡が消えてしまいました。ここも高巻きして迂回します。



再び道跡へと戻ってきました。



沢を渡ります。辺りを見回してみましたが、橋台らしきものはないようです。



測量用の杭ですね。ひとまずルートは間違っていないようです。



この辺は、倒木があったりしますが、きちんと道跡を追うことができます。





また崩落地に当たってしまいました。



ここの土には参りました。雨で水分をたっぷりと含んでいて、そこへ踏み込むと泥化して長靴が大きく滑り、まともに歩けないのです。

結局、ここを横断するのは断念して、上部へと迂回しました。



道跡へと復帰、奥へと進んでいきます。







道跡の頭上に巨岩。岩の下に石仏の形に似たものがあったので、近づいて覗いてみましたが、自然の石でした。



2つ目の沢です。ここも橋台らしきものは見当たりません。



沢を見上げています。こういう場所を歩いているとよく思うのですが、昔の人はどうやってこんな場所まで徹底して植林したんでしょうかね。



沢の対岸に取り付いた時に道跡がよくわからなかったので、斜面を進んでいきます。



少し進んだ所で見上げたら、道跡が5mくらい上の場所を通っていたのでよじ登って戻りました。

先の方が明るくなってきました。これは良くない兆候です。



伐採地に出てしまいました。7月23日にこの山の尾根付近を通る古道を探索した時に見下ろしていた伐採地です。



至る所に打ち払われた杉の枝が絡み合っていて、まともに歩ける状態ではありません。それでも今まで歩いてきた高さからあまり外れないように注意しながら移動していきます。





そして、ここにいる時に土砂降りの雨が降り出しました。伐採地の横断にはまだまだ時間がかかりそうですし、すぐ先には深い沢が見えています。土砂降りの中で長居するような場所ではありません。

ここで里道の探索をあきらめて、上に見えていた作業道まで登ってきました。



この写真の中央部の場所から登ってきたことになります。足場がしっかりしている所を選んできたので、時間はかかりましたが危険を感じることはありませんでした。



里道は、右側にある2つの尾根の先端部の中腹を通っているはずです。



正直、今まで歩いてきた道跡のことを思うと、頑張ってこの伐採地を横断していったとしても、見合うだけの成果が期待できそうになかったこともあきらめた理由です。

尾根を通る林道へと出てきました。7月23日に歩いた広域基幹林道地八吉沢線です。この林道で県道9号まで降りていきます。



15分程で県道9号へと出てきました。車を出発してから林道に出るまで2時間ちょっと歩いたことを考えれば、何ともあっけないものです。





全身ずぶ濡れ、ジーパン泥まみれとなって車へと戻ってきました。まあ、廃道探索の半分は、悪戦苦闘を楽しんでいるようなものだと思っていますからね(笑)。



それでも、自分が納得できる位の成果は欲しいなという欲目もあるわけです。

今回は県道9号(主要地方道)の前身道かもしれないという期待もあって探索した分、道跡の状態の酷さに落胆したところはありました。川沿いの急傾斜地を通過している、真下に県道、上部に林道や作業道がある、ということで、道跡が影響を受けている可能性は十分考えられたので、やはりそこは仕方がないのかなというところです。

代わりと言っては何ですが、今回車を停めたところから林道を登れば、15分で浦川川上~浦川吉沢間の古道の探索を断念した場所へ行けることがわかったので、こちらを日を改めて追跡してみたいと思います。

何にしても、梅雨が明けないと山深い所の探索は難しいですね。
Posted at 2020/07/26 21:54:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2020年07月25日 イイね!

浜松市天竜区佐久間町浦川川上~浦川吉沢間の古道を辿る(おまけ)

2020年7月23日木曜日、浜松市天竜区佐久間町浦川川上~浦川吉沢間の古道を辿ってきましたが、今回はおまけとしてスタート地点から1kmも進んでいない地点で入り込んでしまった、縁もゆかりもない徒歩道について書き留めます(笑)。

入り込んだ徒歩道のおおよそのルートを赤線で記してあります。ちなみに、青線が今回のターゲットとしていた古道のルートです。



距離にして片道約1km。平地の1kmならば大したことも無いのですが、この間に小さな峠を2つ越えています。そして、赤線と青線を見比べれば、全く見当違いの方向へ進んでいたこともお分かりいただけると思います(笑)。

それでは、本題に入ります。

ここは、林道と本件の徒歩道との分岐点です。



山城跡から林道へと合流した地点で道路台帳図を見た時に、林道と古道がこの付近でふたたび交差することだけは確認していたので、この場所に来た時は何の疑問も持っていませんでした。なので、交差地点であらためて図面をチェックすることもしていません。それが墓穴を掘る原因になるとも気付かずに…。

徒歩道の入口に中部電力の高圧線鉄塔の巡視路の案内板が立っています。「西渡鳳来線」の巡視路のようです。



徒歩道へと進入していきます。



石積み擁壁があります。



今まで見てきた廃・古道の中では、こういうものは、やはりそれなりの「格」のある道でないと造りませんから、早くも頭の中は「この道が古道の続き。」という考えに染まっています。本当は徐々に方角がずれていっているのに…。

岩場に橋が架かっています。本当は石積み擁壁で道を造ってあったはずですが、崩れてしまったのでしょう。こういう時、道が巡視路に使われていると本当に助かります。





岩壁に沿って右へ曲がると連続して橋が架かっています。奥の橋の下には小さい滝もあります。



もし橋が架かっていなかったら、ここで引き返していたでしょうね。



奥の橋から先は急坂で斜面を登っていっています。



橋のたもとに制限荷重のプレートがあります。150kgとありますから、大人が二人同時に乗るのは危ないかもしれません。



渡ってきた橋を振り返ります。岩壁を削ったり、石積み擁壁を築いて道を通しています。なかなか良い景色です。



谷へと流れ落ちる小さな滝。高さ10mくらいはあるでしょうね。



橋の先の路肩にも石積み擁壁があります。この先は徒歩道らしい急坂です。



道よりも一段高い平場があったので、そこから全景を撮りました。難地形にこれだけの幅の道を通していることもあり、いよいよ古道の続きと確信します(笑)。



ここであんまり時間を掛けるわけにはいかないので、急坂を登っていきます。



切通しを通り抜けます。



切通しを抜けると高圧線鉄塔の巡視路は左へとルートを取ります。私は道の右側の山に沿って進まなければいけないので、右へと曲がっていきます。



けっこう切り立った場所を通り抜けていきます。う~ん、いいですねぇ(笑)。



路上がガレてきました。上部の斜面が崩落しているようです。



ここも道の上部から下の沢まで崩落しています。写真右下にかろうじて石積み擁壁が残っています。



で、写真に写っている倒木を跨ごうと石の上に乗ったら、いきなり谷側へとぐらつきました。とっさに石から降りて、その石を手で押さえましたが、手を放そうとすると谷へと転がり落ちてしまいそうです。

仕方が無いので、慎重に石を持ち上げてみます。どうやら私の非力な腕力でも持ち上げられそうだったので、腰を入れて持ち上げて山側の路肩に置きました。



はあ~、これはちょっと迂闊でした…。もしも持てない程の重い石だったら落石させていたかもしれませんし、それ以前にバランスを崩して自分が谷へと滑落していたかもしれません。



気を入れ直して先へと進みます。

ほどなく開けた場所へと出てきました。



山深さを感じさせる風景です。こんな場所を一人で歩いているわけです。



景色が開けたのは伐採地に出たからでした。



この伐採地、通り抜けるのに少々難儀しました。



道跡は続いていますが、幅は30cm程度。地面は乾いて固まっており、道跡自体が谷側へとやや傾斜している部分も多く、そこに石が転がっている状況。足を滑らせたら、岩や切り株にぶつかりながら滑落することになるので、けっこう緊張を強いられた場面でした。

ひとまず無事に伐採地を通過しました。



なかなかごつい石積み擁壁。



林の中に入ると、徒歩道は沢沿いに進んでいきます。



沢の合流地点まで来たところで獲物を発見(笑)。石積みの橋台です。



これまた徒歩道への(この時点では古道への。)期待をさらに膨らませてくれる遺構です。







沢の中から両側の橋台を撮ります。



ついでにここで顔を洗い、腕にも水を掛けて冷やします。暑い時期の探索には、本当に沢の水は重宝します。手持ちの水分を使うことなく、汗を流したり体を冷やしたりできますからね。

対岸から橋台を眺めます。橋台となる部分以外は盛り土だけでも良さそうなものですが、増水時に流されないように側面を石積みで固めたのでしょう。



合流するもう一つの沢にも石積み橋台がありました。



沢に沿ってさらに奥へと進んでいきます。

沢の中に背の低いコンクリート造の堰堤があります。ここから水を引き込んでいるようです。



先ほどの橋跡でパイプが沢を越えていましたが、ここから引き込まれたものだったのですね。

道が沢に削られた場所もありましたが、気にせず進んでいきます。





もう1か所、沢の合流地点を通り過ぎ、正面に尾根が近づいてきました。

沢の流れも消え、徒歩道は沢を跨いでいきます。



そして、ここで道が消えてしまいました…。

「あれだけの橋台を設置して通している道だから、どこかに痕跡があるはずだ。」と周囲の斜面に目を凝らします。

何となく右にカーブしていく道跡らしきものが見えました。これを登っていくことにします。



折り返して、さらに上へと登っていきます。



点々と残る道跡らしきものを辿り、尾根の上へと出ました。

小さな切通しがあります。切通しと言っても単に地面を50cmほど抉っただけのものですが。



ここで初めてこの道に対して疑問を持ちました。

「道が消えるのはいいとして、歩いてきた沢から一番登りやすい尾根にある切通しがこの大きさなのはおかしい。ターゲットの古道は村と村をつなぐ道だったから、それならばもっと尾根を越しやすいように、少なくとも最初に通り抜けたサイズの切通しがあったはずだ。」

尾根を越えた先にも道跡がかろうじて残っていましたが、踏み跡のような何とも細い道…。それでも「この先に何かあるかもしれない。」と進んでいきます。



沢の奥へと続く道が無い…。



ようやくここで「道を間違ったな。」と判断しました。

「そもそも、今回のターゲットである古道は、『尾根近くを縦走する道』。いつまでたっても尾根に戻らずに山の中腹や沢沿いを進むこと自体、おかしいじゃないか…。」と。

林道からこの道に入って1時間10分ほどが経っていました。

危ない場所には注意を払いつつ、足早に林道へと戻ります。





引き返し地点から1時間後、林道へと戻ってきました。結局、2時間強の時間を間違った道の探索でロスしたことになりました…。



今回のこの間違いは、この徒歩道の状況が、私が最近よく探索する古道の状況にマッチしていたことで、ターゲットの古道そのものを辿っといるとすっかり錯覚してしまったことが原因ですね。そのために、途中で道路台帳図を確認することもしていませんでした。

まあ、滝付近の道とか、石積み橋台とかを確認できたのが慰めといったところです。

しかし、なぜこれほどの普請をして行き止まりとなる道を造ったのかという疑問はあります。地形図を見直すと、引き返し地点から先へと進んでいったとしても、標高566mの無名の山へと至るだけで、違う谷の村へとつながっているわけでもありません。

高圧線や鉄塔の建設には関係なさそうですし(鉄塔がいつ建設されたのか確認したわけではないので、全く関係ないとは言い切れませんが。)、二つ目の峠から先の道は別として、私が予想できるのは森林管理や木材搬出用に造られた道なのかなというくらいです。
Posted at 2020/07/25 21:47:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2020年07月24日 イイね!

浜松市天竜区佐久間町浦川川上~浦川吉沢間の古道を辿る(2)

2020年7月23日木曜日、浜松市天竜区佐久間町浦川川上~浦川吉沢間の古道を辿ってきました。

(1)からの続きとなります。

「高王観音経千部供養」碑の見分が済んだところで、ふたたび古道を歩いていきます。





この辺りは路面に尖った石がゴロゴロしていて歩きにくいですね。日当たりが良いのか、路上にまで薮が広がっています。





長い急坂です。浅いU字型の道が山の上へと続いています。



この辺りには、歩いている古道の左側にも堀割り道が並行しています。おそらくはより古い時代の道だと思います。



長い長い上り坂。長い距離を登り続けていますが、どこまで登っていくんですかね。



ヘアピンカーブも現れました。



堀割り道の中に丸太が転がっています。輪切りにしてあるので、そのまま倒れている倒木よりはずっといいです。



と思ったら、倒木だらけの上り坂に。脇に避けて歩いていきます。



林業用の作業道に出てきました。



ひとまずは直進していきます。



林道へと出てきました。もちろん、今までに並行していた林道とは別の道です。



林道を少しだけ右へと移動します。



道路台帳図によると、古道のルートは林道を跨いで直進しているので、道は見えませんがこの辺りから林の中へと踏み込んでみます。



中へと入ってみたら、今までで一番ひどい薮。少し隙間が空いている場所に立って周囲を見渡してみると、先が全然見通せず、真昼なのに真っ暗にしか見えない場所もあるくらい…。

「これは古道を探すどころじゃないな…。」ということで、何とか隙間を縫って林から抜け出せるルートを探します。

ようやく明るい場所へと出たところ、何と地デジのアンテナが立っていました。周囲に人家は無いので、谷底となる県道9号沿いにある人家のためのものでしょうか。



何とか林道へと転がり出ました。



今度は、ここから左側の林の中へと入り込みます。林道は右へとカーブしていますが、古道は真っ直ぐに進んでいたようです。



薮がひどいですが、道があるのはわかります。



道がある以上、歩けるのなら薮の中を突っ切って進みます。







やっと薮を抜けました。やれやれです。



またしても障害物が…。枝打ちされた杉の枝や間伐された杉の木が古道の上に充満しています…。





ここも何とがしのいで、堀割りへと入ります。



堀割りを出たところで、古道は途切れてしまいました。



また林道へと戻ります。



引き続いて、この場所から正面の薮の中へと入り込みます。



古道を追って林道の上へと出てきました。けっこう高低差がありますね。ここも林道がカーブで山を迂回するところ、古道は直進していきます。



途中、道跡が不鮮明な所もありましたが、何とか跡を辿っていきます。





小さな伐採地へ出てきました。



古道はわからなくなりましたが、取りあえず林道と同じ方向へ進みます。



林道に並行する作業道があったので、そちらへと移動します。





ふたたび林道へと出てきました。歩いているうちに随分と標高が高くなっています。地形図によるとここの標高は約500m。スタート地点が約210mなので、290mほど登ってきたことになります。



この後、さらに続きの古道を探すわけですが、この付近を示す道路台帳図に記載がある、地形を無視したような直線的な古道のルート表示にこだわって、ここから探索は完全に混乱していくことになります…。

1か所目の誤ったルート探索。





沢へと飛び出す形状の小さな尾根の上を歩いて、行き止まりとなりました。

途中まで引き返して、道のない中腹をトラバースしていきます。





2か所目の誤ったルート探索。1か所目の右隣になります。





ここも沢へと飛び出す形状の小さな尾根で、行き止まりとなっていました。

周辺が鬱蒼としていて地形が判然とせず、道路台帳図の地形との照らし合わせがきちんとできない中、一旦、林道のある尾根へと登り直します。

さらに右側の沢を見下ろすと、中腹に道があるのが見えました。そこまでたどり着く道はありませんが、木々を頼りに斜面を降りて向かっていきます。



3か所目の誤ったルート探索。ここも小さい尾根の上を行く作業道。またしても行き止まりでした…。





途中まで引き返して、さらに右側の沢へと降りていく細い廃道を進むことにします。



さらに沢沿いを下っていきます。





沢と沢の合流地点に来ました。右手の山の中腹から尾根にかけて古道が通っているはずですが、下から見上げても道形らしきものは見て取れません。



合流してきた沢は、上流側も下流側も倒木だらけで、この先、進むだけでも相当困難な状況。そして、この周辺で1時間近く探索しながら未だに希望が持てそうな展開がない。時刻は15時となり、山中は徐々に薄暗くなってきています。手持ちの水分も少なくなり、けっこう疲れも溜まってきています。

「この状況でこれ以上当てもなく歩き回っても意味がない。」ということで、この場で引き返すことに決めました。それならばと、ひとまず転がっていたコンクリート製のU字溝に腰を下ろして休憩です。

5分程休憩してから作業道を登り直し、尾根を通る林道へと戻ってきました。



車までの距離はまだまだありますが(3km強)、ここからの道はもうわかっていますし、帰り道は下り基調になるので(急坂の下りも足への負荷はハンパないですけどね(笑)。)、自分がへばったりさえしなければ戻れます。

この林道は広域基幹林道地八吉沢線と言うんですね。林道自体は大した時間歩いていませんが、通行車両や作業をする人は全く見かけませんでした。



ここから再び古道へと入り込みます。林の中はすっかり薄暗くなっています。



途中、何度も立ち止まっては水分補給したりストレッチしたりして、何とか気を紛らわしながら歩き進めました。

下側の林道との合流地点、山城跡の入口まで戻ってきました。もう一息です。



無事にこの柵まで戻ってこられました。



車に到着です。足も背中も疲れですっかり強張っています…。



今回は車を出発したのが8時50分。車へ戻って来たのが16時35分。今までの廃道歩きの中で最長となる7時間45分の行程となりました。歩いた距離を地理院地図の計測ソフトで経路を辿り計ってみたところ10km余。日常、通勤で往復3.2km、40分しか歩いていない人間が、山の中の廃道や林道をこれだけ歩き回れば、そりゃまあ疲れ切るわけですよね…。

今回辿れなかった区間については、今度は浦川吉沢側から攻めてみますかね。まあ、今のところは当分訪れる予定は考えていませんけど。
Posted at 2020/07/24 18:32:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2020年07月24日 イイね!

浜松市天竜区佐久間町浦川川上~浦川吉沢間の古道を辿る(1)

2020年7月23日木曜日、浜松市天竜区佐久間町浦川川上~浦川吉沢間の古道を辿ってきました。歩いた地域は現在は浜松市内ですが、2005年(平成17年)6月30日までは磐田郡佐久間町の町域でした。

ここを探索してみることにしたのは、今回も戦前と現在の地形図を比較してのこと。

現在、浦川川上と浦川吉沢の間には「相川」という川沿いに静岡・愛知県道9号が通っています。しかし、戦前の地形図を見ると、相川沿いの県道9号ルートは浦川川上からではなく、JR飯田線東栄駅付近の別所街道が起点となり、南方向へと向かって峠を越え、峠の直下で相川を渡り、そこからは県道9号ルートになります。

一方、浦川川上からの道は相川沿いには進まず、すぐに山の上へと登っていき、その後は尾根伝いに南下。浦川吉沢の手前で県道9号ルートに合流する経路となっていました。

山上を経由する同区間を現在の地形図で見たところ、林道が通っている区間もありますが、道の表記が全くない区間も存在していて、「手つかずの古道が長い距離残っていそうだな。」と思い、「4連休だし、長距離歩いて疲れ切っても問題無いな。」ということで、歩いてみることに決めました。

なお、探索用の資料として、インターネットで公開されている「浜松市道路台帳図」が大いに役立ちました。古道ルートが地図上に「法定外公共物」(ここではいわゆる「里道」のこと。)として表記されていたからです。

さて、今回のルートが載っている戦前の地形図です。赤線は、今回探索した区間になります。


※5万分の1地形図「本郷」。明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入。昭和7年(1932年)発行。

赤線が途中で途切れているのは、結局、浦川吉沢までたどり着けなかったからです。タイムロスが多すぎたのと、最後は古道を見失い、続きの古道をどうしても見つけることができなかったのです。

現在の地形図にも赤線で探索した区間を書き込んでみました。南北方向に長いので、2枚に分かれています。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

赤線の末端に青線が熊手状に書き込んでありますが、古道を探して最後に彷徨った場所です。ピンク線は道路台帳図での里道の経路。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

見通しが効かない中、似たような地形を1か所づつ確認していたため、時間だけ浪費した挙句、タイムオーバーになってしまいました。

家に帰ってから地形図を見返してみると、さらに西側の尾根を通る徒歩道を辿ってみるのが正解だった気がします(道路台帳図のデータしか持っていかなかったのが失敗でした。)。


さて、ここが今回のスタート地点です。長野・愛知・静岡県道1号と静岡・愛知県道9号の交差点です。まずは道路案内標識の向こう側に見える山へと取り付きます。



ここで右側の路地へと入ります。



道なりに進むと山際を通る小径にぶつかります。右へと曲がり、この道を進んでいきます。



獣害防止用の柵です。針金で留めてあったので、ほどいてから柵を開いて通り抜けます。もちろん閉めるのを忘れずに。



集落を外れるとすぐに古道の趣が出てきました。



まずはつづら折りの道を登って高度を稼ぎます。



傍らに「竪堀」の案内板。この山には山城があったようです。山の上部に向かって浅くU字型の堀が刻まれています。



山城跡の中腹を巡るように進んでいきます。





尾根が細くなっている所へ出てきました。ここにも「竪堀」の案内板があるので、防御のために尾根を掘り込んだものかもしれません。



ここに「鶴ヶ城跡」の案内板が立っていました。



インターネットで検索すると、この山城は武田軍と徳川軍の攻防の渦中に置かれた今川方に付く地元の国人領主が、1565年(永禄8年)頃に築城。1568年(永禄11年)に徳川方に付く近隣の国人領主達に攻撃され落城したそうです。各所に案内板が設置されているので、山城好きな人にはそれなりに知られた城跡なのでしょう。

山城は私も興味がありますが、今回は古道探索なのでこのまま通過。先へと進んでいきます。



築堤がありました。少し低くなっている尾根に盛り土をして、平坦に通行できるようにしたものですね。岡崎市内の古道「千万町街道」でもよく見かけました。



林道へと合流しました。



合流地点に立つ木の根元に林道の開通記念碑が横たわっていました。



「竣工 昭和貮年四月」(昭和2年・1927年)、「林道延長千三十六間」(約1.88km)とあります。昭和2年の「林道」とは古いですね。木材の搬出だけでなく、この古道の代替道路としての意図もあったのでしょうか。

ここに出てきた時、初めは林道を進もうと思っていましたが、念のため道路台帳図を確認してみると林道とは少し違うルートを取っています。

この写真の右側、白い木の辺り。



見上げてみると確かに古道が見えています。



何とかよじ登ります。林道建設の際に大きく削り取られたわけですね。



しばし堀割り道を登っていきます。





林道の上へと出てきました。道が多少抉られていますが、何とか歩いていけます。



林道へと合流しました。



道路台帳図で見ると、古道は一旦林道を横断した後、しばらく先で林道に並行するルートを取るようです。

林道から左手へと逸れていくお誂え向きな道があります。



実はこの道、今回探索している古道とは全然関係のない道でした…。ただ、私好みの良い道だったので、また別稿で紹介いたします(笑)。

約2時間後、間違いに気づき、古道と林道の交差地点まで戻ってきました。



林道の左側に古道がないかと眺めながら進んでいたところ、違和感ありありの堀割りがあります。



睨んだとおりに古道がありましたが、すぐに林道で途切れてしまいました。



高巻きして先へと進んでいったところ、ふたたび古道が現れました。どうも林道が通っている辺りを蛇行して古道があったようです。





また林道で途切れてしまいました。



しっかりした踏み跡があったので迂回。



また古道に出ます。岩がゴロゴロ転がっています。





ヘアピンカーブを曲がり、こちらへと向かってくる林道に出ました。ここはまっすぐ進みます。



土留め擁壁の脇をよじ登っていきます。



古道もヘアピンカーブで登っていきます。



高圧線の鉄塔の横へと出てきました。



そのまま通り過ぎると、またまた林道へと合流です。



しばらく林道を歩いていくと、林道が左へとカーブしていく地点で正面に堀割り道が現れました。さっそく、こちらへと入り込んでいきます。





入り込んだのはいいものの、この堀割り道の坂、あまりに急坂過ぎます…。「よいしょ、よいしょ。」と一歩づつ階段を登るようにしか進めません。







斜面側へと出てきましたが、依然、急坂が続きます。尾根道でもう少し緩やかな道を期待していたのですが、完全に裏切られました(笑)。





急に道の角度が変わり、よじ登ってみるとまた林道へと出ました。





どうやら林道はここが終点のようです。この先へは築堤を通り抜ける古道だけが奥へと続いています。





ふたたび急坂が始まります。今のところ、ほとんどの区間が上り調子で結構きつい道です…。





小さい切通しを抜けたところに石碑が立っていました。



「高王観音経千部供養」とあります。



高王観音経は、千回唱えると罪が消えるという功徳があるそうで、それにちなむ石碑でしょう。なぜこの山中に建てたのかはわかりませんが。

両脇には「安政三丙辰年 十二月吉祥」と彫られています。安政三丙辰年は西暦1856年なので、164年前に建てられたことになります。



ふたたび歩き始めます。



※(2)へと続きます。
Posted at 2020/07/24 13:00:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2020年07月12日 イイね!

愛知県道334号 杣坂峠の旧道を歩いてきました

2020年7月12日日曜日、今回は、豊川市と岡崎市の境にある県道334号千万町豊川線の峠「杣坂峠」の旧道を歩いてきました。

現在の地形図はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

現在の県道(黄色の線)は西側へと迂回して距離を稼ぎ、勾配を緩和するルートを取っています。一方、旧道はおおよそ赤線のごとく、2か所のヘアピンカーブで一気に峠と麓をつないでいました。

戦前の地形図はこちら。赤線の部分が今回探索した区間になります。


※5万分の1地形図「御油」(明治23年(1890年)測図、大正7年(1918年)修正測図、昭和2年(1927年)鉄道補入、昭和4年(1929年)発行。)。

戦前の地形図には「杣坂峠」ではなく「駒坂峠」とありますが、間違いではありません。現在は「杣坂峠」で統一されていますが、かつてはどちらの名称も使われていたようです。

少し杣坂峠の道について説明すると、「新訂三河国宝飯郡誌」には、「杣坂往還。里道。嶮坂屈曲、俗に千両杣坂七曲がりと云う。字杣坂下迄は車馬を通ず。長さ六十町、巾二間。」とあります。「千両」は、現在の豊川市千両(ちぎり)町のこと。60間≒6.545km、2間≒3.6mになります。

「角川日本地名大辞典」では、「杣坂峠またの名を駒坂峠。大正12年(1923年)に郡道から県道へ昇格したが、牛馬車の通行には特殊な車止めの装置(一体どういったものなのでしょう?)を施したもの以外は通行困難であった。昭和12年(1937年)に新道が開通し、自動車の通行が可能になった。」とあります。

ウィキペディアにも同様の内容が掲載されていますが、さらに「特に「大曲り」や「肘曲り」などと名称のついたカーブは難所であった。」と追記されています。

峠越しに隣接する豊川市の「豊川市史」と旧額田町の「額田町誌」には、峠や峠道について目を引くような記述は見つけられませんでした。

さらに余談として、旧音羽町の「音羽町誌」に掲載されていた、明治21年(1889年)3月7日付け赤坂村会議事録にある「里道改修建議」の文中に間接的に杣坂往還が登場します。

申請理由の一つとして、「千両村より宮崎村に通じる道路(杣坂往還のこと。)を改修して、自由に車馬が通れるよう企てていて、これが先に完成してしまうと宮崎村・大代村・雨山村(いずれも旧額田郡で現岡崎市。)から発出し、赤坂(宝飯郡赤坂村。旧東海道の宿場町。)を経由して豊橋へと至っていた荷物が、みんな千両村を経由して豊橋へと至ることになり、これは赤坂村の衰微と言わざるを得ない。一年も猶予できない工事と思って議員の皆さんには熟議していただき、(この建議を)採用してもらえれば幸いである。」とありました。


能書きはこれくらいにして、本題に入っていきます。

県道334号の杣坂峠へとやって来ました。峠から豊川市方面が通行止めになっていて、準備している間にも何台か車やバイクが引き返していきました。



こちらは岡崎市側。杣坂峠は、豊川市側が急峻で岡崎市側はなだらかな地形になっているいわゆる「片峠」です。



出発する前に、峠から分岐する林道を歩いて、旧道がどこから分岐しているのか探してみましたが、これと思わせるような場所はありませんでした。

結局、車を停めた辺りまで戻って谷側をよく見てみたところ、下の方に道跡を見つけました。ここから斜面を降りていくことにします。



ちゃんと道跡が残っていました。この旧道についても全然情報が得られなかったので、まずは一安心。ちなみに、逆方向は県道に潰されてしまっています。



それでは、麓へ向かって歩いていくことにします。



まだすぐ上を林道が通っているためか、最初に入り込んだ地点も含めて、投棄されたいろんなゴミが散らばっています。こういうのは本当に気が滅入ります…。



ちょっとは荷車道の廃道らしく見えますね。



しかし、この廃道、最初から常緑樹の薮に覆われています。常緑樹なので、たとえ冬に来ても同じ目に遭うということですね。



そんな木々の中に棘のある木も混ざっているのが何とも嫌味です…。図鑑で見ると「サンショウ」の木かな。



少々、先が思いやられる展開になってきました…。





木の枝からオレンジ色のテープがぶら下がっています。この廃道も国土調査などのために誰か歩いたんでしょうかね。



道幅が広くなってきました。雑草や雑木も生えていません。



大きなヘアピンカーブです。これが「大曲り」なのでしょうか。



ヘアピンカーブの先は、また密生した低木や雑草を掻き分けていきます…。





続いては倒木を跨いでいきます。地面に石ころが多いので、変なふうに踏んで足を捻らないよう確認しながら進みます。





倒木地帯を過ぎたら、また低木の集団…。倒木も絡んでるよ…。少しでも歩きやすい所を探して進んでいきます。





沢へと出てきました。この雰囲気は砂防ダムで土砂が溜まっている場所のようです。



沢が土砂で埋まってしまうと、旧道がどこを通っていたのかわからなくなってしまいます。谷底の真ん中あたりを歩きながら左右の山際を確認していきます。

左岸側に道跡と思われる直線が現れました。水流もわざわざ下へとくぐらせているので、ひとまず問題ないでしょう。



砂防ダムです。普通は堰堤まで土砂で埋まっているものですが、ここはまだ隙間が空いていますね。



笹薮。足元に気を付けつつ、どんどん踏み込んでいきますよ。



沢を渡る築堤のようですね。



石積みの擁壁もあります。石の大きさや積み方は不揃いですが。



下へと降りて、全景を眺めてみます。規則性が全くない乱積みです。



暗渠はちゃんと流れを通しているので、先は見えませんが潰れてはいないのでしょう。





結局、ここが道中で一番の石造構造物でした。

「もう!どうやって通り抜けるんだよ!」と思いながら、頭や腕を突っ込んで何とか掻き分けていきます。



段々と道跡の状態が良くなってきましたね(巨大な倒木は普通にくぐれるからまだいいのです。)。







川へと突き当たりました。かつてはここに橋があったのでしょう。



橋台の痕跡と思われるもの。白い物はトイレのような気が(笑)。



対岸へと渡ったら、ちょっとした廃棄場になってました…。

ようやく麓側の県道へと合流しました。峠から1時間強といったところです。



合流地点から振り返ってみた光景。左側の道が旧道。右側の道は杣坂峠まで別ルートで登っていく林道です。



県道に出て、豊川市千両町方面を眺めます。通行止めのためか、車は1台も通りませんでした。



路傍の石仏。右側の石仏はけっこう新しい感じでした。



県道を合流地点から杣坂峠側へ歩いたすぐの所に橋が架かっています。



「昭和七年(1932年)三月架設」とあるようです。ドライブで何度も通っていますが、昭和20年代から30年代くらいの橋だと思っていました。



「角川日本地名大辞典」では、新道(現在の県道ルート)は昭和12年に開通したとありましたが、この5年の差は一体何なのでしょうか?新道の工事のために橋だけ先に架けた可能性もあり得そうですね。

親柱のデザインは、簡素ですが戦前の愛知県が架橋したものに雰囲気が似ています。橋の名前は「兎渡橋」のようです。



この「鏡餅」は、ただ乗せてあるだけのようですね。ほとんどは無くなっています。





橋名がひらがなで彫られていて、「〇たん〇はし」と読み取れます。



「兎渡」を「とど」と読む地名があるようですが、全然違いますね。かえって「兎渡橋」を一体どのように読むのか謎が深まってしまいました…。「うたんどはし」、こじつけ過ぎか…。

さて、杣坂峠へと戻ることにします。



途中にあった砂防ダムへ立ち寄ります。建設時期を確認したかったからです。



昭和47年度(1972年度)とあります。



これならば、途中の石積み擁壁はこの旧道が使われていた頃のものとみて良いでしょう(昭和47年度に完成した砂防ダムの建設工事に合わせて築堤を造ったのであれば、擁壁をコンクリート造にしたほうが合理的な気がするため。)。

沢を離れて山の斜面を登っていきます。斜面に進む先の道筋が見て取れますが、やはりここの峠道は荷車道の割に急坂ですよ。



「牛馬車の通行には特殊な車止めの装置を施したもの以外は通行困難であった。」というのも当然でしょう(「特殊な車止めの装置」、本当に気になりますね(笑)。)。

「大曲り」ヘアピンカーブを登ります。



廃道で見かける「リボン」は、ヤバい所へ人を誘い込むのが目的なのではないかと時々思っちゃいますね(笑)。



これは石畳なのか?落石が埋まったものだと思いますが、それにしてはきれいに填まっているんですよね。



木々の間から見える新東名高速道路と豊川市街地。「こんな所から眺めている者がいるなんて誰も思わないだろうな…。」と思いつつ眺めていました。



杣坂峠の真下まで戻ってきました。ここからは、右側の斜面を登って林道へと出ます。しかし、正面のゴミの山が酷い…。



行きに降りた場所とはちょっと違う所から登ったら石垣がありました。多分、これも旧道の遺構でしょう。



旧道は、おそらく県道の下敷きになった辺りでヘアピンカーブで登り、次に今の石垣の場所でもう一つのヘアピンカーブを通り、峠へと出ていたのでしょう。

車の所へ出てきました。「兎渡橋」からは50分ほど。しかし、一旦このまま素通りします。



最後におまけで、県道の切通しの上に少しだけ残る昔の杣坂峠の道を確認。



昔は峠にも馬頭観音があったそうですが、盗難に遭ってしまったそうです。

今回は、おまけの分も含めて全行程2時間30分強というところでした。



今回も距離的には短い廃道でしたが、急坂と密生した低木プラス大量の倒木に悩まされた行程でした。廃道の前後が現道につながっていないという、これもよくあるパターンでしたが、初めから「麓側よりも峠側の方が進入時に的を絞りやすいだろう。」と峠から下る方向で探索したのは結果的に良い判断でした。

まあ、これで現存確認ができたので、この廃道に再び来ることはまずないでしょうね。散策気分で気軽に踏破できる廃道ではないですし(道跡の崩落とかは少ないですが、薮が酷い…。)、私好みの石造構造物もあまり無いですから…。
Posted at 2020/07/12 21:01:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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