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小林あにのブログ一覧

2022年12月31日 イイね!

旧北陸本線 若水隧道を探索しました(2)

2022年12月3日土曜日、新潟県糸魚川市の親不知海岸に残る旧北陸本線 若水隧道を探索しました。と言っても、すでに先週の11月26日土曜日に訪問・探索して、トンネルの閉塞部分まで往復済みの物件。

再訪した理由は前回最後に書いたとおりで、今回はきちんとLED懐中電灯を持参し、トンネル内の写真をしっかり撮ることがメインの目的となります。

自宅を3時45分に出発。先週から冷え込みが厳しくなり始めていて、東海北陸道最高地点の松ノ木峠PAの気温は朝7時でもマイナス5℃。気温は低くなりましたが、危惧していた積雪・凍結はなくて一安心です。


9時55分、若水隧道の最寄りとなる国道8号天険トンネル前の駐車場に到着しました。


それでは、若水隧道へと向かいます。


途中、若いカモシカと遭遇し、5分ほどにらみ合い(笑)。




駐車場から歩くこと約30分、若水隧道へと到着しました。






さっそくトンネル内へと入っていきます。


わざわざ写真を撮り直しに来たとは言うものの、トンネル内の風景自体は単調そのもの。先に言ってしまえば、特に目立つ新たな発見があったという訳でもありませんので、悪しからずご了承ください(笑)。

1か所目の退避坑。煉瓦トンネルへ行くと、最近は必ず全ての退避坑を撮影しています。トンネル内でデザインに違いがあるわけではないのですが、何となく(笑)。


ちなみに、私は「退避坑」と書いてますが、ちょっと調べてみたところ、法令上は「待避所」だそうです。現行法令では、少なくとも50mごとに設置することが義務付けされています。

2か所目の退避坑。


灰色の世界が続いています…。このトンネル、そんなに急勾配には感じないのですが(縦断面図や勾配表を見たわけではありませんが。)、なんでこんなにこってりと煤が付着しているのでしょうか。




3か所目の退避坑。


ボロボロになっていますが、たぶん距離標でしょうね。


4か所目の退避坑。


付着している煤がさらに分厚くなってきたような…。


見えにくいですが、おそらく通信線を掛けていたのであろうフックが側壁に連続して残されています。


5か所目の退避坑。


天井に付着している煤。たくさんの白点が見えますが、光を当てるとキラキラと光ってきれいです。


6か所目の退避坑。


大型の退避坑としては1か所目。コンクリート製なので、後年に安全基準の変更により追加設置されたものでしょう。


アーチ部分ではコウモリが冬眠中。


7か所目の退避坑。


久しぶりに煉瓦が顔を出しました。側壁から漏水があるようで、煤が流されたのでしょう。


電話機などの機器類の設置台でしょうか。


8か所目の退避坑。


9か所目の退避坑。


10か所目の退避坑。


ここの天井は煉瓦の上からコンクリート覆工されているようです。ところどころめくれて剥離しています。


11か所目の退避坑。


12か所目の退避坑。大型退避坑としては2か所目です。


ここの大型退避坑は煉瓦造りなので、開通当時から設置されているものでしょう。




アーチ部分は煉瓦5重巻きとなっています。


そして、1か所目の大型退避坑よりもたくさんのコウモリがぶら下がっています。煉瓦の目地に沿ってきれいに並んでいますね(笑)。




こちらわかりにくいですが、形状からしておそらく丙号距離標でしょう。


ここまでは天井部が明るい灰色、側壁部が暗い灰色の煤が付着していましたが、この辺りからは天井部が暗い灰色、側壁部が明るい灰色と逆転しています。理由はわかりませんが。


13か所目の退避坑。


14か所目の退避坑。


15か所目の退避坑。


枕木と思われる木材が転がっています。


16か所目の退避坑。


暗闇の中、まだまだ灰色の世界が続いています。


17か所目の退避坑。大型退避坑としては3か所目。


18か所目の退避坑。


付着する煤がだいぶ薄くなってきました。


19か所目の退避坑が見えてきました。ここまで退避坑は右側だけでしたが、ほぼ同位置の左側にも退避坑があります。


19か所目の退避坑。


左側の退避坑。実際には退避坑ではなく、何らかの機器を設置するための場所だと思われます。


20か所目の退避坑。


漏水が多くて路盤に水溜りができ、周りも湿っています。


21か所目の退避坑。


そして、21か所目の退避坑から先が水没していました…。11月26日に来た時には全然そんなことはなかったのですが、先週は天気が悪い日が多かったので、雨水が浸透して水が溜まってしまったようです。


実は今履いている長靴、左足の脛の高さに切り傷があって水が漏るんですよね(笑)。水深が深くならないことを祈って、少しづつ前進します。


結局、長靴の切り傷付近まで水かさが上がってきたので、一旦21か所目の退避坑まで撤退。ジーパンの裾をめくり上げ、左足の靴下を脱いで、濡れるのを承知で再度水没区間へと進入していきます(笑)。

22か所目の退避坑。私が歩いているので水面が波打っています。


閉塞地点まであとわずかなんで、何とかたどり着きたい…。


左足の長靴には冷水が充満してきています。気持ちを固めているので、濡れるのはどうでもいいのですが、水の冷たさが辛い…。


この地点でついにギブアップ。これ以上は水かさが長靴の高さを越えてしまいます。閉塞地点は先週たどり着いているので、今さら右足まで濡らす気にはなれませんでした…。


振り返っての写真。はるか彼方に坑口からの光の点が見えています。


長靴が水をかぶらないよう慎重な足取りで21か所目の退避坑まで下がってきました。ここで長靴をひっくり返して溜まっていた水を出し、坑口へと戻ることにします。


坑口へと戻ってきました。閉塞地点へ再度たどり着けなかったのはちょっと残念でしたが、あらためて多くの写真を撮影できたので、今回の目的は達することができました。


せっかくなので、坑口から親不知海岸へと向かうことにします。


海岸沿いの岸壁まで下り、若水隧道を見上げています。さらにその上部に国道8号のロックシェッドが見えています。




親不知海岸を糸魚川方面へと歩いていくと、バラバラに崩れた巨大な擁壁がありました。旧北陸本線の路盤を日本海の荒波による浸食から守るための施設でしよう。しかし、路線の切り替えにより役目を終えて放置されています。


丸石の転がる浜辺の終端です。今までにも紹介していますが、かつてはこの海岸が北陸道そのものでした。今は浸食のため人が歩ける海岸は消失してしまいましたが、昔はこの先の海岸を命がけで通過していたのです。
Posted at 2022/12/31 12:33:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2022年12月29日 イイね!

旧北陸本線 若水隧道を探索しました(1)

2022年11月26日土曜日、新潟県糸魚川市の親不知海岸に残る旧北陸本線 若水隧道を探索してきました。

当日は自宅を朝5時に出発。若水隧道の最寄りとなる国道8号天険トンネル近くの駐車場へ11時10分頃到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

実は、車を停めてから探索に持参する物を準備していたところ、重大なミスに気が付きました。愛用しているLEDの懐中電灯を持ってくるのを忘れていたのです…。仕方がないので、スマホのライトと車載している安物のLED灯を併用して対処することにします。

せっかくなので、若水隧道へと向かう前に、この駐車場の真下にある旧北陸本線 親不知隧道へ立ち寄ることにします。

遊歩道を下っていくと、最初に目に留まるのは旧北陸本線 風波隧道。


そして、沢を挟んだ反対側に親不知隧道があります。こちらは糸魚川市により整備されて、現在は遊歩道となっています。




今回はこのトンネルがメインではないので、そこそこ写真を撮りながら、足早に通過します。


反対側の坑口へと出てきました。


ここから急坂の遊歩道を登り、旧国道へと向かいます。


歩き慣れない急坂に息が切れましたが(笑)、国道8号天険トンネルの旧道へと出てきました。こちらも現在は遊歩道となっています。


さらに国道8号天険トンネルへと出てきました。1966年(昭和41年)に開通した延長734mのトンネルです。


トンネル前から一旦駐車場方面へと戻り、傾斜の緩やかそうな斜面から(それでも相当厳しいです…。)旧北陸本線の廃線跡へと下ってみることにします。


雨が降ったせいもあるのでしょうが、地面が予想以上にぬかるんでいたため、急斜面なのと相まって、ずっとヒヤヒヤしながら下る羽目になりました…。

線路防護のための擁壁へとたどり着きました。この時点ではまだ廃線跡へと出られるのかわかりません。


どうやら直に廃線跡へと出られそうです。


「それじゃ、ここから若水隧道へ向かってみるか。」と進み始めたところ、すぐにこの緑のジャングルに遭遇。凶悪に絡み合っていて、さすがにこれでは突入する気になれません…。この場は素直に撤退することにします。


代わりに、擁壁の山側にある隙間を通って進んでみることにします。


無事に擁壁の末端まで来て海側へと出てみると、そこは橋台の真上でした。




橋台は、古い路線でよく見かける石積みのもの。


橋台の先には石積みの橋脚が見えています。




しかし、今居る橋台から先へと進むのはあきらめました。まず、直前の凹地が急傾斜で足場が悪く、私では容易に渡れそうにないこと。仮に渡れたとしても、この先には深い沢が流れているので、そこを渡れる保証もないことが理由です。

斜面をよじ登って、また旧国道へと戻ってきました。


ふたたび天険トンネルの前へと来ました。


トンネル前から眺めていて、この先にあるロックシェッドの手前の海側に階段があるのを見つけたので、ひとまず行ってみることにしました。


階段の先には草刈りされた細い徒歩道がつながっていて、何だか海岸まで下っていけそうな感じだったので、そのまま進んでみることにしました。






労せずしてふたたび廃線跡へと戻ることができました。


廃線跡に合流してから進むこと50mから100mほどでしょうか、ようやく若水隧道と出会うことができました。


カモフラージュ度がめちゃくちゃ高いです。これは晩秋から春先にしか近寄れないかも(笑)。


「カーテン」をくぐり中へ入ると、古レールで組まれた華奢なロックシェッドが見えます。


あらためて若水隧道です。若水隧道がある区間は1912年(大正元年)10月15日に開通しており、当然、当トンネルも開通当時のものとなります。


このトンネルの反対側の坑口は、国道8号の改良工事の際に封鎖されてしまったので(何年前のことかは不明ですが。)、閉塞地点との間を往復することがすでに決定しております(笑)。

ロックシェッドがトンネルに連続して設置されているので、トンネル坑門の上部の様子はわかりません。


それでは、トンネル内部へと入っていきます。SLの煤煙により、トンネル全体が灰色に染まっています。


当然ながら、レールも枕木もすべて撤去され、バラストだけが残されています。


普段だと、トンネル内の状況に目立った変化が無くても、記録としてこまめに写真を撮っていきますが、前述のとおり光量の乏しい照明しか持っていないので、真っ暗闇なトンネル内でピント合わせができるレベルで照らすことができず、この後はシャッターを切れないことがたびたび繰り返されることになります。

トンネルの全面が白黒写真のように灰色になっています。この場面では、煉瓦の赤色は全く見えません。


大型の退避坑。アーチ部・側壁部もコンクリート製なので、後年に追加設置されたものでしょう。


同じ大型の退避坑でも開通当時からあるものは当然煉瓦積み。煉瓦の目地が爪を引っ掛けるのに都合がよいのか、このような退避坑にはコウモリがよくぶら下がっています。


この辺りは湿気が高く、靄が写真に写り込んでいます。


ここまで退避坑は進行方向に対して右側に設置されています。ところが、この退避坑だけ左側に設置されています。アーチ部・側壁部がコンクリート製なので、これも後年に追加設置されたものとわかります。退避坑内にコンクリート製の台座?があるので、何かの機器を設置するために造られたのかもしれません。


ようやくトンネルの閉塞地点が見えてきました。


閉塞地点の手前に土砂があります。天井が崩落しているわけではないですし、コンクリート塊らしきものもあるので、人為的に積まれたものでしょう。


閉塞部分の写真は、全体像の写真がピンボケだったので、上部のアップ写真のみです。上部はコンクリートの型枠や型枠を締め付けるボルト類がそのまま放置されています。




煉瓦アーチとコンクリート部分の接合部。きれいに仕上げられているのに、どうして型枠の一部だけは取り外して回収しなかったのでしょうかね。


それでは坑口へと戻ることにします。


20分ほどで閉塞地点から戻ってきました。距離は地形図で測定してみたところ、推定900mほどと思われます。


ロックシェッドの外へ出たら雨が降っていました。この日の天気予報で午後から雨になることは知っていましたが、車を出発した時にはこんなに手間取るとは思っていなかったので、傘は車へと置いてきてしまいました。


雨でずぶ濡れになりながら旧国道を戻っていきます。駐車場付近には数名の観光客がいましたが、濡れネズミになった人間が突然現れて、どう思ったでしょうかね。まあ、こんなことには慣れてしまいましたが…。


新潟県糸魚川市の親不知海岸にある旧北陸本線の廃トンネルの内、親不知、風波、大崩の3つのトンネルは、昔からその所在地を知っていて、トンネル内を歩いたこともあるわけですが、長らく若水隧道だけがいまいち所在地がわからず、他の方の探索記録を見るだけでした。

取り立てて特徴のある廃トンネルではないですが、久しぶりに自分にとって新規となる煉瓦造りの廃トンネルを踏破できました。惜しむらくは、懐中電灯を忘れたばかりに、トンネル内をくまなく撮影することができなかったことだけが悔やまれます。

そこで、次週天気が良ければ、今度は懐中電灯を持参して、もう一度トンネル内を往復したいと思います。「片道5~6時間もかかるのに、踏破した場所をまた訪れるのは無駄じゃないの?」と思われるでしょうが、これは自分が納得できるかどうかという話なので良いのです(笑)。なので、タイトルには(1)と付けてあります。

という訳で、そのうち同じようなトンネル内の写真がたくさん貼られた(2)をアップする予定です。
Posted at 2022/12/29 00:26:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2021年09月05日 イイね!

新潟県糸魚川市 親不知海岸へ行ってきました

2021年8月14日土曜日、お盆休みの弟から「せっかくだから遠出がしたい。親不知へ行こう。」と話があり、行ってきました。

この週はずっと長雨で、遠出の道中も出発時から雨。しかも、普段なら東海北陸道で富山県へと出るルートを取るところですが、その東海北陸道が雨で山間部が通行止めのため、米原ジャンクションから北陸道を走行するという大回りルートとなりました。

自宅を早朝3時半に出発。大雨の北陸道をひた走ります。


朝8時、石川県へと入って間もなくの所にある尼御前サービスエリアで朝食。


富山県へと入り、9時半に東海北陸道が接続する小矢部砺波ジャンクションを通過。東海北陸道は通行止めのままです。


9時50分、富山インターチェンジを通過。


10時20分、インターチェンジの案内標識にようやく親不知インターチェンジの名前が出てきました。


ただ、いつも親不知海岸を訪れる時は、一つ手前の朝日インターチェンジで下りて、国道8号で海岸線を眺めながら向かうパターン。今回も朝日インターチェンジで下りて、国道8号で向かいました。

最初にやって来たのは市振駅。旧JR北陸本線である「あいの風とやま鉄道」と「えちごトキめき鉄道」の境界駅です。






立ち寄った理由は、この煉瓦造りの危険品庫を見るため。まあ、2年前に来ている場所なので、軽く見て回るだけで、すぐに親不知海岸へと移動します。


親不知海岸への入口となる、国道8号天険トンネルの糸魚川側にある駐車場へとやって来ました。


この駐車場から遊歩道を歩いて、旧北陸本線親不知隧道と親不知海岸へと行くことができます。


遊歩道といってもちょっとした山道ですが、整備はされているので、行き来するのに特に問題はありません。


遊歩道がある小さな谷を流れる沢が、大雨のためにまるで滝のようになっています。


旧北陸本線親不知隧道です。少なくとも5回は訪れていますね(笑)。


親不知隧道を歩くのは後にして、先に親不知海岸へと下ります。




この狭い一角だけ、海岸へと降りることができます。




国道8号の旧道が崖の中腹に開通するまで、旧北陸道を往来する人々はこの海岸線を潮の満ち引きの隙間を縫って命がけで通過していたわけですが、現在は海岸の浸食が進んでしまい、この海岸を旅人が往来していた名残りを見ることはできません。

親不知隧道まで戻ってきました。今から667mのトンネルをくぐっていきます。


廃トンネルですが、2016年に糸魚川市により遊歩道として整備されて、誰でも気軽に古い煉瓦トンネルを散策できるようになりました。入り口には懐中電灯も用意されています(私たちは自分で懐中電灯を用意しています(笑)。)。


何度も来ているので、もう特に説明するような事はありません。










海岸に近いことと、この日は雨天のためかトンネル内部の後半は靄がひどく(と言っても歩いている分には全然気にならない程度。)、カメラのフラッシュを焚くと真っ白になってしまい、ほとほと参りました…。


反対側へと出てきました。


富山側の坑門になります。トンネル内部から靄があふれ出ています。




対岸へと渡った先には若水隧道があるはずですが、木々がうっそうと生い茂り、痕跡を何も見ることができません。


ここから遊歩道は斜面を登り、廃線跡よりも上部を通っている旧国道へと向かっていきます。


親不知隧道とはこれでお別れです。


旧国道へと出てきました。この道は明治16年(1883年)に開通しました。現在はこの道も遊歩道となっています。


親不知隧道の対岸付近まで歩いたところで引き返し、駐車場へと戻っていきます。


はるか先に北陸道親不知インターチェンジ付近の高架橋が見えています。親不知にインターチェンジを造る予定がなかったら、ここもトンネルで通過していたのでしょうね。


この道が開通した際に記念に刻まれた「如砥如矢(とのごとくやのごとし)」の文字。「(この道路は)砥石のように平らで、矢のように真っ直ぐである。」との意味だそうです。




道路から海側を覗き込むと急傾斜の崖。道路建設がいかに難工事であったか伺えます。


現在の国道8号は、一部がトンネルになっていますが、親不知・子不知の多くの区間は未だに崖の斜面にロックシェッドを築いて通過しており、難所であることに変わりはありません。


親不知海岸での散策を終えて、この後は糸魚川市街地へと移動して昼食。

次に訪れたのは、糸魚川市内にあるフォッサマグナミュージアム。


糸魚川市付近に存在するフォッサマグナ(中央地溝帯)や名物のヒスイ、さらに関連して化石や石・鉱物などを紹介・展示する施設です。

ここはなかなか興味深くて面白かったです。地学や化石に興味がない人でも十分に楽しめると思います。








博物館見学後は、国道148号で大町市を経由して長野道安曇野インターチェンジへと出るルートを取ります。このルートも親不知からの帰り道としてよく走ります。

最後に訪れたのは、長野県北安曇郡小谷村にある姫川橋。昭和14年(1939年)に竣工したコンクリート造橋梁です。






姫川橋から旧国道の橋と現国道のスノーシェッドを眺めます。


橋を渡った先にあるロックシェッド。急峻な姫川沿いの渓谷を通る国道148号は(これは旧道のものですが。)ロックシェッド・スノーシェッドだらけです。


時刻はもう17時。寄り道はここまでにします。


この後は、国道148号をふたたび走行しますが、眠気に襲われて道の駅白馬で1時間ほど仮眠。すっかり暗くなった国道・県道を記憶とナビを頼りに走り継ぎ、長野道安曇野インターチェンジから高速道路へ。梓川サービスエリアで晩御飯を食べて、ここでもしばし休憩。


この先では、長野道・中央道が塩尻北インターチェンジから伊北インターチェンジまで雨による通行止めとなり、国道19号・153号で迂回することに。

特に塩尻市から上伊那郡辰野町へと抜ける国道153号善知鳥峠付近では、国道の路肩のあちらこちらから土砂交じりの水が大量に路上へと流れ込んでいて、たびたびフロントガラスまで水をかぶるような中での走行となりました。

伊北インターチェンジからようやく中央道へと乗りましたが、またも大雨の影響で飯田山本インターチェンジから中津川インターチェンジ間が通行止め。

飯田山本インターチェンジからはふたたび国道153号へと下り、真夜中の山道を同じく迂回する車に挟まれながら自宅へと向かうことになりました。
Posted at 2021/09/05 22:22:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2019年12月01日 イイね!

旧北陸本線山中信号場跡と小刀根隧道

2019年11月30日土曜日、福井県南越前町に残る旧北陸本線山中信号場跡と敦賀市に残る小刀根隧道を見てきました。

当日午前中、春日野隧道の探索を終えて、次は旧北陸本線の廃トンネル群を通り抜けて、小刀根隧道へ向かいます。

国道8号から県道205号を経由して国道365号へ。途中のコンビニで昼御飯を食べつつ小休止。南越前町今庄からは県道207号へ入ります。この県道207号が旧北陸本線山中越えルートを転用した道路です。

初めは、この区間はそのまま通過するつもりでした(何度も来ているので(笑)。)。が、山中信号場跡まで登ってきたところ、かつての信号場内の木々や雑草が刈り払われていて、すっきりした風景になっていました。

「それならば、ちょっと立ち寄るかな。」ということで、急きょ寄り道しました。


駐車した場所から眺める信号場内のロックシェッド(上)と本線のロックシェッド(下)。ここ山中信号場跡は、1919年(大正8年)に開設されたスイッチバック形式の信号場でした。信号場とは、駅間距離が長い単線区間で列車の行き違いを行うための施設で(複線が単線になる場所にも設けられる。)、駅と違って旅客や貨物の取扱いはしません。


いつも山中隧道で引き返していて、ここ最近はこちら側まで来ておらず、「知らないうちにここまで整備されたのか。」と少々驚きでした。


立派な説明板もありました。説明板内の信号場レイアウト図は「?」な感じですが(笑)。もう少し写実的に書いていただけるとワタクシ的には嬉しいんですが。


さっそく敷地内へと歩いていきます。昔来た時は林道みたいな狭い道が木々や雑草の間にあったという記憶しかありません(正しいかどうかはあれですが。)。


あらためて見ると「長い!」。さすが幹線にある信号場の待避線です。特に幹線を行き来する貨物列車は長大ですから、待避線も長くないと本線にはみ出てしまいますからね。


傍らには線路に敷かれていたバラストがそこかしこに残っています。玉砂利なのが現役だった時代を感じさせます。


待避線用のロックシェッドです。枠が2つあるということは、当然、待避線が複線であったということです。複線が必要なほど列車(多くは貨物列車。)が行き来していたということですよ。




ロックシェッド横の擁壁に刻印された完成年月。「1955-10」ですから、1955年(昭和30年)10月。まだまだ国鉄が国内輸送に活躍していた時代です。


同じ時代の地方の国道がどれだけ貧弱であったかは、春日野隧道への旧国道を見ればよくわかります。長距離の貨物・旅客の輸送に鉄道が活躍していたのもうなずけます。

ロックシェッドの構造は、廃レールで組んだ骨格にコンクリート板を載せた簡素なものです。




天井を見ると、谷側が奥まで煤煙で汚れています。長い編成が入る線路が谷側だったのでしょうか?


ロックシェッドの先は杉林になっていますが、かつてはこの先まで信号場の構内が続いていたようです。


築堤の形がはっきりとわかります。


ロックシェッドまで戻ってきました。


信号場跡から敦賀側を眺めています。長さは500mくらいはあるんですかね。


私の車があんなに小さく見える(笑)。


説明板に当時の写真がありましたので参考に。昔と比べると杉の植林が増えています。周りに何もない山奥の信号場で多くの人が勤務していたんでしょうね。




本線(現在は県道207号)のロックシェッドです。






路肩に残っていた基礎と思われるもの。昔は待避線用のロックシェッドと同じタイプのものだったのでしょうか?


このあと、信号場内のレイアウトを確かめるべく、山中隧道横の引込線用トンネルまで歩いて登ります。引込線用トンネルは何度も立ち入っているので写真は無し。やはり長大編成用の施設だけあって移動も大変(笑)。

山中隧道をちょいと覗き込んで、


車まで戻ってきました。望遠で撮っているので強調されていますが、急勾配の峠であったことがよくわかります。


最後に敦賀市内南部の旧北陸本線小刀根隧道へ来ました。


敦賀側の坑口です。ここも何度も来ているので、今さらという所ですが、やはり寄ってみたくなる場所です(笑)。




要石に刻まれた完成年「明治十四年」。1881年になります。


私が住んでいる愛知県安城市は東海道本線が通っていますが、この当時はまだできていません(安城市内の東海道本線ができたのは1887年・明治20年)。

トンネル内の様子。














このトンネルの特徴は、側壁部分でしょうか。ほとんどは石積みですが、布積みだったり、乱積みだったり、中には岩盤をむき出しにした部分もあり、それらをまるでパズルのように組んであります。

米原側の坑口です。ご覧のとおり山の端に造られていて、トンネルというよりはロックシェッドでしょう。






帰りに退避坑をよく見てみたら、コウモリが1匹冬眠していました。




最後に敦賀側坑口からの眺めです。正面に県道140号の刀根トンネルが見えていますが、かつては旧北陸本線の刀根隧道でした。
Posted at 2019/12/01 18:00:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2019年11月23日 イイね!

牛ノ谷峠の旧北陸本線廃線跡と牛ノ谷隧道

2019年11月23日土曜日、福井県と石川県の県境にある牛ノ谷峠に残る旧北陸本線の廃線跡と牛ノ谷隧道へと出かけてきました。

最初に訪れたのは、峠の石川県側、国道8号と北陸本線が立体交差する地点です。


現在、北陸本線は跨道橋で国道8号を越えて、右側を直進して熊坂トンネルで峠を越えていますが、昔は国道8号は越えず、左側を進んでいました。

ここから旧線の築堤を辿ってみます。築堤の上はなぜか刈払いがされています。ピンクリボンがあちらこちらに付けられているので、土地に関する調査のためでしょう。


しかし、しばらく歩いていくと刈払いは終わり、濃密な矢竹の薮が見えてきました…。甘くないですね…。ここが落葉樹の森ならば、この季節は障害物も無くて視界も良好なのですが…。


仕方がないので、ここからは左側の杉林の中を進むことにします。こちらも手入れはされていないため杉の木の下に薮が広がっていますが、日が当たらない分、いくらかはマシです(笑)。途中、ぬかるんだ斜面で滑った足が根っこに絡まり、足を捻りそうになるなど危ない場面もありました。が、気を取り直しつつ、草や低木を掻き分けながら進みます。

歩いていくうちに小さな沢筋にぶつかったので、廃線跡側を眺めてみると暗渠があるように見えます。ただ、薄暗いのでコンクリート造なのか何なのかよくわかりません。

転ばないよう注意しながら沢を降りていくと煉瓦造暗渠がありました。


小さなものですが、昔の遺構を見つけるとテンションが上がりますね。煉瓦造というのがなお良いです(笑)。暗渠の上の擁壁部分は布積みの石積みです。


しかし、本当に薄暗いので、フラッシュを焚かないとまるで夜にやって来たみたいです。


ご覧のとおりの煉瓦積み三重半円アーチです。標準的なタイプです。


奥までは見通せませんが、見える範囲はきれいに煉瓦アーチが保持されています。


内部にレールを半円に曲げた補強材が設置されています。後補によるものと思われますから、誰かがこの狭い穴を潜っていって設置したんでしょうね(笑)。

ここの暗渠の左手側には、旧国鉄の境界杭が残っていました。


境界杭のところから廃線跡へとふたたび出てみましたが、薮は全然収まる気配がありません…。


このあとも廃線跡と杉林を行ったり来たりしながら、じりじりと進んでいましたが、ついに音を上げてしまいました…。

ここから国道へと脱出です。


国道へと降り立ち振り返って見ると、立体交差のガードが見えています。


暗渠の写真を撮っていたとは言え、最初の写真を撮ってから37分でこれだけしか進めなかったとは…。

国道の歩道を歩いて峠側へと進んでいきましたが、やがて歩道が無くなりました。廃線跡も国道に削られてしまったようだったので、ここで一旦引き返しました。


もう少し峠寄りの駐車帯へと移動してきました。


今回の主目的である旧北陸本線牛ノ谷隧道の大聖寺駅側坑口の確認へとむかいます。

国道の左側には、ふたたび廃線跡の築堤が続いていますが、駐車した駐車帯の先で途切れてしまいます。途切れた辺りに牛ノ谷隧道の坑口があったと推測されています。

現存している築堤の末端部は小川が横切っています。写真はその小川の先の築堤の残存部分。


小川の中から国道を見上げています。


周りを探ってみると、小川の中に煉瓦が転がっていました。


築堤の斜面にも煉瓦を見つけました。


まずは築堤の先端部へと登ってみましたが、煉瓦を1個見つけた以外はこれという物は見当たりませんでした。

続いて、小川の中を上流へ遡ってみましたが、3つほど煉瓦や煉瓦のかけらを見つけただけで、やはりこれという物はありません。

ただ、ここにも旧国鉄の境界杭があったので、この築堤が旧線であることは間違いはないようです。


今度は国道を渡り、坑口があったと推定できる場所を見回してみましたが、何の痕跡も見つけられませんでした。

渡った先にある作業道から築堤の先端部を眺めています。


どのくらいのカーブで山の斜面へと突入していたのかわかりませんが、作業道は急坂で登っているので、写真の真ん中から左側あたりに坑口があったのではないでしょうか。

さて、牛ノ谷隧道は1963年(昭和38年)に現行線の熊坂トンネルの供用開始により廃止となりました。大聖寺駅側坑口が見当たらない理由として考えられるのは、国道8号の拡幅に際して坑門は破壊もしくは埋め立てられた。または作業道建設の際に破壊もしくは埋め立てられた。といったところでしょうか。

解せないのは、破壊・撤去に伴う煉瓦の塊や煉瓦の屑が周囲に全然残っていないことなんですよね。昔の工事で「塵一つなく」現場の廃材を片付けてしまうなんて考えにくい。そうなると土を被せて埋め立てただけなのか(周囲で山の斜面をコンクリートで覆工した場所は見当たらないので。)?

もうひとつは、小川をどのように渡っていたのか?桁橋だったのか暗渠だったのか?築堤なので暗渠が可能性大ですが、これも何の痕跡も残っていません。小川の流れを支障しないよう、前後を掘削してしまったのでしょうか?

取りあえず、「現存していない。」という答えは得られたので、これで終わりとします。いつか「同業者」の方が何か発見してくれることを期待します。

最後に牛ノ谷隧道の牛ノ谷駅側坑口へと向かいます。

その前に牛ノ谷駅に立ち寄り、トイレと手洗い。




駅からもう少し奥へと入り、高速道路の側道へ車を停めておきます。


牛ノ谷隧道の牛ノ谷駅側坑口へとやって来ました。


昨年来た時は10月。1か月遅い分だけ、多少は見晴らしがよくなっています。


坑内は相変わらずの水没です。












多少は水位が下がっていないかと期待していましたが、昨年10月と変わっていませんでした。




ということで、この地点で長靴が限界。引き返しました。




多分、梅雨時などの雨が多い時期は煉瓦の地が見えている高さまで増水するんでしょうね。


チョークで引いたような線が付いていますが、これも水面の跡なのでしょう。


この奥の閉塞地点まで行くことができたら、破壊されたうえで埋め立てられたのか、単に埋め立てられただけなのか、わかるかもしれませんけどね。
Posted at 2019/11/23 22:00:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記

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