• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

小林あにのブログ一覧

2021年09月05日 イイね!

新潟県糸魚川市 親不知海岸へ行ってきました

2021年8月14日土曜日、お盆休みの弟から「せっかくだから遠出がしたい。親不知へ行こう。」と話があり、行ってきました。

この週はずっと長雨で、遠出の道中も出発時から雨。しかも、普段なら東海北陸道で富山県へと出るルートを取るところですが、その東海北陸道が雨で山間部が通行止めのため、米原ジャンクションから北陸道を走行するという大回りルートとなりました。

自宅を早朝3時半に出発。大雨の北陸道をひた走ります。



朝8時、石川県へと入って間もなくの所にある尼御前サービスエリアで朝食。



富山県へと入り、9時半に東海北陸道が接続する小矢部砺波ジャンクションを通過。東海北陸道は通行止めのままです。



9時50分、富山インターチェンジを通過。



10時20分、インターチェンジの案内標識にようやく親不知インターチェンジの名前が出てきました。



ただ、いつも親不知海岸を訪れる時は、一つ手前の朝日インターチェンジで下りて、国道8号で海岸線を眺めながら向かうパターン。今回も朝日インターチェンジで下りて、国道8号で向かいました。

最初にやって来たのは市振駅。旧JR北陸本線である「あいの風とやま鉄道」と「えちごトキめき鉄道」の境界駅です。







立ち寄った理由は、この煉瓦造りの危険品庫を見るため。まあ、2年前に来ている場所なので、軽く見て回るだけで、すぐに親不知海岸へと移動します。



親不知海岸への入口となる、国道8号天険トンネルの糸魚川側にある駐車場へとやって来ました。



この駐車場から遊歩道を歩いて、旧北陸本線親不知隧道と親不知海岸へと行くことができます。



遊歩道といってもちょっとした山道ですが、整備はされているので、行き来するのに特に問題はありません。



遊歩道がある小さな谷を流れる沢が、大雨のためにまるで滝のようになっています。



旧北陸本線親不知隧道です。少なくとも5回は訪れていますね(笑)。



親不知隧道を歩くのは後にして、先に親不知海岸へと下ります。





この狭い一角だけ、海岸へと降りることができます。





国道8号の旧道が崖の中腹に開通するまで、旧北陸道を往来する人々はこの海岸線を潮の満ち引きの隙間を縫って命がけで通過していたわけですが、現在は海岸の浸食が進んでしまい、この海岸を旅人が往来していた名残りを見ることはできません。

親不知隧道まで戻ってきました。今から667mのトンネルをくぐっていきます。



廃トンネルですが、2016年に糸魚川市により遊歩道として整備されて、誰でも気軽に古い煉瓦トンネルを散策できるようになりました。入り口には懐中電灯も用意されています(私たちは自分で懐中電灯を用意しています(笑)。)。



何度も来ているので、もう特に説明するような事はありません。











海岸に近いことと、この日は雨天のためかトンネル内部の後半は靄がひどく(と言っても歩いている分には全然気にならない程度。)、カメラのフラッシュを焚くと真っ白になってしまい、ほとほと参りました…。



反対側へと出てきました。



富山側の坑門になります。トンネル内部から靄があふれ出ています。





対岸へと渡った先には若水隧道があるはずですが、木々がうっそうと生い茂り、痕跡を何も見ることができません。



ここから遊歩道は斜面を登り、廃線跡よりも上部を通っている旧国道へと向かっていきます。



親不知隧道とはこれでお別れです。



旧国道へと出てきました。この道は明治16年(1883年)に開通しました。現在はこの道も遊歩道となっています。



親不知隧道の対岸付近まで歩いたところで引き返し、駐車場へと戻っていきます。



はるか先に北陸道親不知インターチェンジ付近の高架橋が見えています。親不知にインターチェンジを造る予定がなかったら、ここもトンネルで通過していたのでしょうね。



この道が開通した際に記念に刻まれた「如砥如矢(とのごとくやのごとし)」の文字。「(この道路は)砥石のように平らで、矢のように真っ直ぐである。」との意味だそうです。





道路から海側を覗き込むと急傾斜の崖。道路建設がいかに難工事であったか伺えます。



現在の国道8号は、一部がトンネルになっていますが、親不知・子不知の多くの区間は未だに崖の斜面にロックシェッドを築いて通過しており、難所であることに変わりはありません。



親不知海岸での散策を終えて、この後は糸魚川市街地へと移動して昼食。

次に訪れたのは、糸魚川市内にあるフォッサマグナミュージアム。



糸魚川市付近に存在するフォッサマグナ(中央地溝帯)や名物のヒスイ、さらに関連して化石や石・鉱物などを紹介・展示する施設です。

ここはなかなか興味深くて面白かったです。地学や化石に興味がない人でも十分に楽しめると思います。









博物館見学後は、国道148号で大町市を経由して長野道安曇野インターチェンジへと出るルートを取ります。このルートも親不知からの帰り道としてよく走ります。

最後に訪れたのは、長野県北安曇郡小谷村にある姫川橋。昭和14年(1939年)に竣工したコンクリート造橋梁です。







姫川橋から旧国道の橋と現国道のスノーシェッドを眺めます。



橋を渡った先にあるロックシェッド。急峻な姫川沿いの渓谷を通る国道148号は(これは旧道のものですが。)ロックシェッド・スノーシェッドだらけです。



時刻はもう17時。寄り道はここまでにします。



この後は、国道148号をふたたび走行しますが、眠気に襲われて道の駅白馬で1時間ほど仮眠。すっかり暗くなった国道・県道を記憶とナビを頼りに走り継ぎ、長野道安曇野インターチェンジから高速道路へ。梓川サービスエリアで晩御飯を食べて、ここでもしばし休憩。



この先では、長野道・中央道が塩尻北インターチェンジから伊北インターチェンジまで雨による通行止めとなり、国道19号・153号で迂回することに。

特に塩尻市から上伊那郡辰野町へと抜ける国道153号善知鳥峠付近では、国道の路肩のあちらこちらから土砂交じりの水が大量に路上へと流れ込んでいて、たびたびフロントガラスまで水をかぶるような中での走行となりました。

伊北インターチェンジからようやく中央道へと乗りましたが、またも大雨の影響で飯田山本インターチェンジから中津川インターチェンジ間が通行止め。

飯田山本インターチェンジからはふたたび国道153号へと下り、真夜中の山道を同じく迂回する車に挟まれながら自宅へと向かうことになりました。

Posted at 2021/09/05 22:22:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2019年12月01日 イイね!

旧北陸本線山中信号場跡と小刀根隧道

11月30日土曜日、福井県南越前町に残る旧北陸本線山中信号場跡と敦賀市に残る小刀根隧道を見てきました。

当日午前中、春日野隧道の探索を終えて、次は旧北陸本線の廃トンネル群を通り抜けて、小刀根隧道へ向かいます。

国道8号から県道205号を経由して国道365号へ。途中のコンビニで昼御飯を食べつつ小休止。南越前町今庄からは県道207号へ入ります。この県道207号が旧北陸本線山中越えルートを転用した道路です。

初めは、この区間はそのまま通過するつもりでした(何度も来ているので(笑)。)。が、山中信号場跡まで登ってきたところ、かつての信号場内の木々や雑草が刈り払われていて、すっきりした風景になっていました。

「それならば、ちょっと立ち寄るかな。」ということで、急きょ寄り道しました。



駐車した場所から眺める信号場内のロックシェッド(上)と本線のロックシェッド(下)。ここ山中信号場跡は、1919年(大正8年)に開設されたスイッチバック形式の信号場でした。信号場とは、駅間距離が長い単線区間で列車の行き違いを行うための施設で(複線が単線になる場所にも設けられる。)、駅と違って旅客や貨物の取扱いはしません。



いつも山中隧道で引き返していて、ここ最近はこちら側まで来ておらず、「知らないうちにここまで整備されたのか。」と少々驚きでした。



立派な説明板もありました。説明板内の信号場レイアウト図は「?」な感じですが(笑)。もう少し写実的に書いていただけるとワタクシ的には嬉しいんですが。



さっそく敷地内へと歩いていきます。昔来た時は林道みたいな狭い道が木々や雑草の間にあったという記憶しかありません(正しいかどうかはあれですが。)。



あらためて見ると「長い!」。さすが幹線にある信号場の待避線です。特に幹線を行き来する貨物列車は長大ですから、待避線も長くないと本線にはみ出てしまいますからね。



傍らには線路に敷かれていたバラストがそこかしこに残っています。玉砂利なのが現役だった時代を感じさせます。



待避線用のロックシェッドです。枠が2つあるということは、当然、待避線が複線であったということです。複線が必要なほど列車(多くは貨物列車。)が行き来していたということですよ。





ロックシェッド横の擁壁に刻印された完成年月。「1955-10」ですから、1955年(昭和30年)10月。まだまだ国鉄が国内輸送に活躍していた時代です。



同じ時代の地方の国道がどれだけ貧弱であったかは、春日野隧道への旧国道を見ればよくわかります。長距離の貨物・旅客の輸送に鉄道が活躍していたのもうなずけます。

ロックシェッドの構造は、廃レールで組んだ骨格にコンクリート板を載せた簡素なものです。





天井を見ると、谷側が奥まで煤煙で汚れています。長い編成が入る線路が谷側だったのでしょうか?



ロックシェッドの先は杉林になっていますが、かつてはこの先まで信号場の構内が続いていたようです。



築堤の形がはっきりとわかります。



ロックシェッドまで戻ってきました。



信号場跡から敦賀側を眺めています。長さは500mくらいはあるんですかね。



私の車があんなに小さく見える(笑)。



説明板に当時の写真がありましたので参考に。昔と比べると杉の植林が増えています。周りに何もない山奥の信号場で多くの人が勤務していたんでしょうね。





本線(現在は県道207号)のロックシェッドです。







路肩に残っていた基礎と思われるもの。昔は待避線用のロックシェッドと同じタイプのものだったのでしょうか?



このあと、信号場内のレイアウトを確かめるべく、山中隧道横の引込線用トンネルまで歩いて登ります。引込線用トンネルは何度も立ち入っているので写真は無し。やはり長大編成用の施設だけあって移動も大変(笑)。

山中隧道をちょいと覗き込んで、



車まで戻ってきました。望遠で撮っているので強調されていますが、急勾配の峠であったことがよくわかります。



最後に敦賀市内南部の旧北陸本線小刀根隧道へ来ました。



敦賀側の坑口です。ここも何度も来ているので、今さらという所ですが、やはり寄ってみたくなる場所です(笑)。





要石に刻まれた完成年「明治十四年」。1881年になります。



私が住んでいる愛知県安城市は東海道本線が通っていますが、この当時はまだできていません(安城市内の東海道本線ができたのは1887年・明治20年)。

トンネル内の様子。















このトンネルの特徴は、側壁部分でしょうか。ほとんどは石積みですが、布積みだったり、乱積みだったり、中には岩盤をむき出しにした部分もあり、それらをまるでパズルのように組んであります。

米原側の坑口です。ご覧のとおり山の端に造られていて、トンネルというよりはロックシェッドでしょう。







帰りに退避坑をよく見てみたら、コウモリが1匹冬眠していました。





最後に敦賀側坑口からの眺めです。正面に県道140号の刀根トンネルが見えていますが、かつては旧北陸本線の刀根隧道でした。



Posted at 2019/12/01 18:00:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2019年11月23日 イイね!

牛ノ谷峠の旧北陸本線廃線跡と牛ノ谷隧道

11月23日土曜日、福井県と石川県の県境にある牛ノ谷峠に残る旧北陸本線の廃線跡と牛ノ谷隧道へと出かけてきました。

最初に訪れたのは、峠の石川県側、国道8号と北陸本線が立体交差する地点です。



現在、北陸本線は国道8号を越えて、右側を直進して熊坂トンネルで峠を越えていますが、昔は国道8号は越えず、左側を進んでいました。

ここから旧線の築堤を辿ってみます。築堤の上はなぜか刈払いがされています。ピンクリボンがあちらこちらに付けられているので、土地に関する調査のためでしょう。



しかし、しばらく歩いていくと刈払いは終わり、濃密な矢竹の薮が見えてきました…。甘くないですね…。ここが落葉樹の森ならば、この季節は障害物も無くて視界も良好なのですが…。



仕方がないので、ここからは左側の杉林の中を進むことにします。こちらも手入れはされていないため杉の木の下に薮が広がっていますが、日が当たらない分、いくらかはマシです(笑)。途中、ぬかるんだ斜面で滑った足が根っこに絡まり、足を捻りそうになるなど危ない場面もありました。が、気を取り直しつつ、草や低木を掻き分けながら進みます。

歩いていくうちに小さな沢筋にぶつかったので、廃線跡側を眺めてみると暗渠があるように見えます。ただ、薄暗いのでコンクリート造なのか何なのかよくわかりません。

転ばないよう注意しながら沢を降りていくと煉瓦造暗渠がありました。



小さなものですが、昔の遺構を見つけるとテンションが上がりますね。煉瓦造というのがなお良いです(笑)。暗渠の上の擁壁部分は布積みの石積みです。



しかし、本当に薄暗いので、フラッシュを焚かないとまるで夜にやって来たみたいです。



ご覧のとおりの煉瓦積み三重半円アーチです。標準的なタイプです。



奥までは見通せませんが、見える範囲はきれいに煉瓦アーチが保持されています。



内部にレールを半円に曲げた補強材が設置されています。後補によるものと思われますから、誰かがこの狭い穴を潜っていって設置したんでしょうね(笑)。

ここの暗渠の左手側には、旧国鉄の境界杭が残っていました。



境界杭のところから廃線跡へとふたたび出てみましたが、薮は全然収まる気配がありません…。



このあとも廃線跡と杉林を行ったり来たりしながら、じりじりと進んでいましたが、ついに音を上げてしまいました…。

ここから国道へと脱出です。



国道へと降り立ち振り返って見ると、立体交差のガードが見えています。



暗渠の写真を撮っていたとは言え、最初の写真を撮ってから37分でこれだけしか進めなかったとは…。

国道の歩道を歩いて峠側へと進んでいきましたが、やがて歩道が無くなりました。廃線跡も国道に削られてしまったようだったので、ここで一旦引き返しました。



もう少し峠寄りの駐車帯へと移動してきました。



今回の主目的である旧北陸本線牛ノ谷隧道の大聖寺駅側坑口の確認へとむかいます。

国道の左側には、ふたたび廃線跡の築堤が続いていますが、駐車した駐車帯の先で途切れてしまいます。途切れた辺りに牛ノ谷隧道の坑口があったと推測されています。

現存している築堤の末端部は小川が横切っています。写真はその小川の先の築堤の残存部分。



小川の中から国道を見上げています。



周りを探ってみると、小川の中に煉瓦が転がっていました。



築堤の斜面にも煉瓦を見つけました。



まずは築堤の先端部へと登ってみましたが、煉瓦を1個見つけた以外はこれという物は見当たりませんでした。

続いて、小川の中を上流へ遡ってみましたが、3つほど煉瓦や煉瓦のかけらを見つけただけで、やはりこれという物はありません。

ただ、ここにも旧国鉄の境界杭があったので、この築堤が旧線であることは間違いはないようです。



今度は国道を渡り、坑口があったと推定できる場所を見回してみましたが、何の痕跡も見つけられませんでした。

渡った先にある作業道から築堤の先端部を眺めています。



どのくらいのカーブで山の斜面へと突入していたのかわかりませんが、作業道は急坂で登っているので、写真の真ん中から左側あたりに坑口があったのではないでしょうか。

さて、牛ノ谷隧道は1963年(昭和38年)に現行線の熊坂トンネルの供用開始により廃止となりました。大聖寺駅側坑口が見当たらない理由として考えられるのは、国道8号の拡幅に際して坑門は破壊され埋め立てられた。もしくは作業道建設の際に破壊され埋め立てられた。といったところでしょうか。

解せないのは、破壊・撤去に伴う煉瓦の塊や煉瓦の屑が周囲に全然残っていないことなんですよね。昔の工事で「塵一つなく」現場の廃材を片付けてしまうなんて考えにくい。そうなると土を被せて埋め立てただけなのか(周囲で山の斜面をコンクリートで施工した場所は見当たらない。)?

もうひとつは、小川をどのように渡っていたのか?桁橋だったのか暗渠だったのか?築堤なので暗渠が可能性大ですが、これも何の痕跡も残っていません。小川の流れを支障しないよう、掘削してしまったのでしょうか?

取りあえず、「現存していない。」という答えは得られたので、これで終わりとします。いつか「同業者」の方が何か見つけてくれることを期待します。

最後に牛ノ谷隧道の牛ノ谷駅側坑口へと向かいます。

その前に牛ノ谷駅に立ち寄り、トイレと手洗い。





駅からもう少し奥へと入り、高速道路の側道へ車を停めておきます。



牛ノ谷隧道の牛ノ谷駅側坑口へとやって来ました。



昨年来た時は10月。1か月遅い分だけ、多少は見晴らしがよくなっています。



坑内は相変わらずの水没です。













多少は水位が下がっていないかと期待していましたが、昨年10月と変わっていませんでした。





ということで、この地点で長靴が限界。引き返しました。





多分、梅雨時などの雨が多い時期は煉瓦の地が見えている高さまで増水するんでしょうね。



チョークで引いたような線が付いていますが、これも水面の跡なのでしょう。



この奥の閉塞地点まで行くことができたら、破壊されたうえで埋め立てられたのか、単に埋め立てられただけなのか、わかるかもしれませんけどね。
Posted at 2019/11/23 22:00:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月18日 イイね!

親不知海岸付近の北陸本線廃線跡などを巡ってきました

8月17日土曜日、新潟県糸魚川市の親不知海岸付近に残る旧北陸本線の廃線跡などを巡ってきました。

当日は自宅を5時20分頃出発。東海環状道、東海北陸道、北陸道を経由して現地を目指します。写真は東海北陸道飛騨白川PA。



北陸自動車道の朝日ICで下りて、親不知海岸に到着したのは11時頃。



たまたま車を停めた駐車帯から海岸を覗いたところ、「建築材料の暴露試験実施中」の看板が。



平成4年7月開始ということは、27年間晒したままということになりますね。

さっそく、この駐車帯から廃線跡を追っていきます。右側の擁壁は旧線時代のものだそうです。



崖の中腹を通る国道8号のすぐ真下が廃線跡なので、目で追いながら進んでいくとロックシェッドがありました。



沢を挟んだ対岸にも骨組みだけのロックシェッドの残骸。



海岸へ降りるための作業道の跡があったので、廃線跡まで登ってみました。海岸からけっこうな高さがあります。



ここからロックシェッドに近づいてみようとしましたが、雑草の密度が濃くて諦めました。

これは橋脚の跡?ただ、橋脚にしては立っている間隔が狭すぎるので、ロックシェッドの基礎ということも。



石積みの橋脚。草むらの中に3本くらい残っていました。





さらに進むと橋梁が残っていました。位置を見ると何となく廃線跡と高低差に違いがある気もしますが、橋桁は恐らく転用したものでしょう。



旧線はこの先で若水隧道というトンネルになっていたようですが、見た限り痕跡はわかりませんでした。多分、国道8号の改修に合わせて埋め立てられたのでしょう。

国道のロックシェッドの上に乗り、橋梁から駐車帯までの海岸を眺めます。



廃線跡を歩道として活用しようとしたようですが、ここから車を停めた駐車帯まで歩道はなく、頓挫したようです。

これで一旦車へと戻ることにします。元来た海岸を戻るのと国道を歩いて戻るのと2通りありましたが、交通量が多く、歩道も十分な路肩もない国道を歩く気にはならず、海岸を歩いて戻りました。



次に来たのは、旧北陸本線親不知隧道。国道8号天険トンネルの糸魚川口にある駐車帯から降りていきます。



親不知隧道の糸魚川側坑門です。トンネル延長は667m。訪れたのは約3年ぶり。





前回来た時点で遊歩道として再整備されていましたが、現在も管理されているようです。











散策できる廃トンネルとして徐々に浸透してきているのか、家族連れなどが何組もトンネル内を歩いていました。未整備の頃を思うと変わったものです。

距離標ですかね。「3」とありますから、300mということですね。昔からここにあったものであるかはわかりませんが。



SLからの煤煙がすごかったのか一面灰色です。



煤が壁面にこんもりと付着しています。



見た目、吹き付けたウレタンみたいな感じですが、触ると硬いですし、手が真っ黒になります。

連絡用の電話機でも据え付けてあった場所でしょうか。



煉瓦同士を接着してたモルタルの成分が浸み出して鍾乳石のようになっています。



出口に近づいてきました。



富山側の坑門になります。





この先は、沢を渡る鉄橋が撤去されており通行不能。若水隧道という廃トンネルの糸魚川側坑口がこの先にあるはずですが、晩秋などまた時期を見て検討したいと思います。

もう一度、親不知隧道を歩いて引き返し、次の廃トンネルへ向かいます。

国道8号を糸魚川方面に進み、親不知海岸のロックシェッド区間が終わった所にある駐車帯。正面の薮の中に廃トンネルがあります。



旧北陸本線大崩隧道。



ここは、現在線の線路保守用の通路として活用されているようです。



親不知隧道と違い、このトンネルの側壁は石積みです。



天井の一部はコンクリートで補修されています。



経年劣化で天井の煉瓦が隔離していますが、放置されたまま。



落ちてきた煉瓦の塊は脇の待避壕に避けてありました。



なぜかこんな場所にクッションドラムが。カメラがドラムの反射材に反応してか、暗めにしか撮れません。



反対側に出てきました。正面の木々の中に旧風波隧道がありますが、手前に深い沢があるので、こちらからの進入は困難でしょう。



富山側の坑門です。



次は、親不知駅にやって来ました。駅名は「親不知」という名称が付けられていますが、駅のある集落名は歌(うた)といいます。







北陸新幹線が開通するまではJR北陸本線でしたが、現在は第三セクターのえちごトキめき鉄道線となっています。

少し駅周辺を散策してみました。

歌集落のある海岸沿いの狭い平地には、海側から北陸自動車と親不知IC、国道8号、えちごトキめき鉄道線、旧道といろいろな交通ルートが集中しています。



鉄道の子不知トンネルと高速道路の子不知トンネル。







ここからまた親不知区間を引き返し、今度は親不知の西側の入口に当たる市振集落にある市振駅へとやって来ました。





来た理由は、親不知駅前の案内板に市振駅に煉瓦造危険品庫があると表記してあったため。

地味ながらも装飾が施されていて、なかなか良い小品です。





最後に旧北陸本線風波隧道へと来ました。

まずはこの段差を力任せによじ登ります。



何とか廃線跡へとよじ登ることができました。富山側の坑門になります。坑口からは靄が噴き出しています。



トンネルは緩くカーブしており、反対側の光は見えません。奥から靄が流れてきて、フラッシュに反射します。



このトンネルも側壁は石積み。親不知、風波、大崩の3つのトンネルのうち、親不知隧道だけがなぜかトンネル内を全て煉瓦積みで造っています。



反対側に出てきました。トンネル内を鉄骨で補強しており、トンネルが変形してきていたのかもしれません。





糸魚川側坑門に連続して設置されているロックシェッド。鉄骨はレールを流用しているようです。



振り返って糸魚川側の坑門。



この時点で時刻は17時20分過ぎ。足早にトンネル内を戻ります。

で、旧風波隧道から降りる際に、鉄骨が刺さっているコンクリートの土台に指をかけて、右手の溝から徐々に滑り降りようとしたら、指がいきなり滑り、そのまま一気にずり落ちてしまいました。



その時の反動で左肘から手首にかけて幾筋も擦り傷を作ってしまいました。最後にやってしまったなという感じでしたが、この程度で済んでよかったですよ…。

トンネルの上にある駐車帯に戻ってから、トイレの洗面台で念入りに腕を洗っておきました。傷に浸みましたが、ばい菌が入るといけないですからね。

帰りは北陸自動車道親不知ICから高速道路に乗ることに。

日本海に沈む夕日がきれいだったので、ロックシェッド区間の途中にある眺望の良い駐車帯へ。家族連れやカップルの方々が良い場所にいたので、私は隅っこから撮らせていただきました(笑)。



帰りのルートは行きに通ったルートの逆走。

大分疲れが出たので、東海北陸道飛騨白川PAで仮眠。起きたら日付けが変わっていました。



ふたたび走り始めましたが、東海環状道まで来たところでまたも眠気が。結局、せと赤津PAで夜明けを迎えました(笑)。



明るくなったので、ついでということで、トヨタ自動車上郷工場の専用線跡に唯一残る高架橋の土台を撮ってから家に帰りました。







往復での走行距離は735km。遠方での探索は疲れが残るようになってきましたね…。
Posted at 2019/08/18 20:58:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2018年10月28日 イイね!

北陸本線牛ノ谷隧道

今日は、福井県と石川県の県境、牛ノ谷峠にある北陸本線の廃トンネル「牛ノ谷隧道」へと出かけてきました。

現行線のトンネル名称は「熊坂トンネル」ですが、旧トンネルは牛ノ谷隧道とも熊坂隧道ともあり、どちらが正しいのかいまいちわかりません。記述としては「牛ノ谷」が多いので「牛ノ谷」としました。

まず、やって来たのは国道8号牛ノ谷峠の石川県側にある駐車帯。



現存しているのか不明な大聖寺駅側の坑門を探してみようと思ったからです。

雨が降りしきる中を2時間以上、国道沿いに道路の山側にある谷筋や地形の凹みを探し回ったわけですが、まあ、結果から言うと失敗でした。そもそも探し回った場所が間違っていたようでした。





もし探すのであれば、国道8号に沿って残っている旧線跡からアプローチすべきだったようです。車を停めていた駐車帯からほんの少し峠寄りの路肩一帯を当たるべきでした。

服をずぶ濡れにしてアタックしていた大聖寺駅側の探索は、全くの徒労に終わりました(一時迷子状態にもなってしまった…。)が、体を動かして日常の毒気が抜けたせいか、気分的には割とすっきりしてました(笑)。

大聖寺駅側は日を改めて再探索してみようと思います。

次は、場所が明確な牛ノ谷駅側の坑口へと移動します。

牛ノ谷駅から先、北陸自動車道の側道沿いにさらに奥。北陸本線熊坂トンネル横の斜面上に出ます。さすがに現行路線の線路沿いを歩くわけにはいきませんからね。

雨でぬかるんだ急斜面を木立ちを頼りに滑り降りて、ようやく廃トンネル前に着きました。

牛ノ谷隧道。牛ノ谷駅側坑口です。



まだ落葉していない木々に遮られてしまい、トンネルの全景は撮れませんでした。









トンネル前のぬた場を越えて、トンネル内へと入ってみます。

何かまあ奇妙なものが天井から垂れ下がってますね。





坑口に土砂と廃材が積まれているため、トンネル内部は水没しています。靄も濃いです。

ここはそんなに高い峠ではないのですが、鉄道にとっては難所だったのでしょう。SLからの煤で灰色に染まってます。





「目地劣化」のペイント。目地から土が浸み出しています。



天井にキラキラしたものが見えるのは、白華現象によるものでしょうか。



溜まっている水はきれいに澄んでいます。





ふたたび煉瓦の状態についてのペイント。煉瓦造トンネルの経年調査に使われているのかもしれません。





ようやく一つ目の退避坑にたどり着きました。



行けども行けども灰色です。



入ってきた坑口を振り返りました。ややカーブしているのがわかります。



まだまだ先は続きますが、そろそろ長靴では限界だったので、この地点で引き返しました。



帰りは坑門のすぐ横からトンネル近くを通る林道へと登りました。





雨天、急斜面に杉木立・雑木林と深い笹薮に阻まれながら、久しぶりに疲労感が強く残る廃線探索となりました。まあ、安全には留意しつつ、たまにはクタクタになるまで体を動かすのも良いものです。
Posted at 2018/10/28 22:15:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記

プロフィール

「旧熊野街道 船木橋・神瀬橋・ねじりまんぽの道路橋 http://cvw.jp/b/1796277/45557442/
何シテル?   10/21 19:30
小林あにと申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、たまに廃線・廃道を歩いてみたり、ごくたまにミニサイズのラリーに出場してみたり、やる気がな...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2021/10 >>

     1 2
345678 9
10111213141516
17 181920 212223
24252627282930
31      

ブログカテゴリー

愛車一覧

スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
所有4台目(4代目)となるインプレッサ。 ガチガチのマニアというわけではないですが、4 ...
スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
平成16年夏に購入。 自身3台目のインプレッサとなります。 購入理由は、2台目インプレ ...
スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
平成9年夏購入。 インプレッサ2台目。 行きつけの車屋さんへタイヤ交換の依頼をしに行っ ...
スバル インプレッサWRX スバル インプレッサWRX
平成7年夏購入。 インプレッサ1台目。 購入動機は、WRCのビデオを見たのが一番。 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
©2021 Carview Corporation All Rights Reserved.