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小林あにのブログ一覧

2021年04月29日 イイね!

宮崎海岸・吉良吉田駅の廃線跡・龍潭寺

2021年4月24日・25日は、両日ともドライブに出かけました。

まずは4月24日土曜日。エンジンオイルの交換を済ませたついでに、西尾市吉良町の宮崎海岸までドライブしてきました。



まずまずの天気で気温も暖かかったので、遊びに来ている人が思っていたよりも多かったですね。海に入って遊んでいる人もいましたし。



あとは釣り人が多かったですね。防波堤や桟橋と至るところに居ました。



隣接の漁港は静かでしたけど。



海岸を歩いた後は、近くの丘の上にある幡頭神社へと行ってみます。



幡頭神社の拝殿と本殿。本殿は国の重要文化財に指定されています。





神社から戻ろうとしたら、大きな犬を散歩中のおじいさんが参道の鳥居の下に腰かけてしまったので、違う道から戻ることに。

おかげで来たことのない眺めの良い場所に出会えました(笑)。



宮崎海岸をあとにして、次に立ち寄ったのは名鉄西尾線の吉良吉田駅から西側にわずかに残る旧三河線の跡。



今は吉良吉田駅と蒲郡駅を結ぶ蒲郡線の電車の留置線として使われている部分にだけ、線路と架線が残されています。









吉良吉田駅へと向かっていくうちに、ちょうど蒲郡線の電車がやって来ました。



昔は観光路線としてパノラマカーの特急が走っていた蒲郡線ですが、今は常に廃止の危機にさらされている状況です。

吉良吉田駅。



旧三河線の廃止区間は、猿投~西中金のいわゆる「山線」側はけっこうレールも含めて廃線跡が残っていますが、平野である碧南~吉良吉田の「海線」側は跡形もなく整地されてしまった部分が多いです。

なので、ほんのわずかな区間ですが、「海線」の貴重な名残りとも言えます。



さて、翌4月25日日曜日。この日は私が誘って、家族で静岡県浜松市北区引佐町井伊谷にある龍潭寺を訪れました。彦根藩主であった井伊家の菩提寺です。



境内は多くの緑に覆われていて、この季節らしく新緑が眩しいです。



本堂前の庭園。





この寺で最も有名なものが本堂北庭の庭園です。小堀遠州作と伝わっています。





こちらは書院からの眺め。書院側からの眺めも素晴らしいと紹介されていました。



本堂。



仁王門。



やはり、本堂北庭の庭園を腰を落ち着けて眺めている人が多かったですね。このような落ち着いた風情のある場所も、気分転換に良いものです。
Posted at 2021/04/29 11:19:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2021年04月24日 イイね!

雨の中を白川郷までドライブしてきました

2021年4月17日土曜日、雨の中を岐阜県の白川郷までドライブしてきました。

まあ、土曜日が雨になることは天気予報で当然知っていたわけですが、雨中のドライブというのも悪くないものなので、出かけた次第です。

白川郷へとありますが、出発した時点での目的は御母衣ダムとそのダム湖沿いにある国道156号福島保木トンネルの旧道を歩くつもりでした。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

そういう訳で、新東名豊田東ICから高速に乗り、東海環状道、東海北陸道と経由。荘川ICで国道158号へ下りてから、そのまま国道156号へ入り、福島保木トンネルまでやって来ました。

で、旧道なんですが、結論を言いますと柵で封鎖されていました…。

2016年9月に訪れた時はまったく封鎖されておらず、旧道を往復してきたわけですが残念です(写真はその当時のものです。)。



旧道のほぼ全区間がトンネルと年代の異なるロックシェッドの継ぎ接ぎで構成されているので、雨でも濡れずに歩けるなと思っていたんですけどね。写真も撮り直したかったし。安全確保のためには当然の処置ですね。

仕方ないので、御母衣ダムへ向かうことにします。

福島保木トンネルを通り抜けてから、旧道を横目で見てみたら、ロックシェッドが崩壊している箇所が目に入りました。以前来た時は現役そのままの状態だったので、封鎖された原因なのかもしれません。

続いて、御母衣ダムの堰堤への出入口まで来ましたが、何か工事をしているようでこちらも封鎖されています。どうもねぇ…。

国道156号を当てもなく先へ進むことにします。

御母衣ダムから少々先へと進んだ所で、合掌造りの家が目に留まり、立ち寄ってみることにしました。

旧遠山家住宅です。国の重要文化財に指定されているそうです。





土砂降りの中、写真を撮ろうと家の周りをウロウロしていたら、中から受付の人が覗いているので、入ることにしました。

1階の写真です。部屋はたくさんありますが、家の中というのはどうにもうまく撮れませんね。







2階の写真です。いろいろと古い生活用具が展示されていました。



囲炉裏からの煙が家中に回るように、天井や床の一部は竹を編んだ「すのこ」(「すのこ」と言っていいのかわかりませんが。)になっています。





こんな雨の中、私以外に訪れていた人はおらず、じっくりと見物させていただきました。

さて、ここまで来ると白川郷まではもう一息。合掌造りの家を見たことですし、せっかくなので、もうちょっと足を伸ばしてみることにします。

この辺りの山は上の方がまだ真っ白です。地図で見ると標高は2000mくらい。





白川郷へと到着しました。適当に散策してみます。



桜の花がまだまだ残っています。



明善寺の本堂と鐘楼門。





こういう何気ない風景でもいい味があります。



明善寺の庫裡。ここも中に入れるとのことで見物します。



ここはいきなり2階へと案内されました。この家も床の一部がすのこになっています。



こちらも古民具が展示されています。



2階の窓からの景色。



3階です。床のほとんどがすのこ。梁の上に板が渡してあるので、その部分を歩いていきます。すのこの目が細かいので、特に怖いことはありません。



2階・3階は囲炉裏からの煙が上がってきていて、けっこう煙たかったですね。そのおかげで煙の煤や油分が柱などに浸み込んで防腐効果があるそうです。

白川郷に滞在していたのは45分くらいでした。こんな天気でしたが、思っていたよりも訪れている観光客は多かったですね。



帰りは白川郷ICから東海北陸道に乗ります。

河合PAにて。





そのまま高速で帰ってもよかったですが、ちょっと寄り道する気分になり、次の飛騨清見ICで国道158号へと下ります。

寄り道先は、国道158号の旧道「新軽岡峠」。何かあるという旧道ではありませんが、ただ通ってみたかっただけです(笑)。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

新軽岡峠。他の訪問者の方々のコメントどおり、これといった特徴のない単なる峠ですね。ただ、ここへ登ってくるまでの道の屈曲ぶりは大変でしたが。



一応、狭い箇所でも一車線分の轍は残っているので、廃道と言うほどではないですが、車に枝や草が当たるのが嫌な人は無理ですね。





おまけの話。新軽岡峠のさらに南側に軽岡峠があります。軽岡峠が旧来からの街道筋で、昭和36年(1961年)に新軽岡峠が開通するまでは、こちらの峠が使われていたそうです。



軽岡峠の前後には明治38年(1905年)に改修された峠道、峠には建設時期不明の古いトンネルが圧壊した状態ながら残っています。

この峠も一度は訪れてみたいとは思っていますが、訪れた方のレポートを読むとけっこう難儀しそうな感じなんですよね。高山側から入るか荘川側から入るかで難度は違うようですが。

難儀しそうな場所の訪問時期の理想は初春か晩秋・初冬ですが、初春は過ぎてしまったので、次のチャンスは晩秋・初冬ですかね。今年中に行くのか、また行かないまま年が変わるのか、気分次第ですけどね。
Posted at 2021/04/24 05:09:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年04月18日 イイね!

徳山ダム・土倉鉱山跡・木之本地蔵院と巡りました

2021年4月11日日曜日、弟からの誘いで母と一緒に徳山ダムへとドライブに出かけました。

車は弟のパジェロミニです。



最初に寄り道したのは、岐阜県揖斐郡揖斐川町の横山ダム。



場所はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダムカードを模した記念撮影用のフレームが設置されていました(笑)。



揖斐川沿いにさらに進むこと20分あまり。目的地である徳山ダムに到着しました。天気が良いので、訪れている人たちがけっこういます。車やバイクだけでなく自転車で来ている人たちもたくさんいて、今さらですがちょっと驚きですね。



徳山ダムは、ダム湖の総貯水容量が6億6000万㎥で日本一、堤高は161mで日本第3位のダムです。







場所はこちらになります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダムを支える山は上部までコンクリート工でガッチリ固められています。



ダム堰堤の上を散策。









駐車場の反対側からの眺めです。



ダム堰堤を往復したところで、次の場所へと移動します。

次にやって来たのは徳山会館。



場所はこちら。ダム湖に突き出た岬の上にあります。



ここは、展示物・映像・本などにより、徳山ダムに沈んだ旧徳山村を紹介するための施設です。ちょっとしたレストランもあるので、昼食でも食べようかと思っていましたが、臨時休業中だったのは残念でした。

これでひとまず今日のドライブの目的は終了。次は私の希望で滋賀県長浜市の山中にある土倉鉱山跡へと向かうことにします。

横山ダムまで戻り、ダム湖に架かる奥いび湖大橋を渡って滋賀県方面へと向かいます。橋の先では現在トンネル工事が行われていて、片側交互通行になっていました。



土倉鉱山跡へ行く前に私が「やはり昼御飯を食べたい。」ということで、揖斐川町坂内にある道の駅「夜叉ヶ池の里さかうち」に立ち寄りました。



食べたのは「ジビエカレー」。鹿肉入りのカレーですね。



臭みはなく、煮込まれているから肉も柔らかくて、美味しくいただきました。私が食べたのを見てか、弟がレトルトパックを売店で買っていました。

さて、岐阜・滋賀県境にある国道303号「八草トンネル(3025m)」を通過してしばらく走ると、かつての旧国道が分岐していく場所があり、「土倉鉱山跡」と小さな案内板があります。

狭い舗装路をしばらく走ると、さらにもう1か所案内板があるので左折します。

場所はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

土倉鉱山跡です。これは選鉱場の跡だそうです。



現地にあった説明板によると、土倉鉱山は銅鉱山で、1910年(明治43年)に採掘を開始し、1965年(昭和40年)に閉山となったそうです。目の前にある選鉱場は、1942年(昭和17年)から閉山まで使用されていたとのこと。



選鉱場跡への立入りは危険なために禁止されているので、外から見物するだけですが、斜面にコンクリートの廃墟が林立している様は、なかなか迫力があります。











選鉱場跡からさらに奥に100~200mほど進むと鉱山の坑口が残されています。



坑口は、ご覧のとおり厳重に封鎖されています。覗いてみると坑内は水浸しになっていて、大量の水が流れ出しています。そのまま近くの川へと流れ出していますが、正直、鉱山廃水としての処理をしないで大丈夫なんでしょうかね?



坑門には、左側だけですが壁柱が設けられていて、地味ながらも「鉱山の顔」としての装飾が施されています。



選鉱場跡まで戻ってきました。



そんなに長い時間いたわけではありませんが、その間にも入れ替わり立ち替わりに見物する人たちがやって来ていました。グーグルマップのナビでも検索できますからね。



最後に訪れたのは、長浜市木之本町にある木之本地蔵院。



木之本町は滋賀県湖北地方の交通の要衝、北國街道・北國脇往還の宿場町として栄えた街で、今も街道沿いに古い街並みが残っています。

この辺りにドライブに来ると、その街並みを見るためにわざわざ(笑)木之本の街中を車で通過したりしていたのですが、その度にこのお寺のことが気になっていたので、今回立ち寄ってみました。

こちらは本堂。京都や奈良の大きな寺院と違って、地域の人々が気軽に参拝に来るいかにも庶民的な雰囲気のお寺ですが、歴史は相当古いそうです。



こちらは阿弥陀堂。



母に「最近はドライブへ行くとよくお寺や神社に寄るねぇ。」と言われましたが、元から神社仏閣へ行くことは好きなので(建物や仏像を見るのが主目的ですが。)、最近になってという訳でもないのですけどね。



帰りはそのまま北陸道木之本ICから高速道路へ。2時間半くらいで自宅のある安城市まで戻り、晩御飯は外食。2週連続で同じ中華料理店でした。



Posted at 2021/04/18 06:17:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年04月14日 イイね!

愛知・長野県境 旧新野峠の古道を探索してきました

2021年4月10日土曜日、愛知県と長野県の県境にある旧新野峠の古道を探索してきました。2月下旬に膝を痛めてから山中を歩く古道探索は控えていたので、前回の探索から約2か月ぶりの活動再開となります。

峠付近の地図はこちら。ひとまず、国道151号の新野峠から長野県側にある旧道の路肩(星印の場所)に駐車しました。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。



現在は、かつての別所街道である国道151号が県境を通過する場所を新野峠と呼んでいますが、旧の新野峠はさらに西方にあったそうです。

戦前の地形図には徒歩道として記されていて、図中の赤線がその峠道となります。


※5万分の1地形図「根羽」:明治41年(1908年)測図・昭和8年(1933年)修正測図。

それでは、駐車場所から国道151号に向けて旧国道を歩いていき、古道らしきものがないか確認していきます。

駐車場所からヘアピンカーブを一つ通り抜けた場所で、峠方向へと登っていく道跡を見つけました。さっそく突入してみます。





鮮明に道跡が残っています。



と思いましたが、すぐにあいまいになってしまいました。少し周囲を歩き回り、写真中、左斜めへと向かっている窪地を道跡と判断して進みます。



ここは明確な道跡があった右方向へと進みます。





少し進むと堀割りに合流しました。先程、右へと曲がりましたが、真っ直ぐ進んでもこの地点へ出たようです。



峠へと向かう道筋が幾筋もあるというのも、今までの経験則からままあることです。

もう峠が近い雰囲気になってきました。



坂を登り切ったところで、道跡は平坦な地形を右へとカーブしていきます。





切通しを通り抜けたり、鞍部を越えたりする、いかにも「峠」といった感じではなく、少々肩透かしな気分です。

正面に石仏が見えてきました。どうやらここが古来の新野峠のようです。



「愛知の歴史街道」によると、この石仏は「聖観音」像で寛保二年(1742年)の銘が刻まれているそうです。



石仏の右側に上へと登っていく道があるので行ってみることにします。



「金刀比羅大神」と刻まれた大きな石碑が立っていました。側面には「明治二十八年(1895年)八月建立」とありました。



石仏から先の道跡を進んでいきます。



この辺りは地形がなだらかなためか道跡が不鮮明で、わずかに窪んだ道筋や木の生え方を頼りに先へと進んでいきます。





倒木や薮で荒れてしまい、このまま進んでよいものか迷ってしまいます。



もう少し進んでみると道跡が復活してきました。





100mも進まないうちに、今度は道路で切断されてしまいました。



道路からさらに先を眺めてみると、道跡らしき窪地が見えています。



ひとまず道跡で間違いないでしょう。





道跡が切り刻まれた木材で埋もれてしまっています。



程なくして旧国道へと出てきました。短いですが、今回の探索としてはこれにて終了です。新野峠の古道は、このまま正面の谷へと下っていっていたそうです。



ここまで歩いてきたルートは図中の青線となります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

帰りは大回りになりますが、そのまま国道151号を歩いて車まで戻りました。

国道の新野峠にある国道標識と「長野県・阿南町」の案内標識。



国道151号の長野県管理区間のスタートとなる0kmポスト。



車へと戻ってきました。



今回探索した旧新野峠は別所街道の後身である国道151号沿いにある峠ですが、別所街道に指定されたことはなかったようです。

明治9年(1876年)に「渥美郡豊橋驛より長野縣伊奈郡界に至る」三等県道として別所街道が指定された当時、新野峠付近では現在の愛知県道74号に相当するルートが指定されていたようで、明治30年代に別所街道の車道(馬車道・荷車道)改修に伴い、新たに指定されたのが現在の国道151号ルートでした。

なので、旧新野峠を通る道が何と呼ばれていたのかわかりませんが、江戸時代には峠に石仏が置かれたり、明治時代に入っても石碑が建てられたりしているので、人馬の往来はそれなりにあったのでしょう。

さて、探索を終えて、そのまま道の駅「信州新野千石平」まで移動。ここで昼御飯を食べて一息つきました。



その後の帰り道も、あちらこちら寄り道しながらのんびり帰りました。

根羽村の旧国道153号に残る国道標識。



同じく根羽村の「月瀬の大杉」。







豊田市連谷町「伊世賀美隧道」。





Posted at 2021/04/14 23:11:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 別所街道・国道151号 | 日記
2021年04月04日 イイね!

三岐鉄道北大社車両区と豊橋鉄道赤岩口車両区を訪れました

2021年4月3日土曜日は三岐鉄道北勢線の北大社車両区を、4月4日日曜日は豊橋鉄道東田本線の赤岩口車両区を訪れました。

先週、三岐鉄道三岐線の保々車両区を訪れて見物しましたが、今回はその続きで、北勢線の車両基地である北大社車両区を訪れてみました。

地図はこちら。北勢線東員駅から阿下喜駅方面へ向かった場所にあります。星印の場所に車を停めて、徒歩で現地に向かいます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

線路沿いを歩いているとちょうど電車がやって来ました。この路線の最高速度は45km/hなので、私でも落ち着いて写真を撮ることができます(笑)。


車から住宅街の路地を歩くこと5分ほど、北大社車両区へ着きました。保々車両区に比べると敷地は狭いようです。


クモハ276です。


敷地に沿って歩き、正門を通り過ぎると屋根だけの建物があります。ここはかつて北大社駅という駅も設置されていたので、駐輪場の跡でしょうか?


屋根の下には、勾配標や速度制限標識などいろいろなものが転がっています。


車両区の東員駅側の端に来ました。


クハ141です。軌間762mmのナローゲージなので、車両もこじんまりとしています。


車両区からもう少し東員駅寄りにある踏切の脇からの眺めです。最初に見たクモハ276の編成が見えています。


かつて駅ホームがあった場所は整地され、線路も敷き直されているそうです。


車両区の東員駅側の端まで戻ってきました。


こちらは最初にやって来た阿下喜駅側の端。間近まで住宅が迫っています。


車まで戻る途中、また電車がやってきたので見送るかたちで撮りました。


車へと戻ってきました。


電車をきれいにしたり、架線柱をコンクリートポールにするなどだいぶ更新改修が進んできましたが、小さな電車が集落の中を縫うように走る光景は変わらないようです。

さて、翌4月4日日曜日。今度は路面電車である豊橋鉄道東田本線の終着駅、赤岩口駅に隣接する赤岩口車両区を訪れました。


この車両区も路面電車の基地のためか小さな敷地です。周囲を路地や駐車場が取り巻いているので、四方から見物できます。




これは3500形ですかね。元都電荒川線の電車。台車が取り払われて、仮台車に載せられています。


800形。元名鉄の岐阜市内線・美濃町線で走っていた電車ですね。




T1000形「ほっトラム」。


こちらも3500形。「ヤマサのちくわ」のラッピングですね。


赤岩口駅側からの眺め。本線からはスイッチバック方式で庫内と出入りしています。


次に競輪場前駅にある折り返し電車用の電車留置線を見に行きます。はじめは路面電車に乗っていこうかと思いましたが、ちょうど出発していってしまったので、1kmほど歩いていきます。

こちらが競輪場前駅横にある電車留置線(電留線)です。


一般の建物の脇に線路を引き込んでちょこんと電車が待機しているのが、何ともマニア心をくすぐります(笑)。

せっかくなので、赤岩口駅までは路面電車に乗って戻ることにします。

こちらは豊橋駅前へ向かい出発していった780形。この電車も元名鉄で岐阜市内線・揖斐線で走っていました。


赤岩口駅まで乗った800形の車内。


車両区の出入口。路面電車なので踏切がなく、道路・歩道との境界もあいまいですが、やはり線路内に立ち止まることだけは避けませんとね。




800形。パトカーを模したラッピングですね。


豊橋鉄道赤岩口車両区でした。


路面電車に乗ったのは富山県高岡市で乗って以来、4年半ぶりですかね。豊橋市内線は初めてになるのかな。高岡市で乗った時はTGRラリー高岡万葉戦を観戦しに行って、ラリーパークからサービスパークへ移動するのに乗りました。

この車両区の前を通る愛知県道4号は、ドライブなどで通ることはほとんどありませんが、ここの車庫のことは通るたびに横目で見たりしてました。三岐鉄道の車両区(車両基地)を見物するうちに、「ああ、そういえばいい機会だし行ってみるかな。」と思い出して、やって来た次第です。
Posted at 2021/04/04 22:47:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

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「【豊根村】霧石峠への富山漆島側峠道を下見しました http://cvw.jp/b/1796277/47676277/
何シテル?   04/25 00:05
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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2023/12/10 07:32:18

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