2021年8月8日日曜日、東海道本線の愛知御津~三河三谷間に存在する煉瓦アーチを巡ってきました。(1)からのつづきとなります。
さて、神田川橋梁をあとにして、次の煉瓦アーチへと向かいます。次に向かう煉瓦アーチは、三河大塚駅の東側にあります。
こちらは、東海道新幹線と東海道本線が交差する地点からほど近くにある、新幹線用の変電・き電施設。要は新幹線へ電力を供給する施設の一つです。
新幹線の上に架かる人道用跨線橋を渡っていきます。
三河大塚駅を通り過ぎ、次の煉瓦アーチがある川へとやって来ました。上流側から下流側を眺めています。正面奥の木々の下に目標物があります。
谷川橋梁です。明治21年(1888年)6月の竣工になります。写真では明るく見えますが、実際は覆いかぶさって生い茂る木々のために薄暗いです。
ご覧のとおり両岸の護岸が高いため、近づくのに一苦労です。特に護岸の上に登り直す時は腕力頼みになるので、自信の無い方は護岸の上から眺めるだけがいいでしょう(わざわざ訪れる人はいないと思いますが(笑)。)。
内部は煉瓦のアーチと石積みの側壁で構成されています。流路部分は煉瓦積みのインバートですが、ほとんどの部分はコンクリートで覆工されてしまっています。
複線化工事による継ぎ目部分です。手前側が延長部分で奥側が開通時の部分になります。この煉瓦アーチも、開通時部分と延長部分では異なるサイズの煉瓦を使用していることがわかります。
開通時部分の煉瓦アーチの様子。
下流側へと出てきました。煉瓦アーチに密着して道路用の橋が設置されているため、下流側からも容易に煉瓦アーチを見ることはできません。
それでは護岸をよじ登り、次の煉瓦アーチへと向かいます。
次にあるのは広畑橋梁と呼ばれる煉瓦アーチですが、ここも近づくのが容易ではないので一旦パスし、もう一つ先にある半合橋梁を目指します。
快晴の日射しの下、飲み物をがぶ飲みしながら歩いていきます。ちなみにこの写真に写っている道路、単なる狭い路地にしか見えませんが、実は県道です。
証拠となるのが「愛知県」のラベルが貼付されたデリネーター(視線誘導標)。路線名は愛知県道372号大塚国府線になります。
県道から離れ、東海道本線の半合踏切を渡り、上り線側へと移動します。
渡ったところで休憩していたら、岐阜行きの普通電車が通過していきました。
この路地を進み、右側へと大回りしてふたたび東海道本線へとUターンしてきた場所に半合橋梁はあります。
到着しました。ここも木々が覆いかぶさっているので、直接煉瓦アーチを眺めることができません。
川へと下りてようやく姿を拝めました。半合橋梁です。ここも竣工は明治21年(1888年)6月です。上流側(上り線側)になります。
煉瓦アーチの開通時部分と延長部分の継ぎ目部分は、上り線寄りにあります。今までの神田川橋梁も谷川橋梁も上り線寄りにあるので、この辺りは既存線の山側(太平洋から見て。)に線増したことがわかります。
噛み合わせパターンは、だいたいが古い煉瓦4個に対して新しい煉瓦5個の噛み合わせですが、半合橋梁はそのパターンになっておらず、個数がバラバラの噛み合わせです。
ここの煉瓦アーチも、長手積みの中に小口面が並ぶ列が存在しています。
下流側へ出てきました。こちら側が開通時からあるスパンドレルになります。
先ほど、煉瓦アーチに小口面の列があると述べましたが、ここの煉瓦アーチにも煉瓦を竪積みしている箇所があるわけです。
上流側を眺めます。やはりここの煉瓦アーチに使われている煉瓦も、基本は赤煉瓦ですが、色合いにしっかりとした統一性はなくまちまちですね。
側壁の石積みにくっついていたピンク色のつぶつぶのもの。調べてみたら、ジャンボタニシの卵らしいです。あちらこちらにたくさんくっついていました。
噛み合わせ部分のアップ。開通時部分の煉瓦は、焼成時の焼け方が均一でないのでしょうね。1個の煉瓦でも色合いがまだら模様になっています。延長部分に使用されている煉瓦の方がまだ均一な品質になっている感じがします。
次に来たのは広畑橋梁ですが、ここも橋梁前後の護岸の高さが私の身長以上あり、なかなか接近できません。
下流側の護岸にはしごが付いているのを見つけて、そこから川の中を歩いてきましたが、あともう少しという所で淵に当たってしまい、長靴では越えられず引き返します。
結局、線路沿いに建つアパートと築堤の隙間を歩いて、橋梁の直前で川へと飛び下りました。どうやって登り直すかはまた後で考えます。
ようやく広畑橋梁です。ここも明治21年6月の竣工です。こちらは下流側(下り線側)になります。周辺の他の煉瓦アーチと同じくこちら側が開通時のスパンドレルになります。
広畑橋梁は、煉瓦アーチに竪積み箇所はありません。
この橋梁は、周辺の煉瓦アーチ群の中で、一番きれいに流路部分の煉瓦積みインバートが残っています。
開通時部分と延長部分の継ぎ目部分です。ここも噛み合わせに規則性が有るような無いような…。「しっかり噛み合わせてあればいいだろう。」ということなんでしょうね。
上流側(上り線側)へ出てきました。こちら側もうっそうとしています。
橋梁の上流側の流路には石畳も少し残っていて、全体的に昔の状態が残されていると言えるでしょう。
そのまま上流側の岸へと這い上がりました。川岸に密生していた矢竹を何本か束にして掴んで、力業でよじ登りました(笑)。
これで一度車へと戻ることにします。ただ、まだ1.7kmほど歩かないといけません…。
三河大塚駅を通過する貨物列車。貨物列車の今の主力はEF210形電気機関車ですが、EF66形100番台電気機関車がけん引しています。
熱気でむせ返る線路沿いの路地を歩いていきます。車まではあともう少しです。
神田川橋梁近くの路地に停めておいた車にようやく戻ってきました。今回予定していたうちの最後の煉瓦アーチへと移動します。
東海道本線愛知御津駅から西側へ1kmほどの場所へとやって来ました。
雑草に覆われてわかりにくいですが、大森橋梁です。竣工は明治21年(1888年)5月。下り線側からの眺めです。
足元が確認できない雑草の中を直接下りるわけにもいかないので、線路とは反対側にある田んぼのあぜ道から水路へと入り、道路の橋の下をくぐって正面へ来ました。今までのものと違い、小さな煉瓦アーチなのでアーチ環も3重です。
通常、築堤と水路の高低差がこの程度だと、桁橋の場合が多いですが、ここは開通当時から煉瓦アーチが設置されていたようです。
内部もオーソドックスなもので、煉瓦アーチに石積みの側壁です。ただ、側壁部分は一部がコンクリートで覆工されています。
上り線側も雑草で覆われています。
ここの煉瓦アーチには、複線化工事に伴う継ぎ目部分が見い出せません。最初から複線用の幅で造られていたのかどうかは不明です。
アーチ内を往復して、下り線側から外へと出ます。雑草の中に茨が混じっていたのには参りました…。
今回は、愛知御津~三河三谷間にある6か所の煉瓦アーチを回りました。この区間は2016年2月に一度チェックして回っているので、訪れたのは5年半ぶりになります。特に大きな変化は見られなかったので、今後も当面は煉瓦アーチのまま維持されていくと思われます。
また訪れる機会はあるのか。もう訪れないのか。気分次第なので、何とも言えませんね。あとは愛知御津駅から東方に2か所残っているので、そちらは折を見て再チェックする予定です。