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小林あにのブログ一覧

2019年12月28日 イイね!

旧国道257号木之實隧道と旧旧道の木ノ実峠

今日は、岐阜県恵那市と上矢作町の境、国道257号の旧道にある木之實隧道と国道の旧旧道にあたる木ノ実峠への林道へ行ってきました。

まずは恵那市岩村方面からトンネルに続く旧道を登っていきます。トンネル前まで車で入ってこられましたが、道中は実質的には廃道と化していました。



木之實隧道です。開通は昭和6年(1931年)で延長は153m。現在供用中の新木ノ実トンネル(延長:1350m)が昭和63年(1988年)に開通して旧道になりました。



高さ制限3.3mなので、荷台が箱型の大型トラックや大型バスは通過困難だったでしょう。トンネル前後の狭くて急坂な旧道を含め、新木ノ実トンネルが開通するまでボトルネックになっていたと思われます。

昭和戦前期のトンネルということで坑門はコンクリート製。



デザイン的には非常に簡素なというか、アーチ形状に合わせて線刻が施されているだけの味も素っ気もないものです。飾り立てていないのは、この程度のトンネル掘削は明治・大正期と違い、普通の建設工事になってきた証と言えるかもしれませんし、のっぺりと単調なのはコンクリート製ならではのものとも言えるでしょう。

では、せめて扁額が立派なのかというと、アーチ頂上部に小さな金属製プレートで付けられているだけ。現代のトンネルの方が立派なくらいです。



扁額には「木之實隧道岩村口」と「昭和六年八月三十日」とあります。

トンネル内へと入っていきます。内部はコンクリート吹付。壁面が凸凹しているので、元は素掘りだったのかもしれません。





ただ、コンクリートが剥落している部分にコンクリートの巻き立てが見えている所があるので、部分的には巻き立てをしていたのでしょう。



反対側へと来ました。



上村口坑門です。「上村」は合併して上矢作町を構成した村の一つです。





こちら側もトンネル手前で鎖を掛けられ、車両は入れなくなっています。



車まで戻ってきました。Uターンして次の目的地へと移動します。



ところで、トンネルまで登ってくるのに一番困ったのはこの倒木でした。何とかギリギリ通り抜けられたので良かったですが。



路肩に残されていた距離標。かつて国道257号であった証です。



以前は国道標識自体が1か所残っていましたが、今回チェックした限りでは無くなってしまっていました。

さて、次にやって来たのは同じ旧道内にあるこの分岐。



直進が旧国道、左斜めへとそれていく道が木之實隧道が開通するまで利用されていた木ノ実峠への峠道です。これから左斜めの道を歩いて木ノ実峠を目指します。

分岐してすぐに4連のヘアピンで高度を稼いでいきます。



この旧旧道は現在も林道として使用されているため、歩いていく分には通行に支障がある所はありません。

土留めの古い石垣です。この先もこのような石垣が点在していることが、数少ない見どころと言えるでしょう。



小さな沢に石組みの暗渠が残っていました。押し潰されたのか石板が傾いています。



中は大丈夫のようです。



沢頭が近づくとヘアピンで回り込んで隣の山肌へと移り、できる限り緩い勾配で峠を目指して登っていきます。



分岐に来ました。ここは右折します。目印は右折した先にある古い石垣。





大きな土のう袋で路肩が補修されています。土のう袋の前後は元々あった石垣が残っていました。



等高線のように縞模様が入った水たまりの氷。



木ノ実峠の真下まで来ました。林道として利用されているのはここまで。旧旧道は右へとカーブしていきます。



カーブの先は木々の密生地帯。真夏だと絶対に通り抜けできないでしょう。



ここからまた連続ヘアピンになりますが、ヘアピンを串刺しするように小さな沢があり、それぞれの道路下に石組み暗渠が残っています。



一つ目のヘアピンです。



ヘアピンの先も木々で旧旧道が塞がれています。



その右横にある石組み暗渠。



二つ目のヘアピン。



二つ目のヘアピンの先は木々が少なく、道形がわかります。



三つ目のヘアピン。



この先からぬかるみがひどくなってきます。



ぬかるみ地帯を抜けると道形が鮮明になってきます。





ようやく木ノ実峠に到着しました。写真を撮りながらなので、車から1時間ほどかかりました。



峠の頂上部にある立派な石垣の土留め。峠の前後の旧旧道は往事の雰囲気をよく残しています。



峠の先にも旧旧道は続いています。





あまり進んでも戻ってくるのが大変なので、5分ほど進んだところで引き返しました。



峠まで戻ってきました。いわゆる「明治車道」の古い峠道をいくつか歩いてきたことがありますが(6か所程度ですけどね。)、石組みの側溝まで設置されている道は、この峠でしか見たことがありません。





この時点で14時半を回り、辺りも徐々に日が陰ってきました。速やかに車へと戻ることにします。





帰りはヘアピンを辿らずにショートカット。



速やかに戻ると言いながら、目に付いた場所へ最後の寄り道(笑)。

ヘアピン区間の一番下の道路の土留めの石垣と石組み暗渠。



ヘアピン区間へ入るカーブにある沢。今は土管が埋まっていますが、左右の石垣の積み方からして元は小さな橋が架かっていたと思われます。



このあとはひたすら歩き詰め。日が当たらなくなってきたので、段々と空気が冷たくなってきていますが、峠をクリアしての下り坂の帰り道で距離も何kmもあるわけではないので、割と気楽に歩いています。

麓側のヘアピン区間までくれば一安心。



帰りは30分ちょっとで戻ってきました。



この旧旧道の峠を歩くのは2回目でしたが、前回訪れたのが2010年3月なので9年9か月ぶり。どこから入り込んだのかもすっかり忘れてしまい、そのために行く予定ではなかった木之實隧道まで登ってしまったというのが真相です(笑)。

細かいことはさておき、山の中の廃道や廃線跡を辿って一人もくもくと歩くのは、余計なことを考えることもないので、自分にとっては良い気分転換になりますね。
Posted at 2019/12/28 22:36:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2019年12月22日 イイね!

ドライバーやすい氏と飲み会

12月21日土曜日の夜、豊田市内でドライバーやすい氏とラリー活動で知り合いとなったYさんの3人で飲み会をしました。



この週末、豊田市でボッチャの日本選手権が開催されているのですが、そこにYさんがやって来る(Yさんはボッチャの日本代表のコーチをしていた方。)とドライバーやすい氏は把握。速やかにYさんに連絡を取り、この飲み会を設定していました。ドライバーやすい氏、飲み会に関してもさすがの行動力です(笑)。

Yさんからは、ボッチャの代表遠征時の話や長いラリー活動での話とか色々たくさん楽しく興味深いお話を聞かせていただけました。特にラリーでの話は、昔らしい破天荒な内容も多々ありました(笑)。

この縁も、私たち兄弟がタクミクラフトさんのレンタルラリーカーでラリーに出て、そこでタクミクラフトさんにラリーサービスを受けるYさんと知り合って、その後に私がコドラをできると知ったドライバーやすい氏がラリーに出ることになって、そこでタクミクラフトさんにサービスをお願いして、そこでドライバーやすい氏もYさんと知り合ってと、なんか同じことをグルグル書いていますが(笑)、こうやってつながっていくんだなぁ、なんて話もしました。

さらにYさんが、「タクミクラフトと本格的に関係を持つようになったのは、ボッチャで使う「ランプ」(球を転がすための滑り台状の器具。)の製作を依頼したことがきっかけなんだよ。」とのこと。「この3人の関係にボッチャも関わっているんだ。」とまたまた感心した次第です。

こんなふうにあまりに話が盛り上がりすぎて、結局、新豊田駅から途中の岡崎駅までは戻ってこれましたが、その先の東海道本線名古屋方面の電車が無くなっていたという(笑)。まあ、タクシーで無事に帰宅しましたけどね。
Posted at 2019/12/22 07:32:43 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記 | 日記
2019年12月08日 イイね!

「プロトタイプ」忘年会へ出かけてきました

2019年12月7日・8日の両日、埼玉県春日部市のラリーレプリカショップ「プロトタイプ」さんの忘年会へ出かけてきました。会場は、例年の開催場所である山梨県北杜市清里にあるレストラン「ROCK」です。

今回は、「ROCK」で当日午前中、B級ライセンス講習会が開催されていて、その開催時間に合わせてラリーレプリカ車を駐車場へ展示してほしいとの話があり、普段よりも早めに出発しました。

まだ夜も明けぬ朝6時過ぎに自宅を出発。最近はパジェロミニの出番が多かったですが、久しぶりにランエボが出動です(笑)。



8時45分頃には中央道諏訪湖SAに到着。ここで時間調整も兼ねて朝食です。



その後、中央道最高地点を通過して、



「ROCK」の駐車場に10時頃到着。ほかの参加者の方々はすでに到着していました。



駐車場に集まっていた私たちの所へやって来た「ROCK」の舩木さんから、「申し訳ないけど外で待っていてもらえるかな(笑顔)。」と言われ、仕方がないので駐車場で立ち話。

しかし、なにぶん標高1200mの高所で日中でも寒さが厳しい…。

開店時間の11時になったところでAさんが「もう寒いから店に入ってコーヒーでも飲もう…。」と言い出したところで、全員ぞろぞろと店内へ。



何か対応することがあるかもしれないと講習会が終わるまでみんな待っていましたが、結局、何の出番もなく、ちょっと肩透かしでした。

このあとは忘年会開始時刻の18時まで予定なし(笑)。近くの別の飲食店でお昼を食べて、ホテルのチェックインを済ませたら部屋で弟が持ってきたラリーのDVDを見ながらゴロゴロ。夕方、近所の温泉施設まで車に乗り合わせで出かけて、のんびりと温泉に浸かりました。

18時から忘年会開始。



初めのうちは野菜メインのメニューでしたが、それだけではやはり物足りないので(笑)、食べ応えのある肉・ソーセージ類も出てきました。

ただ、最初のころに比べると私を含めてみなさん年齢を重ねているので、往時のように「肉、肉、肉さらに肉」はもう体が受け付けない(笑)。今回くらいのメニューがちょうどよかったかな。地ビールも3~4杯しか飲まなかったしね。

二次会はホテルにて。コンビニで各自買い出しをしてからスペースのある4人部屋に集結。車の話とかプロトタイプでの事とかいろいろ話をしていたとは思いますが、具体的に何を話していたのかは憶えていません(笑)。いつもそんなもんです。ただ、YZW店長が中抜けした後は、アニメの話で相当盛り上がっていたのは間違いありません(笑)。

みなさんしっかりチェックしているんですよ。私は、アニメよりは漫画本の人なので話についていけず、ゴロンと横になってみなさんの話を聞いておりました。

そして23時にはお開きとなりました。



翌8日日曜日。早い時間に目が覚めてしまって、JR小海線の清里駅まで散歩に出かけることにしました。



高所で冷え込みが厳しいので、車のガラスに霜が貼り付いていました。





前日はどんよりとした曇り空でしたが、日曜日は打って変わっての快晴。清里駅へと続く道の先には雪をかぶった八ヶ岳が見通せます。



清里駅前に展示されているC56形蒸気機関車。小海線の主力機関車でした。





清里駅。なかなか洒落た駅舎です。







清里と言えばバブルの頃は本当に賑わっていて、芸能人の店舗もありましたからね。今は駅前通りもすっかり寂れてしまった感じです。

駅の近くに神社を見つけてお参り。そのままホテルへと戻りました。

9時から朝食を摂り、10時にチェックアウト。「ROCK」でこれまた恒例のお土産のお買い物(地ビールとソーセージ(笑)。)を済ませたら、清里駅のさらに上にある清泉寮へ。



雲一つない快晴なので、富士山や南アルプスの山々がよく見渡せました。







名物のソフトクリームを食べて、しばし雑談をしたところで解散。

以前に比べてラリーやイベントでのレプリカ車展示が少なく、また、自分の車のことでお店を訪ねることもなくなってきて(弟が何気にいろいろ依頼してますが(笑)。)、こういう機会が「プロトタイプ」のみなさんとの数少ない接点となっています。「飲み会」がメインになっていますが、引き続き長いお付き合いをしていければと思っています。

Posted at 2019/12/08 21:04:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | プロトタイプ | 日記
2019年12月01日 イイね!

旧北陸本線山中信号場跡と小刀根隧道

11月30日土曜日、福井県南越前町に残る旧北陸本線山中信号場跡と敦賀市に残る小刀根隧道を見てきました。

当日午前中、春日野隧道の探索を終えて、次は旧北陸本線の廃トンネル群を通り抜けて、小刀根隧道へ向かいます。

国道8号から県道205号を経由して国道365号へ。途中のコンビニで昼御飯を食べつつ小休止。南越前町今庄からは県道207号へ入ります。この県道207号が旧北陸本線山中越えルートを転用した道路です。

初めは、この区間はそのまま通過するつもりでした(何度も来ているので(笑)。)。が、山中信号場跡まで登ってきたところ、かつての信号場内の木々や雑草が刈り払われていて、すっきりした風景になっていました。

「それならば、ちょっと立ち寄るかな。」ということで、急きょ寄り道しました。



駐車した場所から眺める信号場内のロックシェッド(上)と本線のロックシェッド(下)。ここ山中信号場跡は、1919年(大正8年)に開設されたスイッチバック形式の信号場でした。信号場とは、駅間距離が長い単線区間で列車の行き違いを行うための施設で(複線が単線になる場所にも設けられる。)、駅と違って旅客や貨物の取扱いはしません。



いつも山中隧道で引き返していて、ここ最近はこちら側まで来ておらず、「知らないうちにここまで整備されたのか。」と少々驚きでした。



立派な説明板もありました。説明板内の信号場レイアウト図は「?」な感じですが(笑)。もう少し写実的に書いていただけるとワタクシ的には嬉しいんですが。



さっそく敷地内へと歩いていきます。昔来た時は林道みたいな狭い道が木々や雑草の間にあったという記憶しかありません(正しいかどうかはあれですが。)。



あらためて見ると「長い!」。さすが幹線にある信号場の待避線です。特に幹線を行き来する貨物列車は長大ですから、待避線も長くないと本線にはみ出てしまいますからね。



傍らには線路に敷かれていたバラストがそこかしこに残っています。玉砂利なのが現役だった時代を感じさせます。



待避線用のロックシェッドです。枠が2つあるということは、当然、待避線が複線であったということです。複線が必要なほど列車(多くは貨物列車。)が行き来していたということですよ。





ロックシェッド横の擁壁に刻印された完成年月。「1955-10」ですから、1955年(昭和30年)10月。まだまだ国鉄が国内輸送に活躍していた時代です。



同じ時代の地方の国道がどれだけ貧弱であったかは、春日野隧道への旧国道を見ればよくわかります。長距離の貨物・旅客の輸送に鉄道が活躍していたのもうなずけます。

ロックシェッドの構造は、廃レールで組んだ骨格にコンクリート板を載せた簡素なものです。





天井を見ると、谷側が奥まで煤煙で汚れています。長い編成が入る線路が谷側だったのでしょうか?



ロックシェッドの先は杉林になっていますが、かつてはこの先まで信号場の構内が続いていたようです。



築堤の形がはっきりとわかります。



ロックシェッドまで戻ってきました。



信号場跡から敦賀側を眺めています。長さは500mくらいはあるんですかね。



私の車があんなに小さく見える(笑)。



説明板に当時の写真がありましたので参考に。昔と比べると杉の植林が増えています。周りに何もない山奥の信号場で多くの人が勤務していたんでしょうね。





本線(現在は県道207号)のロックシェッドです。







路肩に残っていた基礎と思われるもの。昔は待避線用のロックシェッドと同じタイプのものだったのでしょうか?



このあと、信号場内のレイアウトを確かめるべく、山中隧道横の引込線用トンネルまで歩いて登ります。引込線用トンネルは何度も立ち入っているので写真は無し。やはり長大編成用の施設だけあって移動も大変(笑)。

山中隧道をちょいと覗き込んで、



車まで戻ってきました。望遠で撮っているので強調されていますが、急勾配の峠であったことがよくわかります。



最後に敦賀市内南部の旧北陸本線小刀根隧道へ来ました。



敦賀側の坑口です。ここも何度も来ているので、今さらという所ですが、やはり寄ってみたくなる場所です(笑)。





要石に刻まれた完成年「明治十四年」。1881年になります。



私が住んでいる愛知県安城市は東海道本線が通っていますが、この当時はまだできていません(安城市内の東海道本線ができたのは1887年・明治20年)。

トンネル内の様子。















このトンネルの特徴は、側壁部分でしょうか。ほとんどは石積みですが、布積みだったり、乱積みだったり、中には岩盤をむき出しにした部分もあり、それらをまるでパズルのように組んであります。

米原側の坑口です。ご覧のとおり山の端に造られていて、トンネルというよりはロックシェッドでしょう。







帰りに退避坑をよく見てみたら、コウモリが1匹冬眠していました。





最後に敦賀側坑口からの眺めです。正面に県道140号の刀根トンネルが見えていますが、かつては旧北陸本線の刀根隧道でした。



Posted at 2019/12/01 18:00:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2019年12月01日 イイね!

廃トンネル「春日野隧道」へ行ってきました

11月30日土曜日、福井県の越前市と南越前町の境の峠にある廃トンネル「春日野隧道」へ行ってきました。このトンネルは、現在も国土地理院の地形図に記載されているので、場所は容易に確認できます(簡単に行けるかどうかは別ですが(笑)。)。

北陸道を敦賀ICで下りてから、しばらく国道8号を走り、具谷第一トンネルの先にある林道へ左折してすぐの所に車を停めます。



ここから伸びる林道のような道が旧国道になります。



1958年(昭和33年)に現在の国道8号武生トンネルが開通するまでは、この道が福井市と敦賀市を結ぶメインルートでした。この旧道の峠に春日野隧道があります。

車を停めた場所は、川を跨ぐ巨大な築堤になっています。まずはこの真下にあるという石造暗渠へ行ってみます。



現代なら谷に背の高い橋梁を架けるだけのところですが、この旧道が建設された明治10年代後半ではそこまでの技術や材料が容易に調達できなかったのでしょう。川を石造暗渠で覆って、その上に大量の土を盛るという力技で克服しています。

高さ20~30mほどの築堤の斜面を下って、暗渠の前に来ました。



吐口部分は土砂崩れで壊れてしまっていますが、内部は石アーチがしっかりと保たれています。



この近くにある石造アーチ橋「桜橋」と同じ雰囲気です。



50mくらい進むと「くの字」に曲がり、後付けのコルゲート管に変わります。



曲折部の水深が深かったので、この先には進めませんでした。

暗渠内に1匹だけで冬眠しているコウモリさん。



さて、築堤の上まで登り直して、峠に向かって旧道を歩いていきます。





私が暗渠へ行っている間に軽トラ2台でやって来た方達がいまして、「猟にでも来たのかな?」と思ったら、その方達は荷台からモンキー(かな?バイク詳しくないので(笑)。)を降ろして乗り換え、さっそうと追い越していかれました(笑)。

さて、この道、軽トラなら普通に走行できるくらいには維持されていますが、旧道としての面白さは特にありません。国道として利用されていたのならば、ガードレールとか駒止めとか道路標識とか何らかの痕跡が残っていてもいいようなものですが、そのようなものが全然見当たらないのです。なので、峠に向かいただ黙々と歩いていくだけ(笑)。

途中、道路の法面の上部にカモシカがいました。威嚇しているのかやたらと鳴いていました。



尾根を横切る切通しに来ました。ここまでくればもう一息です。



切通しを通り抜けると三差路があります。右が峠へ向かう道。左は日本海沿いの河野地区へと続く林道です(こちらも明治時代に開削された古道に由来する道だそうです)。



通行止めのお知らせ看板。「春日野隧道が崩落しているので通り抜けできませんよ。」と知らせています。



ここから路上に伸びる枝葉や雑草が増えてきます(歩行を妨げる程ではありません。乗用車で通行する強者もいるくらいですから(笑)。)。



ようやく春日野隧道に到着しました。車を停めた所から徒歩45分くらいです。訪れたのは4年半ぶり。



あらためまして「春日野隧道」。開通は1886年(明治19年)です。敦賀側の坑門はご覧のとおり外観はきれいに保たれています。



右側の倒木は以前からありましたが、左側はどうだったかな?朽ちてきているので、つっかえ棒にもなっていないみたいです。



扁額「賛化阜財」。



「明治十九年十二月」「正二位勲二等 源慶永」とあります。元福井藩藩主松平慶永の書によるものです。



それでは中へと入っていきます。



トンネル内はあちらこちらで水が染み出ています。



外から流れ込んでくる水のため、地面はぬかるんでいます。どう見ても軽四クラスの車両が進入していますね(笑)。



石積みが歪んでますね。きれいに四角形に整形してから積む方が簡単な気がしますが(笑)。



トンネルの中央部は乾燥していて、地面も土間のようにカチカチに固まっていて快適です。



天井部の煉瓦も汚れが少なくきれいです。



真ん中の岩塊を境に左右で石積みの段数が違ってますね。整然とした配置で造り上げることには全くこだわっていないようです(笑)。



いよいよ武生側坑口付近の泥沼が現れました…。前回訪問時も通過するのに大苦戦しました。



今回は少し突っ込んでみて、すぐに止めました。はっきり言って労力に見合わない(笑)。引き返して、トンネル真上にある春日野峠の古道を使うことにします。



もう目の前なんですけどね。でも前回は脱出に30分もかかっているので…。



左側の積んだだけの石積みと右側の何とか見目好く積もうと努力はした石積み(のように見えるというだけで、大変な労力を払って建設されたことは重々承知しております。)。



敦賀側坑口に戻ってきました。



坑口付近は大きな亀裂が走っているので、いつか坑門が倒壊する恐れはあるかと思います。





それではトンネルの左側斜面を一気に登り、春日野峠の切通しへと向かいます。



切通しの下の古道跡に出ました。切通しの頂上までも見上げるような急坂です。



春日野峠の切通しです。尾根を大きく切り崩してあり、周囲には峠でよく見かける石仏や石碑は見当たりません。トンネルを開通させる前にも明治時代初期に峠道を改修しているそうなので、その時の峠道かもしれません。



切通しの武生側は薮が広がっていますが、この程度なら問題ありません(笑)。



遠くの山並みまで見えて、良い眺めです。



切通しを抜けると古道跡は左側の斜面に沿っていきます。せっかくなので古道跡を辿ってみようとしましたが、じきに土砂崩れで途切れてしまったため、そこから一気に斜面を下り、トンネルの前へと出てきました。



春日野隧道の武生側坑門です。



隧道名が彫られた扁額。



こちらは通行止めの原因となった坑門の崩壊が生じています。数年来、何とかバランスを保っていますが、雨・雪のダメージにより左半分は常に倒壊の危険にさらされていると言えるでしょう。







ちなみに、この崩壊部分に鹿の頭骨が挟まっているのを見つけました。



どうしてあんな場所にあるのか、まったく見当がつきません。熊があんなところに突っ込むとは考えられないし(だいたいそんなことしたら坑門が崩れる。)、物好きな人間の仕業としか思えないですね。

武生側から中を覗きます。



泥沼には多くの訪問者の苦戦の跡が見て取れます(笑)。



これで武生側坑口を後にします。



ふたたび峠を越えて、



敦賀側坑口へと戻ってきました。



帰り道は、紅葉を眺めながらのんびり歩きます。





国道8号が近づいてきたらあとちょっとです。



車へ無事に戻ってきました。帰りもトンネルから45分ほどでした。


Posted at 2019/12/01 12:12:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

プロフィール

「旧熊野街道 船木橋・神瀬橋・ねじりまんぽの道路橋 http://cvw.jp/b/1796277/45557442/
何シテル?   10/21 19:30
小林あにと申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、たまに廃線・廃道を歩いてみたり、ごくたまにミニサイズのラリーに出場してみたり、やる気がな...
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