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小林あにのブログ一覧

2020年11月29日 イイね!

TGRラリーチャレンジin幸田戦が終わったようです

2020年11月29日日曜日、愛知県額田郡幸田町内でTGRラリーチャレンジの今年度最終戦である幸田戦が開催されました。

今回はコドラ体験をしたいというドライバーやすい氏のレース仲間の方(私も顔見知りの方です。)がコドラ担当なので、私はお休みです。

この幸田戦は無観客開催なので、現地へ応援に行くわけにもいかず、昨日の山登りの疲れもあって家でゴロゴロしておりました。

15時半過ぎに暫定結果の写真をアップした方があり、結果をチェックしたら、やすい組は何と1分のペナルティが付いてクラス最下位(総合でも最下位…。)。理由は、一時待機場所であるリグループエリアへのチェックポイント「TC2A」への6分遅着。

片付けも落ち着いた頃かと見計らってドライバーやすい氏へメールで理由を尋ねてみたら、「また飲み会にでも話す。」と返信があり、さらに怒った動物のスタンプを付けてきて「こんな気分。」とのことでした。

怒り心頭な様子なので、日を改めて話を聞くしかなさそうですね…。

※追記

当日夜、ドライバーやすい氏と緊急飲み会。理由を聞きました。



コドラさんがタイムカードを一時紛失(実際は車内にあり、置いていた場所を勘違いしていた。)。車内外を探し回っていてチェックインが遅れ、これに憤慨したということでした。自分も似たような事やらかしたことがあるので、気を付けないとね…。
Posted at 2020/11/29 16:40:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | TGRラリーチャレンジ | 日記
2020年11月29日 イイね!

谷京峠への峠道を歩く(2)

2020年11月28日土曜日、長野県下伊那郡天龍村と飯田市の境にある谷京(やきょう)峠への峠道を歩いてきました。

先週の11月22日日曜日に一度訪れていますが、この時はJR飯田線為栗駅から尾根に出るところまで登っただけで引き返すことになり、谷京峠まではたどり着けませんでした。

地図中の赤線部分を登っただけで終わったわけです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

という訳で、今回は谷京峠到達を目標に再アタックです。

前回と同じく、天竜橋のたもとに車を駐車します。今回は私以外に訪れている人は誰もなく、時折、駅のスピーカーから電車接近のアナウンスが流れるだけで、いたって静かなものでした。






前回と同じく駅裏の一軒家の前から峠道に取り付きます。


駅から25分程で前回引き返した尾根に到着です。今回は自分のペースでドンドン登ってきたので、けっこう息が上がってしまいました(笑)。


軽く息を整えて、すぐに出発します。ここからが谷京峠への本番です。


出発してすぐの所にある炭焼き窯の跡。


炭焼き窯跡の先にある折り返しです。この時点ですでに道形が不鮮明で、落ち葉に埋もれた細い踏み跡を探りながら歩くことになります。


所々、道の分岐と思われるものがありますが、ひとまずは道なりに進んでいきます。


広い平場へと出てきました。探索前にチェックしたブログの一つに書かれていた水田跡のようです。




天竜川沿いの谷底よりも日が当たり、沢から水も引けるのでここに水田を開いたとのことです。昔の人のお米に対する執念を感じますね。

「さて、この平場からの道はどこにあるのだろうか?」と探していたら、沢沿いに奥へと進んでいく道らしきものがありました。


傍らに立てられていた警告文。私は道を辿って通り抜けるだけなので、このまま入らせていただきます。


いきなり倒木が折り重なっています。倒木を跨いで進もうにも、失敗したらそのまま沢へと落ちてしまうので、面倒ですが山側に迂回です。


何とか迂回できました。


「なかなか尾根へ登っていかないなぁ。」と疑問を感じつつ、何となく残っている道跡を追っていきます。


そして、左にカーブしたところで跡が消えてしまいました。目を凝らしても痕跡がわかりません。


「どうも進む道を間違えたな。」。こういう時は割り切って、尾根に向かって一直線に登るのみです。


※帰宅してから、水田跡の事を記していたブログを読み返していたら、平場から踏み込んだ所は道ではなく水路跡でした。

村有林の中は縦横無尽に踏み跡が付いています。山菜やキノコ採りのためでしょう。おかげで斜面をよじ登るような真似をすることなく、尾根へ出ることができました。

尾根に出て周りを確認すると、下り方向を見た時に道があるのが見て取れました。


「これは間違いないな。」ということで、この尾根道を登っていくことにします。






森林組合が取り付けた「入山禁止」の札が掛かっています。右側の斜面が村有林になっているので、その関連でしょうかね。


馬の背のような尾根道は快適ですね。この頃には体も慣れてきて、呼吸もすっかり落ち着いています。


道は小さなピークを避けて右へと逸れていきます。


左側はけっこうな急斜面で、時折、冷たい風が吹きあがってきます。


先ほどよりも高いピークを避けるため、また右へと道が逸れていきます。


道幅はしっかりありますが、急坂の上、落ち葉や松葉が敷き詰められているので、時々靴が滑ってよろけてしまい、肝を冷やしながらの坂登りです。




尾根に出て、一安心。


ここに石仏が一体ありました。


山行記録などで記されていた馬頭観音ですね。


光背に「文化四卯年」、「為栗村〇」と彫られています。文化4年は1807年。為栗村は、天竜川の平岡ダムができる以前に為栗駅付近にあった集落のことでしょう。為栗村の人々が谷京峠を通って、峠の反対側にある遠山谷の村々と行き来していた証ですね。

※その3へと続きます。
2020年11月23日 イイね!

谷京峠への峠道を歩く(1)

2020年11月22日日曜日、長野県下伊那郡天龍村と飯田市の境にある谷京(やきょう)峠への峠道を歩いてきました。

「谷京峠」を見つけたのは、今回も戦前の地形図を眺めていたのがきっかけです。

※5万分の1地形図「満島」明治41年(1908年)測図、昭和8年(1933年)要部修正測図

そして、この峠は自動車道が通っていないにもかかわらず、現在の地形図にも記載されています。

そのような場合、かつては交通上重要な峠であった可能性が高いので、インターネットで検索してみたところ、天龍村の北隣にある泰阜(やすおか)村が発行した泰阜村誌に記事がありました。

「『秋葉道(中道)』(前略)赤石構造線の古道を遠山郷和田より分岐し飯島より『谷京峠(焼尾峠)』に出、これより万古村に下り、万古川を渡って我科村四辻に登り、温田、大畑村の尾根筋を通って(中略)この道は、ほかの秋葉街道の中でも集落に添続して難関の山地の最も少ない街道で古い時代からの街道であった。(後略)遠山谷との経済交流もこの道により、当地域の米穀は温田村の合渡や万古の問屋を中継として担送によって送られ、また塩の道ともなって一部の塩がこの道より村へと入った。」

文中、「赤石構造線の古道」は国道152号の前身となる「秋葉街道」のことを指すと思われます。「遠山郷和田」は現在の飯田市南信濃和田、「遠山谷」は和田を中心とした地域を指します。

この記事からみると、谷京峠(本来は焼尾峠と呼ぶのが正しいらしいです。)を通る峠道が、かつては遠山谷にとって非常に重要な道であったことが伺えます。これで谷京峠に興味が湧き、機会を見て訪れようかと考えるようになりました。

で、この11月下旬の三連休、紅葉が終わりに近づき草葉も落ちて、山の中を歩くにはうってつけの時期となり、福島県の旧奥羽本線へ行くか谷京峠へ行くか悩んでいましたが、谷京峠へ行くことに決めたわけです。

さて、谷京峠付近の地図がこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

赤線が今回歩く予定のルートで、天竜川に架かる吊り橋「天竜橋」のたもとに車を停めて、JR飯田線為栗(してぐり)駅から峠道へと取り付いていきます。

探索するにあたって、事前に谷京峠を歩いた記事がないか検索してみたところ、掲載した地図中の北東角に青枠で囲った戸倉山への山行記録がいくつかあり、登山ルートの一つとして為栗駅付近から谷京峠を経由するルートがよく使われていることがわかりました。

なので、地図に記載した赤線ルートも山行記録を参考にしました。

天竜橋へとやって来ました。


今回は母が同行しています。「山へ行くなら私も一緒に行きたい。」ということだったので、山行記録の内容を説明して、きつい所もあるということを納得してもらった上での同行です。

天竜川を天竜橋で渡っていきます。天竜橋は吊橋なので若干揺れますが、しっかりした造りなので不安になることは全然ありません。


対岸にはJR飯田線が通っています。こちらは為栗第5トンネル。「80」のペイントがされているので、豊橋方から80本目のトンネルということでしょう。


線路沿いを為栗駅へと向かって歩いていきます。


為栗橋梁の塗装記録。橋の延長12m90cm、2007年9月に塗装されたことがわかります。13年前の施工ですが、けっこう傷んできています。


こちらが為栗駅。JR飯田線が誇る秘境駅の一つで、周辺には駅の裏手に家が一軒あるのみです。ただし、ご覧のとおり訪問するのは容易で、ほかにも幾人かの来訪者がありました。


駅は緩いカーブ上に細い単式ホームがあるのみです。ちなみに一軒家は写真中の芭蕉(かな?知識が無いのですみません。)の陰に隠れています。


駅の見物はそこそこにして、谷京峠への峠道に取り付きます。

ホーム脇でよく左右確認をしたら速やかに線路を渡り、一軒家の前から坂道を登り始めます。踏切が無いということは、一軒家には住人がいないのかもしれません。


ここからは、ひたすらつづら折りの急坂を登っていきます。私にもそこそこキツかったですが、すっかり山歩きをしなくなった71歳の母にとってはもっとキツかったわけで、何度も何度も止まりながら登っていきます。






杉林を抜けて、明るい落葉樹の林へとなってきました。




尾根に向かって、まだまだ何度もつづら折りを登っていきます。




長い直線が現れました。周囲の様子から見ても、尾根は近そうです。


落ち葉がたくさん覆っている中、所々、道が細くなっているので、私が先導して地面の落ち葉を払い、歩きやすくしていきます。


ようやく尾根に到着しました。為栗駅から約40分かかりました。




母はここでギブアップ。ここまでずっと急坂続きでしたからね。


今回は母を連れて行くことにした時点で、峠まで行くことは諦めていました。為栗駅から尾根まで登れる道があることが確認できただけで良しとします。

とは言っても、もう少し先の様子も見たかったので、母に断って、母の姿が見える範囲で一人先へと踏み込みます。






私にとっては魅惑の道ですね(笑)。本当は先へとどんどん進んでいきたい。しかし、母がいるのでここはグッとこらえて引き返します。


尾根で20分ほど休憩したところで為栗駅へと引き返していきます。


帰りは帰りで、落ち葉が敷き詰められた急な下り坂を降りていくわけで、見守るこちらも気を揉みながらの下山となります。








ようやく為栗駅が見えてきました。実はこのススキの原っぱが最後の難関。地面に小石が散らばっているので、最後の最後で転んだら大変。付き添いながら降ります。


無事に駅前の道路へと出てきました。いろいろと気を遣いましたが、母に久方ぶりの山歩きを体験してもらえたのは良かったかなと思えました。ただ、連れて来た場所がハード過ぎましたけどね(笑)。


今回、母を連れていたこともあって、けっこう大変な道程だったように見えますが、実際には矢印の所あたりまでしか登っていないと思われます。


母にも橋の上から「たぶん、あの辺までしか行ってないよ。」と話をしたら、「ええっ、そうなの?」という反応でした。まあ、山歩きは平地を歩くようにはいきませんからね。

なので、今回進めたのは地図中の赤線部分のみ。まだ遥かに長い青線部分を踏破しないと谷京峠にはたどり着けません。


実際のところ、すでに「次の土曜日にでもアタックするか…。」という気分になっています(笑)。10日間予報を見る限りでは行けそうな感じなんですよねぇ。

最後は売木村の道の駅「うるぎふるさと館」へ寄り道。


ここで遅い昼御飯を頂きました。私は唐揚げカレーのセット。唐揚げが私好みのカラっと脂っこくないものだったで、美味しくいただきました。


この後は茶臼山高原道路を経由しましたが、雲がどんどん上がってきていて、霧の中を走行する羽目に。国道257号へ出たところで、どうしても眠くなってきたので、そのまま道の駅「あぐりステーションなぐら」で1時間ほで寝てました。
2020年11月22日 イイね!

竹桑田と方瀬を結ぶ古道と森林鉄道段戸山線田峯鰻沢線跡を歩く

2020年11月21日土曜日、北設楽郡設楽町田峯字竹桑田と新城市連合字方瀬を結ぶ古道を歩いてきました。

と言いつつ、そもそもここへとやって来たのは、森林鉄道段戸山線(通称:設楽森林鉄道)の田峯鰻沢線の写真を取り直すためです。

愛知県道389号稲目トンネルの設楽町側坑口付近にある駐車帯へ車を停めて、最初にやって来たのは、字竹桑田に残る田峯鰻沢線の廃トンネル。本森林鉄道唯一のトンネルです。






トンネルの写真を撮ったら一旦車へと戻ります。

ここで、予定では近くの国道257号新段嶺トンネルを抜けて、寒狭川沿いの田峯鰻沢線の廃線跡へと移動するつもりでしたが、この場所から沢沿いに表題の古道があることを思い出しました。

戦前の地形図ですが、図中の赤線がその古道になります。

※5万分の1地形図「本郷」。明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入。昭和7年(1932年)発行。

「まだ13時前だし、ちょっと歩いてみるか。」ということで入り込んでみます。


沢沿いの道らしく、転がっている石に苔の多いこと。間伐されたものだと思われる倒木も多く、通行困難というほどではないですが、通り抜けるのに手間取りました。










古道は途中で林道へ合流。林道建設時に吸収されてしまったようです。




道中、石仏なども見当たらず、「峠があるわけでもないし、こんなもんかな。」という感想。往復1時間20分ほどで車まで戻ってきました。


最後は、田峯字南山にあるバス停「ヤナ場」付近の路肩に車を駐車。ここから沢沿いに田峯鰻沢線の廃線跡まで登っていきます。

廃線跡まで登るのに使った道は、元々はこの山の上にある田峯城跡への遊歩道でしたが、現在は荒れるに任せた状態のようです。


廃線跡まで登ったら、一旦、旧田峯駅方面へと戻れるだけ戻り、そこから終点方面へと歩いていきます。


この辺りはすでに2018年4月に踏破しているので、今回は写真を撮りながらもサクサクと歩いていきます。
















レールその他、見逃しているものがないかチェックしながら歩きましたが、これというものは見当たりませんでした。


田峯鰻沢線は、国道420号に並行して当貝津川の谷を登っていきますが、道路の法面工事や拡幅工事が各所で行われていて、場所によっては廃線跡が削られている箇所もあります。


無傷で残っている石積みの高い築堤。




一方、こちらは破壊された築堤。


設楽町田峯字東貝津で廃線跡は一旦道路へと吸収されます。今回はここで廃線跡を歩くのを終了します。


帰りは川沿いの国道を歩いて戻りました。


この日は合計4時間で約9kmを歩行。なかなか疲れました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
2020年11月18日 イイね!

TGRラリーチャレンジin豊田戦へ参戦しました

2020年11月15日日曜日、愛知県豊田市で開催されたTGRラリーチャレンジin豊田戦へ参戦してきました。我々にとってはまさに地元開催なので、前泊は無しです。

ラリー前日の11月14日土曜日、ラリーへの参加確認と車検を受けるため、豊田市の鞍ヶ池公園へとやって来ました。

集合時間を14時にしていましたが、だいぶ早めに着いてしまったので、この日、当公園で撮影しているラリー関連の映画の撮影現場を見物。



事前にラリーのエントラントに対してエキストラ募集のメールが来ており、ドライバーやすい氏も応募申込みしましたが、抽選の結果、落選となっております…。

いい時間になったので、サービスパークへと向かったところ、すでにドライバーやすい氏は到着しており、車検の準備を進めておりました。



14時になったところで参加確認を済ませ、車検もいつも通りに問題なく通過。14時15分には土曜日の予定を終了してしまいました(笑)。



やることは済んだし帰るかという話になり、「帰る前にちょっと知り合いにあいさつしてくるわ。」とドライバーやすい氏は他の出場者の所へと行ってしまいました。

「戻ってくるまで待っているか。」と車の辺りで立っていたら、HATANO選手がやって来ました。多分、ドライバーやすい氏と情報交換(というか雑談。)しに来たのでしょう。

私もまったく知らないわけではないので(エントラント同士の顔見知りではあるし、ドライバーやすい氏のラリー初出場の時はサービス担当してもらってますしね。)、少々雑談。

「先週の高岡戦、原田選手に3秒差でだいぶいいペースになってきているじゃないですか。」みたいな話から始まって、先週の高岡万葉戦で初出場の佐々木雅弘選手に敗れたのが余程悔しかったのか、「いつもは一夜漬けくらいしか準備しないですけど、この1週間は特別戦(豊田戦のことかな。)のインカー(映像)とペースノートをしっかり見直してきましたよ。今回は本気出しますからね。」と相当の意気込み。

「えっ?今までの別格の速さでも一夜漬けだったなんて、言われるこちらは一体なんだかなぁ…。」と心の中で思ってしまいました(笑)。

HATANO選手が立ち去った後、ドライバーやすい氏が戻ってきたので、この日は解散となりました。

11月15日日曜日早朝、ラリー車に乗り合わせてラリー会場の鞍ヶ池公園へ。今回は移動距離が短いので本番も自走で向かいます。



サービスパークに到着したら、さっそくレキ受付の行列に並びます。まだ夜明け前ですが、私の後方にもレキ受付のために大勢の出場者が並んでいます。



今回の豊田戦のコースは、3か所のSSを2周するルート構成。

各SSの距離は、
SS1・4「鞍ヶ池」:1.40km。
SS2・5「焙烙」:1.94km。
SS3・6「パークロード」:0.77km

SS合計が8.22kmと、ここ最近のTGRラリーでも最短距離になります。SSが短くなればなるほど、ちょっとしたミスで取り返しのつかないことになるので、やりにくいと言えます。

今回は「鞍ヶ池」SSが若干短くなった以外にSS距離の変化が無いので、昨年参戦時に作成したペースノートを流用してレキを行いました。

開会式・ドライバーズブリーフィングの光景。出場台数が84台×各車2名=168名が出席しているはずなので、なかなか壮観です(笑)。



普段であれば、サービス担当はツールボックスのムロモトさんが来てくれるところですが、今回は他所で開催のジムカーナへ行っているため、富士山すその戦でサービス担当をしてくれていたIさんが代役で担当です。



今回の豊田戦は、久しぶりに観客を入場させての開催。セレモニアルスタート地点も多くの観客が見物していました。



それでは走行タイムと簡単なラリーの内容について書いていきます。

SS1:1分13秒2(68.8km/h)クラス5位。クラス1位から4.8秒差。
オーバーシュート気味になったコーナーあり。フィニッシュ後にペースノートを読み上げるペースが遅いと指摘される。

SS2:1分54秒5(60.9km/h)クラス3位。クラス1位から5.9秒差。
ここは自分でもタイミングが遅いと感じる。ドライバーやすい氏も「なんか乗れてないなぁ。」。二人してモヤモヤする。

SS3:0分50秒3(55.1km/h)クラス3位。クラス1位から1.5秒差。
特記事項なし。

SS3が終わったあとのリグループで、今回118号車小林選手のコドラを担当している川名さんがやって来て、しげしげとフロントタイヤをチェック。「このタイヤだとゴール後の再車検まずいんじゃないですか(笑)。」と一言。変なプレッシャーかけないでください(笑)。

午前のループが終了した時点でのE-4クラス3位の争いは、
(HATANO選手と佐々木選手のクラス優勝争いは別格なので。)
3位やすい・小林組:3分58秒0
4位伊藤選手   :3分58秒2
5位原田選手   :3分59秒0
6位小林選手   :4分03秒6

「なんか乗れていない。」といいながらもこの時点でクラス3位。ただ、3位から5位の間がわずか1秒差。高岡万葉戦よりもタイトな争いになっています。

さて、45分間のサービスタイム。



いつもだと弁当を半分くらい食べて、少し休憩したりしていますが、他のクルーのタイムチェックをしたりしていて、あまり落ち着いていられませんでした。

ドライバーやすい氏も、あと15分くらいでサービスタイムが終わろうかというところで、「やっぱりタイヤ交換する。」と言ってIさんと二人でタイヤ交換。リグループで川名さんに言われたことが気になったようです。

午後のループです。

SS4:1分14秒5(67.6km/h)クラス6位。クラス1位から7.4秒差。
1走目より1.3秒遅いタイム。途中の左コーナーでスピンしかかりタイムロス。伊藤選手と原田選手はともに1分12秒1のタイムでこのSSを走行し、私たちは一気にクラス5位へ転落です。



SS5:1分56秒1(60.1km/h)クラス5位。クラス1位から7.1秒差。
1走目よりも1.6秒遅いタイム。序盤のコーナーでシフトミスをしてわずかに空走しタイムロス。この時点でクラス3位の原田選手に4.1秒差、クラス4位の伊藤選手に3.6秒差付けられてしまいました。



午後のループでもドライバーやすい氏は、「乗れていない、フィーリングが合わない。」という言葉を繰り返していて、だんだんと後退していってしまいました…。

最終のSS6スタート前、ドライバーやすい氏が腰の痛みを訴えます。鞍ヶ池SSの連続する段差で痛めたかもしれないとのこと。さらにSS5からSS6までの移動区間では渋滞がひどく、SS6前のTC6に到着したのがターゲットタイムちょうどという際どさで、車を降りてストレッチする暇もなくSS6へ…。

SS6:1分14秒2(37.3km/h)クラス8位。クラス1位から25.8秒差。
最後の最後で痛恨のコースオフ。右コーナーで車のスライドが収まらず、路肩にあったベンチの柱にリアホイールを強打。タイヤの角度が大きく歪んでしまって直進できず、大幅にスローダウンとなってしまいました…。



徐行しながら、何とか車をパルクフェルメ(車両保管所)まで移動。リタイアは免れることができました。



最終結果は、E-4クラス完走8台中6位、総合完走80台中26位に終わりました…。午前は悪いなりにいい順位に付けていましたが、周りがタイムを出し始めた午後に私たちはタイムに伸び悩む展開。その挙句のホイールヒットで、パルクフェルメから戻ってきた時はどっと疲れが出ました…。


ダメージが深い所に及んでいないか心配されたAE92でしたが、幸い深刻なダメージには至っておらず、手持ちの予備パーツで交換修理できたようで、月曜日夜にはドライバーやすい氏が修理完了した車の写真をアップしていました。

ドライバーやすい氏は、最終戦である11月29日に愛知県額田郡幸田町内で開催予定のTGRラリーチャレンジin幸田へ参戦予定ですが、本年度の私のラリー参戦は豊田戦で終了。ようやくコドラ業から解放され、来春まではのんびりできそうです(笑)。

次戦の幸田戦はジムカーナとダートラを組み合わせたようなコース設定らしく、ペースノートを読んでもらう必要もないだろうとのことで、コドラを体験したいという方が代わりに乗ることになります。

今年は新型コロナの影響で、9月末からの1か月半で5戦に出場するという強行軍でした。「ウィズコロナ」で来年度は通常ペースの開催に戻っていくのでしょうが、そうだとしても、あとどれだけ参戦し続けていけるのか。

来年どうするのかは、まだドライバーやすい氏から話はありませんが、何にしても厳しい戦いにはなりますね。表彰台へのあと一歩が本当に遠いです…。
Posted at 2020/11/19 00:47:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | TGRラリーチャレンジ | 日記

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「【豊根村】霧石峠への富山漆島側峠道を下見しました http://cvw.jp/b/1796277/47676277/
何シテル?   04/25 00:05
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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