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小林あにのブログ一覧

2024年01月21日 イイね!

栃洞川沿いの木馬道跡と森林鉄道段戸山線 田峯栃洞線跡

2023年11月12日日曜日、北設楽郡設楽町田峯の栃洞川沿いに残る木馬道跡と森林鉄道段戸山線 田峯栃洞線跡を探索してきました。

今回、この場所を訪れたのは、設楽町の段戸山周辺(かつては皇室所有の「御料林」に指定されていた。)の地形図を眺めていた際、出来山近くの川沿いに途中で途切れている破線道(徒歩道)の表示を見つけ、「もしかして木馬道の跡かも?」と思ったからです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まずは、設楽町田峯にある段戸湖横にある駐車場へとやって来ました。この駐車場は、周辺にある寧比曽岳や出来山への登山口となります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみに、段戸湖はレインボートラウト、イワナ、アマゴなどが放流されたルアー・フライ用の管理釣り場として利用され、段戸湖周辺の森林はモミ、ツガ、ブナの天然林を主体とした「裏谷原生林」として保護されています。


段戸湖の駐車場から出来山の東麓を流れる栃洞川まで、「裏谷原生林」内を通る林道を歩いていきます。


林道の分岐点を右折し、「五六橋」を渡って先へと進みます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「裏谷原生林」の保護地区を抜けて、出来山東麓を流れる栃洞川の橋まで来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この橋から栃洞川の左岸を下流に向かって歩いてきます。


林道からの分岐点は土砂に埋もれてわからなくなっていましたが、川沿いに歩いていくと道筋が現れました。




地形図に破線道として記載されていますが、利用されている様子はなく、崩落している箇所がいくつも現れます。


路肩に石積みが残っていました。人家の無い森林地帯の川沿いに、道幅1m程度で石積みもある造りの道跡というところから、木馬道の跡と見ても差し支えなさそうです。


少し歩くと道筋が崩落。崩落箇所を越えて、また道筋が復活してもすぐに崩落…。なかなか面倒な木馬道跡ですね。






対岸から栃洞川へと流れ込む滝。このくらいの傾斜だと滝とは呼べないのかな?基準がわかりませんね。


前方が明るいです。伐採地に出たようです。


獣害防止のためのフェンスに囲われた斜面全体に苗木が植えられています。


伐採されたおかげで、木馬道跡がはっきりと見えています。


写真ではわかりにくいですが、伐採地を通り過ぎた所で道跡がザックリと抉られていました。元は橋が架かっていたのでしょう。


覗き込んでみると歩ける程度の岩の段差があったので、木を手掛かりにして慎重に進んでいきます。


栃洞川の小さな滝。


道跡に赤色のテープがぶら下がっています。土地管理上の調査を行った際の印でしょう。


川面から離れた高い場所を通過していきます。




また道跡が崩れて無くなっています。足元を確かめながらゆっくり進みます。


また道跡が復活です。


これは木馬(木材運搬用の橇)を通すための「竿」(縦棒)と「盤木」(横棒)の残骸でしょうか。やや細いような気もしますが…。


また道跡が無くなってしまいました。川べりの岩の上を伝っていきます。




木馬道跡がふたたび現れました。


久しぶりに路肩の石積みが残っていました。


また道跡が途絶えました。この先のような地形だと、桟道で通していたのかもしれません。


岩の上を歩いていきます。


木馬道跡が復活したので、道跡へと復帰します。


程なくして木馬道跡はより幅の広い林道になりました。かつてはこの場所まで下流側から作業車が入り込んでいたのでしょう。


場所はこちら。


これで木馬道跡の探索は強制終了。ひとまずこのまま下流側まで歩いて、段戸湖へと戻る林道への合流を目指します。


林道を下流に向けて歩いていたら、川の中にコンクリート製の橋脚が立っているのを見つけました。最初は「未成林道のものかな?」と思っていました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「せっかくだから、少し跡を追ってみるかな。」と川を渡るために川面へと目をやったところ、何とレールが転がっています。


「レール!?。ああっ!栃洞川だから、森林鉄道段戸山線の田峯栃洞線の橋の跡なのか!」とびっくり。田峯栃洞線がどこを通っていたのかはチェックしたことがなかったので、全くの想定外でした。




森林鉄道の跡を辿るとなればテンションが上がってきます(笑)。対岸の橋台は石積みの立派なもの。




橋台の上に立って、橋脚を見下ろします。この橋跡から上流の栃洞川の左岸側は崖地になっているので、森林鉄道は対岸に渡ることで崖地を避けていたのでしょう。


それでは森林鉄道跡を進んでいきます。


レールが立て掛けてあります。今までに森林鉄道段戸山線の廃線跡で見てきたレールの数を、今回のこの場所だけであっという間に上回ってしまいました(笑)。


川の流れに合わせた曲線の石垣が素晴らしいです。




そして、ふたたび左岸側へと戻るための橋の橋台跡。


橋跡を過ぎると広場がありました。広場の上流側も確認しましたが、その先に廃線跡を思わせる平場はなく、おそらくこの場所が「土場」(伐採した木材の一時集積場所)であり、田峯栃洞線の終点なのだと思われます。


廃線跡の探索は200mほどで終了。あっけなく終わってしまい拍子抜けでしたが、見覚えのある二股の松の木の所から林道へと戻り、ふたたび下流側へと歩いていきます。


廃線跡の橋脚からさらに100mほど下流の河原にもレールが転がっていました。レールは再利用できる資材として回収されるものですが、なんで放置されてしまったのでしょうかね。




すごい光景です。林道沿いに巨石が山積みにされています。かつては採石場だったのでしょうか。


事務所らしい廃屋がありました。


廃屋に「廃石捨場敷」と書かれた標柱が立て掛けてありました。採石場ではなくて、どこからか持ち込まれた巨石ということなのか。


ようやく林道の本線へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここで左折して、段戸湖方面へと向かいます。


路肩のガードロープの支柱にはレールが再利用されています。


林道を進んでいったところ、上の方で伐採作業をしていました。「日曜日でも作業しているんだ…。」ということで、お邪魔しないように山道へと迂回していきます。


山道をどんどんと登っていったところ、谷が間伐材で埋まり、通り抜けできなくなっていたので、仕方なく山の尾根まで直登して迂回します。


尾根まで登って、段戸湖方面へと歩いていったところ、伐採地の真ん中へと出てきました。幸い、作業はしていないようだったので、作業道を通り、足早に現場を抜け出します。


伐採地の上部を通る林道へと出てきました。段戸湖まではまだ一息あります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

伐採地の上部を通る林道へと出てから40分後、ようやく段戸湖の駐車場まで戻ってきました。


今回の探索ルート図はこちら。登山用アプリによると歩行距離9.8km、活動時間4時間35分でしたが、探索区間よりも移動区間の方が長距離となりました。


木馬道跡はほぼ道筋を辿るだけの内容となり、目立った痕跡はほとんど確認できませんでしたが、予定外の森林鉄道の廃線跡の登場で、気分的にはウキウキになっていました(笑)。

愛知県内でこれからも自分なりに面白味のあるものが見つかればなとは思っているので、重箱の隅をつつくような形にはなるでしょうけど(愛知県内に廃線・廃道界のメジャー物件は少ないですからね…。)、今後も情報収集していきたいなと思います。
2020年12月29日 イイね!

設楽森林鉄道鰻沢線跡をちょっと歩く(8)・昔の鳴沢橋の橋台

2020年12月27日日曜日、新城市作手守義から北設楽郡設楽町三都橋に残る設楽森林鉄道鰻沢線(森林鉄道段戸山線田峯鰻沢線)の跡を歩いてきました。

今回は未踏査の区間ではなく、「設楽森林鉄道鰻沢線跡をちょっと歩く(4)」で歩いた区間を再訪問です。ここ3週間ほど山の中を歩いていなかったので、ひとまずお気楽に散策したかったのと、同区間の写真の撮り直しが目的です。あとは、新規にレールが発見できればと(笑)。

やって来たのは、国道420号と愛知県道35号鳴沢橋の交差点付近。国道標識が立つ場所から斜面を登っていきます。


森林鉄道跡へ来ました。杉林の中を一直線に跡が残っています。ここから設楽町三都橋方面へと向かい歩いていきます。


国道420号と県道35号の交差点を見下ろします。県道35号はこの先の崖崩れにより長らく通行止めが続いていて、新城市作手と設楽町を最短で往来するルートが使えず、わたくし的にはドライブに支障が出ております。


国道420号の真上に出てきました。以前はコンクリート補強された法面が丸出しの状態でしたが、今年になって落石防護網が設置されました。おかげで、森林鉄道跡は網を支えるワイヤーが縦横無尽に絡んでおります。




沢というほどでもない凹地を通過します。


「谷積み」した石垣の上にもう一列石を並べた石積み擁壁。「谷積み」だけのパターンはいくらでも見かけますが、わざわざもう一列積むパターンはあまり見かけませんね。


宮内省帝室林野管理局の境界標石。この地域の山地は、戦前は宮内省帝室林野管理局が管理する御料林でした。この境界標石はその当時の痕跡の一つで、「宮」の字を図案化したマークが刻まれています。


苔むした石積み擁壁が続いています。


前方の沢に小さな橋が見えてきました。


枕木とレールを乗せるコンクリート製の桁だけを架けたいたって簡素なもの。ここ以外にもう1か所同様の橋が残っています。




3年5か月ぶりに渡ります。分厚い桁なので、私が乗ったところでビクともしません。ただ、平均台歩きが怖くて嫌なだけです(笑)。


対岸へと渡り、幅広で穏やかな区間を歩いていきます。


レールが現れました。前回訪問時に確認済みのレールです。路盤が洗われて、宙に剥き出しになっています。


ご覧のとおり、供用当時の軌道幅を保ったまま残っています。


こちらは反対側。右側のレールは木に取り込まれてしまっています。


この先では木が根元からひっくり返っていますが、なんとか隙間を通り抜けます。


岩壁を削り込んだ区間を通過します。


ふたたび沢に出ました。ここには橋台と2つの橋脚が残されています。




対岸は岩盤の上に石積み擁壁を組んで路盤を築いてあります。


沢の中から橋脚を見上げます。鋭い沢でしたが、たまたまあった残置ロープを手すり代わりにして沢底まで降り、対岸へと横断しました。


渡った対岸側から橋梁跡を眺めています。橋台と橋脚の高さが相当ずれています。橋脚からさらに木組みをして橋桁を支える構造だったそうです。




渡った先も岩壁を削った険しい地形を通り抜けていきます。




またレールがありました。これは前回訪問時にはわからなかった物ですね。確認のため、靴で周囲を掘り返しました。


写真左側に対になるレールがあったはずですが、そちらは見つけられませんでした。


珍しく山側に石積み擁壁があります。ここは山へと登っていく古道が交差しています。


ふたたび沢へ向かい、路盤跡が山へと入り込んでいきます。


橋梁跡です。対岸にカーブを描く橋台が見えています。


前回訪問時はさらにこの先へと進んでいきましたが、ここは先ほどの沢よりもさらに鋭く抉れたV字型の沢。沢の周囲は手掛かりの無い滑らかな岩盤が露出しているので、沢に降りることすらできません。


進むためには大きく迂回する必要があるため、今回はここで引き返すことにしました。「一度歩いたルートだし、もういいや。」というのが本音です(笑)。

先ほどの石積み擁壁の所まで戻ってきました。まだ時間もあるので、ここから交差する古道を山側へと登っていってみます。


想像以上にしっかりとした道跡が残っています。この先に集落があるわけでもなし、なぜでしょうかね。




尾根の上に出てきました。奥に向かってまだまだ道跡が続いています。


細尾根の道になりました。


本来の尾根よりもかさ上げされて道が造られているのがわかります。わざわざこんな道を造る必要があるものがこの奥にあるんですかね?


依然、道跡ははっきりと残っています。




荒れた凹地へと出ました。ここで本来の道跡は消えていましたが、細い踏み跡がさらに先へと続いているので、それを頼りに進みます。


ふたたび道跡が現れました。


この先に炭焼き窯の跡がありました。


そして、炭焼き窯跡があるこの平場で道跡は完全に途絶えてしまったようです。


どうやら、私が登ってきたこの道跡は、この炭焼き窯で焼いた炭を麓へと搬出するための道だったようです。

周囲を見渡していたら、沢沿いに踏み跡があったので、もう少し登ってみることにします。


尾根を登り詰めていったら、巨岩に行く先を塞がれてしまいました。やはり峠道という訳ではなかったようです。




先ほどの平場まで戻ってきました。


この平場の下方は崖になっていて、沢の流れが滝となって落ちていきます。


森林鉄道跡まで戻ってきました。道跡はさらに下へと続いているので、このまま国道420号まで降りていくことにします。


山へと登る側の道とは打って変わって、人一人がようやく歩けるほどの細道です。


もしかしたら、搬出した炭は今の国道まで降ろさずに、森林鉄道に便乗して搬送していたのかもしれません。想像ですけどね。

国道420号へ出ました。落石防護柵で塞がれていたらどうしようかと思っていましたが、ちゃんと切れ込みが造られていて助かりました。やはり昔は人の出入りがあったのでしょう。


やや場所は飛んで、鳴沢橋まで戻ってきました。現橋の真横に残る旧鳴沢橋の橋台です。この橋は1932年(昭和7年)に竣工したようです。




傍らに欄干の柱だけが残っています。


鳴沢橋で対岸に渡り、川沿いにあった細い道へと入り込みます。先ほど居た旧橋の橋台を反対側から見ようと思ったからです。

何と、その細い道に石仏があります。


見てみると馬頭観音です(仏頭に馬の頭が乗っています。)。これがお地蔵様ならさして気にしませんでしたが、馬頭観音となれば話は別です。この道が昔の街道であった可能性があります。


光背に年号が刻まれているようでしたが(誰かがなぞった跡があった。)、はっきりと読み取れませんでした(大正?)。

歩き進めていくとすぐに川べりで道が途絶えました。


これは石積みの橋台ですね。ということは、鳴沢橋の旧旧橋がここにあったということになります。これは想定外でした。




1908年(明治41年)測図・1932年(昭和7年)発行の地形図を見ると、現在の鳴沢橋の場所には橋も道路も記載されておらず、掲載されている前身の橋と道は「鳴沢の滝」を避けるためか、もっと下流にありました(その道は「新城市作手守義字小滝から設楽町三都橋までの古道を探索」ですでに探索済み。こちらでは橋跡を見つけられませんでした。)。

記載が漏れたのは、地図の内容更新がめったにされなかったためでしょうが、類推すれば旧旧橋の架橋は1908年以降ということになるでしょう。図書館へ行って「作手村誌」でも読み返してみないといけません。

こちらは旧鳴沢橋の橋台。昭和戦前物なのでオーソドックスなコンクリート橋台です。


車へと戻ってきました。今回、個人的には一番最後に予想外のものを見られたのが良かったですかね。そして、またモヤモヤが増えましたが…(笑)。
2020年11月22日 イイね!

竹桑田と方瀬を結ぶ古道と森林鉄道段戸山線田峯鰻沢線跡を歩く

2020年11月21日土曜日、北設楽郡設楽町田峯字竹桑田と新城市連合字方瀬を結ぶ古道を歩いてきました。

と言いつつ、そもそもここへとやって来たのは、森林鉄道段戸山線(通称:設楽森林鉄道)の田峯鰻沢線の写真を取り直すためです。

愛知県道389号稲目トンネルの設楽町側坑口付近にある駐車帯へ車を停めて、最初にやって来たのは、字竹桑田に残る田峯鰻沢線の廃トンネル。本森林鉄道唯一のトンネルです。






トンネルの写真を撮ったら一旦車へと戻ります。

ここで、予定では近くの国道257号新段嶺トンネルを抜けて、寒狭川沿いの田峯鰻沢線の廃線跡へと移動するつもりでしたが、この場所から沢沿いに表題の古道があることを思い出しました。

戦前の地形図ですが、図中の赤線がその古道になります。

※5万分の1地形図「本郷」。明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入。昭和7年(1932年)発行。

「まだ13時前だし、ちょっと歩いてみるか。」ということで入り込んでみます。


沢沿いの道らしく、転がっている石に苔の多いこと。間伐されたものだと思われる倒木も多く、通行困難というほどではないですが、通り抜けるのに手間取りました。










古道は途中で林道へ合流。林道建設時に吸収されてしまったようです。




道中、石仏なども見当たらず、「峠があるわけでもないし、こんなもんかな。」という感想。往復1時間20分ほどで車まで戻ってきました。


最後は、田峯字南山にあるバス停「ヤナ場」付近の路肩に車を駐車。ここから沢沿いに田峯鰻沢線の廃線跡まで登っていきます。

廃線跡まで登るのに使った道は、元々はこの山の上にある田峯城跡への遊歩道でしたが、現在は荒れるに任せた状態のようです。


廃線跡まで登ったら、一旦、旧田峯駅方面へと戻れるだけ戻り、そこから終点方面へと歩いていきます。


この辺りはすでに2018年4月に踏破しているので、今回は写真を撮りながらもサクサクと歩いていきます。
















レールその他、見逃しているものがないかチェックしながら歩きましたが、これというものは見当たりませんでした。


田峯鰻沢線は、国道420号に並行して当貝津川の谷を登っていきますが、道路の法面工事や拡幅工事が各所で行われていて、場所によっては廃線跡が削られている箇所もあります。


無傷で残っている石積みの高い築堤。




一方、こちらは破壊された築堤。


設楽町田峯字東貝津で廃線跡は一旦道路へと吸収されます。今回はここで廃線跡を歩くのを終了します。


帰りは川沿いの国道を歩いて戻りました。


この日は合計4時間で約9kmを歩行。なかなか疲れました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
2019年05月02日 イイね!

設楽森林鉄道鰻沢線跡をちょっと歩く(7)

今日は1年ぶりに設楽森林鉄道鰻沢線跡へ出かけてきました。


今回は「設楽森林鉄道鰻沢線跡をちょっと歩く(5)」の続きとなる区間を歩いてみます。


(5)で引き返した沢から廃線跡に入り込んで歩き始めたわけですが、すぐに途絶えてしまいます。現在、真下を通る国道420号が拡幅工事中なので、削り取られてしまったようです。


斜面を高巻きして廃線跡の続きへと移動しますが、ここもすぐに途絶えてしまいました。




ここは高い所まで法面工事がされていたので、施工部分の頂上まで登って迂回。


ふたたび廃線跡に戻り、進んでいきます。




今回歩いた区間は沢が少なく、石垣の橋台が残っていた沢はここだけでした。




戦前の宮内省の境界石はこの辺りでも所々残っています。


しっかりとした石垣が続いています。




珍しく開けた場所を通り抜けます。


小さな神社の参道と交差します。この辺りは廃線跡の上の斜面に小さな神社が点在してます。


ここも石垣がきちんと残っていて、廃線跡がきれいに保たれています。




しばらく先で廃線跡はまた消えてしまいました。


この先は山の斜面に廃線跡と思われる平場が見当たらなくなってしまったので、国道の路肩を歩いていきます。


廃線跡が見当たらないまま落合橋まで来ました。森林鉄道はここでは渡河せず右折していましたので、そのとおりに歩いていきます。


設楽森林鉄道の栃洞線が分岐していた新城営林署団子島事業所という所まで歩いていきました。それらしい小さな木造建物がいくつか集まって建っている場所を巡ってみましたが、これというものは見当たりませんでした。

建物の横にレールが突き出ていたので撮っておきました。なぜか鹿の糞が乗っかっていますが(笑)。


落合橋まで戻って橋を渡り、すぐに右折して坂を登っていきます。坂の途中で廃線跡と交差するので、一旦、団子島事業所へと戻る方向に進みます。


団子島川のほとりに石積みの橋台が残っていました。


対岸の団子島事業所の眺め。


道路まで引き返して、今度は右の路地へと入っていきます。


ふたたび廃線跡が現れました。


が、じきに国道によって削り取られてしまっていました。


また高巻きして続きの部分に降ります。


今回歩いている区間は山が川に迫っていて余地が無く、国道の拡幅が進むたびに廃線跡が削られてしまっているようです。ただ、道路脇に民家がある区間は、民家の裏手の山側を通過しているため、そのまま残ったみたいですね。


あれ?廃線跡に物置を置かれてしまっていますね。私有地になってしまったのでしょうか。


無理に辿る必要もないので高巻きして迂回しましたが、迂回した先ですぐに国道へと降ろされてしまいました。


この後、10分ほど国道を歩いていきましたが、山の斜面に平場は全然見当たらず、国道になってしまったみたいです。

この先もまだ続いているわけですが、暑さでくたびれてきたのと廃線跡がないことに気が削がれてきたので、ここで引き返すことにしました。
2018年04月28日 イイね!

設楽森林鉄道鰻沢線跡をちょっと歩く(6)

今日は、設楽森林鉄道鰻沢線跡を歩いてきました。歩きつないで6回目となります。

今回は、旧豊橋鉄道田口線田峯駅と接続していた地点から上流へと歩いていきます。

旧田峯駅付近に残るトンネル。区間唯一のトンネルです。








廃線跡を利用してわずかな区間が遊歩道にされたらしいですが、トンネルのすぐ先で柵が崩壊してます。


転がっていた宮内省帝室林野局の境界標。地中に埋まる基礎部分の大きさに驚かされます。


遊歩道は右上へと登っていきますが、廃線跡は直進します。


先を少し進むと、廃線跡は旧段嶺隧道の上で途絶えてしまいました。旧国道を拡幅した際に削られてしまったようです。


山の斜面を登り、途絶えた先へと移動します。廃線跡が途絶えているのは100mくらいでしょうか。

迂回した先には用途不明の大きなコンクリート柱?が横たわっていました。


ふたたび路盤の跡が明確になってきました。


森林鉄道に関係するものか不明ですが、多分、滑車のようです。


宮内省の境界標が頭を出しています。


沢が洗い越しのように流れています。


下の国道との高低差は20mくらいでしょうか。


路盤が大きく崩れています。


振り返って見ると高い石積みの擁壁。


ベンチが現れました。田峯城跡への遊歩道との交差点に出たようです。


すぐ近くの沢に石積みの橋台が残っています。


反対側には長い谷積みの擁壁。苔に覆われています。


次の大きな沢にも石積み橋台が残っていました。


来た方向を振り返って。


道中は相変わらず倒木が多くて歩きづらいです。












境界標に「七三」の刻印。意味は不明です。


森林鉄道が通っていた所だけあって、山深さを感じます。


また沢の流れが路盤を横切っています。ここは溝がまだ現存していたので、スムーズに流れています。


碍子に金具が付いた物が落ちてました。用途不明です。


堀割りを通過。


石垣がきれいに残っています。






南向きの斜面に入り、日が差し込みます。


急傾斜地を進みます。


法面工事のために伐採しているようです。


資材運搬用のためか、モノレールが設置されてます。


大きなカーブを描く石積みの築堤が現れました。破損もなく、今回一番の大物ですね。










また洗い越しを通過。




路肩が崩れて路盤の幅が狭くなってます。通過に支障はないので難無く通過。




二段になった石垣。普段から磨かれているみたいにきれいです。


廃線跡が道路に吸収されてしまいました。


この先は民家の前を通り(1)で歩いた廃線跡に続くので、今回の探索はこれにて終了とあいなりました。

合流地点の少し手前にある石積みの暗渠。本体である森林鉄道の築堤はほとんど欠落しています。増水時に沢の流れを阻害しないよう壊したのかもしれません。


ここまで3時間の行程。気分的には、「えっ?もう3時間経ってるの?」という感じでした(笑)。

当貝津川沿いを通る国道まで降りて、旧段嶺隧道前に停めた車まで戻ることにします。

戻る途中の交差点で撮った国道おにぎり3段。知っている人は知っているという程度のものですね。


引き返し地点から約40分で車に到着。膝がパンパン、腰も痛い…。タイトルの「ちょっと歩く」がだんだん合わなくなってきてしまったな…。

プロフィール

「【豊根村】霧石峠への富山漆島側峠道を下見しました http://cvw.jp/b/1796277/47676277/
何シテル?   04/25 00:05
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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