2025年5月9日金曜日、山形県鶴岡市にある出羽三山神社へ行ってきました。
今年のゴールデンウィークは、姉弟3人で国道292号「草津志賀高原ルート」にある「雪の回廊」を見に行ってきたわけですが、まだゴールデンウィークに出かけようという話が出ていなかった時、私は一人で遠出でもしようかと思っていました。
それで、まずは「東北方面へ行こうかな。」と考えたわけです。で、寺社でも見に行こうかなと山形県山形市の立石寺とか検討していたのですが、「久しぶりに国道7号で日本海沿いを走ってみたいな。」とも思いました。
「それなら鶴岡市まで国道7号を行って、羽黒山とか月山へ行ってみようかな。」となり、ネットで検索して羽黒山にある出羽三山神社へ行くことを決めました。
しかし、姉弟3人でゴールデンウィークに出かけることが決まり、この予定は一旦お流れになりました。
ですが、「やっぱり一人でも遠出したいな。」という気持ちが消えず、たまたま勤務の都合で5月9日・10日・11日が三連休になっていたこともあり、出かけることに決めたわけです。
さて、自宅を5月9日0時45分頃に出発。東海環状道・中央道・長野道・上信越道・北陸道・日本海東北道と乗り継ぎ、朝日まほろばICからは国道7号を走行していきます。
自宅から走ること10時間弱、ようやく山形県に入りました。新潟・山形県境を越えた場所にある道の駅「あつみ しゃりん」にて小休止。海岸線には岩礁が広がっています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この後は、あつみ温泉ICから鶴岡西ICまでは日本海東北道を走行(この時点で予定よりも時間がかかっていて、海沿いの国道7号をそのまま進むのは断念。)。
鶴岡西ICから鶴岡市街地を経由し、羽黒山の麓にある出羽三山神社の鳥居前へとやって来ました。
実は、出羽三山神社がある羽黒山の山頂へは自動車道もあるのですが、標高414mとそれほど高い山ではないので、せっかくなら麓から参道を歩いて訪れたいなと思ったわけです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ちなみに、「出羽三山」は月山・羽黒山・湯殿山の総称で、月山が「過去」、羽黒山が「現在」、湯殿山が「未来」を象徴しているそうです。
また、「出羽三山神社」もこれら三山にある神社の総称で、「月山神社・出羽神社・湯殿山神社」が正式だそうです。
鳥居に続いて随神門をくぐっていきます。
参道は、随神門からいきなり上り坂が始まるわけではなく、一旦は坂を下っていきます。この出羽三山神社の参道の石段は2446段あるそうです。
坂を下っていくと、いくつかの社殿がまとまって建っています。風雪の影響のためか、古めかしく見えます。
川を挟んだ対岸にも社殿があります。背後の滝は「須賀の滝」と呼ばれ、1654年(承応3年)にこの場所まで引水して造られた人工の滝だそうです。
続いては「爺杉」。樹齢は推定1000年以上とあります。
この神社で見ておきたかった建築物である、国宝「羽黒山五重塔」が見えてきました。本来、五重塔は寺院建築物であり、江戸時代までの神仏習合の名残りと言えます。
この五重塔は約600年前の室町時代に再建されたもので、東北地方では最古の五重塔だそうです。
五重塔が立つこの地にはかつて寺院があり、周囲には多くの伽藍があったそうですが、明治時代の神仏分離令により取り壊されてしまったそうです。
そのような状況の中、この五重塔は取り壊しのために多くの費用と時間がかかると見込まれたため、幸いにも破壊を免れたらしいです。
そういった経緯のため、この五重塔はかつての寺院の遺構としてではなく、現在は出羽三山神社の末社の一つとして取り扱われています。
五重塔を後にして、さらに参道を進んでいきます。
さて、出羽三山神社の参道には「一の坂」、「二の坂」、「三の坂」と呼ばれる急坂があるのですが、これから「一の坂」を登っていきます。
一直線に登ってますね(笑)。
女夫杉。
「一の坂」を振り返って見下ろしています。
しばらくは緩やかな坂の石畳の道を進んでいましたが、正面にまた急坂が見えてきました…。
「二の坂」が始まりました。「一の坂」よりも長そうです…。
この急坂で、さすがに真っ直ぐ登っていくのが辛くなってきて、ジグザクに登っていきます。
「二の坂」を見下ろしています。帰り道も大変そうです…。
「二の坂」の途中にある茶屋。
「二の坂」が終わり、また緩やかになった参道を進んでいきます。
最後の「三の坂」が始まりました。
「ハチ注意!」の看板。幸い、遭遇することはありませんでした。
まだまだ急坂の石段が続きます。
お約束のクマ注意の看板も。こちらも出会うことはありませんでした(笑)。
坂が緩くなったので、「『三の坂』もようやく終わったか。」とホッとしながら歩いていきます。
ところが、急坂の石段がふたたび現れました。「『四の坂』なんてあったっけ?」と思いましたが、どうやら「三の坂」がまだ終わっていなかっただけのようです…。
「これを登り切れば…。」と最後の踏ん張り所です。
急坂区間が終わり、振り返っています。
どうやら「三の坂」区間は終わったようです。
ようやく山頂の境内の鳥居に着きました。随神門から約1時間の行程でした。
鳥居の横にある社殿。
凝った龍の装飾に覆われています。
三神合祭殿。文政元年(1818年)の再建。出羽三山神社の本殿に当たる社殿で、月山・湯殿山・羽黒山の三神が合祀されている「合祭殿造り」と呼ばれる独特の社殿だそうです。国の重要文化財に指定されています。
社殿には、左から「湯殿山神社」・「月山神社」・「出羽神社」の扁額が掲げられています。三神がこの社殿に合祀されている理由は、月山神社は月山の山頂、湯殿山神社は渓谷にあり、冬季に祭事を行うのが困難な立地であるためだそうです。
鐘楼。元和4年(1618年)に最上氏の寄進により再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
健治の大鐘。健治元年(1275年)の銘があり、東北地方で最大、銘があるもので最古のものだそうです。こちらも国の重要文化財に指定されています。
手水舎。
出羽三山歴史博物館。ちゃんと見学してきました。
境内を一巡りしてから三神合祭殿でお参りします。
これにて車へと戻ることにします。
「二の坂」の茶屋からの眺め。庄内平野が遠望できます。
麓の鳥居へと戻ってきました。
門前のお店で何か軽く食べようかと思いましたが、入ったお店になぜか店員さんが見当たらず、そのまま車へと戻りました。
これで今回の目的は達したので帰宅します。が、寄り道できる場所へは寄り道していきます。
帰り道は鶴岡市街地から日本海を眺めながら国道7号を走行。17時過ぎ、新潟県村上市府屋にある旧国道7号へとやって来ました。
場所はこちら。現在、この付近の国道7号は海岸沿いを通過していますが、この旧道が開通するまでは山の中を峠越えしていたそうです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
戦前の旧版地形図はこちらになります。

※5万分の1地形図「温海」:大正2年(1913年)測図・昭和9年(1934年)修正測図。
岬隧道。
トンネルの扁額。
坑門には「一級国道7号線」の銘板がはめ込まれています。
トンネル内部。
「延長三〇米 幅員六米」とあります。
岬隧道の真下には、羽越本線旧線のトンネルがあります。
羽越本線旧線の橋梁。コンクリート造の放物線アーチ橋です。この付近は大正13年(1924年)に開通しており、煉瓦造からコンクリート造へと移行した時期に当たりますね。
岬隧道から北側を望みます。
間の内隧道。こちらのトンネルは通行止めとなっています。
トンネルの扁額。
このトンネルにも「一級国道7号線」の銘板がはめられています。
トンネル内部。
こちらは「延長一三九米 巾員五米」となっています。
旧国道のトンネルの左側には、羽越本線旧線のトンネルもあります。
こちらのトンネルはコンクリートブロック造。場所打ちコンクリートではアーチ部分の打設が技術的にまだ難しかった時代によくあったタイプのトンネルですね。
この後は国道7号で同じく村上市内の道の駅「朝日みどりの里」まで移動。隣接するコンビニで購入した晩御飯を食べてから、そのまま22時頃まで仮眠してました。