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小林あにのブログ一覧

2021年11月28日 イイね!

矢ノ川峠昭和道の再訪・高尾谷隧道・旧土場隧道

2021年10月30日土曜日、三重県尾鷲市の矢ノ川峠昭和道、三重県熊野市の高尾谷隧道及び同じく熊野市の旧土場隧道を訪れました。

私は10月のうちに2度、一人で三重県尾鷲市の矢ノ川峠周辺へ昭和道と明治道の探索に出かけたわけですが、この様子を見てか、母が「山へ行きたい、山へ行きたい。」と何気に言ってくるわけです。

そこで、「矢ノ川峠の昭和道なら実質林道だからハイキング気分で歩けるし、山深い雰囲気もそこそこ味わえる。距離はちょっと遠いけど、ドライブも兼ねてちょうどいいだろう。」と思い、再度訪ねたわけです。

前回訪問時と同じく、国道42号千仭橋付近にある駐車帯へとやって来ました。


当日は昭和道の入口に出入りを監視するような形で軽四が停められており、作業服を着た人が座っていました。今日は林道へ入ったらまずいか尋ねたところ、「林道へ入るのは構わないが、歩いて2時間くらいの所で伐採作業をしているので注意してほしい。」とのことでした。おそらく作業車が来た時にゲートを開閉するために停まっていたのでしょう。

問題なしということで、母を連れて昭和道へと入っていきます。


これ以降は訪問2回目ということで、サラッと流していきます(笑)。

矢ノ川峠開鑿記念碑前。


矢ノ川1号トンネル。


令和に入って完成した砂防ダムがある沢。母は暑くなってきたのか、上着を脱いでいます。


母は私が廃道歩きへ出かける時、持ち物や服装がどうだこうだと細かいことをよく言ってきますが(笑)、いざ自分が久しぶりに山歩きに来た時には、ナップサック持ってきていないわ、靴が運動靴ではなく街履き用のものだわ、山歩き用ストック忘れただわと、歩き始めてからいろいろと悔やんでおりました。


結局は「仕方がない。」とビニール袋に手荷物を詰めて、そこらの枯れ枝を杖代わりにして歩いております。こちらがせめて「ビニール袋持つわ。」と言っても、そういうことは頑なに拒むんですよねぇ。

矢ノ川2号トンネル。


矢ノ川3号トンネル。


そこらの登山道に比べれば全然ゆるい坂道の昭和道ですが、普段キロメートル単位で歩くことがない母にとってはなかなかキツそうです。


矢ノ川4号トンネル。やはり人間が入ると大きさの対比ができ、わかりやすくて良いですね。


4号トンネルの峠側坑口。


母はここでギブアップ。スタートから1時間半ほどでした。そのままこの場所でしばらく休憩。ついでに補食でミニあんぱんを食べます。

母はこれで戻ることになって気が楽になったのか、下り坂をスタスタと歩いていってしまいます。時に小走りしたりとはしゃいでいるので、「転ぶと危ないから足元気を付けてゆっくり歩いて!」と注意します。




矢ノ川2号トンネル前。


登っている最中、母へトンネルの数の話をしていた時に、「コンクリートのトンネルなんか通ったっけ?」とか言っているので、「ちゃんと通ったわ!」と返したのですが、それもあってかしげしげと見ています。

岩石に残っている発破の跡。




前回訪問後に、再度、矢ノ川峠昭和道関係の記事を検索していた時にこのような跡が各所に残っているとあったので、あらためて探してみました。

こちらは発破の際に岩石が燃焼したのか変色しています。


無事に車まで戻ってきました。


一旦、国道42号で矢ノ川トンネル・弓山トンネル・大又トンネルと越えて、熊野市にある道の駅「熊野きのくに」まで移動してから小休止。

まだお昼になったばかりだったので、本来この日に訪れようと思っていた廃トンネルへ向かうことにします。

向かうのは、同じ熊野市内の国道169号沿いにある高尾谷隧道と旧土場隧道です。地図はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まずは旧国道169号にある高尾谷隧道。竣工は1932年(昭和7年)です。


坑門のデザインが、1924年(大正13年)に竣工した国道1号の鈴鹿隧道に類似していることで知られています。


扁額。


ピラスター(壁柱)。鉾のような柱頭が特徴です。


トンネル内部。目で見える限りでは特に問題なさそうですが、現在は通行止めとなっています。


次にやって来たのは、同じく旧国道169号にある土場隧道。このトンネル自体は、今回の目的物件ではありません。


扁額。


お目当ての旧土場隧道は、土場隧道の上に位置しています。


母には車で留守番してもらい、まずは山の斜面を登って、旧国道169号の旧道へと向かいます。


旧国道169号の上の斜面を通る旧道へと出てきました。一旦、ここからトンネルとは逆方向へと進み、廃道であるこの旧道の結末を確認しに行きます(すでに知ってはいますが。)。


旧道は思ったよりもしっかりと道跡を残しています。


路肩に石積み擁壁が見えます。


羊歯の密生地帯を抜け、倒木群をかいくぐります。




落石防護ネットの支柱がズラリと並んでいます。


支柱が段々と旧道を圧迫していきます。


ついに旧道は無くなってしまいました。旧国道に完全に削り取られています。


旧道の末端部分を確認したので、いよいよ旧土場隧道へと向かいます。

写真中央部、やや凹んだ場所に旧土場隧道があります。


旧土場トンネルです。竣工年は不明。既出の情報にあるとおり、トンネル直前が土砂で埋まっています。


土砂の山に登り、トンネル坑口を眺めます。


残っている石積みアーチなどを見る限り、坑門はもともと無かったように思われます。


トンネル内部を覗くと、石積みアーチが途切れた場所で崩落しています。


坑口を眺めています。土砂の山で相当埋まっていますが、一応立ったままで出入りは可能です。


石アーチ先の崩落を越えてから振り返り、石アーチ方向を眺めています。天井部の崩落が進み、本来のトンネル内部よりもはるかに大きい空間ができています。


反対側坑口へと進みます。石積みアーチで巻き立てられているのは、トンネルへ進入した坑口付近だけで、その他の場所は素掘り状態のままです。


岩の性質によるものなのか、トンネル形状が四角形というか台形になっています。


反対側坑口へと出ました。


まさに岩山にトンネルを穿ったという感じです。


こちら側もトンネルの先に旧道が続いています。


曲線を描く石積み擁壁がいい雰囲気を醸しています。そして、廃道ながら往時を思わせる整った道跡。






前方で土砂が流れ込んでいますが、そのまま奥へと進んでいきます。


右へとカーブしながら下っていきます。


そして、こちらの旧道も途絶えてしまいました…。


旧道の下を通る別の林道に削り取られたようです。


下の林道へと下りて、旧道を見上げます。これでは、あらかじめわかっていないとここに旧道があるとは気づかないでしょう。


林道を歩き、旧国道へと戻っていきます。写真中央部で路肩の石垣の上端が微妙に「へ」の字に曲がっています。もともとはこのまま上り坂になっていて、林道の上を通る旧道へとつながっていたのではないかと想像しています。


旧国道へと出てきました。奥のトンネルが国道169号新土場トンネルです。


土場隧道を通り抜けます。




車へと戻ってきました。


短い区間ながらも、廃トンネル・廃道ともになかなか満足できる内容でした。

この時点で時刻は14時。どうせ翌日は日曜日。母をここまで連れてくることはめったにはないことなので、このままさらに熊野市街地方面へと移動します。

やって来たのは、花の窟神社。


花の窟神社には社殿が無く、この巨岩がそのままご神体となっているそうです。


神社から国道42号を横断し、熊野灘の海岸「七里御浜」へ。


ここは砂浜ではなく、玉砂利の浜。私がまだ赤ん坊の頃に家族で来ていて、その時に玉砂利の上に寝かせて撮った写真を見たことがあります。母も「こう寝かせて写真に撮ったんだよ。」と懐かしそうに話します。

今回のドライブはここまでで終了。熊野大泊ICから熊野尾鷲道路に乗って帰路につきます。そして尾鷲市を過ぎた頃から早くも眠気が…。

紀勢道紀北PAに立ち寄り、併設の道の駅「始神テラス」でまずは晩御飯。箸で持ち上げるのも大変な身の厚いアジフライの定食を食べました。


その後はしばし仮眠をいたしました。
Posted at 2021/11/28 20:12:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年11月23日 イイね!

三重県尾鷲市 矢ノ川峠「明治道」を歩く(3)

2021年10月23日土曜日、三重県尾鷲市と熊野市の境にある矢ノ川峠(標高:807m)を越えるルートのうち、通称「矢ノ川峠明治道」と呼ばれる廃道を歩いてきました。

今回歩いた推定ルート図はこちら。赤線が明治道になります。ちなみに黒線が昭和道になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※その2からの続きになります。

坂を登り詰めるとヘアピンカーブに突き当たりました。


正面には高く積み上げられた石積み擁壁が見えています。


ヘアピンカーブの頂点まで進んでから振り返ります。ここは2つの連続ヘアピンカーブで一気に高度を稼ぐようです。進む先の山側にも石積み擁壁が見えています。


連続ヘアピンカーブで上っていくような場面は、当然今までにもいろいろな場所で見てきましたが、けっこう薮や草むらに覆われてしまい、全体像がはっきりしないケースが多く、これだけ鮮明に道跡や石積み擁壁を含めた連続ヘアピンカーブの景色を拝めるのは、廃道好きとしてはちょっとした興奮を覚えますね(笑)。

中段の道跡を進んでいきます。


中段の道跡の山側に残る石積み擁壁。ここまで石垣の類は苔むしたものがほとんどでしたが、なぜかここの石垣はあまり苔むしていません。


今歩いている中段の道跡を支えている石積み擁壁は、積み方が野面積みですが、上段の道跡を支えている石積み擁壁は谷積みになっています。


野面積みは自然石(整形していない石)を積み上げていく方法で、谷積みは整形した石を斜めにして積み上げていく方法です。道路沿いや鉄道沿いの古い時代の土留め擁壁は、野面積み・布積み(整形した石を目地が揃うように積み上げる方法。)から谷積みへと変化しているようです。

なので、ここの谷積みの擁壁は、明治道の拡幅工事の際に野面積みから積み直されたものかもしれません(あくまで想像ですが。)

もう一つのヘアピンカーブで振り返っての写真です。


この連続ヘアピンカーブ区間にやって来て、最初に見上げていた高い石積み擁壁です。こちらの石垣は全体が苔むしています。


この地点から左手の山側を見上げると、高い場所に野面積みの石積み擁壁が見えています。これからあの場所を通っていくわけです。


ヘアピンカーブを挟んでうねりながら上ってくる道跡を見下ろしています。羊腸の道というには距離が短過ぎますが、この場所も明治道のハイライトの一つと言えるでしょう。


ただ、明治道の紹介記事を上げているのは登山者の方々が多いのですが、この場所については誰も取り上げられてはいなくて、そこはやはり興味を覚える視点の違いを感じますね…(そりゃ当然だ。)。

連続ヘアピン区間からさらに進むと、ほどなくしてまたヘアピンカーブが現れます。


このカーブの外側にも水準点の標石が残されています。ここも国土地理院の管理からは外れているようです。


ここからは短い距離ですが、尾根道になります。


谷積みの石積み擁壁で路盤をかさ上げしてあります。


尾根道区間が終わり、左へと屈折してふたたび山腹に取り付きます。


今までのうっそうとした植林地や雑木林の中を通っていた時とは雰囲気が変わってきました。


先ほど、下から見上げていた石積み擁壁です。見てのとおり粗い積み方ですが、路盤はしっかり残っています。


石造暗渠を発見。沢があるわけではないので、水抜きのためでしょう。






廃道を歩いているといちいち石造暗渠を取り上げていますが、特に暗渠マニアという訳ではありません(笑)。めぼしい遺構が少ない廃道歩きでは、どうしても石造物に目が行ってしまうだけなのです。

瓦礫は多いですが、快適な廃道が続きます。


前方の道跡が怪しくなってきました。


道跡は残っていますが、全面に岩が流れ込んでいます。そんなに大きくはないので、足元に気を付けて通過します。


橋跡を越えていきます。


何か見覚えのある景色になりました。


明治道の紹介記事の写真にあった路上に根を這わせている木ですね。


梅雨時に来ると木々や苔の緑がもっと色鮮やかでフォトジェニックになりそうです。

斜面から岩が道跡へとあふれ出しています。すべて苔むしているので、相当以前に流れ込んだのでしょう。


鋭角なヘアピンカーブです。乗合自動車は何度も切り返して上り下りしていたのでしょうかね。


少し歩くとまたヘアピンカーブです。この辺りが「七曲がり」と呼ばれた難所のようです。


この場所で3つ目のヘアピンカーブです。カーブは鋭角で道幅も狭いし、自動車にとってこれは難所ですね。


ヘアピンカーブの奥側から振り返って撮っています。道跡が荒れすぎていて、写真を見るだけでは一瞬何のために撮ったのかわかりません(笑)。


前方が巨岩群で埋もれていますね…。


乗り越えた先は、また平穏な道跡に戻りました。




ずいぶんと標高を稼いできました。国道42号のロックシェッドが真下に見えています。


またヘアピンカーブです。


土砂崩れに道が埋もれてしまったりと、道跡の状況が悪くなってきています。








炭焼き窯の跡ですね。円形に積まれた石垣の土台が残っています。


またヘアピンカーブです。あまり急坂にならないように繰り返しヘアピンカーブを設けて、ジグザグに山を上っていきます。


巨石が転がる風景もすっかり当たり前の光景になりました(笑)。


谷側は切り立った崖になっています。


石畳がありました。


岩壁と木立ちで回廊のようになっています。


橋跡を通過します。


倒木が折り重なっていて、通り抜けるのが厄介ですね。


路肩の石積み擁壁。このようなアングルで撮るために路肩から身を乗り出しています。ちゃんと岩や太い木を足場にしていますから。


山側は岩盤を削り込み、谷側へは石垣を積んで造られた狭い道跡を進んでいきます。




道跡を眺めていると、山肌が凹んでいる場所や斜面が急な場所には石垣の積み上げて路盤を確保してあり、急峻な地形にどうやって幅のある緩やかな道を通すか相当苦心したことが見て取れます。






少し落ち着いた雰囲気になってきました。


見覚えのある石垣がある場所へ出てきました。どうやら、矢ノ川峠昭和道を歩いた時に安全索道小坪駅跡へ行こうとやって来た場所に着いたようです。


もう少し先へと進みます。


単なる斜面にしか見えませんが、ここが明治道(左側)と安全索道小坪駅跡へと向かう道跡(右側)の分岐点です。


このように書きましたが、実はこの時点でも右側の道跡を進むと安全索道小坪駅跡へ行けるとはわかっていません。

まずは昭和道訪問時に確認していなかったこの道跡の先が、どのようになっているのかをあらためて確認するつもりで進み始めました。


ちょっとした広場を通り過ぎます。


おそらくは、この場所にロープウェイと木本(現:熊野市)とを結ぶ乗合自動車の発着場があったのでしょう。

これといった案内も見当たらないまま道跡を進んでいきます。


平場へと出たら、奥にコンクリートのブロックのようなものが見えています。「ここに小坪駅跡があったのか…。」とちょっと気が抜けました。


駅跡と言っても、建物の跡らしきものは見当たらず、ロープウェイのゴンドラを巻き上げる機械が設置されていたコンクリートの土台が残るのみです(機械が設置されていた当時の絵葉書が検索できます。)。






これで矢ノ川峠明治道を踏破しました。厳密に言うなら、前回昭和道を歩いた時についでに探索した部分も踏破するべきでしょうが、リスクが高いだけで結論はわかっているので(八十谷林道に吸収されつつ、矢ノ川隧道付近で昭和道と合流する。)、これで終わりとします。

さて、帰り道は「比較的」道の良い昭和道を通っていこうかとも思いましたが、明治道に対して迂回する距離が長すぎるので、やっぱり距離の短い明治道を戻って帰ることにしました。

12時40分過ぎ、安全索道小坪駅跡を出発。


13時50分、矢ノ川峠明治道入口を通過。


14時15分、国道42号葛篭谷橋の駐車帯に停めた車へと帰ってきました。


行きは写真を撮りながらだったので3時間20分くらい掛かりましたが、帰りも多少は写真を撮っていましたが、基本は早歩きだったので1時間35分ほどでした。時間差から考えると、2時間近く写真を撮るのに費やしたという訳ですね(笑)。実際、写真はカメラとスマホを合わせて600枚以上撮っていますからねぇ。人様から見るとこれが多いのか少ないのかは見当つきませんが。

これで矢ノ川峠の昭和道と明治道の踏査は終了。比較的情報量の多い昭和道に対して、情報の乏しい明治道は自分の目で確かめたい気持ちが強かったので、ひとまず満足といったところです。

個人的には明治道の魅力は後半部分がより強いですかね。森林の山道よりは、険しくて岩盤を剝き出しにした場所を通過するような廃道が好みですし、石造物も山の上へと進むほど豊富になってきますからね。

さて、この周辺でほかに歩ける廃道・古道だと、「八鬼山越え」など江戸時代以前の街道跡である熊野古道の各峠の道といったところでしょうか。これは自分が一応のターゲットとする「明治期荷車道以降の廃道」という範疇からは外れてくるので、これで矢ノ川峠周辺を訪れることは当面ないかと思います。

と言いつつも、明治期荷車道以前の峠道でインターネット上で紹介されていないマイナー案件のルート探索にも、「来たついでに。」と手を出したりはしているので(ごく最近では長野県平谷村の三州街道治部坂峠道とか岐阜県高山市荘川町の郡上・白川街道軽岡峠道とか。どっちも笹や篠竹が密生していて、ひどい目に遭いました(笑)。そのうち載せるつもりです。)、熊野古道を歩きに来てみるのも良いかもしれませんね。
Posted at 2021/11/23 12:39:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年11月21日 イイね!

三重県尾鷲市 矢ノ川峠「明治道」を歩く(2)

2021年10月23日土曜日、三重県尾鷲市と熊野市の境にある矢ノ川峠(標高:807m)を越えるルートのうち、通称「矢ノ川峠明治道」と呼ばれる廃道を歩いてきました。

今回歩いた推定ルート図はこちら。赤線が明治道になります。ちなみに黒線が昭和道になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※その1からの続きになります。

杉か檜か(葉っぱを見ると素人でも見分けがつくそうです。)、岩壁からすごい生え方をしています。釣り針みたいな形。


路盤が崩落して道幅が3分の1になっています。歩く分には十分幅があるので、気にせず通過します。




道の形がはっきりと残っていて良いですね。この辺りの山は表土が薄い岩山のようで、木が路面に根を這わせている場面が多いです。


苔むした落石。路肩の石積みも苔むしています。


路上に土石があふれ出しています。


前方が明るくなってきました。


距離はだいぶ離れましたが、国道42号千仭橋がまだ見えています。矢ノ川峠周辺の山深さがよくわかります。


路肩の石積み擁壁。


ここも土石が流れ込んで、道跡が荒れていますね。


谷の最奥まで来て、ここで沢を渡ります。橋台は残っていないようですが、前後の路面の高さから橋が架かっていたはずです。


対岸に渡った所にボロボロになった罠用の檻が放置されていました。


谷の対岸の山腹へと回り込んでいきます。


土石の山を越えた先、道跡の真ん中にも木がたくさん生えています。


これは暗渠ですね。気が付かないとうっかり穴へ落ちてしまいそうです。


緩いヘアピンカーブ。


荒れたり崩落した道跡を歩き進めていきます。




ようやくお目当ての場所の一つに到着しました。道跡に苔むした石板が並んでいる場所です。


アングルを変えながら写真を撮ります。苔の鮮やかな緑色が映えます。






矢ノ川峠明治道を紹介していた記事の中にあった写真で見た時は、石橋なのかと思っていましたが、実際は暗渠の蓋でした。


ここまで歩いてきた中で見た暗渠では一番大きく、整形した石材で組まれたきちんとした造りの暗渠です。


暗渠の中の写真も撮っておきます。


暗渠の脇には、岩の上にすごい根の這わせ方をした木が2本生えています。


軽ワンボックスより一回り小さいくらいのサイズの巨岩。こんなものが落ちてくる時は、どんな音が轟くんでしょうかね。


道跡が途切れています。


小さな橋が架かっていたようです。両岸に石組みの橋台が残っています。


平穏な風景になりました。


道跡内へ突出した岩。これも落石なんでしょうね。道跡の様子を見る限り、岩を迂回している形跡は無いですし。


落石がゴロゴロ。


前方にすごいものが見えてきました。


たくさんの岩が雪崩のように崩れてきたんでしょうね。


なかなかの巨木です。しかも、とても太い根を路肩に沿って這わせています。


こちらも巨木です。この道が現役の頃から生えているのでしょう。


また落石などで荒れ気味です。


石積み擁壁がきれいに残っています。


道跡がS字を描いて奥へと進んでいきます。


また路肩の両側に石積みがあります。


道跡に這えた木と倒木。その先はいくつもの大きな落石が道跡を遮っています。




ここも細かい落石や木々でゴチャゴチャしています。


お目当ての場所の2つ目に到着です。ここは路面が完全に崩落しています。


明治道の紹介記事の中に、この場所を岩に這った木の根を頼りに渡っていく写真があります。一応ロープも張られていますが、何となく頼りないので、やはりしっかりと根付いた木の根の方が安心でしょう。


けっこうスリリングな場所かと思っていましたが、特に危険を感じるようなことはありませんでした。

また橋台が現れました。






橋が渡る沢の中は石畳を敷き詰めてあります。洗掘防止のためでしょう。


道跡がグイグイと坂を上り始めました。




ヘアピンカーブに突き当たったようです。




※その3へつづく。
Posted at 2021/11/21 14:35:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年11月15日 イイね!

三重県尾鷲市 矢ノ川峠「明治道」を歩く(1)

2021年10月23日土曜日、三重県尾鷲市と熊野市の境にある矢ノ川峠(標高:807m)を越えるルートのうち、通称「矢ノ川峠明治道」と呼ばれる廃道を歩いてきました。

今回歩いた推定ルート図はこちら。赤線が明治道になります。ちなみに黒線が昭和道になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

赤線の下端にある青線は明治道から分岐して安全索道 小坪駅跡へと至る道跡、緑線は昭和道訪問時に探索を断念した明治道です。

「矢ノ川峠明治道」は、江戸時代に矢ノ川峠を越える道であったデンガラ越え(伝唐越え)が急峻であったことからから新たに開削されたルートで、矢ノ川峠昭和道が1936年(昭和11年)に開通したことで、一応の役目を終えました。

詳細な記録資料がないためなのか(よくあることですが。)、インターネットで検索しても記事ごとに来歴が微妙に違っています。

以下、書き出してみると、

・1880年(明治13年)に新道ルート(明治道)が完成。熊野古道八鬼山越えルートに指定されていた三重縣道「熊野街道」が新道ルートに指定替えされる。

・1886年(明治19年)に着工し、1888年(明治21年)完成。
 この時期に新道ルートが完成したというように記述してあるものもあれば、徒歩道レベルであった道路をこの時期に荷車道に改修したとするものがあります。

・自動車の通行ができるように道路が改修され、1920年(大正9年)頃には尾鷲~木本間に乗合自動車が運行されるようになった。
・道路幅を平均3.8mに拡幅して、1921年(大正10年)頃から尾鷲~木本間に自動車定期便が運行開始された。
・自動車の通行ができるように道路が改修され、1922年(大正11年)に尾鷲~木本間に郵便車・乗合自動車・ハイヤーが運行されるようになった。

・尾鷲市側の大橋~小坪間は、改修後も急坂とつづら折りが連続する状況で通行上の支障も大きかったため、乗合自動車の運行会社であった紀伊自動車が代替手段として大橋~小坪間にロープウェイを計画し、1927年(昭和2年)から安全索道商会が建設を始めて同年内に完成。旅客も利用できるロープウェイとしては日本初(注:観光用の短距離のものは、これ以前にも設置例あり。)。尾鷲~木本間は、乗合自動車~ロープウェイ~乗合自動車という交通手段での接続になる。

・1936年(昭和11年)に昭和道が完成。これにより明治道とロープウェイの利用は寂れていき、最終的には1944年(昭和19年)の戦時統合によりロープウェイの運行会社である紀伊自動車が三重交通へと統合されたことで、明治道とロープウェイは廃止された。

という感じです。まあ、来歴の大筋自体には極端な相違点はないので、こんな流れで把握しておけばよいかと思います。

前置きが長くなりましたが、本題に入りたいと思います。

当日の朝9時15分、国道42号葛篭谷橋付近の駐車帯へ車を停めました。


ここからは、しばらく国道42号を熊野市方面へと歩き、左へと分岐していく明治道を目指します。

その前に、ここに残っている旧葛篭谷橋を軽くチェック。「葛篭」は「つづら」と読みます。昔話で出てくる「つづら箱」ですね。


親柱に刻まれていた年号によると、1928年(昭和3年)完成のようです。


歩道のない国道の路肩を歩いていきます。


数分ほどで現国道(かつての昭和道)と林道(かつての明治道)との分岐点へとやって来ました。


ちょうど分岐点に立っている距離標。国道42号は静岡県浜松市が起点なので、「浜松市から217km」とあります。


林道を進んでいくと矢ノ川に架かる矢ノ川大橋が現れます。先ほどから明治道の説明の中で出てくる地名のうち、「大橋」はこの橋に由来するものと思われます。




橋のすぐ上流側の河原に旧橋の残骸が散らばっていたので、対岸の橋のたもとを見てみると旧橋の親柱が残っていました。


達筆なので確信はありませんが、昭和6年(1931年)1月竣工のようです。


橋台跡から河原を眺めると、かつて旧橋だったコンクリートの塊が散らばっています。流れを支障するのに、どうして撤去しなかったのかはわかりません。


矢ノ川大橋を渡り、舗装路をどんどんと上り進めていきます。

「尾鷲ひのきプレカット協同組合」の建物を見下ろしています。林道は協同組合の敷地の右側外周に沿って通っています。


かつて、この協同組合の敷地にロープウェイ「安全索道」の大橋駅がありました。

まだまだ林道を上っていきます。このカーブの山側には2か所、大規模に治山工事を行った現場があります。かつて大きく土砂崩れを起こしたのでしょう。


この先で林道は左へとヘアピンカーブを曲がり、さらに進んでいくとようやく右側の路肩に明治道への入口を見つけました。


ちょうど治山工事をした斜面の頂上付近になります。


入口から覗き込んでみると、なかなかの急坂ですね。




斜面をよじ上っていくと、ようやく本来の明治道の姿を見ることができました。写真中央部を弧を描くように通っています。


ここに標石があったので、近くでよく見てみます。


水準点の標石ですね。「水準點」と刻まれています。


何という名称なのか、国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」で検索してみましたが、該当する水準点は表示されませんでした。当然ですが、現在は把握されていない(利用されていない)水準点ということですね。

ここで気になっていたことを確認しにいきます。「明治道への入口はどうしてあのような場所にあるのか?」ということを。

水準点のある場所から道を下っていきます。


100mも歩かないうちに道を塞ぐようにロープが掛けてありました。この先で道跡は抉れてしまっています。


多分そうだろうなと思っていましたが、ここまで歩いてきた林道に削り取られてしまったようです。だから、あの場所から無理やりアプローチするようにしたのでしょう。

水準点がある場所まで戻ってきました。


ようやく今回の本題である矢ノ川峠明治道を歩き始めることにします。


路面の真ん中に三角形に整形された間知石が列を作っています。何でこんな場所にあるのですかね?本来は路肩にあるべきものなんですが…。


さっそく路面が削れていますが、歩く分には十分の幅が残っています。




苔だらけで、いかにも湿気の多そうな植生です。


羊歯の群落です。こういう場所はたいていはかつての崩落地と相場が決まっています。


見上げるとU字型の斜面の上まで羊歯が密生しています。こんな光景は見た記憶がありませんね。道跡は崩落に巻き込まれずによく残ったものです。


この場所から谷の対岸を通る国道42号の千仭橋を眺めています。2週間前は、あの橋のたもとから矢ノ川峠昭和道を歩いたわけです。


木々が無くて日当たりも良いので、この先に薮が出現しないか気になります。


幸い、すぐに植林地へ入ったので薮は現れませんでした。


路肩の石垣に使われている石が大きいです。自分が今までに行った場所では、もう少し小振りの石を使っている道が多い気がします。


石畳が現れました。これは想定外です。一応自動車も通行していた道なので、古い街道くらいにしかない石畳が残っているとは全然思っていませんでした。




左へと屈曲するヘアピンカーブが現れました。


この道をかつては6~8人乗りの乗合自動車が通行していたそうですが、このヘアピンカーブは一発で曲がれないでしょう(笑)。


山岳道路らしい雰囲気が出てきました。


沢を渡っていきます。沢の部分は石がゴロゴロしていて昔の様子はわかりません。全然深くはないので、先ほどのような石畳にして「洗い越し」にしてあったのかもしれません。


残っている道幅を見ると、やはり荷車道に毛が生えた程度にしか見えません。よくこんな幅の道で乗合自動車を運行していたものです。




先ほど見上げていた羊歯の密生する急斜面の上に来ました。もう少し抉れていたら通行不能です。


路肩の石積み擁壁。使われている石は多少整形されていますが、基本、野面積みですね。


道の両側に石が並んでいます。これは珍しい気がします。


谷側は当然石垣を積まないと路盤が維持できませんが、山側にあえて石を並べてある(埋め込んである。)のはどういう意図なのでしょうか。排水溝のようなものが造られていたのでしょうか。

ヘアピン後、明治道は尾鷲市街地の方角へと進んでいるので、谷の対岸を通る国道42号が接近してきています。


どうやら2か所目のヘアピンが現れたようです。


ここはヘアピン部分の路面が崩落しているので、ヘアピンの直前にロープを渡して、上段を通る道へと斜面を上るように誘導してあります。


ここも道跡の両側に石が並べてあります。山側の路肩を斜面に密着させていないのは、どういった理由があるのでしょうかね?




また羊歯が現れました。


まだまだ両側の路肩に石が並べられています。この辺りの山側は、やはり排水溝っぽい感じです。


また石畳が現れました。


ここは石造の暗渠で沢を越えているようです。




苔がわんさかと生えて、緑のお化けになっています。


暗渠の中を覗いてみます。一応、今も機能はしているようです。




大きな落石が道跡を半分塞いでいます。


※その2へと続きます。
Posted at 2021/11/15 12:56:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年11月06日 イイね!

「矢ノ川峠昭和道」を歩きました(4)

2021年10月9日土曜日、三重県尾鷲市と熊野市の境にある矢ノ川峠(標高:807m)を越える国道42号の旧道のうち、通称「矢ノ川峠昭和道」と呼ばれる道を歩いてきました。「矢ノ川峠昭和道」は、国道42号千仭橋から分岐し、矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)に至る区間になります。

その3からのつづきですが、ここからは「矢ノ川峠昭和道」を外れるので、おまけの内容となります。

「安全索道 小坪駅跡」へ向かうため、矢ノ川隧道の先にある交差点から右側へと延びていく八十谷林道へと入ります。


「安全索道」とは、明治期に開削された矢ノ川峠の車道のうち、道路状況が最もひどかった尾鷲側の大橋~小坪間の輸送状況を改善するため、1927年(昭和2年)に完成した「日本初の旅客用ロープウェイ」です。もちろん貨物も輸送していました。

ロープウェイの利点は、どんなに険しい地形であっても空中を直線的に輸送できること。絶対的な輸送量は限られますが、なかなか好調でゴンドラを増備して年間4,000人を輸送したそうです。矢ノ川峠昭和道の開通により衰退し、最終的には運営会社の戦時統合により廃止されたようです。

この交差点にはだいぶ傷んだ道標が立っています。八十谷林道はここからは熊野灘の海岸沿いにある三木里へとつながる林道です。


この林道についても、ブログなどを探して様子をチェックしてみましたが、通行困難な状態になっているようです。

この林道の矢ノ川隧道から安全索道小坪駅跡までの区間は、明治時代に開削された矢ノ川峠への道(通称「矢ノ川峠明治道」と呼ばれる道。)を改修したものと言われています。


本編とは全然関係しませんが、この林道で外国人とすれ違いました。ちょっとした驚きでした。世界遺産の熊野古道からは全然外れているし…。一体何のためにどこから来て、どこへ行くつもりなのだろうか?しかもこの深い山の中、近所を散歩するような軽装にリックサックしょって…。

さて、小坪駅跡が具体的にどこにあるのかわからないまま歩き出したのですが(元々行く予定はしていなかったので。)、何がしかの案内があるだろうと高をくくっていました。

しかし、15分歩いてもそれらしい案内が林道には掲示されていません。

はるか眼下に尾鷲の市街地が見えています。


よくわからないまま歩いてきましたが、尾鷲の市街地の眺めを遮るようにそびえる山並みが見えてきました。これはさすがに行き過ぎです。


実は途中で「小坪」と書かれた札が木にぶら下がっているのを見かけていました。その他には何もなかったので、気に留めずに通過しましたが、一旦そこまで戻ることにします。

「小坪」の札が掛かっている場所まで戻ってきました。




周囲の谷側を見渡してみたら、「明治道入口」・「矢ノ川安全索道駅舎跡へ」の木札を見つけました。もう少し目立つ場所へぶら下げてくださいよ…。


少し斜面を下りると石垣がありました。しかし、特に何も案内はありません。もっと下へと行ってみることにします。


どんどんと下っていくと平場がありました。しかし、小坪駅跡を示すような案内板が見つけられません。

平場からは左右に道が伸びていました。「これは明治道なのか?」と思いつつ、右側に伸びる道は矢ノ川峠とは反対方向であり、今まで歩いてきた林道にも合流してくる道はなかったので、関係ない道かもしれないと辿るのは止めました。

※実は、この道の先に安全索道小坪駅跡があると後日知った…。

平場の真下にも道があります。「あれは明治道で間違いないだろう。」と判断。しかし、今日はそこまで踏み込むつもりはなかったので、またの機会にします。


ひとまず、左側へと延びる道を追ってみることにします。


平場の下を通っていた矢ノ川峠明治道との合流地点。歩いてきた方角へと振り返って撮っています。写真だとわかりづらいですが、上下二又に道が分かれています。


で、この合流地点から先、巨岩がゴロゴロしている斜面に見えますが、明らかに「道」があるんですよね…。「これは確認するしかないよなぁ…。」ということで進むことにします。


大きな岩が転がってはいますが、道跡で間違いないです。おそらくこの道は明治道でしょう。


道跡が完全に崩落していますが、その先にはまた道跡が見えています。行けないことはなさそうなので、崩落箇所を渡っていきます。


渡った先には完全に道跡が残っていました。


しかし、またすぐに路盤が崩落しています。


道跡の先端から前方を眺めると、土留めの石垣の残骸があります。そして、その先にはまた道跡が見えています。なかなかいやらしい残り方です…。


また崩落箇所を渡り、次の道跡へと上がりました。




路肩には土留めの石垣がしっかりと残っています。


そしてまたすぐに道跡が無くなりました。崩落した土砂に道跡が埋没してしまっています。その先を眺めると崩れの無い苔生した石垣が見えています。


この先へ進むには、土砂崩れを起こした不安定な斜面を高巻きするか、一旦土砂崩れの下側まで下りて、もう一度道跡まで登り直すしかありません。

そこまでしてこの先の道跡に取り付いても、多分また路盤が崩落していて同じことの繰り返しになる確率が高いでしょう。そして、何とか辿り続けても、じきに矢ノ川隧道付近で八十谷林道に吸収され消滅してしまうはずです。

翌日は弟と奈良県南部の山中にある国道309号行者還トンネルまでドライブする約束をしているので、これ以上無理はしたくありません。ここで引き返すことに決めました。

引き返すと決めた途端、この崩落した斜面を何か所も渡って戻る気力も失せました(笑)。


自分の経験則では、険しい地形であっても、足を引っ掛けることができるだけの足場と木が生えてさえいれば(これ特に重要。)、上り下りすることはできます。幸い、上には八十谷林道があるわけで、この急斜面を上っていくことに決めました(言うほど険しいわけでもないので。)。


明治道の道跡と八十谷林道にそんなに高度差があるわけでもないので、割とあっけなく林道まで上ってきました。


矢ノ川隧道まで戻ってきました。ここからは昭和道をひたすら下っていくだけです。


車を停めた国道42号千仭橋の駐車帯まで戻ってきました。帰りも多少写真を撮りながらでしたが、道中は早足で歩いていたので、1時間ちょっとしかかかりませんでした。


最後のおまけで、駐車帯の尾鷲側にあるミニ廃道も覗いておきます。


典型的な廃道になっていますね。


橋が残っていました。


梅木谷橋とあります。親柱の形状は紅葉橋と同じですね。




全く利用されていないので、路面は荒れ放題です。


あっけなく国道へと合流しました。


現在の梅木谷橋から千仭橋方向の眺め。「矢ノ川峠」の案内標識が目立ちます。


私が車に戻ってきた時に、ちょうど入れ違いで昭和道へと入っていく人がありました。手頃なハイキングコースとして利用している方もいるのでしょう。

今まで国道42号は何度となく通過していながら、入り込むことがなかった旧国道「矢ノ川峠昭和道」をようやく歩き通しました。本来は矢ノ川峠を越えて、熊野市側の国道合流地点までが昭和期に再改修された道なわけですが、まあそこまではいいかなと。

とにもかくにも、高性能の重機など期待できない戦前期に、この険しい地形にそびえる岩盤・岩壁を開削して1.5車線幅の道路を造り上げたのは、なかなか驚嘆に値すると感じました。

次は、少し歩いたことで興味が増した「矢ノ川峠明治道」の踏破を予定しています(今回歩いた区間はもう行きません(笑)。大橋~小坪の区間です。)。それと安全索道小坪駅跡の見物ですかね。
Posted at 2021/11/06 22:25:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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「矢ノ川峠昭和道の再訪・高尾谷隧道・旧土場隧道 http://cvw.jp/b/1796277/45663309/
何シテル?   11/28 20:12
小林あにと申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、たまに廃線・廃道を歩いてみたり、ごくたまにミニサイズのラリーに出場してみたり、やる気がな...
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