昨日に引き続き、本日も東海道本線の煉瓦アーチ探しのドライブ。
まずやって来たのは焼津市内の某所。昨日、外から覗いただけの暗渠へ進入です。
お世辞にもきれいな流れではないのでご勘弁を。
やはり暗渠の中は煉瓦がそのまま残されていました。下り線側から上り線側を見ています。
煉瓦の継ぎ目部分です。奥の部分が複線工事で増築されたと思われます。
静岡県内の煉瓦アーチは、どこへ行っても内部に点検年月日をペイントしてますね。
さらに上り線側はコンクリートで増築してあります。
これは近くの鉄橋の架け替えのためにさらに線路敷地の幅を拡げたためと思われます。
コンクリート製の部分もわざわざ煉瓦製の部分に形をきちんと合わせてあるのは珍しいです。
煉瓦アーチが何重巻きかわからなかったのは残念ですが、ひとまず目的は達しました。
暗渠から出て、隣の公園で長靴を洗ったら、次の場所へと移動します。
やって来たのは国道1号線駿河大橋の近く。
車を停めて、東海道本線安倍川橋梁東側へと歩いて向かいます。
新幹線の道路用ガードに来たところ、斜め方向に封鎖された小さなガードがありました。
管理用のプレートには「静岡砂利線路橋」とあります。東海道本線から安倍川へと分岐する線路用の砂利取りをする引込線が通っていたのでしょう。名称だけが残ったわけですね。
さて、安倍川橋梁の東側にある水路へとやって来ました。
暗渠化されてますね…。橋もコンクリート桁に改築されてます。開通当時は8尺の煉瓦アーチで渡っていたようですが、跡形もありません。
無いとわかればすぐ移動です。今度は清水区内へと向かいます。静岡市内に土地勘は無いので、静岡ICから清水ICまで東名高速を使います。
庵原川河口近くにやって来ました。付近に車を停めて、また徒歩で移動です。
目指すのは「蜆川橋梁」。静岡県内の東海道本線は明治時代の明細録ではなぜか管理用の名前が付いていない暗渠が多いですが、ここは名前があります。
歩くこと10分程でしょうか。現場に着きました。
またしてもコンクリート橋梁に改築されてました…。線路下に歩行者用通路が設けられているのは、昔からの名残りでしょう。煉瓦暗渠の中に水路と通路が一緒にあるものもありますからね。
気を取り直して、次は1.3kmほど東側にある「波多打川橋梁」へと歩いていきます。けっこういい陽気になってきたので汗が滲みます。
住宅街の小道や旧東海道をのんびり歩き、20分ほどで波多打川に来ました。見るとちょうど鉄道の橋の部分が旧国道に隠れていて、歩いてきた旧東海道側からでは確認できません。
そこへ電車がやって来て橋を渡っていきましたが、「ガタンガタン…。」と鉄橋のような音がしています。
「また造り直されてるのか…。」と思いつつも、少々離れた踏切へと迂回して橋のたもとへと行きます。
予想通り、鉄橋に改築されてました…。積み方の整った石積み橋台なので、古い時代に架け直されたのかもしれません。明細録では一連14尺の煉瓦アーチでした。
今回行った3か所は全滅となりました。せっかくなので、ここからあと500mほど東側にある名刹、清見寺まで行ってみることにします。
ここは14尺の石アーチがあると記載されてましたが、ありませんでした。複線化の際に桁橋に架け換えたのでしょう。
辺りの地形を見ると、元々、参道があったところを削り取って線路を通したようです。
今の橋の下敷きになっている古い橋には洒落た金属製の高欄が付いてます。
今回の探索はこれにて終了。ここまでハズレが多いと士気にかかわりますな…。
最後に清見寺の近所に建っている西園寺公望公の別邸「坐魚荘」を見学してから帰りました。
Posted at 2016/12/19 00:08:24 | |
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東海道本線 鉄道・廃線跡 | 日記