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小林あにのブログ一覧

2022年12月31日 イイね!

旧北陸本線 若水隧道を探索しました(2)

2022年12月3日土曜日、新潟県糸魚川市の親不知海岸に残る旧北陸本線 若水隧道を探索しました。と言っても、すでに先週の11月26日土曜日に訪問・探索して、トンネルの閉塞部分まで往復済みの物件。

再訪した理由は前回最後に書いたとおりで、今回はきちんとLED懐中電灯を持参し、トンネル内の写真をしっかり撮ることがメインの目的となります。

自宅を3時45分に出発。先週から冷え込みが厳しくなり始めていて、東海北陸道最高地点の松ノ木峠PAの気温は朝7時でもマイナス5℃。気温は低くなりましたが、危惧していた積雪・凍結はなくて一安心です。


9時55分、若水隧道の最寄りとなる国道8号天険トンネル前の駐車場に到着しました。


それでは、若水隧道へと向かいます。


途中、若いカモシカと遭遇し、5分ほどにらみ合い(笑)。




駐車場から歩くこと約30分、若水隧道へと到着しました。






さっそくトンネル内へと入っていきます。


わざわざ写真を撮り直しに来たとは言うものの、トンネル内の風景自体は単調そのもの。先に言ってしまえば、特に目立つ新たな発見があったという訳でもありませんので、悪しからずご了承ください(笑)。

1か所目の退避坑。煉瓦トンネルへ行くと、最近は必ず全ての退避坑を撮影しています。トンネル内でデザインに違いがあるわけではないのですが、何となく(笑)。


ちなみに、私は「退避坑」と書いてますが、ちょっと調べてみたところ、法令上は「待避所」だそうです。現行法令では、少なくとも50mごとに設置することが義務付けされています。

2か所目の退避坑。


灰色の世界が続いています…。このトンネル、そんなに急勾配には感じないのですが(縦断面図や勾配表を見たわけではありませんが。)、なんでこんなにこってりと煤が付着しているのでしょうか。




3か所目の退避坑。


ボロボロになっていますが、たぶん距離標でしょうね。


4か所目の退避坑。


付着している煤がさらに分厚くなってきたような…。


見えにくいですが、おそらく通信線を掛けていたのであろうフックが側壁に連続して残されています。


5か所目の退避坑。


天井に付着している煤。たくさんの白点が見えますが、光を当てるとキラキラと光ってきれいです。


6か所目の退避坑。


大型の退避坑としては1か所目。コンクリート製なので、後年に安全基準の変更により追加設置されたものでしょう。


アーチ部分ではコウモリが冬眠中。


7か所目の退避坑。


久しぶりに煉瓦が顔を出しました。側壁から漏水があるようで、煤が流されたのでしょう。


電話機などの機器類の設置台でしょうか。


8か所目の退避坑。


9か所目の退避坑。


10か所目の退避坑。


ここの天井は煉瓦の上からコンクリート覆工されているようです。ところどころめくれて剥離しています。


11か所目の退避坑。


12か所目の退避坑。大型退避坑としては2か所目です。


ここの大型退避坑は煉瓦造りなので、開通当時から設置されているものでしょう。




アーチ部分は煉瓦5重巻きとなっています。


そして、1か所目の大型退避坑よりもたくさんのコウモリがぶら下がっています。煉瓦の目地に沿ってきれいに並んでいますね(笑)。




こちらわかりにくいですが、形状からしておそらく丙号距離標でしょう。


ここまでは天井部が明るい灰色、側壁部が暗い灰色の煤が付着していましたが、この辺りからは天井部が暗い灰色、側壁部が明るい灰色と逆転しています。理由はわかりませんが。


13か所目の退避坑。


14か所目の退避坑。


15か所目の退避坑。


枕木と思われる木材が転がっています。


16か所目の退避坑。


暗闇の中、まだまだ灰色の世界が続いています。


17か所目の退避坑。大型退避坑としては3か所目。


18か所目の退避坑。


付着する煤がだいぶ薄くなってきました。


19か所目の退避坑が見えてきました。ここまで退避坑は右側だけでしたが、ほぼ同位置の左側にも退避坑があります。


19か所目の退避坑。


左側の退避坑。実際には退避坑ではなく、何らかの機器を設置するための場所だと思われます。


20か所目の退避坑。


漏水が多くて路盤に水溜りができ、周りも湿っています。


21か所目の退避坑。


そして、21か所目の退避坑から先が水没していました…。11月26日に来た時には全然そんなことはなかったのですが、先週は天気が悪い日が多かったので、雨水が浸透して水が溜まってしまったようです。


実は今履いている長靴、左足の脛の高さに切り傷があって水が漏るんですよね(笑)。水深が深くならないことを祈って、少しづつ前進します。


結局、長靴の切り傷付近まで水かさが上がってきたので、一旦21か所目の退避坑まで撤退。ジーパンの裾をめくり上げ、左足の靴下を脱いで、濡れるのを承知で再度水没区間へと進入していきます(笑)。

22か所目の退避坑。私が歩いているので水面が波打っています。


閉塞地点まであとわずかなんで、何とかたどり着きたい…。


左足の長靴には冷水が充満してきています。気持ちを固めているので、濡れるのはどうでもいいのですが、水の冷たさが辛い…。


この地点でついにギブアップ。これ以上は水かさが長靴の高さを越えてしまいます。閉塞地点は先週たどり着いているので、今さら右足まで濡らす気にはなれませんでした…。


振り返っての写真。はるか彼方に坑口からの光の点が見えています。


長靴が水をかぶらないよう慎重な足取りで21か所目の退避坑まで下がってきました。ここで長靴をひっくり返して溜まっていた水を出し、坑口へと戻ることにします。


坑口へと戻ってきました。閉塞地点へ再度たどり着けなかったのはちょっと残念でしたが、あらためて多くの写真を撮影できたので、今回の目的は達することができました。


せっかくなので、坑口から親不知海岸へと向かうことにします。


海岸沿いの岸壁まで下り、若水隧道を見上げています。さらにその上部に国道8号のロックシェッドが見えています。




親不知海岸を糸魚川方面へと歩いていくと、バラバラに崩れた巨大な擁壁がありました。旧北陸本線の路盤を日本海の荒波による浸食から守るための施設でしよう。しかし、路線の切り替えにより役目を終えて放置されています。


丸石の転がる浜辺の終端です。今までにも紹介していますが、かつてはこの海岸が北陸道そのものでした。今は浸食のため人が歩ける海岸は消失してしまいましたが、昔はこの先の海岸を命がけで通過していたのです。
Posted at 2022/12/31 12:33:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2022年12月29日 イイね!

旧北陸本線 若水隧道を探索しました(1)

2022年11月26日土曜日、新潟県糸魚川市の親不知海岸に残る旧北陸本線 若水隧道を探索してきました。

当日は自宅を朝5時に出発。若水隧道の最寄りとなる国道8号天険トンネル近くの駐車場へ11時10分頃到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

実は、車を停めてから探索に持参する物を準備していたところ、重大なミスに気が付きました。愛用しているLEDの懐中電灯を持ってくるのを忘れていたのです…。仕方がないので、スマホのライトと車載している安物のLED灯を併用して対処することにします。

せっかくなので、若水隧道へと向かう前に、この駐車場の真下にある旧北陸本線 親不知隧道へ立ち寄ることにします。

遊歩道を下っていくと、最初に目に留まるのは旧北陸本線 風波隧道。


そして、沢を挟んだ反対側に親不知隧道があります。こちらは糸魚川市により整備されて、現在は遊歩道となっています。




今回はこのトンネルがメインではないので、そこそこ写真を撮りながら、足早に通過します。


反対側の坑口へと出てきました。


ここから急坂の遊歩道を登り、旧国道へと向かいます。


歩き慣れない急坂に息が切れましたが(笑)、国道8号天険トンネルの旧道へと出てきました。こちらも現在は遊歩道となっています。


さらに国道8号天険トンネルへと出てきました。1966年(昭和41年)に開通した延長734mのトンネルです。


トンネル前から一旦駐車場方面へと戻り、傾斜の緩やかそうな斜面から(それでも相当厳しいです…。)旧北陸本線の廃線跡へと下ってみることにします。


雨が降ったせいもあるのでしょうが、地面が予想以上にぬかるんでいたため、急斜面なのと相まって、ずっとヒヤヒヤしながら下る羽目になりました…。

線路防護のための擁壁へとたどり着きました。この時点ではまだ廃線跡へと出られるのかわかりません。


どうやら直に廃線跡へと出られそうです。


「それじゃ、ここから若水隧道へ向かってみるか。」と進み始めたところ、すぐにこの緑のジャングルに遭遇。凶悪に絡み合っていて、さすがにこれでは突入する気になれません…。この場は素直に撤退することにします。


代わりに、擁壁の山側にある隙間を通って進んでみることにします。


無事に擁壁の末端まで来て海側へと出てみると、そこは橋台の真上でした。




橋台は、古い路線でよく見かける石積みのもの。


橋台の先には石積みの橋脚が見えています。




しかし、今居る橋台から先へと進むのはあきらめました。まず、直前の凹地が急傾斜で足場が悪く、私では容易に渡れそうにないこと。仮に渡れたとしても、この先には深い沢が流れているので、そこを渡れる保証もないことが理由です。

斜面をよじ登って、また旧国道へと戻ってきました。


ふたたび天険トンネルの前へと来ました。


トンネル前から眺めていて、この先にあるロックシェッドの手前の海側に階段があるのを見つけたので、ひとまず行ってみることにしました。


階段の先には草刈りされた細い徒歩道がつながっていて、何だか海岸まで下っていけそうな感じだったので、そのまま進んでみることにしました。






労せずしてふたたび廃線跡へと戻ることができました。


廃線跡に合流してから進むこと50mから100mほどでしょうか、ようやく若水隧道と出会うことができました。


カモフラージュ度がめちゃくちゃ高いです。これは晩秋から春先にしか近寄れないかも(笑)。


「カーテン」をくぐり中へ入ると、古レールで組まれた華奢なロックシェッドが見えます。


あらためて若水隧道です。若水隧道がある区間は1912年(大正元年)10月15日に開通しており、当然、当トンネルも開通当時のものとなります。


このトンネルの反対側の坑口は、国道8号の改良工事の際に封鎖されてしまったので(何年前のことかは不明ですが。)、閉塞地点との間を往復することがすでに決定しております(笑)。

ロックシェッドがトンネルに連続して設置されているので、トンネル坑門の上部の様子はわかりません。


それでは、トンネル内部へと入っていきます。SLの煤煙により、トンネル全体が灰色に染まっています。


当然ながら、レールも枕木もすべて撤去され、バラストだけが残されています。


普段だと、トンネル内の状況に目立った変化が無くても、記録としてこまめに写真を撮っていきますが、前述のとおり光量の乏しい照明しか持っていないので、真っ暗闇なトンネル内でピント合わせができるレベルで照らすことができず、この後はシャッターを切れないことがたびたび繰り返されることになります。

トンネルの全面が白黒写真のように灰色になっています。この場面では、煉瓦の赤色は全く見えません。


大型の退避坑。アーチ部・側壁部もコンクリート製なので、後年に追加設置されたものでしょう。


同じ大型の退避坑でも開通当時からあるものは当然煉瓦積み。煉瓦の目地が爪を引っ掛けるのに都合がよいのか、このような退避坑にはコウモリがよくぶら下がっています。


この辺りは湿気が高く、靄が写真に写り込んでいます。


ここまで退避坑は進行方向に対して右側に設置されています。ところが、この退避坑だけ左側に設置されています。アーチ部・側壁部がコンクリート製なので、これも後年に追加設置されたものとわかります。退避坑内にコンクリート製の台座?があるので、何かの機器を設置するために造られたのかもしれません。


ようやくトンネルの閉塞地点が見えてきました。


閉塞地点の手前に土砂があります。天井が崩落しているわけではないですし、コンクリート塊らしきものもあるので、人為的に積まれたものでしょう。


閉塞部分の写真は、全体像の写真がピンボケだったので、上部のアップ写真のみです。上部はコンクリートの型枠や型枠を締め付けるボルト類がそのまま放置されています。




煉瓦アーチとコンクリート部分の接合部。きれいに仕上げられているのに、どうして型枠の一部だけは取り外して回収しなかったのでしょうかね。


それでは坑口へと戻ることにします。


20分ほどで閉塞地点から戻ってきました。距離は地形図で測定してみたところ、推定900mほどと思われます。


ロックシェッドの外へ出たら雨が降っていました。この日の天気予報で午後から雨になることは知っていましたが、車を出発した時にはこんなに手間取るとは思っていなかったので、傘は車へと置いてきてしまいました。


雨でずぶ濡れになりながら旧国道を戻っていきます。駐車場付近には数名の観光客がいましたが、濡れネズミになった人間が突然現れて、どう思ったでしょうかね。まあ、こんなことには慣れてしまいましたが…。


新潟県糸魚川市の親不知海岸にある旧北陸本線の廃トンネルの内、親不知、風波、大崩の3つのトンネルは、昔からその所在地を知っていて、トンネル内を歩いたこともあるわけですが、長らく若水隧道だけがいまいち所在地がわからず、他の方の探索記録を見るだけでした。

取り立てて特徴のある廃トンネルではないですが、久しぶりに自分にとって新規となる煉瓦造りの廃トンネルを踏破できました。惜しむらくは、懐中電灯を忘れたばかりに、トンネル内をくまなく撮影することができなかったことだけが悔やまれます。

そこで、次週天気が良ければ、今度は懐中電灯を持参して、もう一度トンネル内を往復したいと思います。「片道5~6時間もかかるのに、踏破した場所をまた訪れるのは無駄じゃないの?」と思われるでしょうが、これは自分が納得できるかどうかという話なので良いのです(笑)。なので、タイトルには(1)と付けてあります。

という訳で、そのうち同じようなトンネル内の写真がたくさん貼られた(2)をアップする予定です。
Posted at 2022/12/29 00:26:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2022年12月25日 イイね!

ラリージャパンのSSコースをドライブしてきました

2022年11月17日木曜日と11月22日火曜日、仕事が休みだったので、ラリージャパンのSSで使用されたコースの一部をドライブしてきました。自己満足的にのんびりとコースを辿っていったわけですが(そもそも極端に幅が狭い道路が多いし、対向車が怖いので、のんびり走るしかないのです。)、文章や写真ではあまり面白味は感じられないかもしれません。

11月17日木曜日、最初にやって来たのは、愛知県豊田市の鞍ヶ池公園。シェイクダウンとSS1の舞台になった場所です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

公園内に展示されている名鉄モ800型。


公園内のロータリーにはこんな説明板が設置されています。




ロータリーから徒歩でSSに使用された道路を歩いていきます。


こちら、ラリーカーに破壊されたベンチ。


2020年11月15日に現地で開催されたTGRラリーチャレンジin豊田戦で、先代のベンチが私たちを含む参戦車両により破壊され、見積額16万円で新たに設置されたものです。しかし、わずか2年でまた破壊されてしまいました…。


公園内の眺め。


SS1でラリーカーが一周していたロータリー。円型のブラックマークが幾筋も残っています。


ラリーカーはこのように通過していきました。


次にやって来たのは、豊田市連谷町にある伊世賀美隧道(旧伊勢神トンネル)。SS2で使用されました(SS5はトンネル前にフィニッシュ地点が変更。)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここにもラリーカーが破壊したものがあります。


20号車、シュコダ・ファビアRally2 Evoのカエタノビッチ・スチェパニアク組により破壊された電柱側面の筒。


おそらく電力線の保護筒だろうと思われます。幸い、断線には至らなかったようですが、トンネル出口でスリップして衝突したカエタノビッチ選手はリタイアに追い込まれました。

さて、何度も訪れていますが、せっかくなので伊世賀美隧道を見物していきます。

足助側の坑門。ラリー開催のためか、坑門に生えていた苔や草はきれいに掃除されていました。


扁額下の文字が彫られていた部分もきれいに掃除がされ、おかげで文字が読み取れるようになりました。「明治廿九年七月起工 卅年十一月竣工」とあります。


トンネル工事の請負業者(「受負者 吉田組」とある。)と工事関係者の氏名を刻んだ銘板。


トンネル内を歩いていきます。


路面にたくさん積もっているほこり。


この狭いトンネル内をラリーカーが猛スピードで走行することで、路面のほこりが舞い上がり、長時間視界を塞ぐという想定外の状況が発生してしまいました。


稲武側の坑門へと出てきました。こちらはなぜか掃除されておらず、以前のとおり苔に覆われた状態を保っています。




続いては、6号車、ソルド・カレラ組が乗るヒョンデ・i20 N Rally1・ハイブリッドが炎上した場所です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

路面のアスファルトが炎上時の高熱によりボロボロになっています。


ソルド選手・カレラ選手に被害が出なかったのは幸いでした。


ガードレール脇に寄せられていたボロボロのカーボン素材と思しき物とメッシュ。ラリーカーの残骸でしょうか。


今度はSS3/6へとやって来ました。二車線道路から黒田ダムのダム湖沿いを通過する細い道路へと入る交差点です。この交差点を見下ろすような視点で撮影された動画がYouTubeにアップされていましたね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは駒ヶ原林道へと入る交差点。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駒ヶ原林道で一番きついヘアピンカーブ。写真では感じにくいですが、けっこうな急坂で、レーシングスピードではとても走りたくありません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ラリーで使用されてから1週間、路面はすっかり落ち葉に覆い尽くされています。


SS3/6のフィニッシュ地点。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この日の最後はSS3/6を忠実に逆走して国道153号へ出ようとしましたが、あと少しという所で林業関係者以外通行禁止の立て看板があったため、引き返して別の道で国道153号へと出て、帰宅しました。


11月22日火曜日、まずはSS8/11のコースを走ってみます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この林道も落ち葉が敷き詰められた状態に戻っていました。


このSS8/11、岡崎市千万町町からフィニッシュ地点までの区間は、SS距離を確保するためか、愛知県道333号を軸に左右へジグザグにコース設定がされています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

県道333号から巴山へと向かう交差点。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

SS9/12、勝田選手が突っ込んだ土手へと来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

土手が大きくえぐれています。GRヤリスRally1のエアロパーツで掘り起こされたのでしょうか。この場所では勝田選手以外にも、併催のセントラルラリーの選手(JMRC全国オールスターラリーでの参戦者)が突っ込んでしまい、リタイアしているそうです。


定番スポットの熊野神社前へとやって来ました。この日は私のほかにオフロードバイクでやって来た人がいました(国道301号から路面のブラックマークを追いかけてきたら、この場所へ出てきたとのこと。)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

オフロードバイクの人に「この神社はラリーの動画でよく出てくる場所ですよね?」と尋ねられたので、「そうですよ。」と答えたら、何か嬉しそうにしていましたね(笑)。


この後はそのまま三河湖まで走行し、湖畔を散歩したり、羽布ダム(三河湖のダム)を見物してから帰宅しました。








Posted at 2022/12/25 23:27:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリー・レース | 日記
2022年12月25日 イイね!

【ラリージャパン】岐阜県恵那市岩村でラリーカーを見物しました

2022年11月13日日曜日、弟と弟の友人の杉浦くんの3人で、岐阜県恵那市岩村にて世界ラリー選手権「フォーラムエイト・ラリージャパン」に出場しているラリーカーを見物してきました。

今回、恵那市岩村で見物しようとした理由は、日曜日のSS(スペシャルステージ)は岐阜県恵那市と中津川市に設定されており、岩村の城下町の街並みがSS間の移動コースに組み込まれ、ラリーカーを間近で見物ができるようになっていたからでした。

当日は朝6時前に自宅を出発。7時40分頃、恵那市岩村の観客用駐車場に到着しました。天気はご覧のとおりどんよりとしていて、いつ雨が降り出してもおかしくない状況です。


初めは、前述のとおり岩村市街地へ行って、ラリーカーを見物しようと思っていたのですが、ラリー雑誌の付録についていたラリーのコース図をよく見ると、今いる駐車場から1.5kmほどの場所に、SS16/SS18の出口がありそうなことがわかりました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「街中だと見物客で混雑して落ち着いて見物できないだろうし、歩いて15分くらいならSS出口へ行ってみよう。」ということになり、SS出口へと歩いていくことになりました。

細かい場所までわからないまま向かいましたが、現地へ行くとオフィシャルさんと何名かの観客がいたのですぐにわかりました。

さて、SS出口で待っていると、9時07分、00カーがやって来ました。


続いて9時13分に奴田原・佐藤組の0カーが到着。期待が高まります。


そして、Rally1カーのエンジン音が遥か彼方の山の中から「ブォーン…ブォーン…ババンッ」という感じで聞こえてきました。が、いつまで経っても姿を現さないのでヤキモキします(笑)。

かつて2001年に群馬県で開催された日本アルペンラリーのSSを見物した時も、同じように新井選手が駆るインプレッサWRC2001のエンジン音だけがずーっと山の中に響いていて、車は全然やって来なかったことを思い出させます(笑)。

9時32分、ようやく1台目のRally1カーが現れました。42号車、Mースポーツ・フォードのプーマ・ハイブリッド・Rally1、ブリーン・フルトン組です。


先に言い訳しておきます。普段動くものを撮り慣れていないので、今回貼り付けている写真はピントが甘いものやブレているもの、フレームから外れているものが大変多いので、ご容赦ください…。

リエゾン区間へと合流したブリーン選手、右側車線を走っていってしまいました…。オフィシャルさんが「おーい!あいつ右側走ってるぞ!」と叫んでいましたが、聞こえるわけがありませんよね…(しかも日本語だし(笑)。)。


ブリーン選手、だいぶ先で左側車線へと戻っていましたが、その他にも何台かは同じように一般道へ合流してしばらく右側を走行し、「間違えた」という感じで急に左側車線へと入っていました。

69号車、トヨタ・GRヤリスRally1ハイブリッドのロバンペラ・ハルットゥネン組。


44号車、Mースポーツ・フォードのグリーンスミス・アンダーソン組。


1号車、トヨタのオジェ・ランデ組。


18号車、トヨタの勝田・ジョンストン組。




8号車、ヒョンデ・i20 N Rally1ハイブリッドのタナク・ヤルベオヤ組。ラジエターグリルの前に落ち葉対策用のためか、プレートを装着していますね。


33号車、トヨタのエバンス・マーティン組。


11号車、ヒョンデのヌービル・ウィダグ組。


24号車、ヒョンデ・i20 N Rally2のミュンステール・ルーカ組。


SS16/18出口のストップポイントに停車中の22号車、ヒョンデ・i20 N Rally2のスニネン・マルックラ組。


29号車、シュコダ・ファビアR5のコバライネン・北川組。


28号車、シュコダ・ファビアRally2 Evoのミーレ・ベルトラメ組。


35号車、フォード・フィエスタRally2 Mk.Ⅱのボランド・MJ組。


30号車、シュコダ・ファビアR5の福永・齊田組。


32号車、フォード・フィエスタRally2 Mk.Ⅱのアネア・ルードン組。


25号車、シュコダ・ファビアRally2 Evoのブラシア・モラレス組。




36号車、ヒョンデ・i20 N Rally2のロサッティ・シアップ組。




37号車、シトロエン・C3 Rally2の今井・竹原組。


43号車、トヨタ・GRヤリスの佐々木・中嶌組。


27号車、ヒョンデ・i20 N Rally2のザルディバール・オハネシアン組。


ご覧の通り、左リアの足回りを損傷した様子。当然、当人たちは周りの手を借りず(援助を受けたら最悪「失格」。)、何度もスマホで損傷箇所の写真を撮ってはチームとやり取りし、その場で可能なあらゆる手段を用いて必死に修理していました。(車載工具だけでは対処できなかったのか、曲がったアーム類をガードレールへ打ち付けたり、大きな石でガンガン叩いたりしていた。見ていて1998年アルゼンチンのコリン・マクレーを思い出してしまった。)。

しかし、観客の我々にとって、この状況は格好の「獲物」(笑)。周知されている場所ではないので、「黒山の人だかり」とはなりませんでしたが、近所の方々も家から出てきて、10人~15人くらいが取り囲んで、見物したり写真を撮ったりしていました。












結局、30分ほど格闘の末、何とか応急修理を終えて走り去っていきました。


路上に細かいゴミやオイルを拭いた紙くずが放置されていたので、ラリーファンの見物人が各々回収して路肩に避けておきました。

そして、元通りに戻せなかったのか、取り付けが面倒だったのか、大きなパネルも1枚そのまま置き去りにしていきました。「もらっていっていいのかな(笑)。」なんて声も出ましたが、「さすがにまずいでしょ。」ということになり、見物人の一人がSSのオフィシャルさんへ引き渡したようです。(笑)。


39号車、トヨタ・GRヤリスの柳澤・保井組。


38号車、トヨタ・GRヤリスの勝田・木村組。


10時55分、48号車のトヨタ・ヴィッツが通過していき、これでSS16が終了。SS18のスタート時刻まで1時間ほど時間が空きますが、車には戻らず、そのままこの場所で時間をつぶすことにします。

11時11分、ワークスチームのペースノートクルーがSS出口を通過。この頃からポツポツと雨が降り始めました。


その後は傘をさす程度の雨になり、薄暗くなってきたため、写真もきれいに撮れなくなってしまいました。








WRC2クラスを数台見届けたところで、この場所から撤収しました。

基本、通過していくラリーカーを淡々と眺めるだけでしたが、中には間近に停車してヘルメットを脱いでいるクルーがいたり、応急修理する光景が見られたりと、なかなか楽しむことができました。

さて、今回は駐車場所から近かったということでSS出口を訪れましたが、この場所で見物した経験を踏まえると、来年見物する時はSS入口付近で見物してみたいと思います。

ラリーカーは出口側ではそのまま走り去ってしまいますが(今回みたいにアクシデントがあった車両の修理が見られるかもしれませんが。)、入口側であれば、時間調整や空気圧チェックなどで停車する車両をじっくり観察できるでしょうし、良い場所を見つけられれば、タイヤやブレーキの熱入れのためのウェービングも見物できるかもしれません。

本当はSSでの観戦場所がもっと増えて、気軽に観戦できれば最高なんですが、私としては当面はこんな形での「見物」ですかね。
Posted at 2022/12/25 00:57:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | ラリー・レース | 日記
2022年12月24日 イイね!

岐阜県下呂市小坂へ滝を見に行ってきました

2022年11月12日土曜日、姉・弟・私の3人で岐阜県下呂市小坂へ滝を見に行ってきました。天気が良かったので、私としてはラリージャパンを見に行きたかったんですけど、前々からの予定でしたからね(笑)。

自宅を6時に出発し、新東名豊田東ICから中央道恵那ICまで高速に乗り、そこから白川町へと出て、国道41号を北上するルートで向かいました。


滝めぐりの最寄りとなる「がんだて公園」駐車場には10時に到着。


こちらは「がんだて公園」の由来となる岩壁である「巌立」。




ここから滝までは、渓谷を徒歩で進んでいきます。








マイナスイオンの情報板がありました(笑)。


こんな険しい場所によく通路を通したものです。おかげさまで良い景色を気軽に堪能することができます。


「三ツ滝」です。






「三ツ滝」の上段へと登っていきます。








一か所目となる「三ツ滝」の見物が終了。橋を渡り、林道へと出ます。


次は、さらに上流にある「あかがねとよ」と「唐谷滝」を見物するために林道を歩いていきます。砂利道ですが、注意して走行すれば車で直接現地まで乗り入れることもできます。








この渓谷を通っていた小坂森林鉄道濁河線に使われていたと思われるレール。


橋から歩くこと30分、「あかがねとよ」・「唐谷滝」の入口に着きました。


お約束の「熊に注意!」の看板。


河原へと降りていきます。


こちらが「あかがねとよ」。「あかがね」は銅、「とよ」は樋のことです。溶岩が滝の水によって削られ、銅製の樋のように見えることから名づけられたようです(その他の説もあるみたいです。)。




あとは、この滝壺の薄く青みがかった水の色が印象的です。




こちらは「唐谷滝」。「あかがねとよ」とは違い、厳つい溶岩の柱状節理の間から豪快に水が流れ出す、荒々しい雰囲気の滝です。










「唐谷滝」から下流方向を眺めています。柱状節理が発達した黒い溶岩の岩壁がそそり立っています。


こちらは「あかがねとよ」からせり出している黒い溶岩。




柱状節理を真上から眺めている状態ですね。


「あかがねとよ」からの黒い溶岩の流れがはっきりとわかります。


「あかがねとよ」の真上にある河原へと来ました。巨岩がひしめいています。


この谷を御岳山からの黒い溶岩が流れ下ってきたのが見て取れます。


「あかがねとよ」の滝口です。


それでは駐車場へと戻ります。


「あかがねとよ」・「唐谷滝」から35分ほどで戻ってきました。


お昼を過ぎたので、昼御飯を食べるために近くにある道の駅「南飛騨小坂はなもも」へ立ち寄ります。

食堂で出てきたお冷のコップにびっくり。世界デザイン博覧会のマスコットキャラクター「デポちゃん」です(笑)。開催が1989年(平成元年)ですが、その当時のコップなのでしょうか。


そして、お昼御飯は生姜焼き定食をいただきました。


さて、次の行き先は岐阜・長野県境の野麦峠。下呂市小坂から野麦峠へ行こうとするなんて、我が家は本当に脈絡のないドライブルートを取りますね(笑)。

通過地点の鈴蘭高原で景色が開けている場所があったのでひと休憩。


乗鞍岳です。


御岳山です。


高山市高根町野麦の「野麦学舎」。旧高根小学校野麦分校の校舎を再利用した施設だそうです。


道の駅から1時間40分、野麦峠に到着しました。


姉は「疲れたので車にいる。」とのことで、弟と二人、散策路のある丘へと登っていきます。


丘の頂上からの乗鞍岳の眺め。


こちらは長野県側の眺め。


丘から下りてきたら、金沢からやって来たというスバル・ディアスに乗る男性に話しかけられてしばし雑談。今日はこのままここで車中泊をする予定とのこと。

県道39号の野麦峠の様子。




こちらは昔の街道と説明板。




帰りはこのまま県道を長野県方面へと下り、国道19号へと出て、中津川ICから中央道へ。屏風山PAで晩御飯を食べて、20時15分頃帰宅しました。


翌日11月13日日曜日はまた朝6時に自宅を出発して、今度は岐阜県恵那市岩村まで行ってラリージャパンの見物です(笑)。
Posted at 2022/12/24 07:00:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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