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小林あにのブログ一覧

2022年11月23日 イイね!

旧国道156号 平瀬隧道へ行ってきました

2022年10月29日土曜日、岐阜県大野郡白川村平瀬に残る旧国道156号「平瀬隧道」へと行ってきました。

当初は一人で訪れるつもりでしたが、弟から「土曜日休みだからどこかドライブに行こう。」と連絡があり、「土曜日は御母衣ダム近くの廃トンネルへ行くつもりだけどどうする?」と返したところ、一緒に行くことになりました。

自宅を朝6時過ぎに出発し、現地には10時45分頃到着しました。今いる場所自体が国道156号の旧道ですが、正面に見えている薮の先に平瀬隧道があります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

平瀬隧道の位置はこちらになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前の地形図です。矢印で示した場所が平瀬隧道になりますが、地図上にはトンネルが表記されていません。かつては短い2つのトンネルだったので、表記されなかったのかもしれません。

※5万分の1地形図「白川村」:明治43年(1910年)測図・昭和5年(1930年)要部修正測図。

戦前の地形図中には「平瀬歩危」という表記も付してあります。「ホキ」というのは断崖を表す古語だそうで、白川村では「歩危」と漢字を当てています。同村内には他に「保木」と当てている地名もあります。白川村には、南側から「福島歩危」、「平瀬歩危」、「下田歩危」、「内ヶ戸歩危」とあったそうで、いずれも険しい崖道で大変な難所であったそうです。

平瀬隧道は、そのうちの「平瀬歩危」の真上に建設されており、付近の地形は現在も「平瀬歩危」に街道が通っていた頃の面影を残しています。

「平瀬歩危」に木製の桟道が通っていた頃の写真を、こちらのサイトで見ることができます。人が歩くだけでも危うい感じがします。
白川郷の歩危道

それでは本題に入っていきます。

平瀬隧道へと向かう旧道には、一応、門扉が設置されていますが、雑草が複雑に絡まり、開閉された様子は全然見受けられません。平瀬隧道を含む区間は、昭和54年(1979年)に新平瀬トンネルが開通したことにより旧道化しました。


弟を先頭にして、さっそく薮漕ぎをしていきます。






感覚的には50mくらいでしょうか、路面のアスファルトが見えてきました。


ロックシェッドが現れました。




明かり区間を挟んで、次のロックシェッドが見えています。


路肩に倒れていた警戒標識「注意」。


ロックシェッドは鉄骨を組んで波板屋根を掛けた造り。よく見かけるコンクリート造りの重厚なロックシェッドと比べると華奢に感じます。


玉石練積みの擁壁。擁壁は一部に設置されているだけで、ほとんどは岩壁が剥き出しのままです。




平瀬隧道です。コンクリートトンネルに改築されたのが昭和31年(1956年)。トンネル延長は174mです。ご覧のとおり幅が狭く高さも低い小さなトンネルで、このサイズで昭和54年まで国道156号として利用されていたのが驚きです。




側壁部分が大きく崩壊しています。鉄筋コンクリートなので、かろうじて形を保っているのでしょう。




しかし、廃止から43年経っているとしても、こんなにコンクリートが損壊してしまうとは…。湧水が多くて冬に凍結と融解を繰り返して大きく損壊したというところなのでしょう。




かつての明かり区間です。昭和31年完成の改築工事で、落石・雪崩事故防止に前後のトンネルをロックシェッドでつないで一体化したようです。明かり窓が良い雰囲気です。


ここも側壁のコンクリートがボロボロに崩れてしまい、編み込まれていた鉄筋がむき出しになっています。


崩れた天井部分には小さな穴が開いていて、外が見えています。


かつての2つ目のトンネル区間。山側だけがボロボロなので、やはり湧水の影響を受けているのでしょう。


トンネル内が緩くカーブしているのがわかります。これ、対向車と鉢合わせたらどうしていたのでしょうかね。もしかして、現役当時はトンネル出入り口に信号機が設置されていたのかな。




延々と続く明かり窓から光が差し込み、トンネル(ロックシェッド)というよりは、まるで回廊のようです。




天井アーチ。コンクリートを打設する時に用いられた型枠の板の跡が無数に付いています。


眼下を流れる庄川。昔々は、この崖下に桟道を架けて通行していたわけですね。


反対側の坑口が見えてきました。坑口直前にもカーブがあります。


短いトンネルでしたが、なかなか堪能できました(笑)。


反対側の坑門です。


坑門上部にある扁額(銘板)。「昭和31年3月竣工 延長174米 岐阜縣」とあります。


「平瀬歩危」の全景。庄川沿いの絶壁であることがよくわかります。




トンネルの手前は広場になっています。やはり、この場所で通行車両を待機させて、トンネル内は交互通行させていたのでしょう。


もう少し場所を変えて「平瀬歩危」を撮ってみました。


かつての白川街道が桟道で川面近くの崖を通過していて、その後(明治時代でしょう。)、現在の位置に新たに街道が開削され、それを改修し続けて昭和54年まで国道156号として利用していたわけです。


それでは車へと戻ります。










最後は寄り道した白山白川郷ホワイトロードの「ふくべの大滝」です。






Posted at 2022/11/23 17:40:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年11月22日 イイね!

TGRラリーチャレンジin富士山おやま戦へ参戦しました

2022年10月23日日曜日、静岡県駿東郡小山町で開催されたTGRラリーチャレンジin富士山おやま戦へ参戦してきました。

前回TGRラリーチャレンジに参戦したのは、9月25日のびわ湖高島戦。ぶっつけ本番で1年半ぶりのラリー参戦だったわけですが、ワタクシ的にはペースノートのリーディングに非常に苦悩する結果となりました。それから1か月が経ち、その時のモヤモヤした気分は幾分解消されましたが、まだ引きずっている感じでのラリー参戦です。

さて、現地への出発はラリー前日の10月22日土曜日早朝3時20分頃。今回も積車に同乗して会場へと向かいます。早朝出発となったのは、イベント会場兼サービスパークとなる富士スピードウェイまで、高速を使わずに国道1号で行くためと、ドライバーやすい氏が午前中に富士スピードウェイ内のショートコースで軽く練習走行する予定を立てたためです。

富士スピードウェイに到着したのは朝8時半頃。サービスパークの開場は12時30分なのでラリー関係者の姿はまだなく、周りの車両のほとんどはレース出場の関係者のようです


ショートサーキットに到着。やすい氏は練習走行へ。


私の方はやすい氏走行中の間、ショートサーキットの走行車両を眺めたり、30度バンク跡を散歩したりしていました。




練習走行を終えて、12時30分になったところで今回のサービスパークとなるイベント会場へと移動。荷卸しとHQでの参加受付を行い、車検を受けます。


レキ受付まで余裕があったので、レースを覗いたりしていました。


15時にレキ受付開始。いつもなら受付後、速やかに出発するところですが、今回は4.16kmのSS2・5が急きょ2.71kmに短縮されたことにより、ロードブックの内容変更が公式掲示板で指示されたため、受け取ったロードブックの該当ページのコマ図や区間距離を手書きで訂正してから出発です。


そして、最初のレキとなるSS1・4でさっそく渋滞が発生。ジムカーナコースなので、コース内に複数台を入れると走行ルートが交錯して危険であり、1台づつ順番にレキを実施させていたためでした。

その後は足柄峠付近の山中でのSS2・5と富士スピードウェイの敷地外周路を使用するSS3・6をレキ。ロードブックの訂正のために出発が遅くなり、しかも参加する90台がレキを行い、そしてSS間の移動距離が30kmあるため、サービスパークへと戻ってきたのは夕闇迫る17時過ぎ。


本当は明るい内に戻ってきて、パソコンで車載カメラの映像を見ながらペースノートのチェックをしたかったのですが、暗くなってきたことと、朝が早くてくたびれてしまったので、このまま宿泊先へと向かうことになりました。

ホテルに着いたら、さっそく前夜祭会場へとお出かけ(笑)。やすい氏本命の魚のうまい店が満員で入れず、周辺で評価の高いお店をスマホで探して、小さな焼き鳥屋で前夜祭となりました。


机が3つとカウンター席だけの小さなお店でしたが、その3つの机ともラリー関係者。そのうちの一組は顔見知りの人でした(笑)。

さて、10月23日日曜日、ラリー本番です。今回もツールボックスのムロモトさんがサービス担当として来てくれました。


もう一人、ツールボックス関係者が来てくれていますが、本当は他の企業系チームのドライバーやコドラをされている若い方で、今回も所属チームは参戦しているのに、「今日は用事があるので。」と断って、こちらの応援に来たそうです。みんなから「それ大丈夫なの?しかもチームここに来てるんでしょ?」と心配されてましたが、当人は全然気にしていないようでした(笑)。

セレモニアルスタートのゲート付近の様子。高島戦も観客が多かったですが、やはり富士スピードウェイの方がもっと多いですね。


さて、あらためまして今回のSSコースは、富士スピードウェイ内と敷地外外周路、足柄峠付近の山の中に設定されています。ただし、特別規則書により、SS1・4のジムカーナコース以外のSSについては、コースを特定できるような写真・動画の部外発表が禁じられているため(部外に出さなければ撮影自体はOK。)、写真や動画の撮影はしませんでした。

距離は、
SS1・4「Gymkhana Course」:0.50km。
SS2・5「ASHIGARA」:2.71km(4.16kmから短縮)。
SS3・6「NAKAHINATA」:1.79km。
SS合計10.00kmで、「Gymkhana Course」がギャラリーステージです。

今回はSS2・5が細かくコーナーが連続する難題コース。やすい氏は「テンポよく行ければ気持ちよく走れそう。」との感想。そういうコースが私としては難物なんですよねぇ…。


SS3・6は長いストレートをややきつめのコーナーでつなぐレイアウト。TGRラリーでは最近あまり設定されないハイスピードコースと言えます。

 
それでは走行タイムと簡単なラリーの内容について。ちなみに、私たちの参戦するE-4クラスは16台いるのですが、そのうちGRヤリスが11台います。ある意味、初めから勝負が成立していない…。

SS1:43秒1(41.7km/h)。クラス7位。
「E-4」のトップであるGRヤリスから3.8秒差。

SS2の手前にあるTC2の前での時間調整で待機中、前方から他車のコドラさんが「TC2のターゲットタイム(ここでは自車のTCイン時刻のこと。)どうなってますか?」と尋ねてきました。尋ねられた瞬間は「?」でしたが、ロードブックの訂正があってリエゾン距離が変更されていれば当然移動時間(本来のターゲットタイム)も変更されているもの。写真に撮っておいた公式掲示物をよくよく見直すと、TC1からTC2へのターゲットタイムは「29分」から「32分」へ変更されていました。

TGRラリーチャレンジでは今回のような「距離」が変更される機会はほとんどないので、うっかり3分早着のミスをやらかすところでした。早着1分はそのまま1分のペナルティになるので危なかったです(笑)。

タイムカードの内容もさっそく訂正。TC2へチェックインした時に「公式掲示板に基づいてタイムカード記載のターゲットタイムを自分で訂正しましたけど、大丈夫ですかね?」と確認。一応、OKの言質を取っておきました。


初級者向けに「至せり尽くせり」なところがあるTGRラリーチャレンジ。時にこのような罠を張ることがあるので、「気を付けないかんな。」と改めて思いました。一般的なラリーの経験もある方たちと比べると、TGRラリーチャレンジだけに参加している方はアドリブな状況に弱いんですよね。

これ、「そこまでアナウンスが無かった!」とクレーム入れても、「公式掲示板を読めばわかるでしょ。」と一蹴されて終わりの案件です。違う話ですが、あるラリーの最終TCでオフィシャルへ「最終TCは早着OKですか?」と尋ねているコドラがいて、「そんなことは特別規則書に書いてあるでしょ。読んでないの?」と切り返されてました。まあ、当然な話ですよね。

SS2:2分45秒7(58.8km/h)。クラス12位。
「E-4」のトップであるGRヤリスから17.3秒差。
高島戦を引き摺ったようにペースノートのタイミングが合わない…。

SS3:1分18秒2(82.4km/h)。クラス11位。
「E-4」のトップであるGRヤリスから10.3秒差。
コーナー間の間隔が開いているため、ノートリーディングにはさして問題はなし。やすい氏「SS2の低速コースの感覚が残っているのか、いまいちアクセルを踏み切れなかった。」とのこと。

SS3までを終えて、サービスパークへと戻ってきました。弁当を食べながら、「先読みのタイミングに気を取られてロストするくらいなら、少し遅れてもコーナーを1個1個きちんと読んでいこう。」と気持ちを切り替えます。


SS4:50秒4(35.7km/h)。クラス14位。
痛恨のフライングで10秒ペナルティ…。二人ともフライングしたとわかる状況でした。やすい氏によるとスタート時に引いていたサイドブレーキの効きが甘くなってきていて、ついに動き出してしまったとのこと。
「E-4」のトップであるGRヤリスから12.7秒差。

SS5:2分40秒9(60.6km/h)。クラス11位。
SS2から4.8秒短縮。SSスタート直後はダメでしたが、「いかん!いかん!」とすぐノートと直前のコーナーに集中し直してリーディング。その後はペースがつかめてきて「うまくはまってきたな。」と良い感触を実感できました。やすい氏も「今のSSはいい感じだったよ!」とのお言葉。
「E-4」のトップであるGRヤリスから17.6秒差。

SS6:1分18秒9(81.6km/h)。クラス13位。
SS3から0.7秒の遅れ。タイムを見て二人とも「ええっ、遅かったの!?」という感じ。やすい氏「小林君はOK。俺が悪かった。やっぱり前のSSを引き摺っちゃうのかな。乗り切れなかったのかもしれない。」。
「E-4」のトップであるGRヤリスから12.0秒差。

総合タイムは9分37秒2。順位は「E-4」クラス完走16台中13位、総合完走90台中30位でした(今回はリタイヤが久しぶりに1台もない。)。「E-4」クラス優勝であるGRヤリスは8分30秒9で、総合でも1位。


心情的には「悲惨」な状況で終わったびわ湖高島戦から一転、課題解決の光明が見えてきた富士山おやま戦となりました。ただ、問題は次戦がおそらく来年の春になるということ。また長い期間、間が空いてしまうので感覚を忘れないようにしないといけません。

あと、やすい氏は冬の間にペースノート作成の講習を受けるつもりのようです。今までは、ラリーを始める時に素人の私が作り方のアドバイスをして、それを基に彼なりにアレンジしてここまでやって来た訳ですが、さすがにこれ以上のレベルを求めるなら、きちんとした作成方法を学ばないと通用しないと考えたそうです。

まずはやすい氏が受講して、基本ができたら今度は私と二人で練習会に行って練習という流れになりそうです。まだスケジュールは全然わからないのですが(講師が自分のラリーで海外へ行ったりしてますから。)、そのうちはっきりしてくるでしょう。
Posted at 2022/11/22 22:57:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | TGRラリーチャレンジ | 日記
2022年11月20日 イイね!

新城市作手白鳥から始まる本宮山への参拝道を探索する

2022年10月9日日曜日、愛知県新城市作手白鳥の旧挙母街道沿いに残る砥鹿神社の鳥居から始まる本宮山への古い参拝道を探索してきました。

国道301号和田峠の峠道に残るミニ廃道を探索した後、今度は新城市作手白鳥の砥鹿神社鳥居へとやって来ました。


砥鹿神社と書きましたが、この場所に存在するのは鳥居のみ。砥鹿神社の神奈備山である本宮山の遥拝所か本宮山及び砥鹿神社奥宮への参拝道の入口を表す場所と考えられます。


戦前の地形図には、この鳥居から本宮山山頂へと続く道が記載されており、これが参拝道と考えられます。

※5万分の1地形図「御油」:明治23年(1890年)測図・大正7年(1918年)修正測図・昭和2年(1927年)鉄道補入・昭和4年(1929年)発行。

さっそく、鳥居の脇から伸びる道を歩いていきます。


路肩に石柱が転がっています。彫られている文字を読むと「一丁」とあります。これは「丁石」というやつですね。通常は1丁(約109m)ごとに立てられています。この道が本宮山への参拝道である証しと言えます。


分岐点へ来ました。参拝道は右へと曲がっていきます。左は民家の庭を通って旧挙母街道へと戻ります。民家前の道は、元々は挙母街道と参拝道とをつなぐ小径だったのかもしれません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

休耕田の横を進んでいきます。もはや誰も使うことがない道であるのに草刈りされています。こちらとしては助かります。




小川を渡り、さらに真っ直ぐ進みます。


林道との交差点へと出てきました。林道を横切ってさらに進みます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

川にぶつかりました。橋がないので一旦迂回します。


上流側にある床固工を使って対岸へと渡ります。


道標となる丁石を見つけられないまま、緩やかな谷筋を尾根へと登っていきます。




ここまで来ても明確な道跡が見当たりません。とにかく尾根の上へと出ることにします。


尾根へ出ると尾根に沿うように盛土道がありました。ひとまず辿っていくことにします。


ピンクリボンを巻き付けてある木を見つけました。一応、何らかの道ではあるようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

どんどん道跡を進んでいきます。


作業道へと出てきました。これでは参拝道がかく乱されてしまっているかもしれません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

作業道の横に古道を思わせるU字型の窪みを見つけました。参拝道かもしれないので辿ってみます。


参拝道と思われる窪みを進んでいきます。




道跡の脇に長方形の石造物を発見。丁石です。この道跡が参拝道であることを示しています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「十一丁」とあります。二丁から十丁までは見逃してしまったのか、無くなってしまったのでしょう。


特に目ぼしいものが見当たらないまま、先へと進んでいきます。








巨岩が露出している場所を通過。


地形が緩やかになり、道幅がやや広くなりました。


また巨岩があります。こういう場所は目印になるので覚えておきます。


小さな沢を渡ります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

前方が明るくなってきました。


本宮山スカイラインが通る尾根へと出たようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この先の参拝道は本宮山スカイライン建設時に破壊されたと考えられます。もう少しだけ先へと進んでみましたが、代替ルートは用意されなかったようです。


砥鹿神社鳥居から本宮山スカイラインまでのルート図です。


さて、小雨がパラついてきたし、周りも薄暗くなってきたので引き上げることにします。

「十一丁」の丁石を通過し、作業道へと出て来た場所まで戻ってきました。ここで登ってきた谷筋とは違う谷筋に明瞭な道跡があることを発見。距離的な違いは大したことはないので、この道跡を下っていくことにします。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

道跡を下っていくと丁石が転がっているのを発見。どうやらこの道が参拝道だったようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここにあったのは「九丁」の丁石。


沢沿いの道跡を下っていきます。




また丁石を発見。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここの丁石は「七丁」。「八丁」は埋もれてしまったのかな。


続けて「六丁」の丁石。




大水でもあったのか道跡が荒れてきました。


「五丁」の丁石。


川を渡ります。川の前後の道形から見て、橋は架かっていなかったようです。


場所はこちら。


坂を登って林道へと合流します。




行きに林道を横切った交差点へと戻ってきました。ここを横切ったのが道間違いの原因だったわけです(笑)。


場所はこちら。


傘を持ってきていなかったので、小雨に降られる中、濡れながら歩いています。


行きに気が付かなかった「四丁」の丁石。




砥鹿神社鳥居へと戻ってきました。


今回の全行程です。青色が参拝道。赤色は誤って通ったルートです。


参拝道(登山道)を探索するというのは初めての経験でしたが、道跡そのものは街道の峠道と何ら変わるものではないので、いたっていつも通りの探索でした。

さて、地元豊川市の方が調べたところによると、本宮山にはかつて18もの参拝道があったそうです。その方は調査内容を自家出版されているので、一度読んでみたいものです。豊川市内の本屋で発売したようですが、4年前の発行なのでもう存在していないかも…。
Posted at 2022/11/20 11:37:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年11月19日 イイね!

「挙母街道改修碑」と国道301号和田峠のミニ廃道

2022年10月9日日曜日、愛知県新城市の国道301号和田峠の峠道にある「挙母街道改修碑」とミニ廃道を訪れました。

「挙母街道改修碑」の最寄りになる駐車帯へと来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車帯から峠方向へと歩いていきます。


カーブの傍らに石碑が立っています。


こちらが「挙母街道改修碑」。千郷村(1906年(明治39年)から1955年(昭和30年)まで存在した村。現在は新城市域。)が、1913年(大正2年)から1914年(大正3年)にかけて行われた村内の挙母街道の改修工事の完成を記念して建立したようです。


「縣道 擧母街道改修」や「千郷村」以外の文言は摩滅してはっきりとは読み取れませんが、工事の期間や工事区間の距離が彫られているようです。


それでは改修碑前のカーブの奥に残るミニ廃道へと入っていきます。


雑草が生い茂って廃棄物が点在する、あまり入りたくない類の廃道です。


国道から100mほど入ると橋が残っています。橋の上にも木が生えていて、かつての様子は伺い知れません。


橋に残る各親柱。親柱によると橋の名称は「空沢橋」。読み方は「からさわ」。「昭和三十九年三月改築」とあるので、1964年に架け替えられた橋ということになります。川の名称は「野田川」。








橋を渡ると国道の方向へと廃道は進んでいきます。道幅は1.5車線ほどと狭いです。


すぐに国道の上へと出てきました。国道は現道へと切り替えた際に掘り下げられたようです。


この後は、付近の斜面に旧道の痕跡が無いか探してみましたが見当たりませんでした。この先は旧道を拡幅したようです。

この場所での探索は以上で終了。ミニ廃道なのでサクッと終わりました。次は新城市作手白鳥の旧挙母街道沿いに残る鳥居へと移動し、鳥居から始まっていたであろう本宮山の古い登山道を探索してみることにします。
Posted at 2022/11/19 18:41:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年11月17日 イイね!

ブログに書いていない訪問場所が溜まってきた…(2)

わたくし、休日になるといろいろと当て所なく出かけ、ブログのネタになりそうなものを拾ってくるわけですが、また夏休みの宿題がごとくブログ書きが遅々として進まなくなっております。

最近は仕事から帰ってきて晩御飯を食べてしばらくのんびりしていると、知らぬ間に寝落ちしているという生活を送っているので、平日はまったくブログ書きが進みません。休日は休日でドライブや廃道歩きなどに行って、帰宅するとやはり疲れてしまっているので同じく進みません。

今日は計画消化の有給日でしたが、11月10日から13日に開催されたラリージャパンのSSコースを2か所ほどドライブしてきたので、帰宅後はまた疲れてうたた寝してました。起きてから何とか写真の選別・加工をし始めましたが挫折して、こんな与太話なブログを書いています(笑)。

ただいま溜まっているネタは以下のとおりです。

2022年10月9日(日)新城市作手白鳥からの本宮山登山道の探索


2022年10月23日(日)TGRラリーチャレンジ富士山おやま戦


2022年10月29日(土)旧国道156号 平瀬隧道


2022年11月3日(木)城端駅・下小鳥ダム・安房峠・奈川渡ダム


2022年11月6日(日)本宮山新城口登山道(臼子道)探索


2022年11月10日(木)ラリージャパン 豊田スタジアムサービスパーク見物


2022年11月12日(土)下呂市小坂の滝めぐり


2022年11月13日(日)恵那市岩村 ラリージャパンSS16/18出口でラリー見物


2022年11月17日(木)ラリージャパンのSSコースをドライブする


写真の選別・加工と地図の作成ができれば、あとはコメントを付けるようなものなので話が進んでいくのですが、今はそもそもやる気が起きない(笑)。もうしばらくウダウダしていそうです…。
Posted at 2022/11/17 23:22:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記 | 日記

プロフィール

「【豊根村】霧石峠への富山漆島側峠道を下見しました http://cvw.jp/b/1796277/47676277/
何シテル?   04/25 00:05
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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