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小林あにのブログ一覧

2021年10月21日 イイね!

旧熊野街道 船木橋・神瀬橋・ねじりまんぽの道路橋

2021年10月3日日曜日、三重県の旧縣道「熊野街道」に残る古い橋を3か所巡ってきました。初めは一人で出かけるつもりでしたが、母に「ドライブがてら一緒に行くか?」と声を掛けたら、姉も一緒に行くと言い出し、結局3人で出かけました。

初っ端、国道23号知立バイパスから伊勢湾岸道 豊明ICの料金所へ向かったところ、ETCゲートでストップした車があり立ち往生。仕方くなく一般ゲートへ回り、通行券を取って高速道路へと入りました。

通行券を取ったのは何年ぶりだろうか。覚えがありませんね。ただ、「デザイン、昔と変わってない気がするなぁ。」という感想が湧きました(笑)。


その後は、東名阪道、伊勢道、紀勢道と乗り継ぎ、大宮大台ICで下りて(一般ゲートに入り、料金収受装置にETCカードを挿入して精算しました。)1か所目の訪問場所へとやって来ました。

船木橋(旧舟木橋)です。全長は90.2mになります。


舟木橋の開通は明治38年(1905年)。ただし、当時のまま残っているのは橋脚部分のみで、橋台・橋桁は昭和9年(1934年)に改修されています。


大紀町側の親柱には「ふなきはし」と刻まれています。


親柱に取り付けられた登録有形文化財のプレート。平成8年(1996年)に登録されました。


本橋は、宮川の深い渓谷を渡る高い場所(水面から20m程とか。)に架けられた橋ですが、昔の橋らしく欄干が貧弱かつ低いため、あまりにも川面までの見通しが良すぎて、私のような高い場所が嫌いな者にはとても困った橋です。


と言いつつ、今回も含めて4~5回は訪れていますけどね。ただ、姉が貧弱な欄干にもたれ掛かって川面を眺めている姿を見て、肝が冷える思いでした(笑)。

こちらは上流側。本流である宮川に支流の大内山川が左側から合流してきています。それぞれの川の水の色が明確に違っています。隣に架かっている橋は、国道42号の船木大橋です。


下流側の眺めです。


大台町側へと渡ってきました。


こちらの親柱には、読み取りにくいですが「船木橋」と刻まれています。


突然ですが一つ疑問があって、この橋の名称は「船木橋」、国道42号の橋の名称は「船木大橋」、大紀町側の橋名の由来になったと思われる地名は「船木」。にもかかわらず、登録有形文化財での登録橋名はなぜか「旧舟木橋」。

この事に言及しているブログやサイト記事は見当たらず、特に関心は持たれていない様子。まあ、いいと言えばいいのですが、何せ名称(=名前)のことなので、モヤモヤした感じは残りますね。

大紀町側へと戻ってきて、今度は船木大橋の下から船木橋の全景を撮ります。


ちょうどいい場所に大木が被さってしまい、何ともはや…。


橋のたもとから斜面を下りて、木々の隙間から撮ってみました。


本当は宮川の河原まで下りて、橋を見上げる写真や煉瓦橋脚の写真を撮りたかったのですが、ここ数年のうちに何度も発生した豪雨の影響で橋周辺の地形が改変されてしまい、今回訪れた時は河原まで下りることができませんでした。

こんな写真も撮っておきたかったです(この写真は2015年1月訪問時にガラケーで撮ったもの。)。




さて、母・姉が飽きてきたので、次の場所へと移動します。

国道42号を走ってやって来たのは、大台町神瀬にある神瀬橋。明治40年(1907年)竣工の煉瓦アーチ橋です。説明板には隣接地に紀勢本線が建設された際に二重アーチだったうちの一つを埋め立てたとあります。


橋の全景を撮影するには河原から見上げるようなアングルになるのですが、タイミングが悪いことにちょうど逆光…。撮影した写真データは真っ黒だったので、思いっきり明度を補正してあります。


橋の側面に取り付けられている銘板。「神瀬橋」とあります。


川の中を薮をかき分けて進み、橋の反対側へと出ました。いかにも煉瓦の塊が架かっている感じで重量感があります。


ちなみにこの橋、欄干部分がガードレールになっているため、わかっていないと道路から見ても煉瓦橋とは全然わかりません。

3か所目の橋の入口へとやって来ました。ここから橋までは400mほど歩きます。ちなみに、車を停めている場所が旧熊野街道になります。


前回ここを訪れたのは2012年5月。その時は車を停めた場所から砂利道が奥へと続いていた気がしたのですが、その砂利道が見当たらず、しばらく付近を探す羽目に。

自分が歩いていた細い舗装路の下側に薮に覆われた平場が続いているのが見えて、「もしかして完全に廃道になったのか?」とその平場へと下りました。

少し進むと何となく見覚えのある景色が現れました。どうやらここが旧熊野街道で間違いないようです。


採石会社の敷地に沿って進む道でしたが、この辺りの敷地は使われていないようで、9年前とは様相が一変していました。


これまた見覚えのある背の低い煉瓦の欄干が現れました。ねじりまんぽの道路橋に到着したようです。


この道路橋は当初「姉橋」と紹介されていました。旧熊野街道が通る以前にかつてこの付近には兄姉弟妹の名を冠した橋があり、この道路橋の架橋位置付近には「姉橋」が架かっていたらしく、そこから名称を取られました。その後も有志の方々が文献調査などを進めましたが、名称を確定できるような資料が発見できず、現在は名称不明となっています。

欄干はフランス積みされた煉瓦にかまぼこ型に整形された石材が載せられています。


やって来た方向を眺めています。この橋を再発見した人はよく見つけたものです。


橋を渡った先にある広場まで進みます。ここから左方向へと曲がり、雑草に覆われた斜面を下りて河原へと出ます。


河原へと出ました。


真っ暗で申し訳ないですが、これが世にも珍しい「ねじりまんぽ」の道路橋です。前述したとおり、名称も来歴もわかりません。


ここからはフラッシュを焚いて撮りました。

煉瓦アーチの道路橋というものは、数は少ないですが、前述の神瀬橋のようにまずまず存在しています。


しかし、さらに数が少ない「ねじりまんぽ」というものは、明治時代に開通した「鉄道」の築堤に設置された水路暗渠や人道通路として残っている(けっこう現役で使用・利用されている。)ものがほとんどです。


「道路が上を通る」煉瓦アーチ橋が「ねじりまんぽ」で造られているのは、福井県坂井市のえちぜん鉄道にある「眼鏡橋」と、この橋くらいだそうです。


というように希少な橋なわけですが、知名度はほとんどありません。地元自治体も文化財的な把握はしていないでしょう。廃道趣味の方々に多少知られているくらいであることは、ここへとやって来た道の状況を振り返ってもらえればわかっていただけると思います。


この「ねじりまんぽ」は、捩じり度合いはそんなにきつくありません。川に対しての橋の斜め度合いがきつくないからです。


昔はよくあることですが、クランクになったとしても、川に対して直交するように橋を架ければこんな面倒な施工は必要なかったでしょう。それでも「ねじりまんぽ」にしたのは、それなりの理由に基づく必然性が有ったはずですが、何にも記録が残されていないわけです。


橋の下流側を眺めています。橋の先に段差があり、小さな滝になっています。天然のものか人為的なものかはわかりませんが。


段差の縁のギリギリまで下がって撮りました。橋台部分はコンクリートで施工されていますが、元々は石積み橋台だったのでしょう。分厚く塗り込められているので、昔の様子は全くわかりません。


「ねじりまんぽ」の捩じり度合いが緩い場合、施工の精度を相当きちんとしていないと崩壊してしまうのだそうです。そういう点からしても、技術力のある建設会社が関与していそうですが、その線からも解明できないのでしょうね。


この橋のもう一つの特徴は、アーチ環の部分に縦方向に薄い化粧煉瓦を貼り付けてあること。この装飾も他所では見られない手法だそうです。




わからないことだらけですが、希少であり、建設レベルも高い橋、「ねじりまんぽの道路橋」でした。


帰りも廃道と化した旧熊野街道を歩いていきます。


路肩に「地下電話線あり」の注意看板が残っていました。かつての主要道路の旧道や廃道に電信・電話線が通っていることはありますが、今も電話線が残っているのでしょうかね。


車まで戻ってきました。母がトイレに行きたかったようで、相当焦っていました。


トイレのご要望のため、近くにある紀勢本線栃原駅へと移動。


ホームで写真を1枚。


落ち着いたところで、「どこか寄り道する?」と尋ねたら、姉が「『深野のだんだん田』というのが割と近い所にあるから寄ってみて。」ということで、向かうことにします。

松阪市大石町にある「深野のだんだん田」。段々田の一番上から眺めないと景色がよくわかりませんが、もうそこまでの気力がありませんでした…。




Posted at 2021/10/21 19:30:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年10月18日 イイね!

煉瓦造りの水路トンネルと関西本線 蛇谷川橋梁

2021年9月25日土曜日、三重県亀山市加太にある煉瓦造りの水路トンネルとJR関西本線 蛇谷川橋梁を訪れました。

この日は、まず和歌山県紀の川市の旧池田隧道を訪問。そこからの帰路の途中、まだ時間に余裕があったので、名阪国道を下りて立ち寄りました。

車を国道25号猪本橋のたもとに停めます。


この猪本橋、実は橋脚が煉瓦積み。それもただ煉瓦を積み上げただけでなく、石材による隅石も設けられていて、なかなか見栄えがします。


本当は河原に下りて間近で撮りたかったですが、堰堤に付いている梯子を使わないと河原へ下りられないので、今回は止めときました(笑)。

猪本橋を渡り、しばらく国道を歩き進めると、写真の場所が現れます。


コンクリートの擁壁をよじ登ると、そこに煉瓦造りの小さな水路トンネルがあります。


トンネル部分は三重の欠円アーチ。そして、小さな構造物にも関わらず、笠石と帯石を表す焼過煉瓦の列と笠石の下段に煉瓦を斜めに並べた「雁木」の装飾。凝っています。


中を覗くと奥まで煉瓦積みで造られています。


さして長くもないトンネル部分の反対側へと回ってきました。こちら側はコンクリート造りになってしまっています。


階段と擁壁の隙間の水路部分に体を入れてトンネル内を覗き込むと、こちら側も煉瓦積みで造られています。


もしかしたら、コンクリート造りに改築する前はこちら側も煉瓦造りの坑門があったのかもしれません。

煉瓦構造物が多い関西本線(建設当時は私鉄の関西鉄道。)の影響を受けたのか、この周辺にはあちらこちらに煉瓦造りの水路トンネルが残されています。

さて、さらに国道を歩き進め、ちょっと強引に斜面を下り、並行して流れる加太川の河原へとやって来ました。ここから対岸へと渡ります。


加太川は流れが浅いので、長靴でも何とか渡渉することができます。


とは言っても、深い淀みがあったり、石に苔が付いていて滑りやすい所もあるので、慎重に歩いていきます。


対岸にある沢へと取り付きました。ここからは、この沢を奥へと進んでいきます。


この沢は流路部分の浸食が深く、わずかな距離を入り込むだけですが、歩き進めるのも一苦労です。


流路部分から上の段によじ登り、もう一つの表題の場所に到着しました。JR関西本線の蛇谷川橋梁です。


ここへ来るのは3回目か4回目ですが、いつも他所へ行ってからの寄り道で夕方に来ることが多く、周囲が鬱蒼としているため、いつも暗い写真しか撮れません…。


複数回訪れているのは、単に写真を取り直すためと言ってもいいでしょう(笑)。

この橋梁は、笠石部分に煉瓦をひとつおきに突出させて並べるティンディル(歯飾り)と呼ばれる装飾を施しています。


アーチ環は四重巻き。ちょっとわかりにくいですが、一番内側と外側は焼過煉瓦が使われています。


内部は側壁部分もアーチ部分も全て煉瓦積みとなっています。




アーチ内部も、側壁部分の下段に焼過煉瓦が3段挟み込まれていて、アクセントになっています。


沢の上流側に出ました。デザインは下流側と同じです。




橋梁付近の沢の地盤は、天然のものなのか、人工物なのか、いまいちよくわかりません。


流路部分をコンクリートで塗り固めたものが、水の浸食で抉れたようにも見えるんですが、抉れた部分を見るとこぶし大の礫がたくさん混じっているので、礫交じりの砂岩なのかという気もします。何にしろ知識が無いので謎です。


雨が降りだしてきたので、これくらいにして引き上げることにします。


猪本橋のたもとに停めた車まで戻ってきました。


蛇谷川橋梁は現在も現役で使用されている煉瓦アーチ橋梁で、もう少し紹介されていてもいい気がしますが、接近するのが難儀なためか(猪本橋から加太川の河原を長々と歩いてくるか、国道から急斜面を降りて加太川を渡り最短距離で接近するか、上流側の林道から支流の沢を辿って下ってくるか。)、あまり訪れる人はいないようです。

私はたまたま何度か訪れていますが、今回でそこそこレベルの記録写真は撮れたので、これで当分は来なくても良いかなというところです。
Posted at 2021/10/18 22:07:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 関西本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2021年10月09日 イイね!

和歌山県紀の川市 旧池田隧道へ行ってきました

2021年9月25日土曜日、和歌山県紀の川市にある旧池田隧道へ行ってきました。

当日は朝5時半頃に自宅を出発。国道23号知立バイパス→伊勢湾岸道→東名阪道→名阪国道→西名阪道→京奈和道と乗り継いで紀の川ICから県道62号池田トンネル方面へと向かいます。

池田トンネルを通過し、旧池田隧道からはやや離れた林道へとやって来ました。


旧池田隧道を訪れるのは2回目。前回は2009年2月に来ているので、12年7か月ぶりになります。前回来た際は、旧池田隧道へと続く林道の出入口近くの駐車帯が使えたので、今回もそこへ停めるつもりで来たところ、不法投棄防止のためにガードレールで封鎖されてしまっていました。

そのため、何度も池田トンネル付近を往復して駐車場所を探しましたが見当たらず、県道から入り込んだこの場所へ駐車しました。

話がそれましたが、今回ここを訪れた理由は、トンネルの写真をデジカメで撮り直したかったため。前回訪問時は当時持っていたガラケーで撮影したため、今となっては不鮮明な画像データしか手元にないからです。

あとはもちろんトンネルの現状をこの目で確認したかったということです。

車を停めた場所からすぐにトンネルには向かわず、すぐ近くの林道の峠へと寄り道。下界の写真を撮っておきます(笑)。写っている街は、おそらく旧岩出町の市街地でしょう。


ここで悪い癖を出し、素直に道路でトンネル最寄りの林道へと向かわず、道ならぬ山の尾根伝いで雑木林の中を縦断。

1時間ほど無駄にして、旧池田隧道へと続く林道へと出てきました。この先は道なりなので、どんどん上っていきます。


林道の突き当りにトンネルが見えてきました。




旧池田隧道です。紀の川市神取側の坑門になります。


旧池田隧道は、明治19年(1886年)に竣工しました。当時、現在の紀の川市と大阪方面との往来に利用されていた大坂街道の急峻な峠道の通行を改善にするために建設されました。

なお、竣工年については、トンネルに用いられている技法や、トンネル建設に関与した人物の顕彰碑の造立年などから、明治33年(1900年)以降ではないかと疑義を呈する意見もあります。

坑門には、笠石(坑門の一番上部の帯状の突起部分。)と帯石(笠石の下段に設けられている帯状の突起部分。)が施されています。


笠石部分には、煉瓦を斜めにして並べる「雁木」が施されています。


アーチ環は、一番内側が一段凹んで積まれており、このパターンは旧池田隧道以外では見たことがありません。


坑門壁面の煉瓦は、「フランス積み」(同じ段の中に煉瓦の小口面と長手面を交互に並べて積み上げていく技法。)で積まれています。


坑門左側は、元々覆っていた土が流出してしまい、大きく隙間が空いてしまっています。


それではトンネル内部へと入っていきます。

入っていきなり変な光景が現れます。トンネル内部の一部だけ煉瓦の巻き立てがありません。


トンネルの坑口付近だけ煉瓦巻き立てをして、中央部は素掘りのままというのはよくあることですが、旧池田隧道については、素掘りのままなのはこの数mだけで他は全て煉瓦で巻き立てられており、どうしてこの部分だけ素掘りのままにしておかれたのかは謎です。

巻き立て部分を観察すると、基本は二重巻きのようです。岩盤とのすき間が大きい部分は三重巻きになっています。




東海道本線のきちんと煉瓦が整列したアーチを見慣れている目からすると、煉瓦の並びが微妙にうねっているのがどうも気になります。ただ、これもトンネルの「味」というものです。




謎の継ぎ目。東海道本線のような建設時期の古い路線だと、開通時は単線で後年複線化した際に、煉瓦アーチ同士を噛み合わせて接合してあるのをよく見かけますが、道路トンネルにそんなことは当然無いわけで、どうしてこんな継ぎ目があるんでしょうね。


これについては「煉瓦の調達の遅れで一気に巻き立てができず、このような継ぎ目ができたのでは?」という意見があります。妥当な意見だと思います。

この部分では、先ほどの継ぎ目とは違い、明確にアーチの境目ができています。これはあらかじめ段取りでここまでを巻き立てし、また間を置いて次の巻き立てを始めた名残りかもしれません。




トンネル内部を歩いているうちに、寝ていたコウモリたちを起こしてしまいました。私を威嚇しているのか、何度も目の前を飛んでいきます。


反対側、紀の川市重行側の坑口です。この辺りのトンネル形状は、鉄道でよく見られる馬蹄型に似ています。


重行側の坑門です。南側で日当たりが良いためか、木々や雑草に囲まれています。


トンネル前にある土留めの石垣。道の曲がりに合わせて造られています。


こちら側の坑門には扁額が取り付けられています。


一部は剥落していますが、扁額には「池田隧道」とあります。鏝絵の要領で造られたものだと思われます。


この扁額は、通行人から見やすいようにしたのか、文字面を傾けて取り付けられています。このように角度を付けて取り付けられた扁額も、このトンネルでしか見たことがありません。


こちらの坑門も、笠石部分に「雁木」が施されています。ただし、帯石は設けられていません。


そして、坑門壁面の煉瓦は「イギリス積み」(小口面の段と長手面の段を交互に積み上げていく技法。)です。


アーチの最下部は、アーチ面よりも出っ張っています。


トンネル内の路面は石が敷かれていたようです。石が剥き出しのままだったのか、石の上に土や砂をかぶせて固めていたのか。形が整えられた石ではないので、さらに土や砂を敷いてあったのではないかと思います。


神取側の坑口へと近づいてもまだコウモリが乱舞しています。仕方がないので、刺激しないようにしばらく静かに突っ立って、トンネル中央部のねぐらに戻ってもらいます。


素掘り部分へ戻ってきました。


煉瓦アーチを見ると、坑口側に向かっては基本が一重で、隙間に合わせて煉瓦を詰め込んだり、二重にしたりしているようです




坑口側の煉瓦を見ていたら、変な部分を見つけました。赤枠で囲ってある部分、坑口側へに向かって煉瓦の列が1列増えています。アーチの巻き立てが不正確で隙間ができたために、1列挿入したのでしょう。


以上、旧池田隧道でした。


一地域の利用に供するために造られた小規模なトンネルながら、多様な技法が用いられていて、なかなか興味深い煉瓦トンネルです。ただ、今のところは地元自治体などが文化財や近代土木遺産としと保護・活用しようとする様子は現地では見られず(もちろん把握はされているし、ネットで情報提供もされている。)、このまま朽ちるに任せる状態です。

まあ、私としては、管理のためにフェンスで閉鎖されて、外観のみを指を咥えて眺める羽目になるよりもずっといいんですけどね(実際、三重県南部の旧熊野街道の煉瓦トンネル群の内、廃物件となっていた三浦・相賀・尾鷲の各トンネルは、次々にフェンスで閉鎖されてしまいました。安全のためには仕方のない事ですが。)

煉瓦トンネルなどの見方について、特に知識が増えたわけではないですが、いろいろな場所で現物を見たり、他の方々の情報を見聞きすることで、見方はだんだんと変わってきたと思います。

1回目の時は、煉瓦の継ぎ目などには全然気付いていなかったわけで、その時と比べれば、様子を細かく見るようにはなりました。

さて、これで写真もしっかりしたものが撮れたので、旧池田隧道にはまた当面来なくなりますね(和歌山県は自宅からはちょっと遠いイメージがあるし。)。トンネル内部に変状は無いようですし、まだまだ現状を維持してくれるでしょう。
Posted at 2021/10/09 23:23:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年10月02日 イイね!

阿曽隧道と湖北隧道へ行ってきました

2021年9月23日木曜日、福井県敦賀市阿曽の阿曽隧道と滋賀県長浜市西浅井町の湖北隧道へ行ってきました。阿曽隧道は旧国道8号の廃トンネル、湖北隧道は長期間通行止め状態となっているトンネルで、国道303号岩熊トンネルの旧道に位置します。

まずは阿曽隧道へと向かうため、4時15分頃に自宅を出発。

阿曽隧道はある意味接近困難な廃トンネルです。容易に接近できるかどうかは、ひとえに間近を通る国道8号の交通量に掛かっています。そのため、日の出から間もない時間帯に到着できるよう早朝に出発しました。

まだ日の出前、名神高速羽島PAでトイレ休憩。自宅からまだ1時間ほど走行したところですが、ちょっと眠気が来ていたので軽くウトウトしていました。



米原JCTから北陸道へ。敦賀ICで下りて、国道8号を福井市方面へと走行します。

さて、阿曽隧道のある敦賀湾の岬「黒崎」の南側、最寄りとなる国道8号の駐車帯に6時半頃やって来たのですが、ここで問題が発生。スペースが狭い駐車帯にワゴン車が2台すでに駐車しており、停まれる余地がありません。

周辺で折り返しつつ駐車帯の前を2回ほど往復しましたが、どうやら動く気配がありません。これはおそらく釣りをしに来た人の車でしょう。

そうなると代わりの駐車スペースを探すことになります。阿曽隧道へのアプローチ距離が伸びてしまいますが仕方ありません。

もう2~3回、敦賀市挙野と杉津の間を往復して駐車できるスペースを探し、結局、阿曽集落内の国道8号の路肩に駐車することにしました。

時刻はすでに7時15分過ぎ。祝日とはいえ、普段通りに仕事をしている方も多いわけで、国道8号の交通量も段々と増えてきています。



阿曽集落内の道路を通り、国道8号へと出てきました。ここから正面奥に見えているロックシェッドの中まで歩き、阿曽隧道へと続く旧道(廃道)へと取り付きます。



この海岸沿いの区間が歩行者にとって何より問題なのは歩道がないこと。もっと言えば、路側帯すら満足に確保されていません。そして、ここは幹線である国道8号。大型トラックやトレーラーがビュンビュン走ってきます…。

できる限り道路の端を歩き、ロックシェッド内へと入ってきました。写真はたまたま車列が途切れたタイミングで撮りました。



この先でロックシェッドは黒崎トンネルへと向かい左カーブ。黒崎トンネルの直前は歩行者が歩くスペースも無くなりますが、ここまで行かないと旧道へ取り付けません。

トンネル直前で一旦ロックシェッドの隙間に隠れ、車列が途切れるのを見計らって海側に向かい国道をダッシュで横断。そのままロックシェッドの隙間から路外へと転がり出ます。

まずは無事に阿曽隧道前の旧道に着きました。いやぁ、緑あふれる濃い草むら、立派な廃道です…。そして右側は断崖。まあ、背の高い草むらでないのは幸いですし、国道8号の路肩を歩くことを思えば楽勝です(笑)。



草むらを踏み均してトンネル前へとやって来ました。阿曽隧道です。訪れたのは6年4か月ぶりになります。当時は蔦で覆われていました。



ここ阿曽隧道は、明治9年(1876年)ないしは10年(1877年)の竣工。明治19年(1886年)頃に現在の形状になったようです。



トンネル内部はご覧のとおり坑口付近だけが石積みで巻き立てられ、中央部は素掘りのままとなっています。ただ、相変わらず目立った崩落はなく、安定した岩盤なのでしょう。





反対側(敦賀市挙野側)の坑口です。こちらはトンネル上部の斜面から土砂が流入しており、わずかに口を開くのみです。ただ、人が立ったまま出入りできるだけの空間はあります。



トンネルの先に続く廃道です。こちら側は南側で日が当たるためか、もっと酷い草むらに覆われています。訪問1回目と2回目の時は、こちら側から進入してきました。





少し離れた場所からトンネル坑門を振り返ります。草むらでほとんど見えませんね…。



当然ですが、挙野側の坑門も阿曽側の坑門と同じデザインです。





坑口に土砂が積もっているため、アーチ上部の要石も間近で見ることができます。



坑門の石積みは、下半分は割りと大きさの揃った石材で積まれていますが、上半分は大きさや形がバラバラです。



デザイン的にこのようにしたのか、加工の手間を惜しんだのか、そもそも石材の規格を整えて積み上げるという工法がまだ一般的ではなかったのか。どうなんでしょうね?

自分が見てきた中では、春日野隧道の側壁や旧北陸本線 小刀根隧道の側壁がやはり使用している石材の規格に統一感が全然ありませんでした(そもそも四角形ですらない。)。そして、春日野隧道は明治19年(1886年)、小刀根隧道は明治14年(1881年)と年代も同時期です。

アーチの形状も釣鐘型や放物線型などと言われる独特のもので、これは福井~敦賀間に造られた国道8号の前身「敦賀道」にあと二つ現存する隧道、金ヶ崎隧道と春日野隧道も同様の形状です。



金ヶ崎隧道



春日野隧道



フラッシュを使わないで撮影した写真です。実際のトンネル内はこんな明るさです。延長が50m余りなので、懐中電灯無しでも問題はありません。



阿曽側坑口へ戻ってきました。





アーチ環と岩盤の間は、石材などできちんと隙間を埋められています。



黒崎トンネルから続くロックシェッドを眺めています。草むらには私が踏み均した跡が付いています。またあの中を歩いて帰らないといけないと思うと、なんか憂鬱です…。



これで阿曽隧道とお別れです。



阿曽集落の出入口まで戻ってきました。これでようやく安心できます。



阿曽集落の海岸から阿曽隧道がある「黒崎」を眺めます。この地形では、明治時代であってもトンネルを掘るしか方法はなかったのでしょうね。



次はせっかくなので金ヶ崎隧道へ寄り道しようと、敦賀市街地の北端にある金ヶ崎城址駐車場へ来ましたが、トンネルへと続く旧道が立入禁止の表示。

せっかくなので、周辺を少し散策してみることにします。

敦賀港駅ランプ小屋。



金崎宮。





敦賀市街地の眺め。



敦賀赤レンガ倉庫。







敦賀港駅舎(実際に存在した駅舎を復元したものではないそうです。)。



それでは最後に湖北隧道へと向かいます。

国道303号岩熊トンネルの西側付近から分岐する道を歩いていきます。



この道は、国道303号岩熊トンネルの旧道にあたる道ですが、古い標識などの遺構は特に見当たらず、いたって平凡な舗装1.5車線道です。



随分上まで登ってきました。



突き当りにトンネルが見えてきました。



湖北隧道です。竣工は昭和9年(1934年)。コンクリート造りの坑門を持つトンネルです。長い期間通行止めとなっていますが、この様子では完全に封鎖するつもりは当面ないようです。



内部も当然コンクリート巻き立て。のっぺりしていて、味も素っ気もありません。



扁額には「風光随一」の文字。



琵琶湖側へと来ました。



今まで見てきたとおり、何の変哲もないコンクリート造トンネルですが、実はデザインに大きな特徴があります



「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」(土木学会発行)によると、「(ポータル(坑門)の)せり出し部が上に行くほど外側に出て、かつ、角が丸くなっており、ドイツ表現主義を強く感じさせる(トンネルとしてはおそらく国内唯一。))」などの理由により「Aランク」(国指定重要文化財相当)と評価されています。



私は美術に関する知識が無いので、どれほどすごいものであるのかは全然理解できないのですが…。

扁額「湖北隧道」。



トンネルの正面に広がる琵琶湖。



それでは車に戻ることにします。



30分ほどで国道303号岩熊トンネル近くの駐車場所へと戻ってきました。



さて、今回のメインは接近困難な阿曽隧道でしたが、だいぶ以前から再訪する気はありました。しかし、なにぶん接近が容易ではないことがネックとなり、何度も何度も目の前を通過していました。

今回は、最寄りの駐車帯が使えない時も、違う場所を見つけて必ずトンネルへ行くと決めていました。それくらいの気持ちでないと、なかなか行く気になれない場所でしたからね。

これでようやく目的を達したので、おそらく4回目の再訪をすることはないでしょう。
Posted at 2021/10/03 00:48:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年09月26日 イイね!

松本城見物と新坂巻トンネル旧道区間の廃道歩き

2021年9月19日日曜日、姉の誘いで母・私の3人で長野県松本市の松本城へ出かけてきました。姉が松本城へ行く気になったきっかけは、「ブラタモリ」で松本城を取り上げていたからだそうです(笑)。

5時20分頃に自宅を出発。当日は晴天の予報でしたが、東海環状道から中央道へ入っても、雨が降りそうな暗い色の雲が立ち込めています。



中津川IC付近からようやく晴れ間が見え始め、恵那山トンネル手前の神坂PAではすっかり快晴に。恵那山もよく見えています。



8時50分、松本城に到着です。天守の後ろには北アルプスの山々がきれいに見えています。



城内へと入場します。



真っ青な晴天に黒い天守がきれいに映えています。





天守へは、各グループや家族単位で警備員さんの指示を受けて、一組づつ間隔を置いての入場でした。

とは言っても、城内を移動するのにそんなに急かされたわけでもなく、割とマイペースに見物することができました。





見どころの一つである月見櫓は工事中で櫓内への立ち入りは禁止。外観も白い幕で覆われてしまっていました。



天守の外へと出てきました。



松本市のマスコットキャラ「アルプちゃん」と松本城天守。



松本城の内堀に沿って天守を眺めながら、車へと戻ります。







北アルプスを眺めると、手前の山脈の隙間から槍ヶ岳がひょっこりと頭をのぞかせていました。



さて、松本城見物が終わり、どこか寄り道をするかという話になりましたが、特に行きたい場所もないとのことで、ひとまず国道158号で高山方面へと向かうことにします。

山に入る前に昼御飯を食べようということになり、たまたま赤信号で停止した交差点の脇にあったレストランへ。

メニューを見るとボリュームのあるものばかり。あんまりお腹が減っていなかったので、メニューの写真を見て「これならいいだろう。」と思って注文したオムライスがこれもなかなかの大盛り(笑)。



小皿1杯分だけ姉に手伝ってもらい、何とか完食いたしました。

新島々駅付近から国道158号は梓川沿いの渓谷へと入っていきます。本当は奈川渡ダムから境峠を越えて木祖村へと出て、そこから国道19号で中津川へ出ていこうかと考えていたら、境峠が通行止めとの表示。

もう一つ県境を越えることができるルートである野麦峠も同じく通行止め。仕方がないので、高山市まで向かうことにします。

「それならば。」とここで1か所、廃道へ立ち寄ることにします。

立ち寄ったのは坂巻温泉。



バス停の先にある新坂巻トンネルの旧道区間が廃道化しているので、母と姉には休憩していてもらい、ひとっ走り様子を見に行くことにします。

バス停のある国道の橋から見下ろすと、古いコンクリート橋が架かっています。旧国道の橋で、下坂巻橋という名称のようですが銘板が残っておらず、はっきりしません。



橋の上にはたくさんのゴムパイプが転がっています。



旧橋から国道の橋を眺めます。



廃道区間へと入り込みます。





50mあまり歩いたところで路肩が崩壊しています。山側を通れば問題は無いので、先へと進んでいきます。





崩落箇所の先から草むらが濃くなってきますが、薄く残っている踏み跡を頼りにザクザクと踏み均しながら歩いていきます。



2つ目の橋が現れました。



こちらは銘板が残っていて「かみさかまきばし」(上坂巻橋)とあります。



「昭和参拾貮年参月竣工」とあります。昭和32年(1957年)ということで、比較的新しい橋です。それ以前はどのような形状の橋が架かっていたのでしょうかね。



橋のすぐ上流側、荒々しい岩肌が姿を見せています。



反対側の橋のたもとには落石してきたのであろう巨岩が横たわっています。この岩が橋の上に落石していたら、上坂巻橋は半壊して渡れなくなっていたでしょう。



また深い草むらになります。ここも路肩がえぐれたように崩落しているので、足元に注意を払いながら進みます。



両側の路肩に標識が残っていました。右側の速度標識は木にもたれかけてあります。



そして廃道はこのすぐ先で完全に崩落していたため、引き返しました。



あらためて標識の写真を撮っておきます。





上坂巻橋へ戻ってきました。



こちら側の親柱の銘版には「犀川」とあります。



「どうして『梓川』ではないんだ?」と思い、帰宅してから調べたら、「『梓川』とは『犀川』上流域を示す別称。河川法上は上高地を水源にする流路は『犀川』と定められている。」ということでした。今まで、松本平で奈良井川と合流するまでが「梓川」で、その先が「犀川」だと思っていたので、勉強になりました。

坂巻温泉まで戻ってきました。



この後は、安房峠道路を通らずに旧国道の安房峠を越えようと思いましたが、こちらも通行止め。代わりに平湯温泉から旧国道を登り、平湯峠へと来ました。





この先は乗鞍スカイライン。現在はマイカー規制のため、自家用車での通行はできなくなってしまっていますが、自転車での通行は可能なため、何台もの自転車が行き交っていました。



この後は、高山市内からせせらぎ街道を通り、郡上八幡へ。ここから東海北陸道に乗り、家路へと就きました。
Posted at 2021/09/26 20:16:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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