• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

小林あにのブログ一覧

2024年04月25日 イイね!

【豊根村】霧石峠への富山漆島側峠道を下見しました

2024年2月18日日曜日、北設楽郡豊根村にある霧石峠へと至る峠道のうち、豊根村富山漆島側からの峠道を下見しに行ってきました。

ところで、昨年12月9日に奈良県の立合川右岸の木馬道の探索を行って以降、廃道探索をしばらくサボっていました。「これでは体がなまってしまう。」ということで、1月27日に過去に探索したことがある新城市の本宮山の廃林道を「散歩」はしました。




とにかく2か月以上サボったので、「もういい加減そろそろ廃道探索を再開しないといけないなぁ。」と思い、だいぶ前から目的地として候補にしていながら、「遠くて面倒くさそうな場所」ということでずっと放置していたこの峠を探索することに決め、取りあえず下見しようとやって来たわけです。

さて、霧石峠は豊根村内にある峠ですが、2005年(平成17年)までは豊根村と旧富山村の境界となっていました。その山深さゆえに、旧富山村へと赴任する者が峠で辞職を申し出たという「辞職峠」の異名を持っています。

こちらは戦前の地形図に記載されている霧石峠と富山漆島側の峠道です。漆島は旧富山村の西側の出入口となる集落で、村の中心地はさらに東に進んだ河内でした。ちなみに現在の河内は、佐久間ダムのダム湖に沈んでいます。

※「ひなたGIS」より引用。

こちらは現在の地形図。霧石峠は記載されていますが、峠と富山漆島を結んでいた峠道は抹消されています。現在の峠道である愛知県道426号は、峠から北方4~5kmにある霧石トンネルまで迂回して山を越えています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらが霧石トンネルです。開通は1974年(昭和49年)10月。それまでは霧石峠を自動車で往来することはできませんでした(前述のとおりトンネルは霧石峠から離れた場所にあります。)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まずは漆島までやって来ました。同じ愛知県内なのに、自宅のある安城市からここまで3時間半ほどかかりました(休憩含む)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

正面に見えている山に峠道が通っていました。


昔々、旧富山村から豊根村にかけては「熊谷氏」という一族が勢力を誇っていたようで、駐車場所の横にもこのような説明板が立っていました。


それでは、峠道が通っていた山へと進んでいきます。




戦前の地形図と山を見比べながら歩いていくと、怪しい場所がありました。入り込んでみます。


さっそく峠道に当たったようです。


「幸先良いな。」と思ったのも束の間、すぐに林道に削られてしまっていました…。


一旦林道へと下りて、登りやすそうな場所を探します。


ここからなら何とか斜面を登っていけそうです。


石垣が現れたので「峠道か?」と思いましたが、どうやら田畑跡のようでした。




もうしばらく斜面を登っていくと、ようやく峠道の続きに遭遇しました。


道筋を辿っていったところ、程なくして沢に突き当たり、見失ってしまいました。




ちょっと手前に戻り、斜面を見上げてみると何となく道らしき筋が見えます。ご覧のとおり丸太や落ち葉が散乱している状況で、どうせ正確には辿れません。「それらしい雰囲気」を頼りにして、さらに登っていきます。


所々、道筋がわかる部分があるので、その部分を頭の中でつなげながら少しづつ進んでいきます。


炭焼き窯の跡。


斜面の上部まで来て、ようやく道筋が安定してきました。こうなってくればひとまず安心です。








稜線に出て、折り返して進みます。この時点で13時半を回ったので、14時を目途にして進むことにします。




ふたたび斜面を横断して進んでいきます。




峠道が崩落している場所に遭遇しました。谷側は下まで20mくらい急傾斜で崩れていて、山側も急斜面で踏み跡もない状態。今回はここで引き返すことにしました。


今回下見したルート図です。霧石峠までの距離を考えると全然序盤ですが、ひとまず峠道へと取り付けることがわかっただけでも良しとします。次回探索時は、まずこの小崩落地を越えられるかがポイントですね。
Posted at 2024/04/25 00:05:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2024年04月21日 イイね!

「新城ラリー大感謝祭」へ行ってきました

2024年2月11日日曜日、新城市の桜淵公園で開催された「新城ラリー大感謝祭」へ弟と行ってきました。

この感謝祭が開催されると知った時には、すでに会場駐車場のチケットは売り切れ。仕方がないので、会場からは離れていますがJR新城駅前のコインパーキングに車を停めて、30分あまり歩いて桜淵公園へとやって来ました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「雨の新城ラリー」とよく言われたものですが、爽やかな好天となりました。




こちらは岡崎市から新城ラリーへのメッセージですかね。


開始時間前に到着したので、会場内はまだ閑散としています。


今回の目玉であるモリゾウ選手のデモラン用のGRヤリスRally1。2024年バージョンのカラーリングになっています。


新城ラリーへの寄せ書き。地元密着型で長年開催してきたので、愛着を持っている方は多いでしょうね。


練習走行が終了して砂まみれになったインプレッサを洗車中。


開催時間になると一気に観客が増えてきました。この公園がラリー会場だった頃を思い出します。


デモランが終了すると、デモ車は外周を回って観客とハイタッチ。最近では安全確保のためか、こういった光景はあまり見られなくなってしまいました。


デモラン前に時間が空いたとのことで、急きょモリゾウ・小林可夢偉・中嶋一貴の3名によるトークショーが開催。地方都市で開催されていた国内ラリーの閉幕イベントとしては実に豪華な顔ぶれです(笑)。


モリゾウ選手によるデモラン。写真はデモラン後の外周走行のものですけどね。中学生を同乗させた時は多少緩めに走るのかと思って見ていたら、いつも通りに激走していて笑ってしまいました。




デモラン終了後、そのままグラウンドに展示されたラリーカーを撮影。






最後は大会関係者一同からお礼のあいさつがあり、餅投げをしてイベント終了となりました。


会場で同乗抽選券と一緒に販売されていた「新城ラリー開催記念誌」。同乗抽選には外れましたけど、冊子は良い記念になりました。


開催翌日の中日新聞地方版ページに開催記事が掲載されました。


私がラリーに興味を持ったのは1994年からですが、長らく身近で本物を観戦する機会は無くて、2001年・2002年に群馬県で開催されたアルペンラリーや、岐阜県高山市で開催の全日本戦のラリーハイランドマスターズを観戦したくらい。あとは本や映像を見るだけでした。

それが地元愛知県内で地方戦ながら新城ラリーが新たに開催されることになり、弟に誘われる形で観戦するようになりました。やがて全日本戦へ格上げになり、多くのチームが参戦するようになったのに比例して、観客もどんどんと増えていき、全日本戦では最も観客動員数が多いラリーとなりました。

そんな中で、2013年から2015年は併催だったTRDラリーチャレンジへ弟と組んで出場し、一部とはいえ全日本戦と同じSSコースを走り、観客のみなさんから声援を受けたりハイタッチされたりなど、参加選手側での貴重な体験も味わえました。

これからは蒲郡市を開催地とするラリー三河湾へと移行するわけですが、どうなっていくのかな。期待半分、不安半分。新城ラリーの良い部分をさらに伸ばしてもらえると嬉しいですね。
Posted at 2024/04/21 21:31:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新城ラリー | 日記
2024年03月23日 イイね!

【奈良県宇陀市】室生寺へ行ってきました

2024年1月6日土曜日、弟の誘いで奈良県宇陀市にある室生寺へ行ってきました。室生寺は昔から何度も訪れているお寺ですね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

仁王門をくぐり、境内へと入ってきます。




金堂。平安時代初期の建立で、国宝に指定されています。




弥勒堂。鎌倉時代の建立で、重要文化財に指定されています。


本堂。鎌倉時代の延慶元年(1308年)の建立で、国宝に指定されています。


五重塔。平安時代初期である延暦19年頃(800年頃)の建立で、国宝に指定されています。屋外に立つ五重塔では国内最小で、総高は16.1mだそうです。平成10年(1998年)の台風により倒木が直撃して大きな被害を受けましたが、2年がかりで修復されました。


さて、ここからさらに奥にある奥之院へと歩いていくことにします。




巨木に囲まれた参道を進んでいきます。




赤い橋を渡ると急斜面を登っていく石段が現れます。


傾斜が急で、一段一段の幅も狭いので、のんびりゆっくりと登っていきます。






石段を見下ろしています。登るのはキツイですが、下る方がより危ないですし、膝に来ますからね(笑)。無事に戻れることを祈ります。


奥之院までもう一息です。


常燈堂の懸造り部分の横を通り抜けます。


奥之院に着きました。こちらが常燈堂(位牌堂)。


右側の建物は御影堂。室町時代前期の建立で、重要文化財に指定されています。


境内と奥之院を巡った後は寶物殿に立ち寄り、仏像などを見学。ちょうどお昼になったので、門前の飲食店でそばと吉野葛餅をいただきました。


これで今回の予定は終了。我が家の習慣として、元来た道で素直に帰らずに、ぐるりと大回りして帰ることにします(笑)。

室生寺から南方向へと向かい、国道368号まで出たら東方向へと走行します。以前、この辺りで旧伊勢本街道の明治時代の新道にあったトンネルを探索したことがあります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

国道368号をひたすら東方向へと走行。少しだけ国道から離れてJR名松線の伊勢奥津駅前と奥津の集落内を素通り。すぐに国道に戻り、飼坂トンネルを通過して、上多気の道の駅で飲み物を購入。上多気からは県道を北上していきます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

飼坂トンネルの周辺も、以前に荷車道と思われる廃道を探索したり、北畠氏館跡庭園を訪れたりしました。

上多気からの県道をのんびり走行して君ヶ野ダムへ。特に寄り道するつもりはなかったのですが、どうにも眠気が酷くてここで仮眠してました(笑)。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ひと眠りした後、眠気覚ましにダム周辺を歩きつつ写真撮影。






この後は津市久居へと出て、伊勢道久居ICから高速道路に乗って帰宅しました。
Posted at 2024/03/23 00:03:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2024年03月20日 イイね!

柿田川公園と山中城跡へ行ってきました

2024年1月2日火曜日、正月休みの内にドライブへ行こうと、姉弟3人で静岡県駿東郡清水町にある柿田川公園へ行ってきました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

柿田川公園は、富士山からの地下水が湧水する柿田川湧水群を観察することができる公園として知られた場所です。湧き出る水量は日量100万トンとも言われています(全然ピンと来ませんが。)。


水底から水が滾々と湧き出る様子を眺めるのは飽きませんね(笑)。




この公園を水源地とする柿田川の流れ。


公園内を移動して、別の湧水地へとやって来ました。こちらの円筒状の井戸跡は、1981年4月までこの地にあった大東紡織三島工場が利用していたものだそうです。


井戸跡の水の色は鮮やかな青色で、とても綺麗です。


あと、個人的に興味を引いたのは井戸跡の外壁。煉瓦積みになっています。ネットで調べてみると工場が操業開始したのが大正7年(1918年)。仮に操業時からのものであれば105年前のものになりますね。




散策を続けます。


柿田川沿いの散策路を歩いていくと、こちらにも井戸の跡がありました。




雨が降る中、散策路を進んでいきます。


ゆったりとした柿田川の流れ。


あちらこちらから水が湧いているためか、川べりは湿地帯となっています。




公園内をぐるりと散策して、今回のドライブにおける当初の予定は終了。このまま帰るか他へ行ってみるかという話になり(最近はこのパターンが多い(笑)。)、結局、私が行ってみたい場所へ行くことになりました。

やって来たのは三島市内の箱根山中腹にある山中城跡。後北条氏により天文年間から永禄年間(1530年代~60年代)に築城された城です。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際に東海道筋の守備の要として増強され、兵4000名により守備されていましたが、豊臣軍6万8千の圧倒的な軍勢に攻められて半日で落城したそうです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

興味の無い姉は「車で寝てる。」とのことで、弟と二人で城内見物することにします。


城跡があるのは標高500m余の高所。降り続く雨の中、霧がかかっています。


山中城跡の特徴の一つ、畝堀が現れました。堀の中に高い畝を設けることで、敵兵の行動を制限する仕組みですね。




そして障子堀が現れました。畝を障子の桟のように築いて堀の中を区切ることで、敵兵の行動を制限する仕組みです。山中城跡と言えば「障子堀」と言うくらい、この城の大きな特徴ですね。


現在の状態を見ると、畝の幅は人が歩けるほどありますし、表面は芝生に覆われているので、本当に敵兵から防御できるのか疑問に感じるところです。


これは本来の遺構を保護するために土を厚めに盛ってから芝を植えたもので、実際は畝の頂点は尖らせてあり、斜面は赤土剥き出しにして登りにくくなっていたそうです。


正直言って、この堀が見たくて山中城跡まで足を伸ばしました。あいにくの天気でしたが、いろんな角度から眺めて堪能させていただきました(笑)。








「史蹟 山中城趾」の石碑。山中城跡は昭和9年(1934年)に、当時の史蹟名勝天然紀念物保存法により国の史跡に指定されています。


この後も城内を散策しつつ、城跡の様子を見物しました。こんな天気でしたが、私たち以外にも何組か見物に訪れている方々がみえました。


















城跡を一巡してきたら旧国道1号線へと出てきました。駐車場までは坂を少し下っていくことになります。


旧東海道へと直進し、駐車場へと戻りました。駐車場へと戻ると観光バスが駐車していて、「正月三が日からこんな場所へ来るなんて、城好きな人がたくさんいるんだなぁ。」と思いましたね(私もですけどね(笑)。)。


帰り道は国道1号を引き返さず、さらに箱根峠まで進み、そこから霧の中の芦ノ湖スカイラインへと進みます。そして、目に留まった広場に駐車。


石碑に「三国峠」とありました。晴れていれば、この場所から雄大な富士山を眺めることができたようですが、一面真っ白でした…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

その後はこのまま長尾峠まで進み、御殿場の街へと下って御殿場ICから東名高速に乗って帰路につきました。

そして、牧之原SAでいつも通りの晩御飯(笑)。
Posted at 2024/03/20 14:24:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2024年03月07日 イイね!

【奈良県十津川村】立合川右岸の木馬道を探索する(3)

2023年12月9日土曜日、奈良県吉野郡十津川村を流れる立合川右岸の木馬道を探索してきました。

立合川右岸の木馬道については2023年11月18日に初めて探索しましたが、その時は通過不能な崩落地に遭遇したため撤退しました。今回はその崩落地を迂回して、さらに奥地へと探索を進めることを目的としています。

当日9時25分頃、前回探索時にも駐車した国道169号小松トンネル付近の路肩へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

国道169号立合川橋から立合川上流を眺めます。最初に来た時はこんなに何度も訪れるとは思っていませんでした(笑)。


前回探索した時と同じように、立合川橋の西側のたもとから近畿自然歩道へと入っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まずは前回撤退した場所を目指して木馬道を進んでいきます。






前回撤退した崩落地に到着しました。駐車場所から約1.6km、1時間20分ほどかかりました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、この場所からはふたたび迂回ルートを探す必要があります。まずは立合川上流方向へと進めそうな場所を見つけるため、この急斜面を登っていきます。


上流方向へと移動できる平場を見つけたので進んでいきます。


程なく行き止まりとなってしまいました。ここからさらに高い場所へと迂回する必要があるので、この柔らかい土が積もった斜面に長靴で足場を作りながら慎重に登っていきます。もし足元が崩れて転んだら、そのまま斜面を滑り落ちて谷底へと真っ逆さまです。


土の斜面を登り切ると、今度は写真右側の木を手すり代わりにして、さらに土が被った岩場を登っていきます。


ふたたび水平移動できる場所を見つけて進んでいくと、無数の尖った石が転がる傾斜地へと出てきました。この傾斜地を利用して、今度は木馬道への復帰を目指して下っていきます。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

行けるところまで下っていってみましたが、木馬道まではたどり着くことはできず、また上流方向へと移動していきます。




歩き進めていくと下側へと向かう踏み跡を見つけました。もしかしたら木馬道まで続いているかもしれないので、進んでいってみることにします。


歩いてみると、この踏み跡は獣道ではなく、人が歩くために造られた道のようです。しかし、すっかり荒れ果てているので、歩くのになかなか難儀しました。


目論みどおり、木馬道へと復帰することができました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここは道幅もしっかりあって、きれいに道が残っています。


倒木と落石。ちょっと路肩から身を乗り出すのは怖いですが倒木を跨ぎ、落石は山側へと迂回して進みます。


いやぁ、なかなかの高所を通ってますね。これくらい幅があるならあまり怖くはないですが。


またしても木馬道が途絶してしまいました。また迂回ルートを探さないといけません…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみに、ちょっと見づらいですが、写真の黄色枠内の岩壁を見ると逆コの字型に掘削されています。ということは、おそらく私の立っている場所から岩壁に向かって桟道が架かっていたということですね。


ふたたび急斜面を登り、迂回できるルートを探しつつ上流方向へと歩いていきます。


植林地へと出てきました。この傾斜なら下方向へと下ることができるので、木馬道への復帰を試みてみます。


木馬道が見えました。急ぎ足で行きたいところですが、足元は枝葉と間伐された丸太に埋め尽くされているので、ゆっくりとしか進めません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

岩を切り取って開削された私好みの道ですね(笑)。




谷側の路肩は石垣が組まれているようです。


あんまり距離はないでしょうが、確認のため行けるところまで下流方向へと進みます。


さらに2分ほど歩いたところで木馬道は途切れてしまいました。この先に道があったような痕跡は見い出せないので、桟道が架けてあったのかもしれません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

木馬道へと復帰した植林地まで引き返します。




ふたたび木馬道を上流側へと進んでいきます。


植林地が比較的緩やかな地形だったので、しばらくは元の幅の木馬道が続くのかと淡い期待を抱きましたが、すぐに荒れた道跡になってしまいました。






ふたたび現れた植林地では元の道幅に戻ります。


ガレた斜面を横断していきます。


岩の隙間に石を詰め込んで路盤を造成してあります。


岩の切り取り工。


ここも石垣道になっていますね。


そして、ふたたび木馬道が途絶してしまいました。対岸の黄線を引いた段差が木馬道の痕跡だと思われます。時刻はすでに13時過ぎ。また急斜面を登って迂回ルートを探すのは骨です。今回はここで引き返すことに決めました。


場所はこちら。駐車場所から約2.5kmの地点で、ここまで2時間15分かかりました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

立合川が流れる谷を見下ろしています。左岸側の木馬道でもそうでしたが、渓谷の険しさゆえに、木馬道から立合川の流れを見ることは全くできません。




それでは駐車場所へと引き返していきます。この木馬道の探索では迂回ルートでの移動を繰り返しているので、当然帰り道も木馬道から外れたアップダウンの激しい道のりになります。

しかもできる限り正確に往路で歩いた迂回ルートをトレースする必要があります。もし違う場所に出てしまって迷子になると、正しいルートへ戻るために引き返すなど、無駄な労力を使う羽目になるため、全く気が抜けません。




初回探索時の引き返し地点までは無事に戻ってきました。この後もまだまだ危険箇所があるので、気を引き締めていきます。


さらに初回引き返し地点から歩くこと約50分、近畿自然歩道への合流地点に戻ってきました。ここまで来れば一安心です。


朝と同じように国道169号立合川橋から立合川の上流方向を眺めます。


今回も何とか無事に駐車場所まで戻ってくることができました。立合川右岸の木馬道の探索、私にとってはなかなかハイリスクな探索でした。


今回の探索ルート図です。赤線が今回新たに探索した区間になります。往復距離4.8km、活動時間5時間40分の探索でした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「もう訪れることは無いかもなぁ。」と思いつつ、まだ先へと進めるのではないかという気持ちも当然あります。しかし、いかんせん左岸側に比べて右岸側の木馬道は残存具合が悪すぎて、探索の成果を得るのにかかる労力と危険度合いが高すぎる気はします。まあ、どちらにしても当面再アタックしないのは間違いないですね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
Posted at 2024/03/07 21:01:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 立合川木馬道 | 日記

プロフィール

「【豊根村】霧石峠への富山漆島側峠道を下見しました http://cvw.jp/b/1796277/47676277/
何シテル?   04/25 00:05
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/4 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324 252627
282930    

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

東海道本線旧牧之原隧道と宇津谷隧道 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/12/10 07:32:18

愛車一覧

スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
所有4台目(4代目)となるインプレッサ。 ガチガチのマニアというわけではないですが、4 ...
スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
平成16年夏に購入。 自身3台目のインプレッサとなります。 購入理由は、2台目インプレ ...
スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
平成9年夏購入。 インプレッサ2台目。 行きつけの車屋さんへタイヤ交換の依頼をしに行っ ...
スバル インプレッサWRX スバル インプレッサWRX
平成7年夏購入。 インプレッサ1台目。 購入動機は、WRCのビデオを見たのが一番。 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation