2022年8月7日日曜日、愛知県新城市作手白鳥から作手保永にかけて残る旧見代発電所の取水堰堤跡、取水路跡及び沈砂池・水槽跡を探索しました。実は、旧見代発電所の取水堰堤跡等の遺構を訪れるのはこれで6回目になります。
過去の訪問履歴は以下のとおりです。
・2009年2月18日:取水堰堤跡から取水路跡を辿り沈砂池・水槽跡まで踏破。
・2009年2月21日:旧見代発電所建屋付近から水圧鉄管用のコンクリート製台座を辿って沈砂池・水槽跡へと登り、取水堰堤跡までを往復。
・2015年9月27日:取水堰堤跡から取水路跡の途中まで。
・2015年9月28日:取水堰堤跡から取水路跡の途中まで。
・2016年3月18日:取水堰堤跡から取水路跡を辿り沈砂池・水槽跡まで往復。
今回訪れた目的は、過去の訪問時の写真はガラケーで撮影したものなので、デジカメで写真を撮り直すこと、各遺構の場所と取水路ルートのGPSデータを取ること及び遺構の現状確認です。
ここで旧見代発電所の来歴について簡単に説明します。
本発電所を建設したのは豊橋電気株式会社(現存せず。)。元々は豊橋市内を流れる牟呂用水に水力発電所を所有していましたが、急増する電力需要に対応するため、旧作手村を流れる巴川に新たな水力発電所を建設することを計画しました。発電所は明治41年(1908年)3月に完成し、同年5月から豊橋市への送電を開始。ちなみに発電所がある地元集落21戸にも配電されたそうです。
ただ、この発電所は巴川からの取水量の不足に常に悩まされており、計画どおりの発電能力を発揮することはなかったようです。そのため、豊橋電気は早々に豊橋市内に火力発電所を増設する羽目になっています。そして旧見代発電所は昭和34年(1959年)に廃止となりました。
それでは探索に入ります。なお、しばらくは本題とは関係のない場所をさまようことになりますので悪しからず(笑)。
新城市作手白鳥を通る国道301号の路肩へとやって来ました。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
本当はもう少し新城方面へ向かった先にある国道301号のミニ廃道へ駐車したかったのですが、虎柵が設置されて車では入り込めなくなってしまったので、ここに駐車しました。
国道の歩道をしばらく歩き、路肩に設置されている階段から巴川へと降りていきます。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
過去に訪れた時は、このまま巴川の浅瀬を対岸へと渡渉して取水堰堤跡へと向かっていましたが、今回は水量が多く、長靴では渡ることができません。
渡ることができる場所を探して、ひとまず取水堰堤跡とは反対となる上流方面へと進んでいきます。
遠目には良さげな場所はあるのですが、いざ川の中へ踏み込んでみると結構深く、どうしても渡ることができません。
歩いていくうちに、川の両岸に石積みの橋台跡を見つけました。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
周りに何もない山の中に残る橋台にしてはなかなか立派な大きさです。
戦前の地形図で確認してみたところ、該当する橋が載っていました(橋名は不明。)。旧挙母街道とこの奥にある野郷集落を結ぶ道の橋跡でした。
※5万分の1地形図「御油」:明治23年(1890年)測図、大正7年(1918年)修正測図、昭和2年(1927年)鉄道補入、昭和4年(1929年)発行。
さらに上流へと歩いていきますが、なかなかいい場所が現れません。
ようやく石の上を飛んで対岸へと渡ることができる場所を見つけました。
橋台跡まで戻ってきました。
この時は取水堰堤跡へ行くことはどうでもいい感じになってきていて(笑)、橋台跡から野郷集落へ向かう道を進むことにしました。
もう少しで道路へと出られるという所で、行く手を獣害防止用の網に阻まれてしまいました…。昔は集落と街道を結ぶメインルートだったはずなのに…。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
道路へと出られないのなら引き返すしかありません。戻る道すがら、途中にあった二股を左へと進んでいきます。
進んでいくと、程なくして沢の対岸に林道が見えてきました。
また取水堰堤跡へと向かう気になってきたので、地形図を確認して林道へと進むことにします。
続いて、分岐路を左へと進んでいきます。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
いかにも林業用の作業路といった趣きです。急坂で路面には大粒の砂利が散らばっているので、非常に歩きにくいです。
あわよくば地形図に載っていない古道が続いていればと期待しましたが、作業道がブツンと途切れた先には何もありませんでした。まあ、取水堰堤跡までは大した距離ではないはずなので、そのまま進んでいきます。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
急斜面に付いている細い踏み跡を進んでいきます。
ようやく最初の目的地が見えてきました。本当なら車から15分~20分で着くところを1時間半もかかってしまいました。
旧見代発電所取水堰堤跡です。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
以前に来た時は堰堤の越流部からそのまま川の本流が流れ落ちていましたが、流路が砂で埋まったためか、ほとんどの水量が取水口へと流れ込んでいます。
堰堤の上に大量の篠竹が絡まっています。増水時に引っかかって堆積したものでしょう。
堰堤の先へと歩いていくスペースを作るため、しばらくの時間、枯竹を揺すって移動させたり、篠竹を引っこ抜いて川へと放り込んだりしていました。
堰堤の越流部です。廃止から60年以上も経過しているので、堰堤のコンクリートは水流による浸食を受けてボロボロです。
取水口の吐口側です。
取水口で飲み込まれた水流は、取水路の側壁に開いた大穴から流れ出て、本流へと戻っていきます。
普通、廃止の際は取水口自体を封鎖するものだと思いますが、この堰堤の取水口は封鎖されておらず、水がどんどんと流れ込んできます。そのため、取水路の側壁の大穴は、廃止時にわざとあけた可能性もあります。
大穴から先の取水路跡の様子。
下流側から眺めた取水堰堤跡と大穴。
大穴の先の取水路跡の上部に、完成時に設置された銘板が残っています。
この銘板には「豊橋電気第一水源」の表題と工事関係者の役職・氏名、起工・竣工年月が刻まれています。明治40年(1907年)6月起工、同年11月竣成(竣工)とありますが、表題には「第一水源」とあるので、これは取水堰堤もしくは取水施設全体の起工・竣工年月を表していると考えられます。
それでは、取水路跡へと歩を進めていきます。
取水路跡の脇に建物の土台と思われるコンクリート製の構造物が残っています。おそらくは取水施設の監視・保守用の建物が建っていたのでしょう。
取水路に付属する構造物が見えてきました。
この枡形は余水吐だと思われます。ここで取水路へと流す水量を調節していたのでしょう。
さらにもう少し進むと2つの穴が開いたコンクリート構造物が残っています。この場所で取水路が石造開渠から2本の鉄管へと切り替わっていたのでしょう。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
その(2)へ続く。