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小林あにのブログ一覧

2022年09月17日 イイね!

旧見代発電所「取水堰堤跡」・「取水路跡」・「沈砂池・水槽跡」(4)

2022年8月7日日曜日、愛知県新城市作手白鳥から作手保永にかけて残る旧見代発電所の取水堰堤跡、取水路跡及び沈砂池・水槽跡を探索しました。

前回(3)の最後の急傾斜地を通過し、さらに先へと取水路跡を進んでいきます。






枯れ沢を横断していきます。




枯れ沢を横断した先の路盤にはコンクリート製の枕木が並んでいます。取水堰堤跡からここまででは見かけなかった遺構ですが、木樋・鉄樋の土台となるものでしょう。他の箇所では土に埋もれてしまったのかもしれません。




背の高い擁壁が続いています。


ここにも枕木が顔を出しています。




ここまで来れば終点までもう間もなくです。


ようやく取水路の終点となる「沈砂池・水槽跡」に到着しました。序盤は大回りをしましたが(笑)、車から4.5km、3時間半の道程でした。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「沈砂池・水槽」の規模は水深のある25mプールといったイメージ。この規模では、やはり発電用の水を「貯水」しておく場所ではなく、取水路を流れてくる土砂や障害物を取り除いて、発電所へと水を落とし込むだけの場所「沈砂池・水槽」なのでしょう。




こちらは余水吐。過剰に流れ込んできた水を流出させる場所です。


金網から内部がわずかに見えています。しゃがんでフラッシュを焚いて撮ってみましたが、うまく光が内部に届かず、真っ暗にしか写りませんでした。


「沈砂池・水槽跡」の内部へと下ります。

余水吐。上部は越流部になっています。下部にも穴が開いていますが、おそらくこちらは溜まった土砂を流し出すための排砂口でしょう。




排砂口の開閉に使用されたのであろうハンドルが残っています。


取水路跡を振り返っての眺め。


こちらは発電所へと水を送り出すための送水口。




取水路・余水吐・送水口はこんな配置になっています。






送水口部分の外観です。半円形の形状をしています。




発電所へとつながる水圧鉄管を支えていたコンクリート製の台座。この場所から発電所までは落差が110mあります。


余水吐の外観。




余水吐の外観も半円形の形状をしています。送水口の方は一部破壊されてしまっていますが、こちらは往時の形状をそのまま保っているようです。西洋の城砦を思わせるような雰囲気があり、最初に訪問した時から気に入っています(笑)。






さて、時刻はすでに16時15分。翌日は仕事がありますし、日暮れも間近に迫っています。余水路跡を辿って一気に麓へと下りて、県道435号・国道301号を歩いて車へと戻ることにします。


これで「沈砂池・水槽跡」とお別れです。次に訪れるのは何年後になるのでしょうか…。


余水路跡に残る台座や鉄管を横目に急斜面を一気に滑り落ちていきます。










麓へと下りてきましたが、どうやらこの先は民家の庭先となってしまったようです…。もうしばらく山の斜面を迂回して県道へと出ることにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

県道435号へと脱出しました。せっかくなので旧見代発電所の建屋を見に行きます。


旧見代発電所の建屋です。発電所廃止後もいろいろと使われていたようですが、現在は空き家のようです。建屋自体は現役当時のものがそのまま残されています。




発電機を通過した水を巴川へと流すための排水口の跡。


排水口の内部は煉瓦アーチですね。せっかくなら取水路とか沈砂池・水槽にも煉瓦を積極的に使用していただきたかった。取水路跡に煉瓦アーチ橋とか残ってたら最高だったのに(笑)。


ここからは疲れた体を押して、ただ黙々と車まで歩いて戻るのみです。

県道435号から国道301号へ出た地点、国道は大きなS字カーブを描いて作手白鳥地区へと登っていきますが、疲れているので無駄に大回りをしたくない…。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

そこで、現地に残る旧挙母街道をショートカットしました。最後に国道の法面を登るのが大変でしたが(笑)。




17時50分、無事に車へと戻ってきました。


今回歩いた行程図です。歩いた距離は8.8km、時間は6時間超でした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回6回目の探索となりましたが、遺構の現状確認のつもりで出かけて、新たな発見が2つもあり(要は気付いていなかっただけですが…。)まずまず実りある探索となりました。

水路トンネル、もう少し詳しく見てみたい気はします。発電所の建設・保守の記録でも閲覧できれば設置年月や構造はわかるのでしょうが…。その(3)の中で書いたとおり堂々と掘削道具を持っていくわけにはいきませんが、もしこの先また訪問することがあるなら坑口を太い枝などを使って少し掘り起こしてみようかなぁ。
Posted at 2022/09/17 10:15:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・発電関係施設 | 日記
2022年09月11日 イイね!

旧見代発電所「取水堰堤跡」・「取水路跡」・「沈砂池・水槽跡」(3)

2022年8月7日日曜日、愛知県新城市作手白鳥から作手保永にかけて残る旧見代発電所の取水堰堤跡、取水路跡及び沈砂池・水槽跡を探索しました。

前回(2)の最後では、橋脚の一部と思われる枝打ちしただけの材木が台座に立っているのを確認しました。


材木が立っていた沢を渡り、対岸に残る取水路跡を進んでいきます。


ふたたび石造開渠が現れましたが、短い距離でまた無くなってしまいました。何でこんなに取水路の形式が目まぐるしく変わるのだろか?意味がわかりません。石造開渠で漏水が酷くなると木樋や鉄樋に置き換えていたのでしょうか?






枯れ切った倒木をくぐって進んでいきます。


山側に背の高い擁壁。石積みですが、この取水路跡では珍しく目地をコンクリートで埋めてあります。土圧に負けてきているのか、岩壁から剥離しています。


急傾斜地に来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

取水路を通すだけの幅が確保できないので、水路橋で急傾斜地を通過しています。その名残であるコンクリート製台座が斜面に連なっています。




振り返っての写真です。この場所は、台座の上部に付いている踏み跡を歩いて通過しました。


次に現れたのは、取水路が通る路盤が半分になっている場所。幅は狭くなっていますが、その箇所は練積みの石積み擁壁できちんと土留めされています。


なぜこんな形に施工してあるのか最初に訪れた時はピンと来ませんでした。

おそらくは、この箇所の路盤が崩落してしまい、崩落箇所を擁壁で土留めした後、水路橋で通過するように変更したのだと考えられます。


歩いて通過するだけの幅はありますが、あまりいい気分ではないですね。


振り返っての写真です。自分の推測の根拠である水路橋の橋脚用台座が擁壁の下に顔を見せています。


その先にある急傾斜地を横断していきます。


両側面を石垣で固められた築堤です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

中央部分は陥没しています。斜面の上部から流れてくる水で、築堤の基礎部分が抉られてしまったのでしょう。


沢の流れに残る台座。


弧を描いて残る石積み擁壁。森林鉄道跡のようです。


また石造開渠が現れましたが、この場所でもあっけなく終わります。






そして、取水路跡の路盤が消えました。目印となる台座などの遺構を探しながら斜面を横断していきます。


反対側に残る石垣を目指して取水路跡へと登り直します。


また少しだけ石造開渠。


枯れ沢に台座が残っています。


枯れ沢の先にある急傾斜地。ここにも点々とコンクリート製台座が並びます。




台座の一つに橋脚の根元が残っています。


急傾斜地を渡り、緩やかな場所へと出てきました。ここで、今までの訪問時に全然気が付かなかったものに目が留まりました。矢印の場所です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

これは水路トンネルのようです。今まで何で気付かなかったのだろうか…。


取水路跡は谷へと張り出している山の稜線を取り巻くように進んでいきますが、この区間をショートカットするために水路トンネルを設けたと思われます。


残念ながら、水路トンネルは吞口からすぐの場所で崩落しており、この水路トンネルが素掘りだったのかコンクリート巻き立てだったのか、確認はできませんでした。


張り出した稜線をぐるりと迂回して進みます。






水路トンネルの吐口と思われる場所へ来ました。


場所はこちら。


山の斜面へと向かって石積みと思われるものが二列並行して残っています。おそらくこの場所が水路トンネルの吐口だったのでしょう。




この場所をショベルで掘り返してみたい気もしますが、人様の土地でそんな勝手はできませんし、ここまでショベルの担いでくるのも大変ですからね(笑)。

それでは先へと進んでいきます。


石造開渠です。


側壁の石積みが谷側へと倒れ込んでいます。


この辺りはきれいな形で残っています。しかし、こうやってあらためて眺めると細い水路です。取水していた巴川は確かに小さな川ですが、設置した発電機の能力を踏まえて、この水路のサイズになったのでしょう。


カーブの部分でまた側壁が崩れています。


沢が流れる深い凹地です。こんな場所を歩いていて何ですが、沢とか谷とかをいちいち降りて登るのは体力へ地味にダメージが来るんですよね(笑)。


この場所にも台座が点々と残っています。




登った先の取水路跡の真ん中に杉が生えています。いやぁ本当にどこにでも植林しますよね。


巨岩が転がる沢。岩の隙間で足を踏み抜かないように注意して渡ります。


奥へと緩くカーブしていく取水路跡。


短く残る石造開渠。取水路跡を奥へ進むと石造開渠はこんなパターンばっかりですね。






そして、取水路跡の路盤が途切れます。


そして、台座が点々と残る。


対岸の石垣。橋台のように石垣上部に段差が設けられています。この場所は橋桁を渡して、その上に木樋・鉄樋を載せるような形式だったのか?


また急傾斜地を進んでいきます。


急傾斜地の途中にある石垣。水路橋の土台でしょう。


小さな台座が連なる場所に来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

前に現れた小さい台座が連続する場所よりも険しい斜面です。小刻みに台座が連なっており、現役当時はどんな光景だったのか見てみたいものです。




振り返っての写真です。斜面の土質は硬く引き締まっていて、残っている踏み跡に長靴で新たな足場を付けようにも容易ではなく、渡って進むには少々緊張する場所です。




それでは渡った先の取水路跡を進んでいきます。ここまで来れば、取水路の終点である「沈砂池・水槽跡」まではもう一息となります。


※その(4)へ続く。
Posted at 2022/09/11 19:03:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・発電関係施設 | 日記
2022年09月04日 イイね!

旧見代発電所「取水堰堤跡」・「取水路跡」・「沈砂池・水槽跡」(2)

2022年8月7日日曜日、愛知県新城市作手白鳥から作手保永にかけて残る旧見代発電所の取水堰堤跡、取水路跡及び沈砂池・水槽跡を探索しました。

前回、その(1)では取水路跡をここまで進んできました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここまでは地面に取水路跡が残っていましたが、この先は低くなった斜面にコンクリート製の支柱を立てて、空中に鉄管を渡していたようです。支柱の上部は、鉄管を受けるために凹んだ形になっています。




低くなった斜面を渡った先の地面には、鉄管を受ける台座が残っています。


そして2本の鉄管であった取水路は、ふたたび1本の鉄樋か木樋へと集約されます。




この先にある台座を見ると、鉄管の時のような凹みは無く、取水路が函型の鉄樋か木樋になったことが推測できます。また、手前側に残る台座からは、背の低い橋脚が設置されていたこともうかがえます。




その後はさらに石造函渠へと姿を変えます。


ここで旧見代発電所「取水路跡」についてのデータをほんの少々ですが紹介します。

取水路の総延長は2,439.93m。取水路は取水口から沈砂池・水槽跡へ向けてほぼ等高線に沿って設置されており、取水路の形式は、石造開渠・鉄樋・木樋・鉄管が地形などに合わせて選択されていたようです。鉄樋・木樋・鉄管については残存している遺構は無く、石造開渠や水路橋のコンクリート製支柱・台座が点々と残っています。

さて、沢の対岸にコンクリート製の構造物が見えてきました。パッと見、橋台に見えてしまいますが、実は違います。


沢へと下りて、構造物を眺めています。




間近へ来ると、先ほどから何度も現れている取水路を分岐させるための構造物だとわかります。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この構造物の先にも鉄管を受ける台座が残っています。




1分ほど歩くと、また1本の鉄樋か木樋に集約されます。水路橋を掛ける場所によって鉄管にしたり、樋(とい)にしたりとしていますが、特に規則性は感じられません。




急斜面になりました。取水路跡はおそらく写真に書き込んだようなルートを水路橋で渡っていたと思われます。実際には水流の妨げになるので、カーブを描いていたのでしょう。


この取水路跡では特徴的な構造物と言える暗渠(吞口側)へとやって来ました。




場所はこちら。


暗渠の中を覗いてみます(写真はピント合わせの光量が足らずピンボケです。)。緩やかにカーブしているとは言え、距離はそんなに長くはないにもかかわらず、反対側からの光が見えません。どこかで埋没しているのかもしれません。


暗渠区間の山側には石積みの擁壁が設けられています。かつてはこの区間も開渠だったのかもしれません。


暗渠の反対側(吐口側)です。この先の取水路跡も緩やかにカーブしています。




反対側からも暗渠の中を覗いてみましたが、やはり真っ暗でした(この写真もピンボケです。)。


暗渠の先は石造開渠となっていましたが、すぐに石垣が姿を消してしまいます。石垣が無くなった場所から先の取水路は、鉄樋か木樋になったのだと思われます。


沢へと来ました。水路橋の支柱を支えるコンクリート製の台座がいくつも残っています。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここで、コンクリート製の台座に木材が2本立っていることに気が付きました。もしかして、当時の水路橋の橋脚として使われていた木材なのでしょうか?




今までに訪れた時には全然気が付いていませんでした。木材は丸太として製材されたものではなく、その辺りの木を伐って枝を打ち払ってそのまま据えたような雰囲気です。なので、立ち枯れした木だと思って、眼中に入っていなかったのでしょう。

2009年2月に撮影した写真を見直したところ、13年前にも同じように立っていたことがわかりました。
※当時のガラケーで撮影したものなので解像度が低いです。


台座に立っている木材を確認します。台座には3つの差込み穴が開いているので、1本は撤去されたのか朽ちて倒れたものと考えられます。そして、立っている木材には3~4か所ボルトが付いており、これは橋脚の横棒を留めるためのボルトと推測されます。




橋脚の残骸と思われる木材については、発電所廃止後、後年にここを訪れた何者かが興味本位に台座へと差し込んだのではないかとも考えましたが、機械を使用しなければこれだけきちんと台座に差し込めるとは思えません。また、同じように枝を打ち払っただけで、ボルトが何本も刺さっている木材が周辺には何本も転がっています。なので、「廃止当時の橋脚の一部がそのまま立っていると考えていいだろう。」との結論になりました。

すでに5回も訪れていて、今さら新しい発見はないだろうと思っていましたが、そんなことはありませんね。沈砂池・水槽跡まではまだまだ距離があります。この先も見落としがないように注意を払って進みましょう。


※その(3)へ続く。
Posted at 2022/09/04 19:30:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・発電関係施設 | 日記
2022年09月03日 イイね!

旧見代発電所「取水堰堤跡」・「取水路跡」・「沈砂池・水槽跡」(1)

2022年8月7日日曜日、愛知県新城市作手白鳥から作手保永にかけて残る旧見代発電所の取水堰堤跡、取水路跡及び沈砂池・水槽跡を探索しました。実は、旧見代発電所の取水堰堤跡等の遺構を訪れるのはこれで6回目になります。

過去の訪問履歴は以下のとおりです。
・2009年2月18日:取水堰堤跡から取水路跡を辿り沈砂池・水槽跡まで踏破。
・2009年2月21日:旧見代発電所建屋付近から水圧鉄管用のコンクリート製台座を辿って沈砂池・水槽跡へと登り、取水堰堤跡までを往復。
・2015年9月27日:取水堰堤跡から取水路跡の途中まで。
・2015年9月28日:取水堰堤跡から取水路跡の途中まで。
・2016年3月18日:取水堰堤跡から取水路跡を辿り沈砂池・水槽跡まで往復。

今回訪れた目的は、過去の訪問時の写真はガラケーで撮影したものなので、デジカメで写真を撮り直すこと、各遺構の場所と取水路ルートのGPSデータを取ること及び遺構の現状確認です。

ここで旧見代発電所の来歴について簡単に説明します。

本発電所を建設したのは豊橋電気株式会社(現存せず。)。元々は豊橋市内を流れる牟呂用水に水力発電所を所有していましたが、急増する電力需要に対応するため、旧作手村を流れる巴川に新たな水力発電所を建設することを計画しました。発電所は明治41年(1908年)3月に完成し、同年5月から豊橋市への送電を開始。ちなみに発電所がある地元集落21戸にも配電されたそうです。

ただ、この発電所は巴川からの取水量の不足に常に悩まされており、計画どおりの発電能力を発揮することはなかったようです。そのため、豊橋電気は早々に豊橋市内に火力発電所を増設する羽目になっています。そして旧見代発電所は昭和34年(1959年)に廃止となりました。

それでは探索に入ります。なお、しばらくは本題とは関係のない場所をさまようことになりますので悪しからず(笑)。

新城市作手白鳥を通る国道301号の路肩へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

本当はもう少し新城方面へ向かった先にある国道301号のミニ廃道へ駐車したかったのですが、虎柵が設置されて車では入り込めなくなってしまったので、ここに駐車しました。

国道の歩道をしばらく歩き、路肩に設置されている階段から巴川へと降りていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

過去に訪れた時は、このまま巴川の浅瀬を対岸へと渡渉して取水堰堤跡へと向かっていましたが、今回は水量が多く、長靴では渡ることができません。


渡ることができる場所を探して、ひとまず取水堰堤跡とは反対となる上流方面へと進んでいきます。


遠目には良さげな場所はあるのですが、いざ川の中へ踏み込んでみると結構深く、どうしても渡ることができません。




歩いていくうちに、川の両岸に石積みの橋台跡を見つけました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

周りに何もない山の中に残る橋台にしてはなかなか立派な大きさです。




戦前の地形図で確認してみたところ、該当する橋が載っていました(橋名は不明。)。旧挙母街道とこの奥にある野郷集落を結ぶ道の橋跡でした。

※5万分の1地形図「御油」:明治23年(1890年)測図、大正7年(1918年)修正測図、昭和2年(1927年)鉄道補入、昭和4年(1929年)発行。

さらに上流へと歩いていきますが、なかなかいい場所が現れません。


ようやく石の上を飛んで対岸へと渡ることができる場所を見つけました。




橋台跡まで戻ってきました。




この時は取水堰堤跡へ行くことはどうでもいい感じになってきていて(笑)、橋台跡から野郷集落へ向かう道を進むことにしました。








もう少しで道路へと出られるという所で、行く手を獣害防止用の網に阻まれてしまいました…。昔は集落と街道を結ぶメインルートだったはずなのに…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

道路へと出られないのなら引き返すしかありません。戻る道すがら、途中にあった二股を左へと進んでいきます。




進んでいくと、程なくして沢の対岸に林道が見えてきました。


また取水堰堤跡へと向かう気になってきたので、地形図を確認して林道へと進むことにします。




続いて、分岐路を左へと進んでいきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

いかにも林業用の作業路といった趣きです。急坂で路面には大粒の砂利が散らばっているので、非常に歩きにくいです。


あわよくば地形図に載っていない古道が続いていればと期待しましたが、作業道がブツンと途切れた先には何もありませんでした。まあ、取水堰堤跡までは大した距離ではないはずなので、そのまま進んでいきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

急斜面に付いている細い踏み跡を進んでいきます。


ようやく最初の目的地が見えてきました。本当なら車から15分~20分で着くところを1時間半もかかってしまいました。


旧見代発電所取水堰堤跡です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

以前に来た時は堰堤の越流部からそのまま川の本流が流れ落ちていましたが、流路が砂で埋まったためか、ほとんどの水量が取水口へと流れ込んでいます。


堰堤の上に大量の篠竹が絡まっています。増水時に引っかかって堆積したものでしょう。


堰堤の先へと歩いていくスペースを作るため、しばらくの時間、枯竹を揺すって移動させたり、篠竹を引っこ抜いて川へと放り込んだりしていました。


堰堤の越流部です。廃止から60年以上も経過しているので、堰堤のコンクリートは水流による浸食を受けてボロボロです。




取水口の吐口側です。




取水口で飲み込まれた水流は、取水路の側壁に開いた大穴から流れ出て、本流へと戻っていきます。


普通、廃止の際は取水口自体を封鎖するものだと思いますが、この堰堤の取水口は封鎖されておらず、水がどんどんと流れ込んできます。そのため、取水路の側壁の大穴は、廃止時にわざとあけた可能性もあります。

大穴から先の取水路跡の様子。


下流側から眺めた取水堰堤跡と大穴。


大穴の先の取水路跡の上部に、完成時に設置された銘板が残っています。






この銘板には「豊橋電気第一水源」の表題と工事関係者の役職・氏名、起工・竣工年月が刻まれています。明治40年(1907年)6月起工、同年11月竣成(竣工)とありますが、表題には「第一水源」とあるので、これは取水堰堤もしくは取水施設全体の起工・竣工年月を表していると考えられます。

それでは、取水路跡へと歩を進めていきます。






取水路跡の脇に建物の土台と思われるコンクリート製の構造物が残っています。おそらくは取水施設の監視・保守用の建物が建っていたのでしょう。




取水路に付属する構造物が見えてきました。


この枡形は余水吐だと思われます。ここで取水路へと流す水量を調節していたのでしょう。








さらにもう少し進むと2つの穴が開いたコンクリート構造物が残っています。この場所で取水路が石造開渠から2本の鉄管へと切り替わっていたのでしょう。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

その(2)へ続く。
Posted at 2022/09/03 23:24:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・発電関係施設 | 日記
2018年08月05日 イイね!

中部電力岩津発電所へ行ってきました

8月5日日曜日、岡崎市日影町にある中部電力岩津発電所へ行ってきました。

発電所の水源となる郡界川。少し遡上してみましたが、上流にも住宅地があるためか、あまり綺麗な流れとは言えません。



「境界見出標」でしょうか?木の幹に取り込まれてます。



一旦川から上がり、道路から迂回して岩津発電所の取水堰堤へとやって来ました。



土木学会発行の「現存する重要な土木構造物2800選」によると明治30年の完成。その古さと状態の良さにより、国重要文化財に相当するAランクに評価されています。



表面に石が貼り付けられているためか、全面で水が泡立ちながら流れ落ちています。





ここから車で下流へ移動。岩津発電所に来ました。



中部電力最古の発電所とあります。



建物自体は建て替えられてしまっているため、特に目を引くものはありません。



排水口は石アーチのようです。



発電所から少し下流へと歩きます。

これはすぐ下流にある紡績工場の水車用水路の取水堰堤です。すでに取水口は塞がれています。



こちらは岩津発電所の余水路。大雨が降ると山の上から注意看板のような濁流が流れ落ちてくるんですね。





水車用水路を辿っていきます。





程なく終点の紡績工場。今も巨大な水車が残っています。






Posted at 2018/08/21 00:09:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・発電関係施設 | 日記

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「【豊根村】霧石峠への富山漆島側峠道を下見しました http://cvw.jp/b/1796277/47676277/
何シテル?   04/25 00:05
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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