2023年7月16日日曜日、新城市内の山の中で「カンバンタ山道」と「海老峠」への峠道を探索してきました。
まずは前書きです。
「カンバンタ山道」は、旧海老街道仏坂峠道と現在の新城市海老の街を結ぶ間道です。仏坂峠の峠道の途中から分岐して、カンバンタ(地形図に記載が無いため、具体的な場所は不明。)、川売と経由して海老へと向かう経路でした。旧街道である仏坂峠の峠道を歩くと、分岐点に「カンバンタ山道」への道標が立っています。
もう一つの「海老峠」ですが、こちらは海老の街から川売を経由し、設楽町設楽町川合にあった宇連集落とを結んだ道中にある峠です。現在では、岩古谷山~宇連山を縦走する登山道のポイントの一つでしかなく、峠に道標は立っていますが、川売方面・宇連方面とも通行不能の表示になっています。
「鳳来町誌 交通史編」には、「駄賃背負い」の話として、この周辺の山道の往来についての話が以下のように載っています。
『当時(この話が載っている項目の流れからすると明治30年代から40年代のことか。)、駄賃背負いの事をこの辺りでは「しょいこさ」と呼び、農閑期ともなれば四谷の里(新城市四谷)からも大勢の「しょいこさ」達が、連れ立って、ふりくさ道(海老街道)を歩いて神田(設楽町神田)と海老(新城市海老)を往来した。
「しょいこさ」の一日をまとめると、おおよそ次のようであった。
朝、四谷の家を出発(4時~5時)~カンバンタ(4時50分)~海老峠(5時30分)~宇連(7時)。荷造りして宇連を出発(8時)~海老峠(9時)~カンバンタ大杉(10時)~引き返す~海老峠(11時)~宇連(12時)~昼食~宇連を出発(13時)~海老峠(14時30分)~カンバンタ(15時30分)~四谷(16時30分)~カンバンタ(17時30分)~四谷に帰宅(18時)
これは夏の日程である。冬の二回目のカンバンタは、明くる日になることがあった。馬車の来ない日は、カンバンタ引き返しは中止して、海老までの荷車引きとなった。』
以上のような内容です。
日程の例で挙げられている「しょいこさ」さんが、「主に何を運んでいたのか?」とか、「なぜカンバンタと宇連の往復ばかりしているのか?」とか、「話の初めに出ていた神田や海老へはどうして行かなかったのか?」とか、「馬車はどこへ来ていたのか?」とか、突っ込みたいところは色々あります(笑)。
おそらく、この「しょいこさ」さんは、カンバンタと宇連の間の海老峠の峠道を専ら担当していて、カンバンタを中継地として川売・海老や四谷・神田へと運ぶ「しょいこさ」さんへ荷物を引き継いでいたのでしょう。これだけでも、現在では人の往来が全くない山の中の廃道が、かつては頻繁に利用されていたことが十分伺えます。
「海老峠」の峠道が記載されている旧版地形図です。もう一方の「カンバンタ山道」と思われる道は記載されていません。まだまだ徒歩交通が盛んな時代、話通りの利用状況なら地形図に載っていてもおかしくはないのですが…。
※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年測図)・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
さて、「カンバンタ山道」については、2022年4月9日に新城市四谷側の仏坂峠の峠道から進入して探索しましたが、道筋は途中で途絶えました。また、峠越えする場所も複数の鞍部を探索しましたが、切り通しなどの目印となるような場所が見当たらず、特定するには至りませんでした。
今回は目線を変えて、新城市海老川売側から進入して「カンバンタ山道」の道筋を探索し、時間があれば海老峠へと至る峠道の探索も行うつもりです。
朝8時15分、川売集落下の駐車場所へとやって来ました。ここから川売集落内を通り、「カンバンタ山道」へと向かいます。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
川売集落を見上げています。ご覧のとおり、海老から続く谷川の谷が行き止まりとなる場所になります。
川売集落を通り抜けた場所にある「猿ヶ岩」。私はあまり猿の顔に似ているとは思えませんでした。似たように見えるアングルがあるのかもしれません。
ここで棚山高原へと向かう林道と別れて左側へと分岐します。
しばらく歩くと次の分岐点が現れます。古道を通らずに山の奥へと進むのであれば林道を直進ですが、できる限り古道をなぞって進みたいので、ここは左側へと曲がります。
川に洗い越しがありました。横溝が入っているタイプは初めて見ますね。
この洗い越しを渡ってすぐの場所から「カンバンタ山道」へと入ります。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
どの程度残っているのか心配でしたが、まずのところは辿れる程度に道跡は残っています。
林道と交差して直進していきます。
程なくして林道へと出てきました。この先にも道跡があるように見えますが、ここからしばらくは林道を歩いていくことにします。
それでもはっきりと古道が残っている場所は、その都度古道側を歩いていきます。
林道に関してはすっかり廃道化しています。これだけ洗掘が進んで路面がボロボロになっていると、トラックや軽トラでは入ってこられないでしょう。まあ、こういう路面が大好物な方もみえるわけですけどね(笑)。
この場所で林道は高度を稼ぐために大きく迂回していきます。古道は川沿いを直進するため、ここで林道と再び別れます。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
川には砂防ダムが連続して設置されています。この状況ではしばらくの間、古道は埋もれてしまっているかもしれません。
再び道筋が姿を現しました。
折り返しを登っていきます。
折り返しの先はしばらく急坂が続きます。
川へと近づいてきたところで古道の道筋が消えてしまいました。落石で埋もれてしまったようです。真上を林道が通っているので、その影響かもしれません。
仕方がないので、ここからは川の中を歩いていきます。
対岸から流れ込む滑らかな沢に巨石が乗っかっていますね。落石なのか、沢の奥から徐々に流れてきたのか。何とも言えない変な光景です。
またもや砂防ダムが現れました。
昔の砂防施設の跡のようです。
何となく道筋らしきものがあるので、ひとまず辿っていきます。
また砂防ダムです。
らちが明かないので林道へと出ました。ここまで土石に埋もれてしまうと、もはや林道なのか?と思ってしまいますが(笑)。
「カンバンタ山道」の峠擬定地に向けて方角だけ合わせて適当に歩いていると、作業道に遭遇しました。しばらく歩いていってみることにします。
最後の砂防ダムを過ぎると作業道は徒歩道へと変わりました。
路肩に石積みを見つけました。徒歩道に石積みがあると、手を入れる必要がある道だったのだと少々期待してしまいます。
深い雨裂が現れました。対岸には道筋が見えているので、上流側へと迂回して対岸へと渡ります。
折り返しを通ります。
折り返しを過ぎたところで道が無くなってしまいました…。周囲を見渡しますが、続きとなる道筋は見い出せません。本当に「カンバンタ山道」は峠越えの道筋を拝ませてくれませんね…。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
先程の道の折り返しまで引き返し、沢を渡ってさらに右隣の谷筋へと移動します。
まだこちらの谷筋の方が鞍部へと取り付きやすそうです。
谷筋の源頭部まできました。あとは斜面をよじ登って鞍部へと出るだけです。
カンバンタ峠の擬定地へと来ました。私の中では、この場所が峠の最有力地なのですが、いかんせん、この鞍部の前後に人が往来したと感じさせるだけの道筋がないのです。まあ、この尾根のどこにもそのような場所は発見できませんでしたが…。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
峠擬定地から川売方面へと進む細い道筋(獣道よりはマシな程度。)を進んでいくと、違う尾根の上へと出てきました。
他に進む道筋は無いので、そのまま尾根を下っていくと鞍部が現れました。しかし、この鞍部にも人が往来していたような道筋は付いていません。ここで「カンバンタ山道」の事はあきらめて、「海老峠」の峠道の探索に切り替えます。
「海老峠」への峠道が通っていたと考えられる谷筋へと移動するため、鞍部を左へと曲がり、緩斜面をどんどん下っていきます。
滑沢の中を進んでいきます。
さらに小さな稜線を越えて、峠道が通っていたと考えられる谷筋へと出ました。
河原へと下りて周囲を見渡しますが、これだけ岩石に埋め尽くされていると、どこに峠道が通っていたのか見当が付きません。ひとまず、旧版地形図と登山用アプリを頼りに登っていってみます。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
植林地の終端がありました。土地の境と考えられるので、道筋の名残りかもしれません。どんどん登っていってみます。
どんな山奥にも残っている炭焼き窯の跡。
巨石に埋め尽くされた急峻な枯れ沢。この先のどこに「海老峠」への峠道は通っていたのか…。精度が甘い旧版地形図に記載されている道筋を辿るのは、現行地形図と比較しながらでも厳しいです。読図力が無いと言えばそれまでですが、昔の測量に元づく地形と現在の測量による地形では、山や谷の形が異なっていることがけっこうありますからね…。
峠道は、この辺りで右側の稜線へと登ってから峠へと向かうように記されているので、斜面へと取り付いて、それらしき道筋がないか獣道を歩いて探してみます。急斜面なので、けっこう緊張します。
それらしき道筋をようやく見つけました。
稜線をぐるりと回り、先へと進むと断崖の道…。いや、本当に道なのか?荷物を背負った人が歩いていた道なのだから、もう少し幅はあったはず。岩の段差が道に見せているだけなのか?
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
取りあえず少し踏み込んでみましたが、見渡せる限りでは道に見えなくもない。しかし、土砂が積もり、ずっと谷側へと傾斜している状態。ここで探索を断念しました。私のレベルや感覚ではこの先に進むのは怖い…。
あきらめついでに、眼下に見えていた滝まで急斜面を下って行ってみました。これまで鬱蒼とした山の中、高い湿度に包まれて汗だくになって歩いていたので、滝の水が冷たくて気持ちいいです(笑)。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここまで下りてしまったら、もう一度先ほどの引き返し地点まで登り直すのも面倒なので、このまま沢を下っていきます。
林道の終点へと出てきました。ここからは林道を歩いて車へと戻ることにします。まあ、廃道化した林道なので、崩れたりしていなければいいですが。
道中で見かけた廃車。
洗い越しまで来ました。ここでも沢の水で顔や腕の汗を流します。
川売集落の対岸にある田んぼが見えてきました。車まではもうすぐです。
今回歩いた探索ルート図です。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ということで、今回も「カンバンタ山道」絡みの探索、成果なく撤退となりました…。「鳳来町誌 交通史編」に記載されているとおりであれば、もっとしっかりとした道跡が付いていると思うのです。今までいろいろな古道を歩いてみましたが、けっこうしっかりとした痕跡があったものです。でも、ここの峠道にはそんな名残りが無い…。
「カンバンタ山道」、もっとしっかりとした記録が残っていないのかなぁ。現存していなくとも、道筋が確定できればもう満足なんですが…。
あとは、「海老峠」。あれだけ石に埋め尽くされた谷筋を通るのであれば、痕跡が見つけられないのは仕方がないですし、地形図で見ると峠付近の等高線が密なので、峠付近の道跡がもともと険しい可能性は否定できません。
次は、宇連集落側からの探索かなぁ。宇連集落は廃墟好きの方々には知られた廃集落。鳳来湖から集落へ至る林道が狭いそうで、その点は気がかりですが、集落から峠までは行ける可能性はあるかもしれません。
山行記録で「海老峠」と宇連集落の間を歩いた方の記録自体はネットにあったのですが、歩いたルートが旧版地形図の道筋と違っていたので、残念ながらそれは参考にはできません。いつものように、旧版地形図という手がかりと自分の勘を頼りに探索するしかありませんね。