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2023年08月26日

【飯田市南信濃】万古集落跡から谷京峠への峠道を探索する(1)

2023年7月29日土曜日、飯田市南信濃南和田の万古集落跡から谷京峠への峠道を探索しました。先週の7月22日土曜日は、飯田市南信濃南和田の飯島から谷京峠までの峠道を探索しましたが、今回はその続きの探索となります。

※5万分の1地形図「満島」:明治41年(1908年)測図、昭和8年(1933年)要部修正測図。

「泰阜村誌」によると、谷京峠を経由するこの峠道は「秋葉道(中道)」と呼ばれ、泰阜村と遠山谷(現在の飯田市南信濃。)との間に昔から存在する交流の道でした。また、名前の通り、伊那谷から秋葉神社(静岡県浜松市天竜区にある、火除け・火伏の神として崇敬を集めた神社。)へと参詣する人々が通行した信仰の道の一つでした。

この峠道は昭和初期までは日常的に利用され続け、今回の探索で登場する万古集落跡(かつては万古村。)には、宿屋や運送に関わる問屋が存在したそうです。

やって来たのは、下伊那郡天龍村の天竜橋のたもと。ここから天竜橋を渡り、為栗駅の前を通過して、万古川沿いに峠道の出発地となる万古集落跡を目指します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

身支度を整えて、天竜川に架かる吊り橋「天竜橋」を渡っていきます。ちなみにこの橋は、長野県道430号為栗和合線に指定されています。




JR飯田線為栗駅。為栗は「してぐり」と読み、難読駅名の一つですね。


さて、為栗駅から先は、しばらく草むらをかき分けながら進んでいきます。途中、足元に大きな蛇が現れ、びっくりして「うわぁ!」と悲鳴が出てしまいました(笑)。






トンネルの横を通り過ぎると、斜面を進む細道となります。


トンネルの反対側の坑口へ来ました。ここから少しだけ線路沿いを歩き、万古川橋梁の下をくぐっていきます。




万古川橋梁の古写真を見ると、この場所は現在の光景からは全く想像できないような深い渓谷となっていました。


この道は送電線の巡視路になっているようで、ご覧のとおり橋も架けられています。いまいち不安な雰囲気を醸し出していますが。


橋を渡ると最初の難所になります。両足を揃えた程度の道幅しかありませんが、落ち着いて進んでいけばまだ何とかなります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

難所を越えた後は、折り返しを進んでいきます。




折り返しを登っていくと、巡視路が右側へと急な上り階段で分岐していきます。万古集落跡は直進です。


山側に古いロープが吊るされています。ああ…、嫌な予感がしますね…。


ロープは無くなりましたが、「いや、ここも必要だろう!」と心の中では思っています。


そして、再びロープは復活しましたが、何の装備も無くて、高い場所が苦手な人間にこれは無理でしょう…。しばらく立ち止まって、行くべきかどうか考え込んでいましたが、やっぱりあきらめました。


赤線のとおりに歩けばいいんですけどね…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

これは万古川の河原を歩いていくしかないと思い、万古川橋梁の近くまで戻ってきました。


河原を歩いていると斜面の低い位置に踏み跡があったので、跡を辿っていってみます。




辿っていた踏み跡が途切れてしまい、ふたたび河原へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここからは浅瀬を選びながら万古川の河原を歩いていくことにします。




正面に万古集落跡である広い河原が見えてきましたが、ここで流れの深みに阻まれて先へ進めなくなってしまいました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

もう一度為栗駅からの道筋へと戻るため、踏み跡のある場所を辿って斜面を登っていきます。




巡視路に使われる階段が現れました。これで少し安心できます。


登っていくと電柱がありました。万古集落跡へ向かう送電線のものでしょうか。


戻ってみたはいいものの、先行きを不安にさせるような路面状況です…。


こちらは難所を越えてから振り返っての写真です。こんな場所はあまり歩きたくはないのですが、もう行くしかありません。


路面の状態が復調してきました。このまま万古集落跡まで行けるのか…。


と思ったら、道筋が完全に消滅しました…。先端まで行って、そこから斜面を滑り下っていってもいいかとも思いましたが、それをきっかけに土砂が崩落するとも限らず、またも逆戻りです…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

谷側の斜面を注視しながら戻っていくと、巡視路用の階段が設置されている場所がありました。手がかりになる木々もそこそこ生えているので、ここから下りていくことにします。


無事に河原まで下りることができました。ここからまた道筋の続きを歩いていきます。


杉の植林地が土砂で埋まっています。


土砂が流れてきた元の方向へと向かうと滝がありました。名称は不明です。豪雨の時には大量の土砂が滝口から降り注いでいたと思うと恐ろしいですね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

滝を通り過ぎた辺りからが集落だったようです。あちらこちらに石垣があります。写真のさらに右側は墓地だったようで、土砂に押し倒された墓石が散らばっていました。


コンクリート造りの枡。どういう用途の枡だったのでしょうか。


土に埋もれてわからなくなっていますが、段々地になっています。居住地だったのか、耕作地だったのか。


手水鉢?


瓦が固めて置かれています。


この平坦地にある廃屋は、この一軒だけでした。




廃屋の先の斜面にも墓地が見えています。


戦前の旧版地形図を見ると何軒かの住居があったようですが、現在は天竜川の平岡ダムによって堰き止められた土砂が堆積して、埋もれてしまっています。

※5万分の1地形図「満島」:明治41年(1908年)測図、昭和8年(1933年)要部修正測図。



神社と思われる建物。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠道のスタート地点となる万古集落跡へ来るだけでこんなに苦労するとは、全然想定していませんでした。やはり崖地を通過している道は侮れない…。

次回は、ようやく峠道の探索へと入ります。

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