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小林あにのブログ一覧

2021年01月31日 イイね!

雪の千万町街道を歩いてきました(2)

2021年1月30日土曜日、岡崎市東部山間地の千万町(ぜまんぢょう)町と岡崎市街地を結んでいた古道「千万町街道」を歩いてきました。私が住む安城市にも今冬初の積雪があり(2~3cmほど)、「雪景色の山道でも歩きに行くかな。」と思い立った次第です。

本稿は「雪の千万町街道を歩いてきました(1)」のつづきです。

古道の急坂を登り詰めていったところ、かつて峠があった場所には大きな築堤が築かれていました。



現在地は星印になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

林道へと出てきました。かつての風景と様相が全く変わっています。



持ってきたタブレットで地形図を確認しましたが、この林道はまだ記載されていませんでした。図中には黒線で加筆してあります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

登ってきた古道の正面に当たる場所に切り通しだけが残っていました。



本来は峠に出たところで右へと曲がり、さらに尾根伝いに進んでいくのですが、かつての面影が全く見い出せません…。



しばらくこの辺りを行ったり来たりして、周辺の様子を眺めていましたが、林道に出てきた場所から左側の山の斜面に古道があるのに気が付きました。



多分、祠の前で二手に分かれた中腹を通る古道だと思います。逆戻りすることになり時間のロスになりますが、ここが峠の跡であることを確認するためにも歩いていくことにします。







やはり祠の下にある分岐点へと出てきました。



地形図中の青線のルートで引き返してきました。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

先ほど林道へと出て来た場所が峠の跡と確信できたので、もう一度戻って林道をさらに先へと進んでみることにします。

ふたたび峠跡へと戻ってきました。



峠跡の先は林道をそのまま進まずに、古道探しのために山の上を歩いていってみます。





堀割りの道が少しだけ残っていました。



さらに50mほど進むと、今度は左側に切り通しが見えています。



中に入ると堀割りの道が残っていました。



しかし、左へとカーブしてきた林道により古道は削り取られていました。ただ、その先に古道の続きが見えていたので、一旦引き返します。



ようやく千万町街道のつづきに戻れます。



見覚えのある倒木です。ということは、4年前からそのままということですね。おかげでこの道が千万町街道であると確認できたわけですが(笑)。



倒木の上で切り通しを越えていきます。



湿地帯(沼地?)の横を通り過ぎます。



分岐点に来ました。千万町街道を通る人には知られた分岐点だと思います。ここも直進ではなく右手へと逸れていく道が正解。私が初めて来た時は逆方向から歩いてきたので、迷わずにすみました。



現在地は星印になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

右手へと登り、先へと進んでいきます。



尾根の上を進んでいきます。



目の前に標高342mのピークが見えてきました。古道は右側へと山を取り巻くように迂回していきます。







またV字に掘り込まれた道が現れました。歩きづらいためか、道の右横に新しい踏み跡が付いてしまっています。





道が二つに分かれています。多分、右側が古い道だと思います。右側の道は、以前来た時は枯れ枝などで埋もれて通りにくくなっていましたが、人が通るようになったのか、きれいに無くなっていました。



鞍部の交差点に出てきました。ここは逆方向から来ると千万町街道から逸れてしまう方向へ迷いやすい場所です。



現在地は星印になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この時点で時刻は14時になりました。実は、歯医者の予約を16時30分に取っていたので(奥歯の冠が取れました(笑)。)、間に合うように帰る必要があります。

15時には車まで戻らないといけないので、ここで引き返すことにしました。

まずは15分ほどで林道まで戻ってきました。



林道の銘板を見つけました。林道古部夏山線とあります。平成30年度ということは、やはり最後に訪れた後に施工されたわけですね。



これだけの林道を造れば景色もすっかり変わるわけですよね。



峠跡の手前でもう一つ銘板を見つけました。こちらは令和元年度とあります。



この林道、気になるのが古部「夏山」線ということ。夏山はこの場所からだと国道473号を越えた南東方向にあります。この先のルートもおそらく千万町街道が通る尾根と同じ尾根を辿ると思われるので、将来的にはもっと寸断されてしまうかもしれませんね…。

峠跡まで戻ってきました。



こちらは2016年10月に訪れた時の同地点の写真です。写真左側の斜面を埋め立てて林道を造成したわけですね。あまりにも景色が違い過ぎます…。



あんまり休憩しているわけにもいかないので、どんどん歩いていきます。









行きに鋭角で左折した先にあった急坂です。この坂さえ登り切れば、あとは車まで体力的にきつい場所はありません。



15時過ぎ、予定どおりに車まで戻ってくることができました。



今回歩いた区間の全体図です。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

千万町街道は尾根を巧みに利用して、できる限り最短距離で岡崎の街と千万町やその手前側の村々(さらには千万町よりも奥の作手地区など。)とを往来する道としてはるか昔から利用されてきたそうです。

その本来の役目を終えてから随分と時間は経っていますが(昭和戦前期から車道改修が進み、トラック・バスの利用が徐々に浸透していくにつれて、利用が廃れていったようです。)、今はこの街道の存在を知る人たちが、ハイキングや自転車・バイクのオフロード走行などレジャーの側面で利用することで、価値をつないでいると言えるでしょう。

ただ、途中にも書きましたが、林道開発が今後どのように影響を及ぼしていくのかが心配の種ですね。
Posted at 2021/01/31 12:35:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年01月30日 イイね!

雪の千万町街道を歩いてきました(1)

2021年1月30日土曜日、岡崎市東部山間地の千万町(ぜまんぢょう)町と岡崎市街地を結んでいた古道「千万町街道」を歩いてきました。私が住む安城市にも今冬初の積雪があり(2~3cmほど)、「雪景色の山道でも歩きに行くかな。」と思い立った次第です。

千万町街道は今までにも何度か訪れては少しずつ歩いていて、トータルでは岡崎市の岡崎墓園から額田ゴルフ場付近の区間を歩いたことになりますが、最後に歩いたのは2016年10月なので、4年ちょっと振りということになりますね。

今回は車を国道473号と額田ゴルフ場の南端を通る道路との交差点付近に駐車して、岡崎市街地方面へと歩きました。



千万町街道が通っている周辺の地形図です。右端の赤矢印が駐車場所です。古道のご多分に漏れず、千万町街道も現在の地形図には記載されていません。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

青い線の範囲内を通過しているのは間違いありませんが、今まで地形図にルートを書き込んでみたことがなかったので、あくまで「推定」ルートにはなりますが、写真と記憶を元に書き込んで適宜貼り付けていきます。

ところで、駐車した交差点には道標が立っています。



彫り込まれている内容は、正面が「右 夏山 樫山 本宿」、「前 大高味 須渕 岡崎」、「左 木下 宮崎 作手」、一番下に「道」、右側面は「昭和二年八月建立」、左側面は「八十八紀念 鈴木由治郎」とあります。

鈴木 由治郎さんが、米寿の記念に建てた道標といったところでしょうか。

道標にある地名のうち、夏山、樫山、本宿(もとじゅく)、大高味(おおたかみ)、須渕(須淵)、木下(きくだし)、宮崎の各地は、現在は岡崎市内の町となっています。作手は新城市作手になります。

戦前の地形図に道標の内容を記すと以下のルートになると思われます。緑色が「右 夏山 樫山 本宿」のルート、青色が「前 大高味 須渕 岡崎」ルート、黄色が「左 木下 宮崎 作手」のルートです。


※5万分の1地形図「御油」:明治23年(1890年)測図・大正7年(1918年)修正測図・昭和2年(1927年)鉄道補入・昭和4年(1929年)発行

これらのルートのうち、自動車で通り抜けできるのは「大高味-須渕-岡崎」ルートのみで、道標~夏山の山越え区間や木下の東にある寸五郎坂は徒歩でないと通過できません。

最後に赤線が千万町街道と推定されるルートです。黄色ルートの木下までの区間とその先の千万町へ続く道も千万町街道になります。

それでは国道473号を渡って、千万町街道へと入っていきます。



さっそくですが、歩き始めてすぐの緩い坂道の右手の林の中に祠があります。





祠の中に祀られているのはお地蔵様でしょうか。光背には「文化三年八月吉日」と刻まれています。文化3年は1806年になります。



歩き始めた道を、もう少し進むと右手に虎柵が現れます。虎柵が途切れたところで右側の斜面へと入り込みます。



10~20mほど進むと道跡にぶつかります。これを左側へと進んでいきます。



写真ではわかりにくいですが、土手道が右へとカーブしていっています。



倒木がたくさん横たわっています。一本一本、跨いだりくぐったりして通り抜けます。



右手に湿地が現れると古道は右へと曲がり、土手道で横断していきます。



土手道を抜けると堀割り道で坂を登っていきます。



小さな尾根を越えると、今までよりもはっきりとした道になります。



右手から道が合流してきました。このまま道なりに直進します。



谷地の終端の尾根に向けて坂を登っていきます。





尾根に出ました。ここは右側へと進んでいきます。左側にも道がありますが、高圧線鉄塔の下辺りで途絶えてしまいます。



現在地は星印になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

少し進んだ先の左側の木々の中に三角点を見つけました。



標石には「三等三角点」と彫られています。後で調べたら、三等三角点「間ノ田」という名称のようです。標高は408.97m。



三角点を過ぎて、緩い坂を登ります。



道が右にカーブしたすぐ先で千万町街道は左折します。当然ですが、何の案内もありません。写真左側の木が一応目印になるでしょう。



左折してから見渡すとこんな感じです。



ここからはしばらく下り坂になります。



坂を下りきったところに土手道があります。



最初に来た頃はまだ台形を成していたような気がしますが、古道走行をするオフロードバイク(直接出会ったことはないですが。)によって頂点がどんどん削られてしまい、今はいびつな形になっています。





雪が積もっていると踏み跡が見えないので、道が窪んでいないとわかりにくいですね。



2つ目の土手道です。こちらは本来の形が残っています。この道は「街道」と呼ばれてはいますが、元々が山間地の生活道路のようなものなので、幅は細いものです。





道跡が明確な場所は気楽に歩いていけますね。



分岐点が現れました。直進に下っていく道は岡崎市切越町へ向かう古道です。千万町街道は右へとカーブしていきます。



現在地は星印になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

切越町へと下る古道の方が道幅が広いので、「千万町街道は尾根を通る。」ということを頭に入れておかないと、ミスコースする恐れがあります。



切越町への古道から千万町街道を見上げています。切越町側からは二股に分かれて千万町街道へ合流するようになっています。



先へと進みます。



小さな切り通しで尾根の左側から右側へと道が切り替わります。





この辺りもバイクが路面を深く掘り込んでしまい、非常に歩きにくくなっています。



多分タイヤで掘り込んで、雨水でさらに削れるの繰り返しなのでしょう。



また小さな切り通しを抜けて、道が尾根の左側へと替わります。





十字交差点を直進していきます。



千万町街道は尾根伝いの道のため、尾根の鞍部になる各所で他の古道が交差または分岐しています。見分けが付きにくい場所もあり道迷いしやすいので注意が必要です。

杉林の中を一本道が続きます。



2つ目の祠まで来ました。ここの祠は道沿いにあるので目印になります。



現在地は星印になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらもお地蔵様でしょうかね。



祠からやや下った所で道が二手に分かれます。



真っ直ぐに下っていく道はこのまま沢沿いを進み、途中から一気に急坂で尾根まで登っていくルート。左手に分岐して登っていく道は中腹を細道で通り抜けるルートで、ルート中に極端な高低差はありません。

どちらの道もこの先の尾根にある峠で合流するので、どちらも千万町街道と言えると思います。まあ、楽をしたいなら当然左手の道になりますが(笑)。

行きは直進ルートで進むことにします。



沢沿いに出てきました。



沢沿いゆえに道が削られてしまい、沢の中を歩かないといけない箇所が2か所あります。





また急坂で下り始めます。並行する沢も段差を重ねて流れ下ります。



先の方に平場が見えてきました。



この巨岩は見覚えがありますね。この沢筋を歩いていると、あちらこちらに巨岩が転がっています。



道の右側に平場が広がっています。沢同士が合流しているので、土砂の堆積地になっているのでしょう。



小さな沢を渡っていきます。枯れ細った丸太を2~3本架けてありましたが、渡らずに横に避けて進みます。



沢から離れていきます。いよいよ峠へと登り始めるようです。





だんだん険しくなってきました。



堀割り道で一気に登っていきます。地面には小石がゴロゴロしているので、非常に歩きにくいです。



「上に何か見えるなぁ。あんなものあったかな?」と思いつつ、ひたすら登ります。



「何だこりゃ!?」。道が塞がれています…。どうやら峠があった場所に林道ができてしまったようです…。



※「その2」へつづきます。
Posted at 2021/01/30 22:46:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年01月26日 イイね!

国道473号 根裏トンネルの旧道を探索する

2021年1月26日火曜日。本日は仕事がお休みで、天気もまずまずだったので、近場で古道でも探そうかと思い立ち、愛知県岡崎市桜形町にある国道473号根裏トンネルの旧道を探索してきました。



現在地は、地形図中の星印になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

現在、ここを通る国道473号は、正面の尾根を根裏トンネルで通過していますが、この根裏トンネルが開通したのが昭和37年(1962年)のことで、それ以前は自動車通行ができない峠でした。

戦前の地形図はこちら。赤色で示した峠越え区間を探索してみようと思います。


※5万分の1地形図「御油」:明治23年(1890年)測図・大正7年(1918年)修正測図・昭和2年(1927年)鉄道補入・昭和4年(1929年)発行

こちらは根裏トンネルです。



扁額は「根裏隧道」とあります。



トンネル坑口付近にある銘板。「着手 昭和34年(1959年)12月、竣功 昭和37年(1962年)3月、延長122m、請負人 眞柄組」と彫られています。



延長122mでありながら完成までに2年4か月もかかっています。地質に問題があったのか、単にのんびり掘っていたのか、どっちでしょうかね。

トンネルの規格は大型車では厳しいサイズ。普通車同士でもトンネル内での離合は難しいですね。建設当時はこのサイズで十分と思われていたのでしょう。



さて、戦前の地形図によると、旧道は根裏トンネルの700mほど手前で現在の国道とは違うルートへと進んで峠まで登っていきますが、さすがに700mも歩いて分岐点へ向かうのも面倒なので、トンネル脇から旧道まで斜面を登っていくことにします。



幸い、古道が残っていたので(旧道に関係のある道かはわかりませんが。)、利用して登っていきます。







旧道へと出てきました。根裏トンネルがくぐる尾根へ向かうため、左側へと進みます。



左折してすぐに舗装路は左へとカーブしていきますが、直進方向に小さな切り通しがあります。「切り通しの方が旧道だろう。」ということで、舗装路を外れて直進していきます。



切り通しを越えた所で林道が合流してきました。旧道は林道に削られてしまっているので、林道へと降りることにします。



前方、左側が峠の切り通しのようです。



切り通しの手前に石仏がありました。花入れに枝葉が生けられているので、お参りに来る人はあるようです。今まで見たことがない独特な面立ちの石仏ですね。



光背には、だいぶ文字がかすれていますが「明治四年」と彫られているようです。明治4年は1871年になります。



旧道の峠の切り通しです。手前側は幅が広く、林道改修時に削られたみたいです。



切り通しの左上に祠を見つけました。あとで登っていってみましょう。



切り通しの傍らに置かれている道標。文字が墨入れされています。文言は、「是ヨリ約五丁 多賀神社」とあります。



この峠から500m余のところに多賀神社があるという道標ですが、一体どこを指しているのかまったくわかりません。

林道から一段上の平場へと登りました。おそらくはここが本来の旧道だと思われます。



ただ、そうすると明治4年の石仏と多賀神社への道標がなぜ林道沿いに置かれているのかが疑問です(旧道から林道沿いに降ろしたということも考えられますが。)。

旧道から切り通し上の祠へと登ってみます。



この石仏もなかなか特徴的な造形をしていますね。先ほどの石仏と同様、顔面が突出して目立っています。



さて、切り通しを通り抜けていきます。



朽ち果てた廃トラック。



折れ重なる竹が邪魔ですが、道跡はしっかり残っています。





根裏トンネルの真上に出てきました。これは旧道が寸断されているパターンか?



現在地はここになります。



左側の斜面に道跡が残っていました。トンネル建設の際に道まで削られてはいなかったようです。





国道とは反対側の斜面を直線で進んでいきます。



路肩は石積みで補強されています。



折り返しに来ました。やけにはっきりと道跡が残っています。





折り返した先の路肩にも大きな石積み擁壁が残っています。



また直線区間が続きます。



沢に突き当たり、旧道は左へと折り返していきます。



ここに国道と出入りできる道が付けられています。



旧道はさらに下っていっています。



一旦、根裏トンネルの前に出てきました。これで帰り道は峠まで登らずにトンネルをくぐっていくことができます。



ふたたび旧道を辿っていきます。





国道との出入口から麓へ向かう旧道は舗装されています。



地元側からの要望があってのことでしょうか。トンネルから北側の車道が開通するのが遅れていて、暫定的に舗装してもらったとかね。全くの憶測ですが。

この後はいくつもの折り返しを繰り返して、麓へと下っていきます。







だいぶ下ってきた所でまた祠を見つけました。



何の石仏でしょう?とっさに思ったのは弘法大師像でした。僧形で恰幅が良いし、手に三鈷杵(かな?)を持っていたので。どうでしょうかね。



もう少し下った所にも祠がありました。峠への出入口になります。



祠の前に若木が生えていて邪魔ですが、石仏があります。お地蔵様でしょうか。



水道施設の横へと出てきました。目の前を国道473号が横切っています。



現在地はここです。



すぐ先には岡崎市桜形町の集落が見えています。おそらく田んぼの中を下っていく道が旧道でしょうが、昔の道跡を辿ることが目的なので、ここで引き返すことにします。



根裏トンネルまで登り直してきました。あとはトンネルをくぐるだけです。



北側の坑口にも銘板が付いています。南側の銘板と違う点は、こちら側がトンネルの起点になっていることですね。



トンネルを抜けて、車へと戻っていきました。





今回は距離が短かったので、探索としては1時間10分ほどで終了しました。

さて、この峠も新道である自動車道は大きく迂回して峠と行き来していますが、旧道である徒歩道は直線的に麓と峠をつないでいるパターンでした。今までに歩いた場所だと、県道37号の田原坂や県道334号の杣坂峠が同じパターンですね。

しかし、昔の峠道は、地図から消えて誰も歩かなくなってもけっこう残っているものだなぁとあらためて思いますね。というか、完全に自然に帰って消滅している峠道はないんじゃないかと(過酷な地形や気象条件の場所は別ですが。)。

まだまだ探索するネタは尽きないということですね(笑)。

Posted at 2021/01/26 21:16:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年01月24日 イイね!

田峯観音と田峯城へ行ってきました

2021年1月24日日曜日、あいにくの雨模様でしたがドライブへと出かけてきました。本当は一人でブラブラとドライブしようかと思っていましたが、母が同行することになりました。

特に目的地を決めないまま自宅を出発し、額田郡幸田町を経由して新東名岡崎東ICから高速へ。次の新城ICで下りて、国道257号から県道32号を進みます。

新城市海老の県道389号稲目トンネルの手前から与良木峠を通る旧県道(伊那街道)を走っているところで、「田峯観音へ行ってみるか。」と思い立ち、北設楽郡設楽町清崎へ出たところで国道257号へと右折。清嶺トンネルを通り抜けて橋を渡ったら、すぐに右折・左折をして、田峯の集落へと向かう坂道を進んでいきます。

という訳で、田峯観音へとやって来ました。訪れるのは2回目だったかな。





田峯観音と田峯城の周辺の地形図です。青線ルートでやって来ました。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

境内へと階段を登っていきます。



境内です。



こちらは歌舞伎舞台。文久3年(1863年)の竣工だそうで、愛知県の有形民俗文化財に指定されています。毎年2月に奉納歌舞伎が行われるそうです。



こちらは拝殿・本堂です。



額殿の格天井に描かれている花鳥風月画。旧振草村(現在の北設楽郡東栄町)の住民が奉納したものだそうです。





お参りを済ませて車へと戻ります。





次は、同じ集落内にある田峯城へと来ました。



バキバキに割れてしまった案内板ですが、何となく城の形状はわかります。



田峯城は標高387mの独立丘陵に築かれた山城で、文明2年(1470年)に菅沼定信により築城されました。その後、天正11年(1583年)に城主である菅沼氏が転出し、以降廃城となったそうです。

駐車場側からの城内の眺めです。



曲輪として成形された地形がはっきりと見えていますね。「竪状畝堀とかあるのかなぁ。」とほかの場所も探してみましたが、そういうものはありませんでした…。



本丸に推定復元された御殿。



この地域の有力国人領主の城とはいえ、これだけ立派な御殿が建っていたのかなぁ。それを言っちゃうとロマンもへったくれもありませんが(笑)。

御殿の前にある舞台?と建物内の部屋です。







こちらは大手門。「大手門」とありますが、実際の大手門跡は、私たちが登ってきた駐車場側にあったようで、本来は搦手門(裏口の門)の場所なのでしょう。



こちらは物見台。



物見台は上部へと登ることができます。階段というより「はしご」にしがみ付いてよじ登るかたちですが(笑)。





物見台からの景色。城の真下を流れる寒狭川からの標高差は170mほど(地理院地図による。)あるので、遠方まで眺めは良好です。晴れていればもっと良かったのですが。



霧に遮られていますが、谷底に寒狭川と国道257号を薄っすらと眺めることができます。



田峯城と田峯の集落。



さて、田峯城の役割はどんなものだったのでしょうか。「領主の城」であることは当然として、付近を通過する重要な街道である伊那街道(三州と信州伊那谷を結ぶ街道。)の監視もその役割だったのかもしれません。


※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行

ドライブからだいぶ話がそれましたが、なかなか良い暇つぶしになりました。母も気分転換になったようで良かったです。
Posted at 2021/01/24 21:46:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年01月19日 イイね!

別所街道 望月峠から車へと戻る

(「東栄町御園と豊根村古真立を結ぶ古道を探索する」からのつづきになります。)

2021年1月16日土曜日、北設楽郡豊根村の別所街道の峠「望月峠」へと至る峠道を登り、引き続き、東栄町御園と豊根村古真立を結ぶ古道を探索してきました。

豊根村古真立への古道を引き返し、尾根を通る林道へと戻ってきました。



ここからは、この林道を西へと進んで望月峠へと出て、そこから峠道を下って駐車場所へと戻ることにします。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

舗装林道を左へと曲がると御園トンネルの前へと下っていってしまうので、右側の砂利道の林道へと入ります。



砂利道の林道を歩き始めた頃から、雨がパラパラと降りだしてきました。

林道らしい強引な急坂を何か所か登り、望月峠へと出てきました。



雨が段々と本降りになってきていますが、せっかくなので峠の名前の由来となった望月右近太夫の祠へと向かうことにします。

歩いてきた方角からすると右側の斜面、笹原の中のきれいに刈り込まれた真っ直ぐな道を進むと祠に突き当たります。



ちょっと長いですが伝承の話を。

望月右近太夫は武田方の一員として織田・徳川連合軍との間で戦われた「長篠の戦い」に参戦しましたが、ご承知のとおり武田軍は敗北。望月氏も領地である信州望月の地へと逃れるため、命からがら東栄町御園の地まで落ち延びてきました。

そして、傷を負い疲れ切った体と空腹を癒すため、見つけた一軒の家を訪ねました。家から老婆が現れ、「炒った大豆ならある。」と差し出され、望月氏はその大豆を丁寧に皮をむいて食べました。

そのような所作を見て老婆は、「身分ある武将に違いない。首を取って恩賞に預かろう。」と思い立ち、望月氏には袋小路となる道を教え、その隙に村人たちへ自分の策略を伝えました。

騙されて袋小路に追い詰められ、村人たちに囲まれた望月氏は観念し、「せめて信州の風を感じられる峠で自分を弔ってほしい。」と言い残して自刃しました。

ところが村人たちは、望月氏から鎧や刀、金目の物を奪った後、願いを聞き届けて弔うどころか、彼の遺骸をそのまま放置して立ち去りました。

その後、御園の地に病がはやり、「望月右近太夫の祟りだ。」ということで、あらためて遺骸を弔い、峠へ祠を建てたとのことです。やがて、この祠は「望月様」と呼ばれ、峠の名も望月峠となりました。

この話がどこまで史実に基づいているものかはわかりませんが、戦国時代の情け容赦のない、食うか食われるかという時代性を垣間見せてくれます。

話によっては、自刃した後、ねんごろに弔われたというものもありますし、夫を追って逃れてきた望月氏の妻が設楽町神田の地で殺されたという話もあります。

今も祠の周りはきれいに刈り込まれ、花立てや酒瓶もあり、それなりに手入れがされて、お参りもされているように感じました。

さて、依然雨は降り続いています。正直、傘もカッパも持参していないので(天気予報は晴れで、降水確率は20~30%だった。ちょっと微妙でしたが。)、だんだん濡れてきています。

本来なら一旦峠へと戻って、林道を下っていく方が楽なのですが、林道沿いには雨を避けられるような木々が無くて吹きさらし。もっとずぶ濡れになる確率大です。

ここで思ったのが、「祠の後ろにも道は続いているし、そっち行った方が木々が生い茂っているから、あまり濡れずに済むんじゃないの。」ということ。

あんまりもたもたしていると日が陰って暗くなってしまうので、「山の上でも何でも行ってやるわ!」と山の頂上へ向かって急坂を登っていきます。



途中、2~3回立ち止まりましたが(笑)、頂上へ到着です。ここからは尾根の上を歩いていくようです。



道のように歩きやすい尾根が続きます。





尾根が終わり、急坂を下っていきます。



坂を下りた所に中部電力が設置した電波反射板への案内標識が立っています。自分が行きたい方角にも合っているので、同じ方向へと進みます。



小さなピークへと登り、落ち葉に覆われた小さな岩場を進んでいきます。





左右で林相が全く違っています。左側はなぜ植林しなかったのでしょうか。



尾根の左半分、これは道ですね。もしかしたら容易に山の下へと降りていけるかもしれません。



また電波反射板の案内標識があります。ここまで来たら、電波反射板まで行ってみましょう。



電波反射板に着きました。この道中で最初に見たものよりも大きいですね。



寄り道はこれくらいにして、林道へと下りることにします。幸い、雨も止んできました。





途中からは杉林の中を進みます。作業道が尾根まで伸びてきた道だったようです。林の中はすでに薄暗くなっています(本当は写真よりも暗くなっています。)





林道望月峠線へと出てきました。ここは左へと曲がっていきます。



そして50mほど進んだら、右へと曲がります。これで望月峠の峠道に合流です。



道の分岐点に来ました。左斜めへと行く道が、峠へと登ってきた時に通った道です。あと、わかりづらいですが、真っ直ぐ行く道もあります。帰りは真っ直ぐ行く道へと進んでみます。



今のところは作業道ですが、多分このまま進めば、登ってきた時に分岐していたもう一つの峠道になるはずです。



道が下り始めたところで作業道は終わりましたが、その先にある倒木で見通しが効きません。とりあえず倒木の先へと進みます。



最初の倒木を越えた後も点々と倒木がありますが、地面を削って造った道跡と思しきものも出てきました。



尾根の左側が逆L字に削り取られています。これは峠道で間違いないでしょう。





細尾根の土手道へと出てきました。登りの時に通った峠道が左側から合流してきます。



おそらく、最初に尾根上を通る道があり、後になって、尾根上へと登る坂を通らずに峠へと向かえるように尾根の中腹を登る道ができたのでしょう。

ここから先は分岐はないので、登りに通ったとおりに峠道を下っていくだけです。

麓側から一つ目の細尾根の土手道。



堀割り道が連続で折り返す、つづら折りの道。



ここで尾根から離れて、一気に麓へと下っていきます。



下の方が明るくなってきました。峠道の出入口まであと少しです。



この時点で、両足の親指の爪に荷重がかかると激痛が走り、悲鳴を上げながらの下山になっています…。急な下り坂なので、どうしてもつま先で踏ん張るかたちになり、その時に親指の爪が押されてしまうのです(泣)。

やっと豊根小・中学校前にある峠道の出入口に出ました。



車に到着です。これでやっと腰が下ろせる、体を温められる…。



車をスタートしたのが9時20分、帰ってきたのが15時ということで5時間40分。何度も小休止をはさんでいるので、歩いていた時間はおよそ5時間でしょうか。

今回歩いた全行程のルートです。赤線から青線と進み、青線の終点から引き返して、途中からは緑線へ。緑線から赤線へ合流したら図中上方向へ進んで車へ帰着の順です。歩行距離はおおよそ13km~14kmでした。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

望月峠の峠道については、事前にはこれほど良好に道跡が残っているとは思っていませんでした。明治30年(1897年)まで県道別所街道として使われていながら車道改修を受けていないため、徒歩通行主体の江戸時代の街道の雰囲気をよく残している峠道だと思います。

峠道の距離自体は手頃なものなので、地元自治体などで整備して(適度にね。)ハイキングコースとしてPRすればいいのにと感じましたね。
Posted at 2021/01/19 11:47:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 別所街道・国道151号 | 日記

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