2019年11月19日火曜日、本日はひさびさの有給休暇で11時くらいまでは家でのんびりしていましたが、天気も良いので近場までドライブすることにしました。
やって来たのは伊世賀美隧道の前(笑)。
今回は、昔の面影が残っているトンネルから稲武側の旧道を国道153号まで歩いて、旧道に残っている古いものを探してみます。
とりあえず、伊世賀美隧道を通り抜けないといけないのでトンネルへと向かいます(笑)。
足助側坑門です。
坑口の左側に埋め込まれている石板。このトンネルが吉田組という請負業者により建設されたことがわかります。現存している企業であるかはわかりません。
すっかり気に入ってしまった構図。
坑口付近の路面が荒れているので、未舗装のように思われがちですが、一応舗装されています。
今回初めて気が付いたのが、煤がこびりついている石材があること。昔の自動車の煤煙が年月を重ねて固着したものなのでしょうか?
トンネル中央部まで来ると路面はよりきれいになります。
中央部から稲武寄りの壁面。積まれている石材に隙間ができ、歪みが出ているようにも見えます。
大きな隙間の中を覗いてみます。巻き立ては一重みたいです。石材が厚いので、それで充分と判断されたのかもしれません(建設当時、県議会で「石巻きは煉瓦の四重巻きよりも頑丈だ。」と報告されたとか。)。
稲武側へ出てきました。この辺りの路面はボロボロです。
稲武側坑門です。
この時点で午後1時過ぎですが、夕暮れ程度の明るさです。こちら側は一年中、日が当たることがないので、全体が苔生しています。
いつもはここで引き返しますが、さらに先へと歩いていきます。
トンネル近くには一軒だけ民家がありますが、その民家と反対側の路肩に放置されている石材。元々は坑門の壁柱上部に乗っていた石材でしょう。
愛知県の山でも熊注意の看板が増えてきました。
沢を渡るカーブが見えてきました。さっそくカーブの下を覗いてみます。
ビンゴです。石造の暗渠がありました。この旧道が作られた明治30年頃のものでしょう。
石で組まれた石渠の上に整形した石板を並べて蓋をしてあります。
路肩に駒止めが並んでいます。今でも林道などではよく見かけますね。
崩れた石積み擁壁の石材が路肩に置かれていました。四角錐の形に整形された間知石というものですかね。
小さな沢があったので、道路から降りて確かめてみます。
ここも石造暗渠が残っていました。
小さいながらもきちんと函型に組まれています。
苔生した石積みの擁壁。
旧道付近から下は杉林ですが、上の方は紅葉した木々が見え隠れしています。
古いガードレールが現れました。
金属部分を叩いてみるとまだちゃんと金属音がします。
ガードレールの先に沢があるので降りていきます。
また小さな石造暗渠を見つけました。
草や枯れ枝を払って写真を取り直します。
ここの暗渠は幅が狭いためか、蓋に用いている石材を板状に整形していないようです。
コンクリート柱の列が現れました。ガードレール部分がありません。
コンクリート部分が欠けて、鉄筋が露出しています。丸形鉄筋なのでやはり古いもののようですね。
災害復旧工事の標石。昭和34年とありますから伊勢神トンネル開通前。この道がまだ国道であった時代のものです。
駒止めの列。道路は落ち葉を被り濡れていて、歩いているだけでもスリップしそうです。
目の前が開けてきました。
国道153号伊勢神改良により建設中の新郡界橋です。どこかで「竹に収まるかぐや姫」という記事を読んだような気もしますが、ゴツイかぐや姫ですね(笑)。
旧道の真下で建設中の橋台。ここがそのまま新しい伊勢神トンネル(名称はまだ決まっていないようですが、多分「新伊勢神トンネル」でしょう。)の稲武側坑口となるわけですね。
谷沿いで風通しがいいためか、この辺りは石積みの擁壁は苔生しておらずきれいに見えます。
このあとは、これというものも見つからないまま、伊勢神トンネルの稲武側坑口前へと出てきました。
帰りも周りをチェックしながら歩きますが、ペースは上がり、伊世賀美隧道まで20分ほどで戻ってきました。
そのまま通り抜けて足助側坑口へ。
車へと戻ってきました。往復する間に通過した車は地元ナンバーの1台のみ。平日なので、興味本位で来る人もいないでしょう。
何回訪れたかわからないくらいの場所ですが、石造暗渠がこれだけ残っているのがわかったのは新たな収穫でした。まったくマニアックなものですけどね(笑)。