2023年10月14日土曜日、奈良県吉野郡十津川村と和歌山県東牟婁郡北山村の境を流れる立合川の渓谷に残る立合川木馬道を探索してきました。
この道を探索することにしたきっかけですが、宇連橋から始まる木馬道跡を探索後、何気に木馬道のことをネットで検索していたら、検索語句の中に「立合川木馬道」の表示があったことでした。
どんな木馬道なのかと検索してみたところ、歩いた内容についてのブログや山行記録が2~3件あり、読んでみるとなかなかハードな場所を通るルートに興味を惹かれました。
その内の1件は最奥部まで歩き通した方のものでしたが(この方は、付近の山へ登るアプローチ路として木馬道を使おうとしただけで、歩き通すことが目的ではなかった。)、その最奥部は「滑落死を意識しながら、戻ることは無理と強引に進み…。」という有様のようです。
私がそんな場所まで入り込むことは120%無理ですが(笑)、木馬道の途中までの行程をアップした動画もあり、それを観た限りでは、少なくとも撮影された範囲ならば私でも十分楽しめそうでした。そして、「そのうちに訪れてみよう。」と予定していたわけです。
探索当日は自宅を4時半前に出発。出発地点となる国道169号東野トンネルの東側坑口前に8時35分頃到着しました。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
東野トンネルの東側坑口を出ると、ものすごく高い橋が架かっています。
橋の名前は「立合川橋」。川の名前の読み仮名は「たちあいがわ」とありますが、地元の方々は、「たちあごう」、「たちあご」、「たっちゃご」、「たちゃんご」などと呼ぶようです。
橋の上から立合川を覗き込みます。腰が引けて、目もくらみそうです…。立合川の流れは、木々に覆われてしまい全く見えません。
そして立合川の上流を眺めます。今からこの深い渓谷に残る木馬道を遡っていくわけです。
立合川橋を渡り、対岸にある有蔵トンネルの前に来ました。
トンネルの前から立合川木馬道へとつながる連絡路を下っていきます。
立合川橋を振り返ります。この深い渓谷のため、架橋工事の際は相当苦労したそうです。
入口にある案内板。
「大滝」と「立合川渓谷(木馬道)」の案内があります。「大滝」は立合川大滝とも呼ばれています。「立合川」と検索すると、検索結果のほとんどがここを流れる立合川の遡行記録ですが、その中でも立合川大滝は、立合川の沢登りの大きな目的地としてよく知られた存在のようです。
ちなみに、立合川木馬道を利用して「大滝」へ向かうことは困難なようです。理由は、木馬道と立合川の間の高低差があり過ぎることと、その間の地形が険しすぎるためだとか。滝を見るためには、やはり立合川を遡行していくしかないようです。
連絡路の急な階段を下りていきます。
階段から立合川橋の真下を眺めています。橋の下に通路が確保されていますが、これは近畿自然歩道として使われていた木馬道のための措置でしょう。
立合川木馬道へと下りてきました。いよいよこの場所から上流へと木馬道を歩いていきます。
この木馬道の歴史については、ネット上では資料が見当たらないため、よくわかりません。立合川木馬道の動画を撮影した方によると、明治40年(1907年)に木材を運搬するための「トロッコ道」として造られた道だそうです。
木馬を使用する「木馬道」だったのか、トロッコを使用する「トロッコ道」だったのか。今のところ真相は不明ですが、「木馬道」ということでこのまま進めていきます。そのうち、新宮市の図書館へ行って、「北山村史」でも読んでみますかね。
スタートしてしばらくは、今までによく歩いてきたような雰囲気の道筋が続いています。
表土が薄いのか、根っこを網目状に這わせています。
ガレ場と化した沢を渡っていきます。地形図で見ると、この辺りで奈良県十津川村から和歌山県北山村へと変わるようです。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
路肩の石垣がしっかりと残っています。
岩の切り取り工で木馬道が造られています。
「はま松滝」の入口。谷側を見下ろしてもはっきりとした道は見えませんが、この辺りから立合川へと下りていくことができるようです。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
鉄パイプと木製の踏み板で造られた桟道が現れました。「大滝」までの区間は、かつて近畿自然歩道だったおかげで、このような桟道が取り付けられています。最近、地元の方によりボロボロだった踏み板が取り替えられたそうで、もしも桟道が渡れなかったら、この地点で引き返す羽目になっていたでしょう。
沢との交差部分に大量の石が流れ込んでいますが、この状況でも路肩の石垣はしっかりしています。危ない部分は、ガレ場の中へと高巻きして通過します。
渡ってきた桟道を振り返っています。現役当時は木製の桟道が架けられていたはずですが、鉄パイプであれ材木であれ、よくも架けたものです。
また桟道がありました。この後もひっきりなしに桟道が現れることになります。
ずっと切り取り工で造られた道が続いています。
また桟道を渡っていきます(頻繁に現れるので、早くもコメントが思いつかない(笑)。)
「立合川渓谷(なべ滝へ)」とあります。斜面を下るように案内板は示していますが、やはり道らしきものはありません。「自分で歩きやすい場所を探して下ってね。」ということでしょう。
路面が欠けたのか、一部分だけに踏み板があてがってあります。
この辺りも、桟道が無くなったら迂回が不可能な地形ですよ。最初に施工した人達が一番すごいですけど、再建した人達も命がけですよね。そのおかげでこうして安心して通れるわけで、ありがたいことです。
「堺面の滝」に来ました。「堺面」、どんな意味なのでしょうか。ここの滝は木馬道と交差しています。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
おそらく、これが「堺面の滝」でしょう。「お面」と言うのなら人の顔に見えなくもないですね。水量が少ないので貧相に見えますが、水量が多いと迫力ある感じに見えるのですかね。
木馬道の谷側も滝となって流れ落ちていきます。
次から次へと桟道が現れます。ほとんどの桟道は、踏み板が二枚重ねで敷かれているので、乗っても大きくたわむことはありませんでした。
人一人がやっと歩けるだけの道幅しかありません。これが展望の良すぎる絶壁だったら恐怖しかありませんが、谷側に木が鬱蒼と生えているおかげで、高度感をあまり感じずにすみます。
桟道をよく見ると、鉄パイプを執拗に組み合わせてあります。力学的に効果を発揮するような組み方なのかはわかりませんが、「とにかくしっかり組み上げよう。」という心意気は素人でも感じられます(笑)。
この急峻な地形でも石垣がよく残っています。土砂崩れや岩崩れがあっても、路面から谷側へとうまく流れ落ちてくれれば、直接的に破壊力が掛からずにすむのかもしれません。
桟道はしっかりしているし、道幅もこれだけ残っていれば楽しい山歩きです。
大きな落石が連続で現れました。今はヘルメットをかぶってから廃道へ赴くことがすっかり習慣になりましたが、現実的にはこぶし大の落石が直撃しただけでも、どれほどの負傷をするのか見当もつきません。もちろん、かぶらないという選択肢はありませんけどね(かぶっている方が便利な時も多いですしね。)。
ここは頭上の岩が緩い片洞門のように削られています。
綺麗な弧を描く石垣。良いですね(笑)。
岩場を切り取った狭い崖道が続きます。でも大丈夫、怖くはありません。
ここは頭上にも鉄パイプが組んであります。
ここは坂道になった桟道。踏み板がしなります。
沢に蓋をするように高く積まれた石垣が見えてきました。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
これは素晴らしいですね。側面が整っているので、単純に石を沢へと投げ入れて積んだわけではなく、きちんと足場を組んで積み上げていったのでしょう。
岩壁を荒々しく削り取って造られた道が、まだ先へと続いています。
石で埋まる沢に登り、この場所の全景を撮ります。地形に沿ってきれいな馬蹄型を描く木馬道。かつては材木を積んだ木馬が、もしくはトロッコが、この細い崖道を四苦八苦しながら下っていったわけです。今の光景からはとても想像できません…。
本当に良い場所です。ここに座ってずっとこの景色を眺めていても、飽きることは全然ないでしょう(笑)。
この木馬道の動画を見ていて「ゾクッ」とした場所。路面が3分の1ほど抉れています。実際にこの場所へ来てみたら、それほどの感覚はなく、普通に素通りできました。
前方が明るくなってきました。
立合川へと落ちていく稜線の一つに出てきたようです。
そして、この場所に「大滝」の案内板が立っていました。有蔵トンネルの前からこの場所まで、55分ほどかかりました。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
突端へと立って、立合川の下流方向を眺めています。この場所からでも、谷底を流れる立合川の流れは全く見えません。
立合川橋が見えています。ずいぶんと山深い場所まで入り込んだ気になっていましたが、直線距離で見れば橋からあんまり離れた場所ではないことがよくわかります。
さて、ここまでは一応現役の道と言えましたが、ここから先は紛れもない廃道区間。当然、今までの桟道のように、地元の方々が補修や維持管理を一切していない区間となります。
まあ無理はせずに、進めるところまで歩いていってみましょう。
※(2)へ続く。