2021年6月5日土曜日、浜松市天竜区にある天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅へ行ってきました。
ここへ行くなら、新東名高速道路を使えば浜松浜北ICから4kmほどで着きますが、高速道路は使わず、自宅から下道で向かいました。
途中、寄り道した愛知・静岡県境の本坂峠にある旧国道362号「本坂隧道」。1915年(大正4年)の開通で、延長は204.9mあります。
自宅から3時間かけて天竜二俣駅へとやって来ました。
ここへとやって来たのは、駅よりも併設されている車庫が目的。古い扇形車庫と転車台が残っているのです。有料ですが、土・日・祝日は1日2回、車庫の見学ができます。
ただ、今回は見学ツアーへの申し込みはしていないので(そもそも時間も合わせていないし。)、外側から見える範囲での見物です(笑)。
その前に、駅の西側に展示されている古い車両を見に行きます。
ナハネ20。初代ブルートレインである20系客車の一形式ですね。
キハ20。ローカル線で活躍した古い形式のディーゼルカーですね。
駅名板を模した案内板。車両はボランティアの方々が修復にあたっているようで、塗装などに「手作業なんだなぁ。」という雰囲気がよく出ています。
列車がやって来ました。1両での運行ですが、思ったよりも人の乗り降りがあります。観光客や鉄道ファンの方々がまずまず乗車している様子。
駅ホームを東側から眺めています。駅本屋、ホーム上屋とプラットホームは、国の登録有形文化財に指定されています。
駅からやや東側へと離れた場所に車庫があります。
車輌の奥に扇形車庫の屋根が見えています。
近くで見られる場所がないか探すため、車庫へ向かい歩いていってみます。
車庫の東側にある跨線橋からの眺め。大木が目隠しになってしまっていますね…。
扇形車庫を正面から見られるような場所はありませんでしたが、遠目からですが転車台を見ることができました。
さらに車庫に沿って歩いていくと現れる高架貯水槽。これも国の登録有形文化財に指定されています。かつては、蒸気機関車への給水に活躍したことでしょう。
「音街ウナ」という浜松市出身のバーチャルアイドルのラッピング車両だそうです。いろんなキャラクターがいるので、頭が全然追いつかないですね(笑)。
駅本屋とは反対側まで来ました。
駅ホームと天竜二俣駅の駅名板。
駅の西側に留置されていたレール運搬車。「JR東海」のロゴが入っていましたが、貸出車両なのかな。
駅の西側に残る旧光明電気鉄道の二俣口駅のホーム跡。
光明電気鉄道は昭和戦前期に磐田市の新中泉駅から二俣町駅間19.8kmを結んでいましたが、多大な投資、経営資金の不足、世界恐慌の影響などにより実質5年の営業で終わったそうです。
復刻した駅名板と説明板も設置されています。
駅まで戻ってきました。ディーゼルカーが3両も停車しています。
これで天竜二俣駅周辺を1周したので引き上げます。今度来ることがあれば、ちゃんと時間を合わせて車庫見学したいですね。
さて、帰り道ですが、天竜川沿いを国道152号で北上して、佐久間から新城方面へと通り抜けることにします。
国道152号大輪橋。
何か曰くのある橋という訳ではなく、弟が橋のたもとにトイレを見つけたので立ち寄っただけです(笑)。
この後は、JR飯田線の駅へ2か所立ち寄り。
中部天竜駅。飯田線の山間部の拠点駅であり、そのためか駅員が勤務している駅となっています。
駐車場の車止めに再利用されていたコンクリート枕木。
各地でよく見かける県道の「停車場線」ですね。この路線は中部天竜駅で終点なので、「中部天竜停車場線」となっています。
浦川駅。中部天竜駅から豊橋方面へ向かって3つ目の駅です。ここは無人駅になります。
ホームの先端から豊橋方面を撮影。手前部分はガードになっていて、県道1号がくぐっています。佐久間ダムへのドライブで何度も通っているガードです。
ホームからの浦川地区の集落の眺め。浦川は、周辺での林業が盛んだった大正から昭和戦前期(何かの本で読んだ記憶なので、間違っていたらすみません。)に大変栄えていたそうです。
今は駅前も寂しい山間の一集落です(と言っても、深い山の中を走ってくるとちょっとした街ではありますが。)。