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小林あにのブログ一覧

2020年09月28日 イイね!

TGRラリーチャレンジin須坂峰の原戦へ参戦しました

2020年9月27日日曜日、長野県長野市及び須坂市で開催されたTGRラリーチャレンジin須坂峰の原戦へ参戦してきました。2020年度のTGRラリーチャレンジは、新型コロナの影響で中止・延期続きで、ラリーへの参戦は2019年10月27日開催のTGRラリーチャレンジin豊田戦以来となり、実に11か月ぶりとなります。

さて、今回も前日に参加確認と車検を受けて、そのまま長野市内で前泊するため、前日の26日土曜日には現地へ向かい出発。自宅から長野県長野市は、ほぼ高速道路だけで行けて、時間は約4時間ほど。思ったより余裕ができたので、1か所だけ寄り道しました。

やって来たのは、JR篠ノ井線のスイッチバック駅である姨捨駅。





鉄道好きはもちろん、普通にちょっとした観光名所としても知られている駅です。

駅構内の奥側にある踏切。遮断機も警報機も無い第4種踏切です。左右をよく確認して渡ります(左側は行き止まりですが。)。



篠ノ井線の本線を見下ろします。ご覧のとおりの急坂区間なので、本線に直接駅を設置することができず、スイッチバック駅にして安全に停車できる水平区間を確保しています。



篠ノ井線本線の踏切を渡り(ここも第4種踏切なので、こちらはもっとよく確認。)、次に向かったのは姨捨公園。

ここからは、善光寺平が一望できます。





踏切まで戻ってきました。土手の上が姨捨駅。本線と駅の位置関係がよくわかりますね。



今度は、駅構内線と本線が接続する場所にある踏切に来ました。ここは警報機はありますが、遮断機が無い第3種踏切です。



左側が駅構内線、右側が本線です。



姨捨駅の構内を遠望。ローカル電車だけでなく、貨物列車や臨時列車が入線することもあるので、線路は長めに確保されています。



本線と駅構内線の分岐点です。後方には、本線を使わずに駅へ出入りするための引き上げ線もあります(本線と平面交差はしますが。)。



こちらが姨捨駅の駅舎と駅名板。山小屋風ですかね。





結局、約40分ほど駅周辺を散策してました。



さて、今回のサービスパークとなるのは、長野市内にある長野市オリンピック記念アリーナ「エムウェーブ」。14時頃に到着しました。



ドライバーやすい氏は、45分程遅れて到着。まずは参加確認を済ませ、今年初参戦なのでスポンサー等規定のステッカーを貼り付けます。ドライバーやすい氏がステッカーを貼りますが、左右ドアは折り目が付いているため、ステッカーがなかなかうまく貼れずに四苦八苦。時間ばかり経つので最後は諦めました(笑)。その後、無事に車検も通過。

前日作業がひと段落したところで、雨がパラパラと降り始めてきました。



私たちにとってはラリー再開の初戦。悪コンディションで走行することはできるだけ避けたかったのですが…

今回の宿泊場所は、長野駅近くのビジネスホテル。11か月ぶりのラリー前夜祭(笑)は、駅前にほど近い所にあった郷土料理屋で行いました。



こちらは馬刺しと山賊焼き。どちらもおいしかったですね。前に食べたことがある山賊焼きは衣が油ぎっていたのでちょっと心配でしたが、こちらのはカラッと揚がっていたので食べやすかったです。



馬刺しと山賊焼きを食べ終えたところで、お土産を買うために長野駅へと移動します。



長野駅の周辺は人通りが多かったですね。ラリーで訪れた福井市や弘前市は、土曜日の夜でももっと閑散としていましたから、ちょっとした驚きでした。

お土産を買った後は、〆のご飯でも食べようかとなって、駅ビル内にある明治亭(長野県駒ケ根市に本店があって、ソースかつ丼で有名ですね。)に入りました。

ドライバーやすい氏はソースかつ丼、私はソース鹿肉カツカレーをいただきました。鹿肉は、ヒレカツみたいに食べやすくておいしかったですよ。



翌日は5時にホテルを出発。レキ受付会場となる菅平高原の裏太郎ゲレンデ駐車場へ向かいます。

現地は靄がかかり、霧雨も降っています。薄手のものを1枚羽織っていましたが、さすが高原、肌寒いです。



今回は3か所のSSを2周するルート構成。SS1・4とSS2・5は、同じ林道を2か所に分けて使用し、SS3・6は峰の原高原スキー場の駐車場を使用したジムカーナタイプのコースです。

SSは、前日からの雨の影響でウエットコンディション。林道は、舗装状態はまずまずですが、路面に落ち葉が散乱し、一部には苔も生えている状態。登り基調なので、スピードはあまり出ないでしょうが、小刻みにコーナーが連続する箇所も多く、ノートを読む私にとっても厄介なコースです。一方、駐車場は砂利なので、掘り返されての路面の悪化が気になります。

レキを終えるとそのままサービスパークのあるエムウェーブへと戻ります。

サービスパークに戻り、公式掲示板でスタート時刻をチェックしていると、私たちが参戦しているクラス「E-4」のトップドライバーであるHATANO選手の出走が取り消されていました。

「今回は慣らしかな。」くらいの感じだったドライバーやすい氏が色めき立ち、同じE-4クラスの原田選手にも伝えています。身も蓋もない話ですが、「これはクラス優勝の大きなチャンス。」という訳です。

そんなことをしているうちにドライバーズミーティングの時間。三密を避けるため間隔を開けての実施です。



コース注意では「みなさん、レキでコンディションはよくわかったと思います。過去には崖から30m落ちた車もあります。30mで止まったというだけで、50m落ちてもおかしくなかったですから。今日は特に自分の技量をよく考えてください。」と思い切り釘を刺していました。

10時からエムウェーブの正面玄関でセレモニアルスタート開始。

スタート時のインタビューで私たちの前を走る原田選手が「今回はクラス優勝の大きなチャンス。」と言ったようで、インタビュアーも私たちの紹介の中で「こちらもダークホース」と囃して、ドライバーやすい氏も「頑張ります。原田選手とのじゃんけんには勝ちましたから(笑)。」と言う始末(笑)。

さて繰り返しますが、今回のコース設定は、3種類のコースを2周して6本のSS構成。

距離は、
SS1・4「大谷不動ショート」:1.14km。
SS2・5「大谷不動ロング」:3.69km。
SS3・6「峰の原」:0.80km。
SS合計11.26kmで、ギャラリーステージはありません。 

それでは走行タイムと簡単なラリーの内容について。

SS1:1分9秒3(59.2km/h)クラス3位。クラス1位に3.3秒差。
2位の原田選手に対しても1.9秒差。このタイム差に「乗れてない…。」ということで、やや意気消沈。



SS2:3分31秒9(62.6km/h)クラス2位。クラス1位に2.6秒差。
ここでも「コース前半まではダメだった…。」との感想。STOP地点の掲示板にはタイムがまだ未記入でしたが、また差を付けられたのかと思っていました。
しかし、実は原田選手に対してはこのSSで1.9秒差を付けていて、イーブンに戻していたのです。



SS3の会場である峰の原高原スキー場に到着しました。濃い靄が立ち込めて、霧雨が降っています。


     
SS3:52秒5(54.8km/h)クラス4位。クラス1位に2.8秒の大差。
短距離のジムカーナコースで痛恨のミスコース。ここはノートの読み上げと指差しをすることにしていましたが、私の指示がしっかりできておらず、パイロンを半周するところを1周と誤解され、大回りになってしまいました。
     
これで1ループ目が終了。ここで二人ともテンションが切れて、「練習を兼ねてしっかり完走していこう。」という感じになってしまいました。

サービスパークへと戻ってきました。SS3のジムカーナコースですっかり泥まみれです。



45分のサービスタイムで公式掲示板を見に行きましたが、肝心のSS2だけ未掲出。ここで見ることができていれば、「2.8秒差挽回していこう!」ともう一度気合も入ったのでしょうが…。

2ループ目です。

SS4:1分7秒3(60.9km/h)クラス2位。クラス1位に2.7秒差。
1走目よりも2秒短縮。原田選手より0.9秒速いタイム。ドライバーやすい氏「SS1からこのタイムが出ていたらなぁ…。」

SS5:3分26秒8(64.2km/h)クラス3位。クラス1位に2.8秒差。
原田選手がクラス1位。1走目より5.1秒短縮も、後半で私がノートをロストしてしまうミス。これで完全に終わりました…。

SS6:48秒8(59.0km/h)クラス1位。クラス2位に1秒差。
今回初のクラス1位でしたが、慰みにもならない感じでした…。

最終結果は、E-4クラス完走4台中3位、総合完走56台中13位でした。ちなみに、クラス優勝は117号車のMR-Sでした。



総合タイムは、
MR-S:10分52秒6(総合10位)
原田選手:10分52秒9(1位と0.3秒差)(総合11位)
私たち :10分56秒6(1位と4.3秒差、2位と4秒差)(総合13位)
でした。



この結果を見て、ドライバーやすい氏、余計に落ち込んでいました…。

「たられば」ではないですが、もしも最初から「乗れて」いたら、SS3でミスコースしなければ、SS5でロストしてペースが落ちなければ…。仮に同じクラス3位だったとしても、もっとクラス優勝争いに食い込んだ形になっていたでしょう。

お互いに後味の悪い結末となりましたが、これも教訓と思って次に生かしていくしかありません。



次回参戦の予定は、10月18日に佐賀県で開催のTGRラリーチャレンジカップin吉野ケ里。地区戦併催により、地区戦優先の参加受理になるそうで、まだしばらくは受理されるのかわかりませんが、今回の反省を踏まえつつ、いい成績を残せたらと思います。
Posted at 2020/09/28 21:51:01 | コメント(2) | トラックバック(0) | TGRラリーチャレンジ | 日記
2020年09月21日 イイね!

長野県下伊那郡大鹿村桶谷の「北條坂」を探索しました(1)

2020年9月20日日曜日、長野県下伊那郡大鹿村桶谷に残る廃古道「北條坂」を探索してきました。

戦前の地形図はこちら。赤色の枠の中が「北條坂」になります。


※5万分の1地形図「大河原」。明治43年(1910年)測図・昭和5年(1930年)修正測図。昭和7年(1932年)発行。

現在の地形図がこちら。廃道なので、当然「北條坂」の記載はありません。星マークが駐車場所。赤い線が今回歩いたと思われるルートです(GPSロガーを持っていないので適当です。あまり当てにしないでください。)。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回の目的は、「北條坂」へはどこから取り付けるのか、道の状態はどんな感じなのかを偵察するためなのと、GVBインプレッサで遠出ドライブすることです。弟も同行してきました。

廃古道へ行く前に、道中にある小渋ダムへ立ち寄りました。



ダム見学時の姿勢に注意を促す看板。私はこの看板の絵よりももっと腰が引けた状態で見てますね(笑)。



高さが105mあります。



ダム湖の様子。梅雨時の大雨から時間が経っているためか、水量はやや減ってますね。



たくさんの踊り場が設けられている管理用通路。絶対歩きたくないですね。



ダム堤体近くの崖に打ち込まれている鉄骨。一部に床板が残っていることから、何らかの通路だったのは間違いないでしょう。



ダム見学はこれくらいにして、ダム湖の上流へと向かいます。

廃古道の入口近くへとやって来ました。車を停める場所がなかったらどうしようかと思っていましたが、幸い、ダム関連施設と思われる建屋の前にスペースがあり、助かりました。



弟へ車で留守番しているか尋ねたら、「様子見に行く位だったら行くわ。」ということで、一緒に行くことになりました。

小さな橋を渡った先の正面の山の斜面に「北條坂」があるはずです。



弟が車を停めた場所から道を挟んだ斜面を見て、「上にあるの、古い道じゃないのか?」と言ってきました。

落石防護ネットの向こうに確かに道跡があります。登ってみることにします。



ほんの少しだけ残っていました。



あらためて小さな橋を渡って、まずは沢に沿って入り込んでいきます。

石碑が立っていました。「秋葉山大権現」と「金毘羅大権現」と彫られています。



防火の神様と海運の神様ですね。防火はわかりますけど、この山深い場所で海運の神様を祀るのはなぜですかね?

※追記:金比羅大権現は「海=水に縁がある」ということで、こちらも防火にかかわる神様(あわせて農事の神様としても。)として秋葉山大権現と一緒に祀られているそうで、秋葉街道沿いや伊那谷によく見られるようです。

ちょっとした平場になっている中を進みます。



ここの右側にはたくさんの墓石が並んでいます(写真の右端にチラリと見えています。)。一部を見てみましたが、家名や「南無阿弥陀仏」などではなく、戒名らしきものが彫られていました。かつて、この辺りにあった桶谷集落の方々の墓地でしょうか。

平場が途切れる辺りから斜面へと登り始めます。この時点では、明確な道跡を見て取ることができません。



しばらく周囲を見上げていたら、所々に石垣が見えているので、そこまで登っていきます。



道跡のようです。



右側へと進んでいきます。道跡が消失している所もありましたが、そのまま越えていきます。



ようやく道跡がはっきりしてきました。





ヘアピンカーブです。「北條坂」は地形図にあるとおり、つづら折りの道でこの斜面を尾根まで登っていたので、この先も何か所か現れるはずです。



倒木があったり、埋もれて道幅が狭くなったりしていますが、先ほどまでのことを思えば快調です。





けっこう登ってきています。なかなかの急斜面。



道跡が深く抉れている場所に遭遇しました。多分、土石流があったのでしょう。上へと迂回します。



上の斜面を眺めると、縦に抉れた窪地の両脇に白い土砂や石が筋状に散乱しています。



今まで歩いてきた道跡よりも上段にある道跡まで登って来ました。対岸にも道跡があるので、対岸のどこかにヘアピンカーブがあるはずです。



土石流を被ったようですが、かろうじて石積み擁壁が残っています。



ふたたび道跡を進んでいきます。





この辺りで弟が「上に道跡みたいなもんがあるから、そっちへ行ってみるわ。」と言うので、「俺は道跡どおりに歩くのも大事だで、このまま行くわ。」ということで、一旦別れて、私はそのまま歩いてきた道跡を進んでいきます。

間もなく、道跡がわからなくなってしまいました。



上を歩く弟に「その道は右手に向かって上り坂か?」と大声で尋ねたら、そのような返事が聞こえたので、私も弟が歩いている道跡まで登っていきます。



弟と合流して、道跡を進んでいきます。思った以上に忠実に道跡を辿るのが困難です。





また道跡がやせ細ってきました。



ショートカットしている弟を追いかけます。



やや幅のある道跡と交差する地点に出てきました。



今まで歩いてきた道と違い、幅のあるはっきりとした道跡です。「北條坂」に関係がある道なのか確かめたかったので、弟に話をして一旦この道跡を右側へと下って様子を見に行きます。



先ほど、道跡が消えかかっていた凹地へと戻ってきました。この道は、そのまま凹地を越えて、反対側の斜面へと下っていっています。



「北條坂」とは関係が無い道のようだと判断して、引き返すことにします。

交差地点まで戻ってきました。何気に見ると、左上へと登っていく道跡があります。これが「北條坂」の続きのようです。



左側へと登っていった弟に声を掛けて呼び戻し、左上へと登っていく道跡を辿っていきます。



しかし、この道跡も消失してしまいました。真上を見上げると、凹地を横切る道跡が見えています。



またしても斜面を直登です。



先ほど見上げていた道跡に出ました。



この道を登っていきます。



尾根が近づいてきたのと、樹相が杉林から落葉樹林に変わったためか、明るい雰囲気になってきました。





ヘアピンカーブ。ここが峠までの道跡での最後のヘアピンカーブでした。



小さな堀割りを越えます。



この地点で、歩いている道が尾根とは逆方向へ曲がっていってしまうようだったので、尾根側へ斜面を登るとそこにも道跡がありました。分岐を見落としたようです。



尾根の上、北條坂の峠へと到着しました。左側から登ってきました。けっこう時間を掛けてしまったと思っていましたが、麓の石碑から1時間ほどでした。



峠には、石碑や石仏が立っていました。弟が寄りかかっていた枯れ枝を片付けています。ちょっと付き合うだけだったはずの弟も、ここまで登ってきてしまいました(笑)。



ちなみに、弟の背後は絶壁です(笑)。



一番明瞭に読み取れる「道祖神」の石碑。



左側面に年号と施主が彫られていました。年号は、「大正三年(1914年) 一月吉日」とあります。



施主は「北条 猪之吉」さんのようです。



「北條坂」の麓にかつて存在した桶谷集落の住人は、すべて「北条」姓であったそうです。そして、その由来は鎌倉幕府の執権であった北条家からのものという伝承があります。

あらためて、峠の石碑・石仏群の全体像です。



「北條坂」はこの峠から右側の道へと針路を取り、山の中腹を縫って進むことになります。この先は、道跡の状態がもっと酷いそうで、今回はもう少しだけ奥へと進んで様子見をしてみます。



「今のところは問題ないな。」と思いつつ進んでいきます。



見た目よりも危うい場所ですが、落ち着いて踏み跡を辿れば問題はありません。



ちょっとした切通し。どんどん歩いていってしまっても収拾がつかないので、今回はここで打ち切ることにします。



切通しの先を眺めます。全体に傾斜のきつい地形。この先の不穏な状況を予感させます…。



切通しから峠側の道跡を眺めます。谷側は急激に落ち込んでいっています。



落ち込んでいく凹地を見下ろします。うまく撮れていないので、写真を見るだけではU字型の古道が写っているように見えますが、実際はとんでもない奈落です。



峠まで戻ってきました。



峠から先の道跡は、晩秋か初冬の雪が降る前までにでも訪れることができればと考えていますが、おそらく私では、峠からそんなに奥深くまで入り込むことはできないでしょうね。

最後に、途中で交差してきた幅のある道跡ですが、上り方向は結局峠まで続いていました。麓側の起点がわかりませんが、私たちが麓から途中まで辿ってきた「北條坂」を「旧道」とすれば、勾配や道幅を改良して峠まで荷車を通せるようにした「新道」であるのかもしれません。昭和7年発行の地形図では全く形跡がありませんが、その方がしっくりくるかなと。でなければ木馬道の跡なのか。

大鹿村の村誌とか読めれば、多少はわかるのかもしれませんけどね。
Posted at 2020/09/21 10:42:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2020年09月14日 イイね!

愛知県道337号の廃道と足助道の名残り

2020年9月14日月曜日。有給休暇だったので、新城市作手菅沼にある愛知県道337号の廃道を歩いてきました。

昨日の9月13日に作手の道の駅からの帰り道にこの県道を通ったのですが、山の中で石造の道標があったのを見かけて、その確認のついでに短い廃道も歩いてみようと思った次第です。

こちらは、新城市作手善夫にある「涼風の里」。茅葺きの売店とトイレがあるミニ道の駅といった施設ですが「新型コロナのため、9月22日から再開します。」との張り紙がありました。



新城市作手菅沼にある県道337号の廃道の入口へとやって来ました。



ちょうど橋のたもとになります。



橋の名前は、山の中ですが「海道橋」と言います。



廃道へと入り込みます。アスファルト舗装の上に薄く土が被っているという、典型的な廃道ですね。



廃道でお食事中の鹿を発見。3頭いて、しばらくこちらに気づいていませんでしたが、頭を上げた1頭と目が合い、みな一目散に逃げていきました。



しばらくは跡を追う形で歩くことになりましたが、その内、川から「ドボン!」と大きな音がして、間近で「ピーッ!ピーッ!」と甲高い鳴き声。鹿さん、川へ逃げ込んだようです。立ち止まって拍手を打ち鳴らし、さらに遠くへ逃げるよう促します。

鳴き声が遠ざかっていったことを確認して、再び歩き始めます。

道中、特に目を引くような遺構はなく、ただ草の生えた廃道が続きます。



進んでいくと徐々に路上がぬかるんできました。



完全に泥沼と化しています。ズボッと嵌まるような深さではなかったのが幸いでした。



そして、砂防ダムに突き当たりました。廃道の上に泥が積もっていたのは、大雨で水かさが増す時があるからでしょうね。



砂防ダムを乗り越えるついでに、堰堤の上に出てみます。なかなか高さがありますね(笑)。



砂防ダムを越えて廃道に戻ると、また草の道になりました。左手の階段の上は神社があるようです。



獣害防止の柵に突き当たりました。その先には舗装路が見えてますので、廃道としてはここで終点です。柵には錠前が掛かっていたので、素直に引き返します。



せっかくなので、階段の上の神社へ行ってみます。反りかえるような急斜面に石段が組まれています。



山の中では、「これどう見ても参道じゃないだろう!」というような参道でしか訪れることのできない神社をたまに見かけますが、ここもそうですね。



無事に参道を登り切りました。いたって普通の社殿が建っています。しかし、ここまで鳥居がなかったので、実際は神社なのかどうかわかりません。



「おじゃまします。写真を撮らせてください。」ということでまずは参拝。

鳥居はありませんでしたが、燈籠は立っています。



施主でしょう。「當村住 原田源内道廣」と読めます。他所からではなく村人(かつては菅沼村だった。)の寄進ということですね。



ここで一番気になったのは、多くの石像群。どう見ても仏像ではないので、神像なのでしょうか。それぞれ手や頭に道具類と思われるものを持っています。





台座に願主の名前。「原田氏 三十郎 道〇」とここにも原田さん。



「道〇」(読み取れなかった。)とあり、菅沼村の原田さんは、「道」が通字の一族なのでしょう。通字を持っているくらいなので、元々は武士やそれに準ずる階級の出身なのかもしれません。これだけの灯篭や石像群を寄進できるだけの資産もあったのでしょうね。

台座に掘られた馬の像。日本古来の馬の特徴が表現されてますね(当然ですが。)。



境内の全景です。



もう一度燈籠を眺めると年号が彫られていました。「明和八年 辛卯九月吉日」とあります。明和8年は西暦1771年になるので、249年前のものということになります。



そして、この時に石像の背中に文字が彫られていることに気が付きました。

一番はっきり読めたのが、この「第三 筆硯童子」。童子像だったわけです。



これで、「帰宅してから調べれば、石像群の正体について何かわかるかもしれないな。」とちょっとスッキリしたので、お暇することにします。


※帰宅してから「筆硯童子」を検索してみたら、弁財天に仕える15人(または16人。)の童子の一人であることがわかりました(印鑰・官帯・筆硯・金財・稲籾・計升・飯櫃・衣裳・蚕養・酒泉・愛敬・生命・従者・牛馬・船車・善財)。なので、ここは神社ではなくて弁財天を祀るお堂だったようです。だから鳥居も無いわけです。そして、石像群は各々名前に由来する道具類を持っていたこともわかりました。

また、「東三河を歩こう」というサイトに、新城市作手菅沼の項目に「十六童子」とあり、ここには本来16体あったこともわかりました。台座しか残っていないものもあり、長い年月のうちに破損して撤去されたのか、もしかして盗まれてしまったのか…。どうなんでしょうね。


廃道を歩いて車まで戻ってきました。



次は、昨日見つけた道標へ向かいます。

道標にやって来ました。二股に分岐していく道の真ん中に立っています。



上部に彫刻された仏像、下部が道標になっています。



道標は、「左 おかざき 右 あすけみち」とあります。



「あすけみち」は「足助道」ですね。現在の豊田市足助と新城市海老を結ぶ街道で、国道420号の前身道の一つです。

「おかざき」は当然現在の岡崎市ですね。ここから分岐していく道は、今は地形図に記載されていない区間もあるような状況ですが、昔は岡崎と往来する道として使われていたわけです。

分岐点付近の地形図はこちら。丸印が道標のある分岐点。黄色い線が県道337号。赤い線が戦前の地形図から推定した岡崎へと向かう道のルートの一部です。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

上部の仏像は摩滅が進んでいます。



この道標には年号が刻まれておらず、いつ頃設置されたものか全くわかりませんでした。

最後に県道337号の峠にやって来ました。



ここが新城市と豊田市との境になります。かつては、南設楽郡と東加茂郡の境であり、新城市側が重要里道足助道、豊田市側が重要里道下山街道と呼ばれていたようです。





峠の新城市側で、足助道の道跡が残っていないか少し探してみます。

右側の斜面に怪しい平場が見えています。



道路脇の小川を渡り、斜面へ取り付いてみると、道跡らしい雰囲気があります。



歩き進めると明確な道跡が見えてきました。峠周辺は緩斜面の地形なので、長い年月のうちに道跡は埋もれているのではないかと思っていましたが、ちゃんと残っていました。





程なく県道へと出てきました。



ここから沢沿いに下っていたはずですが、斜面に道跡らしいものは見い出せないので、沢の横を通っていたのかもしれません。



道跡はわからなくなっていましたが、ひとまず沢沿いに歩いて下り、ヘアピンカーブで迂回していた県道に再び出てきました。



もう少し下った場所で見つけた道跡と思われるものです。







沢の流れや植林、現在の県道の建設工事などで、峠付近の足助道はかく乱されたり寸断されたりしているようです。

今回は3週間ぶりの廃道・古道歩きで手近な場所でしたが(それでも100km余は走行してますが(笑)。)、いくつか行き先は考えているので、少し遠方にも出かけられたらなと思っております。
Posted at 2020/09/14 22:35:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2020年09月13日 イイね!

ようやくGVBインプレッサでドライブしてきました

自賠責保険・自動車保険とも権利承継の手続きが終わり、ようやく心置きなくGVBインプレッサに乗れるようになりました。

で、9月12日土曜日、2週間ぶりに車に乗ろうかと駐車場へ向かいました(自宅からはやや離れた場所にあるので。)。

汗をかきながらカバーシートを剥がし、ドアを開けて車に乗り込み、クラッチを踏み込んでスターターボタンを押します。

「カカカカカカ、カカカカカカ、」という音がするだけで、クランキングしません。少し間をおいて、もう一度試してみます。やはり同じです。

「バッテリー上がったな…。」

GDBインプレッサの時は、2週間くらい乗ることがなくて放置していても、一発でエンジン始動していましたので、これは全然想定していませんでした。今までアナログな車に乗っていた自分にとって、ここまでバッテリーの電気を喰われるとはとんだ盲点でした…。

一番手っ取り早いのは、弟か姉の車のバッテリーと直結して始動することですが、今日は二人とも不在。

以前に弟のランエボがバッテリー上がりになった時に、近所のガソリンスタンドへバッテリーを持ち込んで充電してもらったことを思い出し、ボンネットを開けて、バッテリーを取り外します。



通勤で使用している自転車の前かごにバッテリーを積み、重みでグラグラする自転車を漕いで、近所のガソリンスタンドへ向かいます。

「バッテリーの充電ってお願いできますか?」と尋ねたところ、「すみません。充電は今はやってないんですよ。」とのお言葉。

仕方なく駐車場へと戻ります。

今日のところは、もうこれ以上できることはないので、もう一度バッテリーを車に組み付けて、車にカバーシートを掛け直しました。1時間ほど日光を浴びただけで、GVBインプレッサにはまた眠りに就いてもらいました…。



さて、翌日の9月13日日曜日。

14時半頃、メールでお願いしておいた弟がやって来て、パジェロミニのバッテリーと直結。一発でエンジンは始動。やれやれでした。



ついでに充電も兼ねて、近場をドライブすることにします。

遅い時間だったので、向かった先は新城市作手の道の駅。定番のフランクフルトを食べて小休止。16時近くながら、ドライブで来た車や本宮山スカイラインを走ってきた車たちで、なかなか賑わっていました。

帰り道の途中でそのまま晩御飯。岡崎市岩津のうどん屋で味噌煮込みうどんを食べてから帰宅しました。写真はお店の駐車場にて。



今回の教訓は、この車は駐車中でも電力の消費がそれなりにあるので、週1回は車を動かさないとダメだということですね。特に今は通勤が自転車→電車→徒歩なので、週末しか車に乗る機会がなく、その機会を逃すとまた今回のような事を引き起こしてしまいそうなので、注意したいです。
Posted at 2020/09/13 21:03:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2020年09月06日 イイね!

大井川鐡道新金谷駅と東海道本線旧石部隧道へ立ち寄りました

2020年9月5日土曜日、弟から「土曜日が休みになったので、ドライブがてら『やまだいち』(静岡市の安倍川もち屋さん)へ行こう。」と誘いがあり、出かけてきました。

言い出しっぺではなく、なぜか私が運転することに(笑)。静岡市まで高速道路ではなく下道で行こうということで、普段だと岡崎市で国道1号へ出て進んでいきますが、今回は蒲郡市へと出て、国道23号バイパス・国道1号浜名バイパス・浜松バイパスというルートで向かいます。

掛川市からは旧国道1号ルートを走り、牧ノ原台地の峠を越えてやって来たのが、島田市金谷の大井川鐡道新金谷駅。



本来であれば、蒸気機関車を改装した人気列車「トーマス号」などへの観光客でごった返していて、とても駅に近寄れるような状況ではないですが、昨今の新型コロナの影響を受けてか、駅前は閑散としています。

やって来たのは11時頃でしたが、駅前のコインパーキングも数台空きがあり、すぐに車を停めることができました。

ボチボチと駅構内に停車中の車両を眺めていきます。

まずは、E31形電気機関車。元は西武鉄道の電気機関車で、保線用工事列車の牽引が主な役割だったそうです。



次は奥に見えている電車。こちらは元南海電鉄の21000系。そのまま発車していったので、じっくりと見ることはできませんでした。



E31形電気機関車が入れ換えのために動き出しました。



この後は、ホームに入線して、発車まで待機となります。

こちらは、E31形電気機関車の陰になって見えていなかった蒸気機関車C12形164号機。現在は運転休止中だそうです。



C12形の後方に並ぶ旧型客車群。



C12形の横まで来ました。遠目からでも外観の痛みが進んでいるのがわかります。JRですら蒸気機関車の維持に手を焼いているのに、中小私鉄ではなおさらというものです。







C12形を見ていたら、元近鉄の16000系が入線してきました。





そのまま千頭方面へ走っていくのかと思いきや、引き上げ線へ入ってきました。目の前を通過する時に警笛を鳴らされたので、「ビクッ!」としてしまいましたが(笑)。





さらに奥の転車台や車庫があるスペースでは、赤色のSL「ジェームス号」を展示していましたが、すでに入場受付が終了していたので、入ることはできませんでした。

私としては、「トーマス号」や「ジェームス号」よりも、もう見かけることのない古い車両の方が興味があるので、なかなか楽しませてもらえました。

もうお昼近くになったので、静岡市の「やまだいち」へ向かいます。

しかし、登呂遺跡の前にあるお店に着いたら何と「休業中」の表示…。どうやら新型コロナの影響で当面休業になっているようです。結局、お昼御飯は「ステーキガスト」で食べました…。

さて、気を取り直して、帰り道にもう1か所立ち寄ることにします。

静岡市の大崩海岸にある石部海上橋へ来ました。



台風10号の影響か海はうねりが大きく、橋脚には波が激しく打ち付けていました。





こちらは石部洞門。この区間で大規模な崩落事故が発生したため、現在の海上橋が建設されました。





さて、石部海上橋から一つトンネルをくぐり、今度は道路脇にある有料駐車場へ車を停めます。

駐車場から道路を挟んで反対側にある、コンクリートで固められた水路を降りていきます。



東海道本線旧石部隧道へやって来ました。約2年半ぶりの訪問です。



山側のトンネルは、あまり変化はないように感じます。



そして、一番の変化は、海側のトンネルの前にあった土砂の山がきれいに無くなってしまったこと。



2年半前に来た時はまだ土砂の山は残っていて、誰かが取り付けたロープを頼りに海側のトンネルへ入ることができましたが、もうこれでトンネル内へ進入することができません…。

2018年3月24日訪問時。



海岸の散らかりっぷりは相変わらずですね。



これまた、誰かが設置した長い脚立を使って、海岸へと降りることができました。



以前はトンネル前に土砂の山があって、それを頼りに海側トンネルへ出入りしたり、海岸と行き来できたのですが、今は取っ掛かりの無い岩盤が露わになっているだけです。



人間が立っていると、いかに巨大な物がゴロゴロ転がっているのかよくわかります。



この辺りに土砂が残っているおかげで脚立が使えますが、この土砂も風雨や荒波で洗い流されてしまうと、この廃トンネルもより接近困難な場所になるでしょうね。



ここへ来るたびに状態をチェックしているトンネル前の煉瓦造暗渠。アーチ部分が、真っ二つに割れてしまっています。ついに荒波の水圧に負けてしまったのでしょうか。







2015年7月20日訪問時。



2018年3月24日訪問時。



周囲の風景を。



















海岸に打ち寄せる波が、段々と奥まで届くようになってきたので、帰ることにします。





これでまたしばらく訪れることはないでしょう。次に様子見に来るのは何年後の事か…。



急坂の水路を登り、



上を通る道路へと出てきました。



汗でビッショリになったので、弟に「何で着替えを持ってこないんだ!」と言われましたけどね(笑)。

本来の目的である「『やまだいち』でお昼御飯を食べて、安倍川もちを買って帰る。」は遂行できませんでしたが、久方振りに煉瓦トンネルも見れたし、まずまずのドライブでした。

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何シテル?   10/21 19:30
小林あにと申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、たまに廃線・廃道を歩いてみたり、ごくたまにミニサイズのラリーに出場してみたり、やる気がな...
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