バレンタイン通りは千葉県千葉市にある住宅地・幕張ベイタウンのメインストリートの一つで東西方向に街を貫いている。
幕張ベイタウン 景観形成基準
(案 ver1.61)より
右上から左下に抜ける道が富士見通り。
当初の名称は富士見通りであったが、近隣のマリンスタジアムを本拠とする千葉ロッテ・マリーンズ2005年の優勝をきっかけに、同チームを優勝に導き、住民でもあったバレンタイン監督の名を取り、バレンタイン通りに改称された。
このことは地元一丸となった熱い要望に基づいてなされたと好意的に取りあげられているが、実際は全くそうではなかった。
富士見通りの由来
幕張ベイタウンのマスタープランを作成したシーラカンスアンドアソシエイツは、街を格子状の道路でデザインした際、あえて東西方向の道を富士山方向に向けた。このことから東西方向のメインストリートは富士見通りと名付けられた。
改称のきっかけ
千葉ロッテマリーンズの2005年の快進撃に地元ベイタウンでも住民が熱狂していた。優勝の頃、マリーンズ応援を行う地域小団体の代表者が、スポーツ紙のインタビューで突然団体として通りの改称を市に要望する予定であることを表明。これが当時の千葉市長である鶴岡啓一の目に留まり、地元球団とJリーグチームのダブル優勝に湧く中、地図に残る業績を作りたいと通りの改称に向けた行政対応を指示した。(なお、この市長は後に収賄容疑で逮捕され辞職し、刑が確定している。)
独断による改称希望
幕張ベイタウンに於いては住民自治の気風が強く、粘り強い合意形成によって様々な住民活動を行ってきた。例としては、住民・千葉県企業庁・千葉市の三者によって設立された中核コミュニティ施設、幕張ベイタウン・コアの計画設計過程では、住民によるニーズ調査から始まり、その内容において幾度も開かれた住民会議を行って意見集約・合意形成を行い、設計を担当する建築家・音響設計家を交えて煮詰められ、施設が実現した経緯が知られる。同様に、開かれた会議を行い合意形成が図られることがこの街における基本ルールとなっていた。
しかし、通りの改称を表明した者は地域において一切通りの改称を訴えたことがなく、代表を務める団体の中でも話し合われたことがなかったことが分かっている。一方で千葉市路政課と接触していたことが分かっており、知り合いの整理記者を通じたインタビューの設定含め、個人的に計画的を進めていたらしい。
さらなる合意形成の軽視
千葉市ではそれまで希望がでていた他地域の名称変更が長く放置されていたが、市長の指示をきっかけに千葉市道路愛称名付与要綱を制定し、通りの名称を変更するしくみをととのえた。ところが、要望主体として地元自治会や商店会を設定し、その要望があれば愛称付与が可能であるとするルーズなものであった。
この要綱に基づき、千葉市は幕張ベイタウン自治会連合会に要望の有無を問い合わせたが、現在合意形成どころか問題提起すら一切ないことは要望できないと保留した。一方、商店会長は商店の活性化につながるとして商店会内での賛成を取り付け、要望を伝える手はずを整えた。
市の新聞記者へのリークによって、「住民の希望によって商店会から通りの改称要望が出される」旨の記事が書かれ事態が明るみにでた。地元では寝耳に水の話であったことから騒然となった。
(某全国紙千葉支局のこの記者は、市からのリークを「いい話」として、当事者に取材もせず記事を書いているが、その点について「取材方法に問題はない」と言ってのけている)
その後も他社から球団もバレンタイン通りの名称を使うことを快諾していると伝える記事が出され、住民が知らぬ間に市によって改称が既成事実化されようとしていた。
地元で混乱が起き始めた頃から当初要望を市に出すとしていた者は全く表舞台に現れなくなったが、事態は彼の望んでいた方向に転がっていった。
自治会連合会ではその一員である商店会長から事情を聞くなどしたが、商店会長は市からの要請で要望を出した。市には逆らえない。商店会の機関決定に介入するのかと頑なな態度を取るばかりで、街での合意形成など全く気にかける素振りもなかった。このことで更に問題は大きくなった。
住民間では激しい賛否の意見が交わされたが、反対するものは合意形成がないことを問題視していた一方で、賛成するものの中には合意形成を求めるものを執拗に脅したり、商店会長に事情を聞く場に地域外のマリーンズファンを動員して数で圧倒し改称をごり押ししようとする動きすら見られた。
商店会側の発案ではなく市側の働きかけによる改称要望提出であることを知った賛成者らは驚きを隠さなかったが、後にバレンタイン解任に際してマリンスタジアムで球団批判を繰り返し、更に球場で子供に見せられない言動を行う応援団に苦言を呈した選手への応援拒否どころか凡退を喜ぶラッパを吹くなどして一般ファンの怒りを買い、退場を求められたほどのバレンタイン崇拝の集団故、その名を通りに冠することへのごり押しの姿勢は変わることがなかった(のちにこの私設応援団M.V.P.は球場出入り禁止を申し渡され解散している。その一員であった住民も街から消えている)。
注:
M.V.P.の不祥事の概要はWikipedia マリーンズファンのページの「不祥事」にまとめられている。
連合会会長の市への丸投げ
連合会会長は当初これまで通りの合意形成の道を探ったが、ある新聞社によってあたかも自分の知らないところで勝手なことをされて怒る旧来の地域ボスのような記事を書かれたこと、また巨大企業の球団であり地域との連携を求めていることなどを考慮したのか、次第に球団に近付く態度を取り始め、地域で紛糾したことから千葉市から地域での意見集約を求められたにもかかわらず、市長の命で改称を推進する側の市に「判断を任せる」と伝え、即改称が決定した。
街の変化と禍根
それまで開かれた場で合意形成を行うことで進められてきた住民自治が大きく傷つくこととなった。ベイタウンで利益を受ける層を中心に、企業の力を背景にする(球団との関わりを強くする)事で街起こしをすればよいという雰囲気が広がった一方、これまで手探りで合意形成をしながら街づくりに関わってきた層においては無力感から虚脱が生じ、住民活動が低迷することとなった。
市側の問題の要点
改称を急ぐ市長に路政課が答える形で急ごしらえで改称ルール作りが進んだが、バレンタイン通りへの改称を実現することを目的に、地元の要望があれば(検討の上)改称を認めるという改称ありきのルールとなっており、地域の意見集約という視点が全く欠けていた。このため、地域での自発的な要望ではなかった幕張ベイタウンの改称問題に於いて、地元の意見調整を全く経ないまま(地域の団体の代表を名乗る者による当初の要望が個人によるものでしかなかったことを知らなかった可能性があるが)市側が要望を異なる2つの地域団体に求め、どちらかが要望を出せば即OK、地域を代表する自治会連合会が意見集約をしていないからと保留しても、その自治会連合会の構成メンバーである商店会が要望を出せば即OKという進め方をしたため、地域が混乱した。
改称ありきの市長の肝いり事案であったことがこのような混乱を引き起こしたと言える。
個人的な想い
この件には自分もかなり関わっていて、脅しや嫌がらせを受けた当人でもある。
市の動きに関する情報は、当時の市議会議員の協力によって得ている。
もう20年も昔の話だ。
ただ、一部の住人らが、商店会長が千葉市の要請で要望を提出したことをあたかも住民の多くの要望の結果であるかのように装ったり、情報の断片を使って反対派は「俺は聞いていなかった、許せない」と言っているかのように事実をねじ曲げたり、反対派も情報をつかめていないなどと断定した情報を発信しこれは今も残されている。尻馬に乗るだけの賛成派のデマばかりがネットに残り、身を粉にして活動してきた合意形成を求める者が中傷され、裏のとれている真実の情報のほとんどは住民用掲示板の閉鎖と共に消えてしまっている。現在、このブログが唯一だろう。
また、合意形成の必要性を説く者に対して執拗に嫌がらせを行っていた。当時地域の活動をするものの中で年少でありながら大きな実績を残していた自分が彼らに妬まれていたのは確実で、叩く対象にされやすかった。
それまで開かれた住民自治が行われていたのに、表面的にはよいことばかり言っていた連中が、エゴが絡むとここまでひどいことを行うのかと本当にショックでならなかった。もっとも、言動不一致と手前勝手な行動、圧力でごり押ししようという行動は以前から見られ、それが先鋭化したの過ぎなかったのだが。
ここに書くのが憚られるのでこれ以上はやめておくが、地域で多くの活動をしてきたが、多くの者が地域という手をあげれば簡単に長になれる場を利用してエゴ丸出しの行動を採るのを見てきた。本当に献身的に地域活動を行っている人たちがいる一方で、地域活動にかこつけて個人的利益を目論む人間がそれなりにいた。そういう者が地域を混乱させたり、街の中心に計画されていたコミュニティの中核施設の計画を失うという取り返しの付かない損失を引き起こしたりした。
ボランティアをする人に対して「陰で利益を得ている」と断定したり、邪魔なものを陰で脅すなどを繰り返すものもまた多かった。
自分はこの件以外にもいろいろな追い打ちを受け、この街で経験した人生で最高の山から一転最低の谷に転落し、今もそこから這い上がれずに苦しんでいる。
追記:
マリーンズの優勝という地元としても喜ばしい事態が事件へと発展したのは、地元小団体の代表であったS氏による独断専行が行われたためである。
どの時点からかは確認できていないが、S氏は単独で千葉市路政課と話し合いをしていたことが分かっている。また、その事実がないのに自分の団体として要望を提出するとした。
おそらく、路政課との事前の話し合いの中で、個人の要望は受け付けられず、地元団体としての要望が最低線だという話を聞かされていたのだろう。しかし当時、存在しなくなった施設の名称が冠されている通りの改称要望などが2件あり放置されていたので、改称はなかなか難しい状況にあった。
一方、自身の地域団体で話し合いをしても、いつ結論が出るかどうか。
そこで、打開の一策として野球を通じて知りあっていた地元某スポーツ紙整理記者にマリーンズ優勝に絡んで地元への取材を働きかけ、スポーツ紙の地元の様子の取材での宣言にかけたのであろう。
優勝直前には全国紙やスポーツ紙の記者が球場のファンに取材するなどする様子がよく見られ(自分も取材を受けている)、地元の取材も当然あった。地元で応援をしている団体に取材をするのも不自然ではなかった。
そこで、全国に向かって、単なる個人の想いでしかなかった通りの一つに「バレンタイン」の名を冠することを、大きく盛って自分の団体として要望することを宣言した。つまり、あらゆる事を吹っ飛ばし言ったモン勝ちを目指したわけだ。
ジェフ市原とマリーンズのダブル優勝で有頂天になっていた市長は、地図に自分の実績を残せると喜び、路政課に要望実現の指示をしたそうだ(市議談)。
しかし、地元ならどんな団体でも要望を出せるというのはさすがに無理がある。
通りに愛称がある多くのケースでは道沿いに商店街が発達するケースであるから、商店会の要望のケースと、街に関することであるから地域自治会の要望のケースの2通りを想定したのだろう。どちらも地域を代表する組織であるから妥当とも考えたはずだ。
S氏の地域団体は当然要望主体要件から外れる。
そこで市は極めて奇妙な話であるが、要望主体となり得るベイタウン自治会連合会の会長の元を訪れた。しかし、自治会連合会としては議題にも上がっていないことから商店会会長の元へと足を運び、寝耳に水の話であるが市からの要請であることや商店会の活性化につながるだろう事から要望したいとしたことで、要望主体を確保したのだ。
この時点で完全に市長の肝いりで市が進める事業に変貌していたのである。
かくして、地元では誰も全く考えてもいなかった、誰かが記者に喋っただけの夢の話が、突然商店会の要望によって市が愛称制定要綱を作りベイタウン通りの愛称が制定が行われるという全国紙の記事となり、地元は大混乱となったのである。
事情を知らぬにわかのファンは「いい話だね」ぐらいの反応であった。
一方で過激な賛成派が跋扈した。
それまで何も知らず活動もしていなかった商店会とつながるWEB活動が盛んなバンド団体(物品販売など商行為もあり)は、商店会と市の暴走の尻馬に乗って、合意形成を求める者をを中傷し始めた。また、地元にもいた、素行が悪いことで知られていたロッテファン集団M.V.P.の介入による会議ジャックや恐喝行為などが行われ、かなり騒然とした状態になった。
一時的な熱気の中でしか事が進まないと賛成派は考えていたので、商店会が自主的に要望したものでないなどの一切の事情は無視して、バレンタインの名を地図に刻むために強引に短期決戦に持ちこむことしか考えていなかったようだ。
当然一部のファンによる一時的な熱気を半永久的に街の中に刻むことの軽薄さを気にするものも多くいた。
この混乱の中、S氏は一切表舞台に出ることがなかった。
市も、S氏からの事前の申し入れに地元がある程度固まっているものと思っていた様子が有り大混乱となるとは全くの予想外だったようで、合意形成が行われていないことで頭を痛め、商店会からの要望を一時保留とし、商店会も一員である自治会連合会に意見集約を求めたのである。
連合会会長は当初こそ強硬であったが日和り始め、要望を求めても求めなくても街に分断が起こり責任を問われる事を怖れたか、街区代表に簡単に様子を聞くことはしたが、明確な住民への意見調査をせず、看板を設置する場合の注意点などを付けて結論を市に丸投げして逃げてしまったのである。市が事業を進めていた以上即決定が分かっていたにも関わらずにだ。この時点で千葉市や反対派を敵に回さず球団との関係を利用したいとの思惑を固めつつあったのかも知れない。
この件の後、会長はどんどん球団との関係を深めようとし、連合会が関わるイベントに積極的に球団のチアリーディングチームや選手を出演させ始めた。
その後、連合会関係者やシニアクラブメンバーなどをバックに市議会議員選挙に挑戦しているが、全く票が集められず落選している。