2016年04月24日
歌手のプリンスさんが死去
先日朝起きてパソコンを開いたら、インターネットのニュースで、「歌手のプリンスさんが死去」と書いてありました。
『プリンス』とだけ書いてあったら直ぐに分かったけど、『プリンスさん』と書いてあったから「昭和のムード歌謡の人かな?」と思ったら年齢が57歳と・・
「自分よりも2歳上にそんな人いたかな?」と思ったらパープルレインのプリンスさんじゃないですか!
いや失礼だがプリンスと呼び捨てにしないと『プリンスさん』ではどうもしっくり来ず、現実がしばらく分かりませんでした。
1980年代のパープルレインとかレッツ・ゴー・クレイジーとかが流行っている時は第二次ディスコブームで、マイケル・ジャクソンを初めとして今年亡くなったモーリス・ホワイトが在籍していたアース・ウインド&ファイアーやデビット・ボウイなどの曲を車の中で聴きながらディスコに行ったものです。
本当は通ったと言いたいのですが、20代の時はディーラーや中古車店の下請け仕事がメインで、働けど働けど我が暮らし楽にならずの状態で、月に一度行くディスコが何よりの楽しみでした。
そんな20代の前半のある日、鹿児島の天文館に新しいディスコが出来たというので男3人で車に乗ってそのい店に出かける事にしました。
当時の車はフロントドアにスピーカーが付かない構造の車が多く、付いていてもランクル70の様なダッシュの横に下向きの10センチで、主たる音はリアスピーカーからでした。
男3人で交代しながら運転していると、運悪く後ろの席に乗った一人だけ必要以上の大きな音で音楽が聴こえて、かといって後ろの一人に合わせると前の二人が不満になるという上げて下げての繰り返しを行ないながら一路鹿児島へと向っていました。
そして鹿児島へ着く少し前に気分を盛り上げようとボリュームを上げ気味にしたら、その時の曲がプリンスのレッツ・ゴー・クレイジーで、後ろの一人が「うるさい!本当にクレイジーになってしまう!」と叫んだのを今でも思い出します。
今考えたら当時はピュアコンも防振メタルもセメントコーティングも無い時期で、効率の悪いオーディオをただ音量を上げて体感していたから後ろの人はかなりの苦痛だと思いました。
鹿児島に着いて目的のディスコのエレベーターに乗った時にデビット・ボウイのレッツ・ダンスが流れていました。
そう思うと今年は第二次ディスコブームの時に聴かれていたアーティストが3人も亡くなって、自分も歳を取ったと思わざるを得ません。
昨年の秋にAKB48の『ハロウィン・ナイト』という曲が流行って、自分はDVD付きのシングルを買ってDVDを見たら、ディスコのシーンで第一次ディスコブームの時のチャンピオンであった方々が踊っていて、自分よりも少し上の世代の人なのでおじいちゃん・おばあちゃんに足を踏み入れたぐらいの年齢の方なので、「あー、自分も歳を取ったんだ。」とそこでも思いました。
若さゆえか山口から鹿児島のディスコまで踊りに行った自分も今考えたら『猫に小判』みたいな出来事があって、たまたまそのディスコにコンサートが終わって遊びに来ていた『ラッツ&スター』のメンバーがいて、自分の隣のソファーには鈴木雅之さんが座っておられました。
今だと以前東京FM系で放送されていた『サタデー・ウエイティングバー・アバンティー』みたいに聞き耳を立てて生声をキャッチしてカーオーディオの音造りに活かすとなっていたところ、「あっ、有名人が横にいる。」ぐらいしか思っていなかったのが、今となっては「惜しい事をした!」と思っています。
まあ、かりにしっかり聞いたとしてもドアに13センチのフロントスピーカーも付かない車で、ネットワークのパーツを交換したりコイルの巻き数も変えるという技も知らなくて、今の防振材すら無い時代ですから、普通にメーカー製の物を付けて販売して、今考えたらとんでもなく大雑把なイコライザーで調整するしかない時代で、とても本人の声に近づけるなんて事も思いつかなかったのでしょう。
そんな無知な自分も音楽が好きという気持だけは強く、1986年から87年にかけて1年間ほどFM山口で音楽番組を担当していました。
その時に聴いたモニタースピーカーやスタジオ機材の音はストレートで無駄の無い音がしていて、「これって車の中で出せないの?」と思い試行錯誤したのが今のサウンドピュアディオの音造りの原点になっています。
そんな昭和の時代にプリンスの1999という曲を聴いて、「1999年は本当に来るのかな?」と思っていたらもう2016年で、第一次ディスコブームや第二次ディスコブームの時に流行っていたアーティストさんの訃報が聞かれる様になり、大変残念に思います。
最後にプリンスさんのご冥福を心からお祈りいたします。
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Posted at
2016/04/24 10:02:21