今日2月1日は1953年にNHKが日本で最初にテレビ放送を開始した日で、『テレビ放送記念日』となっています。
当時のNHKの契約者数は866件で、サラリーマンの平均月収が1万5千円だった時代に、受信量は200円だったそうで、今と貨幣価値が20倍違うとすれば、4000円の受信料を払っていたのと同じ事になります。
更に14インチの白黒テレビが17万5千円で、今の貨幣価値に換算すると350万円ぐらいにあたり、当時は高価だったために街頭テレビが置かれていたそうです。
そして866件のNHKのテレビ契約の内の何と482件が自作の受像機による物で、ラジオの自作も含めて秋葉原のパーツ屋が全盛期だった事でしょう。
自分は1960年生まれなので、自分が生まれる前には既にテレビ放送が始まっていて、1955年には今のTBSが民放のテレビ放送を初めていたそうです。
自分が生まれた山口県では最初の頃はNHKとKRY山口放送しかテレビが映らず、北九州市の皿倉山にアンテナを向けて、TBS系と朝日系とフジ系のテレビを見ていて、それから徐々にTBS系とテレビ朝日系の放送局が出来て来ましたが、今でもフジ系とテレ東系は皿倉山の電波を受けています。
昭和40年代はビデオデッキなどなく、一回見損ねたら後は無いと、必死でテレビを見ていたり、カセットテープレコーダーで音だけ録音して後で聞き直して、セリフを一言一句漏らさずに覚えていたりと、苦労していましたが、苦労した分ほど記憶に鮮明に覚えています。
ただ現在『あの頃のヒットドラマは!』みたいな番組で昔の映像を見ると、「こんなにぼやけた画像を見ていたのか?」というぐらい今の画像と差があります。
自分の宇部の家のリビングには1週間分の全チャンネルが録画出来ているレコーダーを置いていて、それで見逃した番組を後で観たり、ブログの写真用に「確か今朝のこの時間ぐらいにやっていた様な・・」と、調べて写真を撮ったりしています。
もしテレビの音声をカセットテープに撮っていた時に戻って、当時の自分に「将来こういう物が発売される。」と言っても、そんな物が出来るとは想像も出来なかったでしょう。
ただ昭和40年代の未来物のドラマでは、自分が60歳ぐらいになった時には、車が地上を走っておらず、エアカーで空を飛んでいるというアニメや人形劇が多かったので、まさか60歳でタイヤが付いている車で地べたを走っているとは想像もしていませんでした。
そういえばアニメの中の研究所でも電話が黒電話というのがあって、「通信やテレビなどの技術は昭和40年代では考えられない様な進歩をしているんだな。」と感じました。
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