毎週火曜日のTBS系のテレビで夜9時前から放送されている『マツコの知らない世界』ですが、先日の放送は『日本が世界に誇るマツコ!音楽祭』というタイトルでした。
内容は3つのブロックに分かれていて、まず皆さんご存じの世界でも注目されている昭和のポップスについてで、昭和の楽曲のカバーアルバムを色んな方がリリースされています。
2つ目は日本のお家芸的なアニソンで、これは長年日本が世界に誇れるジャンルです。
そして3つ目は『マツコの知らないパラパラの世界』というタイトルで・・
1986年をスタートにして3回のブームを経て今に引き継がれています。
1986年と言えばデッド・オア・アライブやマイケル・フォーチュナティーなどのユーロビートディスコが日本で流行し始めた年で、自分はFM山口で『ソウル&ディスコステイション』という渋めのダンスミュージックをノンストップでかけるという番組のDJをしていて、86年の初めはハイエナジー・ディスコと呼ばれるイヴリン・トーマスの『ハイエナジー』みたいな曲調が流行っていました。
ハイエナジーという1曲がヒットしたために、少し暗めでややスローテンポの楽曲をハイエナジー調と呼ばれるぐらいの大ヒットで、ただやはり暗めだったからか直ぐにブームは下火となり、もっと明るくてテンポの速い『ユーロビート調』の楽曲が流行し始めました。
そこで井川は流行の流れに乗って、番組のタイトルを『ディスコ・フリーク』に変更して、ユーロビートの第一次ブームに乗っかりました。
ただ第一次ユーロビートブームの時はパラパラという言葉はまだなくて、アーハのテイク・オン・ミーのイントロや間奏の楽器の音がパラパッパと聞こえて、フロアーの皆がそれに合わせて「パラパッパ♪」と歌いながら同じ踊りを踊っていた事から、後の1990年代のユーロビートブームに軽くてテンポの速い曲で皆で同じ振り付けで踊る事がパラパラと呼ばれる様になりました。
90年代のユーロビートブームが80年代に比べて明らかに違う部分が、ユーロビートの踊り方の経典と呼ばれるレクチャー用のビデテープが発売されて、ディスコフリークはこれをこぞって買って踊りを覚えた事です。
それまで地方のディスコによって微妙に踊り方が違っていたのが、これで全国統一の踊り方になって、ビデオやCDでエイベックスは大きな利益を上げた事でしょう。
当然自分のパラパラの教典ビデオは買いましたが、89年に長男が生まれて、91年には次男が生まれて、もうディスコなどには行けなくなって、家のオーディオルームで踊っていましたが、やはりディスコに行けないと気分が出ないので、そのうちディスコとは縁の無い生活になりました。
ただ長男が小さい時にはまだ現役でディスコで踊っていて、次男が生まれて何回か行きましたが、妻の機嫌が悪いのでもう行くのを辞めました。
それから20年以上経って息子二人が成人した後に、妻が「あなた達のお父さんは乳飲み子を置いてディスコに行っていた、不良のお父さんだったのよ!」と言っていました。
もし自分に弁解のチャンスを与えられたら、「30過ぎてもディスコに行く様な、ノリの良いお父さんだったから、今の君たちの生活があるんだよ。」と自信を持って言いたいです。
そんな過去の自分を思い出した、『世界に誇る!マツコ音楽祭』でした。
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