お客様の質問にお答えする新シリーズも遂に12話となりましたが、旧シリーズからご覧のお客様から、「以前に読んだ内容が多いので、前作で全く取り上げられていない話は無いのですか?」というご指摘を頂きましたので、これは前作では取り上げていないだろうという内容を今日は書き込みます。
それは「井川社長は師匠という様な方はおられますか?」というご質問で、旧シリーズの時から質問は合ったのですが、確かこれまでこの事については通常のブログでも詳しく触れた事は無いと思います。
自分は1980年に20歳の時に自営業を始めて、その2年後の1982年に宇部市に『カーオーディオ専門店オーディオボックス』を10月10日に開店しました。
1982年といえばマイケル・ジャクソンがスリラーを発売した年で、2年後の1984年はヴァンヘイレンが1984を発売した年で、昨日はヴァンヘイレンさんの1周忌でしたね。
1980年に自分が自営業を始めた時も10月10日の当時の『体育の日』に開業して、後3日で開業から41年にもなり、来年の10月10日でカーオーディオの専門店を始めてから40周年となります。
そんな自営業を始めた1980年に最初の師匠というか、仕事に関する基本的な心構えを教えて頂いた方に出会いました。
当時はカーオーディオの出張取付をしていましたが、それもあまり仕事が無かったので、業務用の無線の基地局のアンテナを立てる作業の手伝いに、ある通信社の仕事の助手をしていました。
その時に自分が手持ちの工具を持って行っていたら、ニッパーがやや刃こぼれ気味だったのと、種類が少なくて太さに関係なく1種類で対応していたのをO社長が見て、「それがお客さんからお金をもらうプロの仕事か!」と叱られました。
更に「趣味で作業するのとお金をもらう仕事は違う!」と言われて、その日はO社長の工具を借りました。
しかし次にまたO社長から叱られて、アンテナから出ている同軸ケーブルをポールにビニールテープで巻くのに、自分はやや斜めにニッパーで切っていて、「こういうのは普通真っ直ぐ切るのが当たり前!」と言われました。
なぜ刃こぼれ気味のニッパーを使わず、テープも真っ直ぐ垂直に切らないといけないかというのが昨年その現場を通った時に、40年が経過しても自分が同軸ケーブルに巻いたテープがほどけておらず、切り口にギザギザがあったり、斜めに切って鋭角の部分があったらそこが剥がれやすいなど、実際には巻く時の力の入れ方もあるのですが、これがプロの仕事というのを20歳の時に叩き込まれた事で、その後の人生が良い方向に進みました。
今ではきちんとサイズが合っていない工具を使うのはとても苦痛で、細かく持ち替える方が楽だという習慣が付いています。
そこから10年が経って、1982年には珍しくてそれなりに繁盛したカーオーディオ専門店も、あれよあれよという間にメーカーがどんどん販売店を増やして、過当競争になって儲からなくなった時に、ナカミチのスペシャルショップに加盟して、その時に東京のM社長に出会う事が出来ました。
M社長は元々カーオーディオとは違うカーエレクトロニクスの仕事をされていて、そこにナカミチの初代社長の中道悦郎さんから「一緒にカーオーディオをやらないか。」との誘いがあって、それでそれまでの本業とは別なカーオーディオ専門店を作られた方でした。
自分がM社長と知り合った時には悦郎社長がガンで亡くなった後で、ナカミチの営業部の暴走が始まった頃で、とにかく販売店の質は問わずに店数を増やして売りあげを上げろ的な戦略で、あっという間に山口県に内以外にスペシャルショップを3店も作られて、評論家の先生がほめているアンプやスピーカーとミックスしてナカミチ製品を販売する店の方がトレンドに合っていて売れて、本来のナカミチの目指している音を再現しようとしている店の足を引っ張っているという、とんでも無い地獄の状態でした。
そんな中、中道悦郎社長と一時代を作ったM社長の作る音は素晴らしく、当時生まれた自分の次男にM社長の名前を勝手に付けて、後で「尊敬するM社長の名前を自分の子供に付けさせて頂きました。」と事後報告をしました。
それでM社長にはかなり気に入ってもらって、色々な事を教えて頂きました。
その教えは『メーカーを信用していけない』という事で、悦郎社長が亡くなった後のナカミチは信用出来ないという事で、評論家のご機嫌を取っている他のメーカーはもっと信用出来ないという事で、『井川君、こらからの日本のオーディオ業界はメーカーと評論家と雑誌社が癒着して、真っ当なオーディオは出来なくなって、いずれ国際競争力が無くなって上場廃止になるだろう。」と、何と20年後を見事に予測していて、更に「井川君もこの業界に見切りを付けて、何か他の仕事をした方がいい。」と言われて、業界を去られて、カーオーディオ業界に入る前のカーエレクトロニクスの仕事に戻られました。
業界がぐちゃぐちゃになっている中で、やっと信頼出来る師匠に出会えたと思ったら、直ぐに引退されるという、本当に当時はショックな出来事でした。
ただM社長が業界を去られるまでの短い時間に『本当に良いスピーカーケーブルは』とはとか『良いコンデンサーの見極め方は』という、今のピュアディオ製品の根源になる部分を教えて頂いて、後は短い期間に教わった事を自分なりに工夫して、過去に放送局のスタジオでスタジオワークをしていた事もあり、そういう情報を総合してオーディオボックスからサウンドピュアディオにブランドをチェンジしました。
そういう訳で自分の作業の考えの基礎を教えて頂いた通信社のO社長と、中道悦郎氏から声がかかってナカミチのカーオーディオの基礎を作ったM社長の2人の教えをずっと守ったからこそ今のサウンドピュアディオがあると、しみじみと思い出しました。
そして自分は一度もお目にかかった事が無いのですが、ナカミチの初代社長の中道悦郎さんの、「音楽を作る人の作品に色を付けてはいけない』という考えで、多くの音楽アーティストと交流して、会社の中にはスティービー・ワンダーやジャズの大御所などと一緒に写っている写真が飾ってあって、今のサウンドピュアディオの店内に多くのボーカリストや演奏家と自分が一緒に写っている写真は、悦郎さんの考えを小さい会社ながら受け継いでいるという証拠です。
そういう意味では音楽に色を付けない、形を変えないという自分手法の根源は、元を辿れば一度もお目にかかった事のない中道悦郎さんの考えを、M社長を通じて叩き込まれたのかも知れません。
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