今日は40年前に宇部市にカーオーディオ専門店『オーディオボックス』が開店した日です。
今の宇部店は1999年に出来ていますが、当時はまだ『オーディオボックス宇部店』の時代で、2001年にZSPシリーズを発売した時に『サウンドピュアディオ』と改名しました。
販売・取付を行う会社名は今も株式会社オーディオボックスですが、オリジナル商品を開発・製造している会社は有限会社ピュアディオという別会社で、自分はその両方の代表を兼任しています。
以前は祝日が固定だったので、10月10日は体育の日で、8月は夏で暑くて、9月の半ばぐらいから開店準備に入って、10月10日にオープンというのがいいだろうと考えで、お店を持つ2年前の10月10日にカーオーディオと車載無線の取付を行う出張取付の会社を興したのもその日で、42年前の10月10日は開業記念日となります。
1982年にきちんとしたお店を持ったのは宇部市中野開作のかっぱ寿司の斜め前で、当時の建物はもう少し横に広くて、現在は建て替わって美容院になっています。
ここの場所からのお客様で現在も通われている方もおられて、いまだにオーディオボックスさんと言われる方もあります。
ここでの営業は約7年で、22歳から29歳までの20代のかなりの時間をここで過ごしました。
当時はテントの下の吹きっさらしで作業を行っていて、これではいけないとエアコン付きのピットにしたのは最後の2年間だけででした。
次に引っ越したのが山陽小野田市の有帆にある、現在の倉庫になっている場所で、メインの通りからは離れましたが、この向こうにはNECのIC工場があって、若い社員の方の通勤道になっていました。
この場所で営業していた事を知らない方も、仕事でこの道を通られて、「ここもサウンドピュアディオの建物なんだ。」と知られる方も多くおられます。
山陽小野田市でも宇部市との市境が近く、ここを宇部市と思っておられた方も多く、自社物件で10年間で返済予定の建物が、スーパーファミコン用のICの増産からか、若い方が残業や休日出勤が多くて、遊びたくても遊ぶ時間が無いので、通勤中に良い音で音楽を聴くのが唯一の趣味みたいな時代で、IC工場に納車や引き取りに行っていて、そのおかげで8年半で元が取れて、今のゆめタウン宇部の前に引っ越しました。
現在のヒット商品のピュアコンが誕生したのは30年前の今頃で、実は自分が率先して開発にかかった訳ではなくて、当時はマルチアンプ方式でカーオーディオを組んでいた自分にお客様からお叱りを受けて、それで仕方なくパッシブネットワークをブロック化して、自由に組み合わせが変えられて、短時間でピークポイントに達する事が出来るピュアコンを開発しました。
当時を振り返ると、関西で行われた大規模なカーオーディオイベントにお客様を何人かと参加して、その中にオリジナルネットワークを作ってシンプルな構成でも良い音を表現しているお店があって、お客様から「あの店みたいなやり方で出来ないのか?」というご要望を頂きました。
ただ某メーカーから「あの店みたいにオリジナルネットワークを作ると販売奨励金は出なくなるから。」と釘を刺されていて、「販売奨励金が出なくなると子供を養っていけないから。」と最初はオリジナルネットワークの製作を拒んでいました。
しかしあまりにお客様からしつこく言われるので、「それなら1台だけ内緒で作ります。」と作ってみたらこれが良い音がして、でも計算式で作っても実際車に持ち込むと誤差が出て、ケースに組んだコイルを外して付けてを繰り返すととんでもなく時間がかかるのと、多めに巻いたコイルをじわじわほどいて行ってもほどき過ぎが怖くて寸止めみたいなネットワークしか出来ず、しかも時間は1台の調整で1週間もかかってしまい、その関西の店に聞きに行ったらやはり調整は1週間かかっていたそうで、これはとても商売にはならないと頭を抱えていました。
そこで手抜きを考えて、市販されているネットワークのコイルやコンデンサを付け替えて良い音を出そうと、メーカー製の巻き数の多いコイルをじわじわほどいていたら、欲を出してほどき過ぎて適正値を過ぎてしまって、もう元には戻せないのでホームオーディオ用の自作ネットワーク用のコイルを入れようとしたら大きくてケースに入れられなくて、それで今のピュアコンの形の『外付けコイル』の形が出来ました。
それならメインのケースも最初から作って、複数の値を最初から用意して組み合わせを変えたらどうだろうか?と考えたのがピュアコンの始まりで、しかもオリジナルネットワークの調整に1週間かかるが1日か2日に短縮出来て、まさか30年続くヒット商品になるとは思ってもいませんでした。
ただそんな良い事も長くは続かず、あっという間に『音圧ブーム』という大型のウーファーやアンプを付けてドカドカいわせるという流行があって、カーオーディオは下品なものというマイナスな方向に業界が向かって、それまでの品の良いお客さんが業界にそっぽを向くという状態になりました。
そこに加えてタイムアライメントがカーオーディオの主流になって来て、タイムアライメントありきのスピーカーが増えて来て、販売したいスピーカーがどんどん無くなって来るという悲惨な状態になって来ました。
その時にはゆめタウン宇部が出来て宇部市の人の流れも変わって来て、店舗を有帆から妻埼開作に移す事になって、140坪から320坪へと店舗や作業場も大型化しました。
以前からエアコン付きピットがメリットが有るというのが分かっていて、例えばハンダ付けや防振作業では温度湿度の管理を行う事で安定感があり、冬の寒い時期や夏の暑い時期に作業した車は出来が悪いなどの状況を避けるために、かなり早い時期にエアコン付きピットにしていましたが、新宇部店では業務用の200Vエアコン2台と、かなり温度・湿度が安定するまで時間がかからなくなっています。
2001年の店舗名変更とZSPシリーズとベーシックの発売から業界の流れとは別な事業という位置づけでスタートしたものの、2006年からはアーティストさんに実際にお会いして生音・生声に近いサウンドへと新しい展開に進んで、新しい宇部店もオープンから23年が経過して、旧2店舗の15年半よりも長い期間ここで営業しています。
近年ではデッキ交換出来ない車種が増えて来て、チューンしたハイローコンバーターを使ったシステムアップが多く、4CH用のモデルの内側2レーンを撤去のモデルが爆発的に売れていましたが、それも今年は2CHモデルのみにテクニカさんがラインナップを減らしたために、どうしたらいいのかというピンチに立たされていました。
しかし2CHモデルを片側1個づつの合わせて2個使う手法を思いついて、セパレーションの良さから旧モデルからの買い替えも増えて来て、再びヒット商品になって来て、今日はその製作に追われています。
目の前にはテクニカ製のハイローコンバーターが積み上げられていて、作っても作っても羽が生えた様に直ぐに出て行きます。
もう一つ最近のピュアディオでの流行はアルパイン製のディスプレイオーディオで、今から40年前の開店当時は液晶ディスプレイなど無くて、車は小型のブラウン管テレビの時代で、画像物は販売しないと言っていたのが、今はディスプレイの大きさの見本を作って、お客様のお車に当ててみて、どのサイズを選ぶかという、そんな仕事をしています。
そして40年前では絶対に考えられなかったのが高級なハンダの値上がりで、1990年代の中東戦争でヨーロッパの製品の納期が海路の安全を考えて遅くなるというのを、値段が高くても航空便を使って何とか乗り切って、やっと平和になったと思ったら2001年の同時多発テロで高級なハンダやコンデンサがバッサリ無くなってミサイルの誘導装置に回されて、近年は材料で困る事は無いと安心していたら、ロシアのウクライナ侵攻で半導体不足にハンダ不足で、とうとう今までは捨てていたハンダを集めて炉で溶かして純度を上げて使用しないと行けなくなりました。
精製した後のハンダで偶然に出来たマスコットみたいな形のハンダも、日常はほっこりとさせてくれていますが、純度の高いハンダが不足して来ると炉で溶かされるのではないかと心配しています。
これも早くプーチンがねを上げてくれればいいのですが、戦争の犠牲者になりそうです。
開店から現在までの40年を一気に振り返るとちょっと無理もありましたが、毎年9月10月は暑い夏が終わってそろそろシステムアップの時期で、いつも忙しくて周年記念を一度も行った事はありませんが、今年も同じ様な感じで、ブログを通じてこれまでのご愛顧に対してお礼を申し上げさせて頂きます。
40年間に渡るご愛顧を、本当にありがとうございました。