今のサウンドピュアディオが出来るまでの40年史+12はよいよ10話目となり、カーオーディオ専門店を始めた時はアルパインとケンウッドを主力に販売していた『カーオーディオ専門店オーディオボックス』は、主力商品をナカミチとJVCに変えて行っていました。
その理由は当初は地味で音質一筋で売れていた会社も、販売数が増えて量販店での店内シェアが上がって来るとどうしてもキラキラした仕様に変わって来て、そこにちょうど地味な見た目で音質一筋で後発で出て来たナカミチとJVCに移って来て、スピーカーはデッキの2社に加えてJBLとBOSEの2本立ての、合計4ブランドで商売が出来るという、ある意味いい時代でした。
後にJVCは大きく方針を変えて、地味な音質重視の中級機から、サンヨーと同じ価格帯の安くて鳴ればいいに変わってしまい、メーカーぐらいあてにならないものはないと、かなり痛い目にあわされました。
そんなカーオーディオが過渡期の時代の1985年の12月には山口県にはこれまで無かったFMの民間放送局が開局して、それが現在サウンドピュアディオスタジオがある山口市緑町のFM山口です。
これは山口県のカーオーディオに大きな変化をもたらせて、これまで車の中ではカセットテープ音楽を聴いていたのが、FMラジオで音楽や会話が聴けるという、画期的な市場に変化が起きて、カセットテープだけ聴ければいいから、FMも良い音で聴けないとと販売の中心が大きく変わって来ました。
それまでもNHKのFM放送もありましたが、クラッシックに邦楽に朗読にとあまりに幅が広くて、若者が好む音楽がめったに流れなかったのでFMチューナーやFMチューナー付きのデッキは好まれませんでした。
これが一気に逆転した訳で、これを指をくわえて見ている訳には行かないと、自分の家にあったミキサーとレコードプレイヤーとCDプレイヤーを駆使して番組のサンプルを作って、FM山口に持ち込んで1986年から1年間ほど音楽番組のDJをする事となりました。
番組は洋楽のノンストップ物の30分番組で、12・3分のノンストップ物を全半・後半で2タイプ流すというスタイルで、日曜日の夜に放送していましたが、まあまあ人気のある番組だったと自分では思っています。
これは現在のスタジオですが、現在はCDプレイヤーが4台並んでいるのが、当時はレコードの方がメインで、レコードプレイヤーが2台のCDプレイヤーが2台で、番組としてはレコードとCDが半々ぐらいで再生していました。
スタジオのスピーカーは当時からすると2回入れ替えが行われていて、今のスピーカーの3倍はある大型の物が使われていました。
銘柄は何と三菱電機で、ダイヤトーンのスピーカーも局内にありましたが、放送局用の三菱ブランドのスピーカーと、市販用のダイヤトーンで全く音色が違うという驚きがあって、三菱のスピーカーが無色透明の音に対して、ダイヤトーンは明るくキラッと輝いた音で、同じ三菱電機が作りながらも全く別な物で、自分の音造りの原点は実は三菱電機の放送局用スピーカーでした。
ただ三菱電機の放送局用スピーカーは1世代で終わってしまい、自分はその後B&W社のマトリクス801のスピーカーを購入して、これがその後に世界基準のモニタースピーカーになったので、これで音楽を再生させて車の音造りの手本としていました。
そのためサウンドピュアディオのデモカーは今でも指定ナンバーで801にしているのです。
番組は当初は『ソウル&ディスコステイション』という番組名の30分番組で、後に『ソウル&ディスコステイション86』という60分番組して、後で考えたら60分にしたのが明らかな間違いで、60分になる時に自分の一人喋りから女性アシスタントが付くのを承認したら当初のカラーが変わって不作に終わり、また30分番組に戻して『ディスコ・フリーク』と改名してそれなりのヒット作となり、まあ色々あって1年で番組製作と番組出演は終わりました。
この30分番組から60分番組にしたのは確かに間違いでしたが、後のビジネスにおいて安直な拡大をしないとか、客層を無意味に拡大するために景品を配らないとか、今のニッチな部分で確実なファンを掴むという手法に変わった基礎になっています。
それから25年ぐらいが経って、店名も『オーディオボックス』から『サウンドピュアディオ』と変わって、FM福岡制作の音楽番組をサウンドピュアディオ提供でFM山口でも放送する様になって、そのPRで懐かしいFM山口の第一スタジオに出入りする様になりました。
1986年当時はFM山口の建物のこの部分で、30分番組を作るのに2時間以上かけて、曲と曲のつなぎがいまいちとか、レコードをクリーナーでピカピカに磨いで、埃でピチッ!というノイズが少しでも入らない様にと、事前にリハーサルで再生させたりと、モニタースピーカーを真剣に聴いてDJブースに入って、ノンストップミックスに合わせて喋りを入れていました。
もちろん行は車の中でカーオーディオでレコードプレイヤーからカセットテープに録音した物か、アルパインのCDで聴くかで、曲順に合わせて再生しながら移動していましたが、あまりにスタジオとの音の差にうんざりする時も多々あり、「車の中でスタジオの様な音を再生する事は出来ないのか?」という疑問が生まれて、もし1年間FM山口のスタジオで番組制作をしていなかったら今のサウンドピュアディオの音は存在しているのか?というぐらいの濃い1年間を過ごしました。
そこから20年ぐらいはFM放送は聴くものであって参加するものではなかった所から、2023年の1月からあのFM山口の第一スタジオはFMYサウンドピュアディオスタジオという名前に変わって、毎日1名様にプレゼントされているサウンドピュアディオスタジオとデイカラーズのコラボステッカーがリスナーから好評という話で、時代はどこでどうなるか分からないな、と思いながら過ごしています。
今のサウンドピュアディオの音造りはオーディオ業界の情報だけでなく、放送業界や音楽業界に精通して、他には無線機業界にも精通していて、これらの4つの情報を合わせて出来ているのが今のサウンドピュアディオの技術です。
FM山口に洋楽のノンストップのDJ物を持ち込む前は、ミキサーを駆使して洋楽のノンストップ再生をしてパーティーなどのDJをしていて、その曲と曲を繋ぐタイミングは高校時代苦労した国家試験に合格するためのモールス信号の早打ち・早聞きでリズム感というかピッチを掴むの上手くなり、カーオーディオ業界の中では異質の存在になっていると思います。
今回はカーオーディオ専門店として将来の方針が決まった、激動の1年間を書かせて頂きました。
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Posted at
2023/01/25 13:00:33