旧お客様の質問にお答えしてのシリーズは、途中で車の装備や機構が変わってあまり役に立たなくなり、現在の車や現在のオーディオの状況に合わせたこのシリーズはかなり好評を頂き、前作を倍以上上回る41回目を迎えました。
今回のご質問は7月27日にFM山口で放送されたコージネスの中の5分のコーナーの中の話についてで、自分が高校生の時に下関市の華山で行った無線の実験が今のサウンドピュアディオの技術の基礎を築いているという様な話をしたところ、パーソナリティーの大和良子さんからも「どんな実験をされたのですか?」と聞かれましたが、実際には自分の時間は2分までに抑えたくて、残りの3分は中学1年生の女子の無線家の方に喋って頂かないといけなかったので、そこは省略させて頂いて、「詳しくはブログで読んで下さい。」と言いながらも詳しく書き込んでいなくて、ピュアディオのお客様で放送を聞かれた方からもご質問を頂いていたのでここで書かせて頂きます。
一部過去に書き込んだ内容と重複する部分もあると思いますので、あらかじめご了承下さい。
自分は小学6年生の時にアマチュア無線の現在で言うところの4級の国家試験に合格して、中学生になってアマチュア無線局を開局しました。
元々はFMラジオを聞くのが好きで、当時は民放FMは北九州市の皿倉山からのFM福岡の80・0メガヘルツが、自分が住んでいた山口県美祢市ではノイズ交じりで聞こえて、それを無くしてクリーンな音にするためにあれこれとアンテナを作って感度を上げようとしていました。
知識の無い小学生にはどんなに長い銅線をラジカセのロッドアンテナの先に付けても感度が上がらず、どうしたものかと考えていたところ、学校の先生から「電波に興味があるのならアマチュア無線の免許を取ってみたらどうか?」と言われて資格を取る事にしました。
アマチュア無線の資格試験に向けた勉強は当時通称電波学校と呼ばれていた萩市の遠洋漁業に行くための無線技士を養成する学校に夏休みの中の1週間ぐらい通って、そこで技術を習得したのが今の基礎になっています。
中学1年の時はFM福岡の感度と音質を上げる事に夢中になっていたのが、2年生になる手前ぐらいから、今度は電波を飛ばす方に興味が出て来て、親から無線機を買ってもらってアマチュア無線を開局しました。
そして高校生になった時に二つ山を越えた向こうに同級生でアマチュア無線をやっているK君がいると知って、初めて交信してからあっという間に仲良くなり、色んな実験をしたり上の級の国家試験を広島まで二人で受けに行ったりする様になりました。
その友達になったK君と自分が仲良くなった理由は、当時の高校生は短波で電離層反射を使って日本中どことでも交信出来るというのは流行っていて、それがアマチュア無線をやる人のステイタスだったのがK君も自分も何故か電離層反射に興味が無くて、電離層が濃ければ遠くに電波が飛ぶし、電離層が薄かったり出来なかったすると電波が飛ばずで、ある意味運任せ的な部分が好きになれなかった二人が意気投合して144メガの電離層とは全く無縁な周波数の実験に魅力を感じていました。
その中でも偏波面という部分と音のトーンという部分に特化した実験を行っていて、電離層反射では電離層の状態で常に偏波面が変わるので、144メガの様に電離層の影響を受けない周波数だからこそ偏波面の実験が出来たのでした。
144メガで通常使う偏波面は垂直偏波という縦波で、それが山を越えて飛ぶと途中で偏波面がズレて斜めや水平偏波になってしまい、偏波面のズレで電界強度が何デジベルか下がるという事に対して、当時クロスアンテナというエレメントを十字にして縦波でも横波でも斜めでも受けるというアンテナが考案されていました。
K君は親から10エレメントの垂直偏波の水平スタックの合計20エレメントのアンテナを買ってもらっていて、自分は当初親から買ってもらった7エレメントのシングルのアンテナをアルバイトでもう1本買って水平スタックにして14エレメントにしていたところから、前に2エレメントづつ継ぎ足して9エレメントスタックにしていた物を社会人の人に売って、土木作業員のアルバイトで10エレメントのクロスの水平スタックの合わせて40エレメントの物を買って、それで美祢市の山の中から電波を出していました。
ただ使っていて思ったのが、垂直と水平の両方の偏波に対応させると完全な垂直偏波で届くと3デジベルぐらい弱くなっていないか?という事と、スタックで1本のケーブルを2分配させると0・5デジベルぐらいのロスが出るから、それがクロスで4分配すると1デジベルぐらいのロスが出るから、エレメントが20本から40本になってプラスになる事よりもマイナスになる事が多いのでは?と気が付きました。
そこで標高700メートルを超える下関市の華山の上にK君の10エレスタックと自分の10エレクロスのスタックを上げて、偏波面の違いによるデジベルの差と、エレメントが増える事によるゲインアップのロスとメリットの実験をしようという事になって、144メガの2分の1波長の約1メートルのエレメントを合計60本とそれを繋ぐブームやポールを車4台で持って上がるという部隊を作りました。
とはいっても高校生二人では何も出来ず、宇部市に住む社会人のアマチュア無線家の方4人が高校生のために無償で手伝って頂いて、もちろんガソリン代も全て自前で手伝って頂いて、完全に甘えた状態でした。
1977年から78年ぐらいはまだワゴン車とかワンボックスカーが一般ではなくて、全てセダン車とクーペで、スプリンターとカムリとファミリアと、後から遅れてスカイラインが来て、合計4台で機材と発電機とテントなどを運んでもらいました。
実験は偏波編だけでなく、受信音や送信音のトーンの改善という部分もあって、これは事前に自宅でスピーカーやマイクに繋いでいる部分の改善を行っていて、最も効率の良い物を山に持って上がるというやり方で、1カ月ぐらいかけて音合わせの実験をしていました。
まずは遠くからの弱い電波をノイズを減らして聞くという部分では、大手メーカー製の外部スピーカーに入っているノイズカットのコンデンサが効き過ぎて実態に合っておらず、中の100μFが容量が大きすぎてノイズだけでなく必要な部分まで欠けてしまって、パーツ屋で100μFのコンデンサを買って来て最初の100μFに直列に入れると半分の50μFに下がり、今度は容量が減り過ぎてしまいバランスが悪く、またパーツ屋さんに行って今度は10μFを3個買って帰って、100μ直列2個の両端に10μを並列に繋ぐと合成で60μになり、これでもまだ少ないのでもう1個10μを並列に繋ぐと70μになり、かなりいい感じになって来て、ここでもう1個10μを並列に加えると80μになり、これは行き過ぎた感じがするので1個外して、100μ2個直列に10μ2個並列で合成容量が70μで最も実践にあったフィルターが完成しました。
これは受信の方で、送信側ではマイクと無線機の間にマイクアンプやマイクコンプレッサーを入れて、ノーマルでは薄くて弱い音声を強くする事によって遠い相手でも聞きやすくならないかという実験で、ふた山向こうの友達にも送信出力をどんどん弱くして、ゲインの低い短いアンテナを繋いであたかも遠くからの電波的な状態にして、それで音声をあれこれ変えて実験しました。
ここまで実験をやって来て思ったのが、こういう実験は2人かそれ以上の人がいないと出来なくて、一人では何も出来ないという事が分かりました。
K君とは何度も会ってお互いの生声を知っているので、あれこれと条件を変えて実験していて、結局本人の声に一番近いか、そこに少し勢いを付けたぐらいが一番聞きやすいというのが分かり、華山に持って行ったスピーカーやマイクの関係は日頃のお互いの家同士の実験で完成された物を持って上がりました。
そんな高校生二人の自分達では絶対に出来ない壮大な実験を宇部市の社会人の方4人のサポートによって出来て、144メガヘルツの直接波の交信で福井県や岐阜県まで飛ばす事が出来ました。
今考えたら高校3年生の進学校に通うK君を夏休みにキャンプに誘って、親からしたらろくでもない友達に思われたかと思えばそうでもなくて、こんな大事な時期に笑顔で送り出したお父さんお母さんは凄い人だなと後で思いました。
そのK君はその後京都大学に進学して、卒業しても研究室に残って、電波よりももっと先の自分では何をやっているか分からない実験をしていて、30代で助教授になって、40代で教授になったとお母さんから聞きました。
高校生二人の分からない事はとことん実験して結果を出すという気迫は、後の大学教授と会社の社長となり、まあ自分の方がかなり大した事が無いのですが、実は華山で実験するために自宅でのスピーカーとマイクの実験が、ピュアコンの直列接続や並列接続を繰り返してちょど良い値を探り出すという部分と、マイクの実験の元の声に近い音が最も音の通りが良いが、『ボーカリスのと生声に最も近い音が能率が良い』に繋がっていて、全く自分の将来にこれが役に立つというか、他店を大きく引き離す技術になるとは予想もしていませんでした。
本当ならこういう素晴らしい実験は自分の息子にさせて、いわゆる英才教育をするべきだったところを、自分は37年間無線というものから全く遠ざかっており、逆に息子に無線などという事はさせたくないという思いでいました。
その理由は自分が高校を卒業した後から無線業界は大きく変わって来て、27メガのアメリカ仕様のCB無線機を日本国内で販売して、それに200ワットだ500ワットだ1000ワットだの出力ブースターを付けた無法者が増えて来て、無線=ガラが悪いになってしまったからです。
これは今だから言えるのですが、当時もう統一教会というものが世にあって、組織票欲しさに守っていたのと同じで、不法な無線の団体の集会に議員が顔を出していたという話があって、「俺たちは捕まらない!」と豪語していた者もいました。
これが27メガの0・5ワットの小中学生が使うトランシーバーを使えなくしてしまい、貴重な未来の電波少年を潰していたのでした。
20歳を過ぎたら自分はカーオーディオの取付を行う自営業を始めていたのですが、お客さんの中に27メガの5ワットのアメリカ仕様の無線機が壊れたという人がいて、「このぐらいなら修理しますよ。」と治してあげたら、それが口コミで広がって違法無線の元締めの反社の人に知られて、違法な無線を取り扱ったら儲かるとしょっちゅう言って来ていました。
違法な無線の月1万円の会費はは反社の貴重な収入源であり、違法な物を扱う店が増えれば増えるほど反社も儲かるという仕組みで、後にカーオーディオ専門店をオープンさせても反社が来て困っていて、ちょうど反社のアメ車が2台止まっている時にオーディオメーカーの方が来れられて、「こういう人が入り浸っているのならうちの商品は扱えません!」と言われたので、「自分は無線の事は今後一切しません。」と反社の人に断ったら、「お前に二度と無線はするなよ!」と言って帰って行ったので、アマチュア無線だけでなく、短波の海外放送の受信のアンテナも全て外しました。
その後電波を管理している省庁が郵政省から総務省に代わり、違法な無線が信号機に影響して色が変わって交通ルールを守っているのに事故が起こったり、反社の収入源という事が問題になり、警察庁が動き出して取り締まりが厳しくなって、前の状態に戻ったかと思えば、もう通信ツールが進歩し過ぎて趣味の無線など不要になっていました。
そんな無線からは37年も遠ざかっていた自分が、2019年の千葉の台風の被害を見て、全ての通信手段が絶たれた時用に無線が必要だと感じて、これまで全くやめていた無線を再開しました。
再開する時に無線屋さんから、「長い事無線をされてなかったら、無線機が壊れていると思わないで下さいよ。」と言われて機械を手渡されて、家に帰って電源を入れた時に「これはひどい。」というぐらいに人が減っていました。
それでも全く人がいない訳ではなくて、あれこれと試していたら、自分の中高生の時に夢中になってコイルやコンデンサと格闘していた時の事を思い出して、とてもフレッシュな気持ちになり、当時は開発されていなかった同調の仕方などが新鮮で、「これをオーディオに転用したらどうなる?」と、これまで壁にぶつかって進化が止まっていたオーディオの音質が、明らかに次のステージに進む事が出来ました。
運悪くカーオーディオの世界は自動車メーカーがあれこれと制約を付けてシステムアップが難しくなっている中、これまで限界だったインピーダンスの整合性の合わせ方など習得して、次世代のセッティングを手に入れる事が出来ました。
自分が無線を再開して最も良かったと思う事が、たまたま世界的なスタジオ機器メーカー努めておられて退職された方が、余生を学生時代にやっていた無線を趣味にして楽しまれいた方に出会って、「プロ用のオーディオをやっている人は無線の1級を持っている人ばかりだ。いくらオーディオ好きでも1波の波長やインピーダンスが合わせられない人間が、片側31波の左右で62波などとても合わせられる訳がない。」という言葉でした。
確かにオーディオの場合は難しい国家試験も無いし、えらいと言われているメーカーの技術者や評論家の先生の言う事を聞く店が良いお店と言われている中、スタジオの様な正確な音をエンドユーザーに届けるという考えは一般的ではないにしても、本当の技術があるからこそ眉唾な噂話的な事が聞けないというのは、自分がただの変わり者ではないという事が分かった出来事でした。
かなり長文になりましたが、8月30日の水曜日のFM山口の、コージネスの中の16時30分からの5分は、7月の自分と中学生の無線家の女子の話の続きがありますので、興味のある方は是非お聞き下さい。
自分が高校生の時に素晴らしい夏休みをプレゼントして頂いた様に、今度は自分が次の世代に何かを残したいと思っています。